第12話

「サクヤ。起きて、サクヤ」


優しく肩を揺する感触で目を開けると、早朝の日差しが全身に目覚めの刻を告げる。外から聴こえる鳥のさえずりは昨夜の事を遠い過去の事のように感じさせた。


「ん……おはよう、ジゼル。ミナトも」


「あぁ」


通りに面した窓から外の様子を窺っているミナトは、視線を動かさずに短く応える。


「ロアは動きを止めたわ。じきに警備隊が掃討に動くはず、その前にここを離れましょう」



当然だが支度には数分と掛からなかった。桃に似た柔らかい身の果実を朝食に済ませ、ミナトとジゼルを先頭に店を出る。食糧の代金と、迷惑料に金貨を数枚置いて。


「この辺りは避難するまでに余裕があったから被害は少ないようだけど、先へ進めば進むほど酷くなるわ。大丈夫?」


早足気味に進むジゼルがちらりとサクヤへ視線を送る。胸の辺りに込み上げる不快感を何とか押し留めた。


「うん、大丈夫。先に言ってくれて助かったよ。分かってれば大丈夫」


見慣れたいものではないが、少しは耐性を付けなくては。



「しかし……分かってはいても拍子抜けだな。昨夜はこいつらに散々追い回されたってのに、朝になったらこれだぜ」


家屋の壁や道の真ん中、果ては屋根の上で様々な格好の寝姿を晒すロアを眺めながら呟くミナト。この中のどこかに、杉谷と片桐の姿もあるのだろうか。


「おいっ、危ねぇ!」


無意識に辺りを見回す内に、自身の足下が疎かになっていたようだ。誰かが落として行ったらしい籠に足を取られて大きく体勢を崩すサクヤ。


「わわっ!」


「っと!まだ寝ぼけてんのか?しっかりしろよ」


転倒して大きな音を立てる事を覚悟した身体をミナトが受け止める。本人としては不本意かもしれないが、筋肉の付いた腕にジゼルとは別種の包容力を感じた。


「ありがと。トロいのはいつまで経っても治らないみたい」


「全くだ。…………あいつらの事、今は考えなくていい。背負うのは俺なんだ、始末は俺が付ける。お前は自分の心配だけしてろ」


サクヤの身体を抱き起こしながら、気遣うように耳元で囁くミナト。態度や口調は変わらないように見えても、眼差しには深い罪の意識が沈んでいる。



「お取り込み中ごめんなさい。そこの角、まだ動いてるわ」



全身が強張るのが分かった。音を立てないよう一際注意しながら家屋に張り付き、様子を窺う。


通りをトロトロと進むロアが3体。得物は短剣と棍棒、残る1体は素手だ。ろくに武装はしておらず、肌着のような物しか着ていない。


「やり過ごそうかと思ったけれど、あれなら大きな音を立てずに倒せそうね。サクヤは素手の個体を、わたしは……」


「剣の奴な。棒を持ってる奴は俺がやる」


割り込んだ意見に異論は無いらしく、ジゼルは黙って頷く。



矢を番え、中央を歩くロアを狙う。先程まで強張っていた身体から余計な力は抜けている。


「っ!!」


放つと同時に飛び出す2人。


脳天に矢を受けた個体が静かに灰に帰るのに反応したロアが振り向いた先では、既に2人が剣を抜いている。


ジゼルが盾を前に構えたまま長剣を突き出すと、リーチの差でロアの短剣は届かず、乾いた音と共に地面に突き刺さった。


ミナトは振り下ろされる棍棒を鈍い音をさせて受け流すと、顎先から切先を突き入れる。やはり鈍い音を立てて地面に吸い込まれる棍棒。


「流石ね。罪の意識で動きが鈍るかもと思っていたけれど、杞憂だったわ」


「ふん。生きてる奴を殺すのはもう御免だが、とうの昔に死んだ連中相手にまごつくほど繊細じゃないんでね。てめぇこそ、ご立派な剣と盾は飾りじゃないみたいで何よりだよ」


悪態を吐きながら、舞い上がる灰に背を向ける2人。連携に問題は無さそうだ。



大通りを進むと、綺麗に整備された道の上に大きな瓦礫が目立つようになる。その先へ視線を移すと……。


「これは……見事にやられたわね」


「警備隊の人が言ってた場所だね。あの大きなロアが壊した場所……直すのには時間が掛かりそう」


かつて扉だったのであろう残骸が朝焼けの中、寂しげに鎮座していた。


付近の壁にはトマトでも投げ付けたような赤い染みが広がっている。染みの元になったモノについては考えない方が良さそうだ。


「……行きましょう、出来る事は何も無いわ」


ジゼルの言う通りだ。むしろ門をどう開けるかの問題が解決したと言っても良い。




後ろ髪を引かれる思いでその場を後にしたサクヤ達一行は、程無く件の館が見える場所までやって来た。


館へと続く道では百に届く数のロアが眠りこけており、その列は館から始まっている。


「ジゼル、館に攻めて来たロアはほとんど倒されたってマスターが言ってたけど……」


周囲を警戒しながら前を進むジゼルに声をひそめて訊ねる。


「殆どは、ね。スタルハンツや近くの街に攻め込んで来ても脅威にならない程度まで減らしただけだから、ある程度残党が居るのは分かっていたけれど……これは多過ぎる」


「ロアが居るのはここだけって訳じゃないんだろ?なら他所から押し寄せて来たっておかしくない」


最後尾を守るミナトがもっともな意見を口にするが、ジゼルは首を振ってそれを否定する。


「確かに、他の場所にもロアの巣窟になっている砦や城は少なくないわ。でも街に攻め込むだけの軍勢が移動していれば、どこかで必ず人の目につくはずよ。それに、見ての通りロアは館から現れているし、他所からやって来た形跡も無い。一体何が起きているのかしら……?」


その問いに対する答えを持つ者は無く、やがて一行は丘の上の館へ辿り着いた。


こちらを狙う弓兵の消えた入口……前回は出口だったが……をジゼルが慎重に開け、後に続く。およそ2日振りの館は、変わらず長い廊下と扉で一行を出迎えた。


「そういえばここってお屋敷……みたいな所なんだよね?なんだか」


「殺風景ね。ここは裏口みたいなものよ、正門は丘から町を見下ろす位置にあるの。あっちは開ける時にどうしても大きな音を立ててしまうから使えないわ」


迷いの無い足取りで先頭に立つジゼルが苦笑する。


「入口は問題じゃねぇさ、今はとにかく奥を目指そう。もうすぐ昼になる、夕方には身を隠す場所を見付けなきゃだろ?」


「珍しく意見が合ったわね、その通りよ。ロアの様子に注意しながら進みましょう」




角を曲がり、扉を開ける。しばらく進んでまた角を曲がる……。


何度かそんな事を続けていると、これまでとは明らかに雰囲気の違う扉が姿を現した。


「この先が館の1番奥よ。かつては館の主が、その後ルミリアが占拠して消えた場所。ここだけはわたしも立ち入った事が無いから、未知の領域という訳ね」


扉には剣を持つ4本腕の騎士の意匠が施されており、両開きの扉を開けると騎士は真っ二つになる。何かしら意味のある装飾なのだろう。


壁にはかつて輝く威厳を放っていたのであろう朽ちた剣や盾が飾り付けられ、床には上等な素材で作られたと思われる絨毯が敷かれている。


「こりゃ確かに他とは違うな。けど欲しいのは手掛かりだ、お偉いさんが好きな書斎みたいなもんはないのかよ?」


天井を眺めながら辺りを物色するミナトが、朽ちて何が描いてあるか判別出来ない絵画を小突く。


「ミナトっ!乱暴にしちゃ駄目だよ、この館の人の物なんだから……」


「つってももう死んでるんだろ?それにこいつは腐ってガラクタ同然さ」


館の人間、すなわちジゼルの父親の財産だ。あまつさえそれをジゼルの目の前でぞんざいに扱う事は、例え事情を知らずとも許す訳にはいかない。


「そういう問題じゃない!それは亡くなった人に失礼な事だよ」


埃に塗れた手を掴んで引き離す。サクヤにしては手荒い反応に、怪訝な表情を浮かべるミナト。



静寂が包む室内に、布の裂ける高い音が反響した。



「あらあら、絨毯に足を引っ掛けてしまったわ。腐っていたから仕方無いわね。どうせ館の主人は一族諸共死んでしまっているし、朽ちた財産なんて死者には不要な物よ」


裂け方から見るに、足を引っ掛けた程度のそれでない事は明らかだ。


「……ったく、何だってんだ」


ミナトは困惑の色をさらに濃くして部屋の隅を物色し始める。何も知らなければ当然の反応か。


しかしサクヤは知っているのだ。ミナトとは逆の方向で探索を再開したジゼルの元へ歩み寄り、小声で問い正す。


「何で⁈ここはジゼルのお父さんが……」


「今言った事に嘘は無いわ。ここは唯の廃墟で、あるのは動く死体と金銭的な価値の無いガラクタだけ。そのガラクタの中から、貴女達にとって価値のある物を見つけ出すのに邪魔な物は遠慮無く壊すべきよ」


そう言ってジゼルは、鍵のかかった棚を扉ごと叩き壊して中身を探る。嘘偽りの無い、しかし輝きを失った眼差しで。


「そんなのって……」


自分の事でもないくせに、傲慢なサクヤの両眼からは涙が滲む。


「あぁ……そんな顔をしないでサクヤ」


涙を堪えるサクヤの頬に手を当て、微笑んだジゼルが言う。


「わたしはあの日全てを失った。家族と臣下の悉くに多くの領民、屋敷と守護すべき町の全て。でもね、本当はわたし1人居れば……わたしの心が折れなければ、屋敷と家名くらいは取り戻す事が出来たかもしれない」


「それはっ……!」


「難しいわ、とても難しい。そんな事は火を見るよりも明らかよ。だからわたしは諦めた、試す事もせずにね。投げ出したの、わたしは……。きっとお父様はもうわたしを後継者とは思って下さらないし、こんな館になんて価値を見出してはいないわ。だからこの館は誰の物でもない、唯の廃墟なの」


反論を口にしようとして出来なかった。既に彼女の目には、終止符が打たれていたのだから。


これでもうこの話は終わり。めでたくなしめでたくなし、と。


「だからサクヤ、貴女をきっと元の場所へ帰してみせる。家族のそばで暮らせるのなら、それは何より幸せな事だもの」



言葉の重みに目眩がしそうになった。


自分が取り戻せないものの為に、彼女はサクヤを助けようとしてくれている。それなのにもうサクヤはそれに報いる事が出来ないのか。そう考えると、胸の奥が万力で締められたように痛んだ。


一体何をどうすればジゼルにとっての救いとなるのか、それを考えるのがサクヤの当面の課題なのだろう。勿論帰還する事も忘れずに。



「おい、こっちだ!」


部屋の隅から呼ぶ声に振り向くと、僅かに驚きと希望が滲んだ瞳でミナトが手招きしている。


ジゼルと共に向かった先にあったのは、くすんだ鈍色の甲冑だった。これもかつて館の主人が身に付けた物だろうか。


「これは観賞用ね。それで、これがどうかしたのかしら?」


品定めするように甲冑を見上げるジゼル。確かに、欲しいのは情報であって骨董品ではない。それはミナトも理解しているはずだが。


「そうじゃねぇ、その下だ。床を見てみろ」


言われた通り床に目をやる。


甲冑の台座と、その下に朽ちた絨毯が敷かれているだけだ。


「……えっと……」


「ここだけ絨毯の材質が違うわ。よく見比べなければわからないけれど」


再びよく観察してみるが、サクヤにはその違いが分からなかった。


「こういう館にはあると思ったぜ。で、何か分かるか?」


2人の間では既に意思の疎通が取れているようだが、サクヤには何の事だか検討が付かない。


惚けた顔で2人のやり取りを眺めていると、それに気付いたミナトが少し呆れた顔で解説を始めた。


「何だ、まだ分かんねぇのか?こりゃ多分何かの仕掛けだ。あの地下通路に入る時使ったのと同じさ」


「……特に何も無いわね。こういう位の高い人物の館では、仕掛けの動かし方が暗号で記されたりしているものだけど」


鑑定士の如く甲冑の周りを一周したり、絨毯をめくったりしていたジゼルが溜め息混じりに注げる。


「それじゃあ、偶然絨毯が違っただけ?」


「いいえ、それは考えにくいわ。騎士の館の、それも主が使う部屋の装飾にそんな欠点を作る動機が無いもの」


「確かに、絨毯の代金をケチったとか思われかねないしな。しょうがねぇ、適当に動かしてみるか」


甲冑へ伸びるミナトの手をジゼルが制する。どういう訳かミナトはそれを予期していたらしく、驚く様子も無く両手を挙げた。


「冗談はよして頂戴。手順を間違えれば罠が起動する事もあるのよ?ここまで来てそんなつまらない死に方をしたくはないでしょう」


しかし現状、この部屋で他に手掛かりになりそうな物は見付かっていない。他よりも広いとはいえ人間の部屋だ、探す場所が無くなるのに時間は掛からなかった。


「くそっ!やっぱりガラクタと政治の資料しか残ってねぇ」


お手上げという様子で古びた机に腰を下ろすミナト。粗暴な態度を非難すべき所だが、ぬか喜びに終わった探索の結果に辟易していたサクヤには出来なかった。


「そろそろ外は日が落ちる時間ね。この部屋は館の中でも頑丈な部類だから、扉に重しを置けば問題無いわ。今日はもう休んで、明日は別の場所を探ってみましょう」


流石にジゼルも気疲れした様子で、手頃な椅子を引き寄せて腰掛ける。


「そうは言うけどな、実際ここ以上に手掛かりのありそうな場所はあるのかよ?罠を覚悟でその仕掛けを動かしてみるべきだ」


恐らくその場に居た全員が考えていて、しかし口には出来なかった事だ。なぜなら……


「なら貴女がやる?罠だった時に一番危険なのはそれを動かした人間よ。ましてや罠の規模だって分からない、下手をすれば3人共倒れだわ。わたしどころかサクヤを危険に晒す気なの⁈」


「誰もそんな事言ってねぇだろ!けど少しは危ない橋を渡らなきゃどうにもならない状況だっつってんだよ、てめぇだって分かってんだろ⁈」


机に拳を叩き付ける音に、思わずサクヤの身体が強張る。


睨み合う両者の間で立ち竦む事しか出来ないサクヤは、動かない身体の代わりに頭を動かしていた。


「危険を冒すのは全ての可能性が潰えた後だと言ってるのよ。その為に食糧も用意したんじゃない、結論を急ぎ過ぎよ」


「それは保険だろうが。ここが一番可能性が高いってんなら、さっさとやってみなくちゃだろ」


この2人はどうにもソリが合わないらしい。堅実なジゼルと性急なミナト、両者どちらの言う事にも一理ある。



「…………あっ」


と、肝心の扉に重しを置くのを忘れていたのを思い出す。


使えそうな家具や調度品は部屋中にあるが、どれも1人で動かすのは難しそうだ。


「だけどそれは……」「てめぇがそんな……」


だが残念な事に2人の論争は未だ続いており、助けを乞うより先に1人でやる方が早い。


扉に一番近い書棚を見付けた。木製だが所蔵されている書物が多く、重量もある。


「っふ、ん……んん〜」


しかし1人で動かすには中々に骨が折れる。でなければ重しの意味が無いのだが、小指の爪程度の距離を動かすのにかなり体力を消費してしまう。


「ふぅ、もう1回……痛っ!」


木のささくれに指を引っ掛けてしまったようだ。反射的に引っ込めた指先から血の球がぷっくりと浮かび上がる。



構わずもう1度試みようとする手を誰かが取った。



「あーもう見てらんねぇや。血ぃ出てんじゃねぇか、見せてみろ」


呆れたように笑うミナトが、血の浮き出る指をそのまま口へ運ぶ。驚きとミナトの腕力にロクな抵抗も出来ないまま、顔を赤くするサクヤ。


「だだ、大丈夫だよ!このくらい大した傷じゃ……」


「駄目よ、小さな傷を甘く見ると命に関わるわ。特にこんな場所で手当てもしないまま過ごそうなんて、本当に放って置けない子ね」


もう一方の手を取り、傷が無いかを確認するように観察するジゼル。


「こっちの手は大丈夫ね。さぁ、いつまでも指を咥えてないで早く済ませましょう」


「ちっ、こういう時はせっかちだな。まぁいい、3人ならあっという間だろ」


憮然とした顔で指から口を離したミナトと、名残惜しそうに手を離したジゼルの3人で作業を再開する。


「そうだね。3人なら出来ない事は無いよ、きっと」


勿論そんな訳はない。だが今、この時だけはその自惚れに甘んじていたかった。


実際、書棚は十数秒で扉の前まで移動する事が出来たのだから。



「ふうっ!……ねぇ、2人とも。色々言いたい事はあるかも知れないけど、今日はもうご飯にしない?きっと外は夜だし、お腹空いちゃった」


棚に背を預けて座り込むと、最初にジゼルと出会った時の事を思い出す。


しかし今度はあの時とは違う。


ジゼルとは本当の仲間になれた。


ミナトは過ちを認めてくれた。



「そうね、賢明な判断だわ。疲れて頭に血が上っていたみたい。賛成よ」


「俺も賛成だ。確かに腹は減ったな、イラついてたのも認める」



夕食は簡素で、寝床も粗末な物だ。しかし心は満たされている。



「その……思い付いた事があるんだけど、聞いてくれる?」

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