第11話

ロアはそれ以降追い付く事は無く、なんとかマスターらと合流する事が出来た。


「お二人共ご無事で何よりです。おや……お三方になりましたか」


朗らかな笑みで3人を迎えるマスター。思ったより早く追い付けたのは、ペースを下げてくれていた為だろう。

黒服と青年も健在のようだ。


「すみません、私、勝手な事を……」


「生存者の救出に行ったのでしょう?何もしていない者が非難など、どうして出来ましょうか。まだ浅いお付き合いではありますが、言葉を交わした方……それもお若い方の命か散るのは忍びない事。お戻りを心から祝福致します、しかし……」


急にマスターの表情が曇る。


「間も無く警備隊の本拠、そちらのお方をお連れするのは賛同致しかねますな」


老いてなお鋭さを宿す瞳に射抜かれ、ミナトの所業を思い出す。そうだ、彼女は間違いなく人を殺しているのだ。


隣のジゼルは「やはり」という顔で視線を彷徨わせている。


「やっぱり……気付いてたんですね、私達が関係者だって。でも、それならどうして……?」


「お部屋を融通したのか……ですかな?簡単な事です、その危うさに見合うだけの代金を前払いして頂きました。あとは当方のしきたりを守ったまで。"苦難の若者に救いと幸運を"」


恭しく一礼したマスターが指し示したのは、人1人が通れるくらいの脇道だった。


「当店が贔屓にしている卸業の店に通じております。数日分の保存食は貯蔵してある筈……ご用意する約束を反故にする訳には参りませんので」


「ここはマスターの厚意に甘えておきましょう。このまま彼女を警備隊の所へ連れて行けば確実に死罪になる、貴女も無事ではすまないわ」


「マスターには恩がある、それに免じてこの事は警備隊には内密にしておいてやろう。早く行け」


青年があからさまに不服そうな表情で吐き捨てる。



選択の余地は無い。その場の空気が告げていた。




マスターに何度も頭を下げて別れを告げた2人は、ミナトの肩を抱えて脇道を進む。道幅が狭い為に横歩きのような格好になったが、それほど長くは続かなかった。


店への扉らしき物に近付くと、やはりひとりでに壁の蝋燭に火が点く。仕掛けは単純で、壁の一部を動かすだけのもの。


「店内は無事よ。ロアが来るまで時間があったから、しっかり戸締りして行ったんだわ。あのマスターが贔屓にしているだけの事はあるわね」


先行して様子を見に行ったジゼルが感心した顔で剣を収める。


「保存食も十分、彼女の分を含めても10日はいけるわよ」


未だ目を覚まさないミナトを抱え、店内へ。手頃な椅子を並べて寝かせる。ジゼルが見付けて来た蝋燭に火を灯せば、手の届く範囲を照らすには十分だ。


「ミナト、一体何が……?」


しっかり息はしている筈なのに、一向に目を覚ます様子が無い。


逃走の為にも自力で歩いて欲しい所だし、事情も訊きたい。このままでは再び館を探りに行く事は不可能だ。


「夜明けまでまだ時間はあるわ、まずは腹ごしらえをしましょう。新鮮な食材もあったし、簡単な料理も作ってあったわよ」


宿泊の設備は無いが、簡素な炊事場が店の一角に拵えてあった。店主は食事を済ませてから帰宅するつもりだったのだろう。店主にな災難だが助かった。


フライパンの蓋を開けると、ほんの僅かだが温かさの残る炒め物が姿を現す。香辛料の香りが、疲れた身体の鼻孔をくすぐってくる。


グー。と、よくある空腹を知らせるあの音。


「…………。大丈夫よ、3人で分けても十分な量だし、店の果物も少し頂く事にしましょう」


沈黙の後、気を遣うような笑顔で手にした果物をこちらへ差し出すジゼル。


「わ、私じゃないよ!夕方食べたばっかりだし、そんなに大食いじゃないもん!」


「でも確かに……」


あれは間違い無く腹の音。音の主が誰なのか、サクヤが答えに行き着くと同時に判明した。


「ぅ……ううん……」


振り返ると、椅子の上のミナトが顔を歪めて声を上げている。


「ミナト……!良かった、目が覚めたんだね⁈」


駆け寄ってその身体を起こしてやると、薄く開いたミナトの眼がサクヤを捉える。


「サ……クヤ?あ、あぁ……。サクヤ、サクヤぁぁ!!」


その眼に以前のような野性は灯っていなかった。代わりに宿っているのは恐怖と安堵。


触れていたサクヤの腕を可能な限り身体に密着させる勢いで抱き寄せると、ミナトは縋るように泣き出した。


「え……あの、ミナト?どうしちゃったの、ミナト⁈」


長くはないが短くもない付き合いの中でも、彼女のそんな姿は見た事が無い。


どうしたらいいか分からずジゼルの方へ視線をやるが、彼女もまた困惑した顔でこちらを見ている。


「…………建物は頑丈なようだし、しばらく泣かせてあげましょう」


所在無げに視線を彷徨わせた末、絞り出したように言うジゼル。


首肯してミナトの肩を抱いてやると、子供のように胸に顔を埋めて来る。


くぐもった泣き声はしばらく止む事が無かった。




「……う、ぐずっ…………。悪かった」


泣き声が鼻を啜る音に変わったのに気付いた頃、幾分落ち着いた声色でミナトが詫びる。


涙やら鼻水やらで濡れた胸当てから顔を離し、袖で乱暴に目元を拭ったミナトは恥ずかしそうにそっぽを向いた。


「ねぇ、ミナト……」


「始めに忠告しておくわ、今貴女の命があるのはサクヤのお陰。サクヤが貴女を救う選択をした結果、無様にも命を繋いでいるの」


口を開きかけたサクヤを遮るように進み出たジゼルが冷たい声で言う。


「ジゼル!まずは事情を……」


諌めようとするサクヤを視線で制すると、厳しい忠告は続く。


「まだ涙を流せるだけの良心が残っているのなら、彼女からの恩を忘れない事ね。もしまたサクヤを苦しめるような真似をした時は……いいえ、その前にミナト、貴女を殺す。その結果サクヤに嫌われるとしても、たとえ殺される事になっても」


「………………」


背中を向けたままのミナトは応えない。


「……その沈黙は了解と受け取らせてもらうわ。サクヤ、後は貴女の自由よ」


それだけ言うと、ジゼルは隅にあった椅子を引き寄せてどかっと座り込んでしまった。無論、油断無くミナトへ視線を注いでいる。


ミナトの武器は彼女を担ぐのに邪魔だったので、サクヤのレザリクスに収納している。いきなり斬りかかられる心配はあるまい。



「…………その、ミナト……お腹空いてるでしょ?」


長い沈黙の後、やっと事でサクヤが絞り出したのはそんな台詞だった。


ガタリ、とジゼルが椅子から滑り落ちる。


自分でも間抜けな質問から入ったものだと思う。が、ミナトに刺激を与えずに話す事を考えると他に気の利いた言葉が見当たらなかった。


「………………っふ。変わらねぇ……変わらねぇなお前は」


疲労を顔中に滲ませて、それでもミナトが微笑んだ。


「ごめんね、私は皆みたいに上手く出来ないみたい。あっ、でも私術式が使えるようになったよ!」


「ばーか、俺が言ってるのはそういう事じゃ……ま、だからこそ俺は」


そこまで言って黙り込んだミナトは、両眼を見開いて身体を掻き抱く。


「悪かった……許してくれサクヤ。俺はどうかしてたんだ。ここに来る前から、来てからはますますおかしくなってた」


「ミナト?」


震えるミナトの唇が語り出す。


「結論から言うぞ……杉谷と片桐が死んだ」


「っ!!そんな……!」


「お前を見失った後、警備隊の奴らはどうにか振り切れた。でも逃げる途中で杉谷が足をやられてな……片腕が使えない片桐を庇ったんだよ。傷を治す薬はどうしてか始めから杉谷が持ってたんだが、それも片桐の腕の血を止めるのに全部使っちまってた」


あの時の小瓶がそうだろう。サクヤが弓とダガー、ミナトが剣と盾で、杉谷は弓と薬。人によって持ち物に違いがあるようだ。


「後はお察しの通りさ。夜になったらどこかの店に忍び込んで薬やら食料やらを調達しようとした俺達は、ロアの群れに出くわしちまった。2人ともまともに戦わない内にやられたよ」


杉谷が弓で片桐が棒。素早く距離を取る事の出来ない射手と片腕の無い棒使いでは満足に戦えるはずも無い。


「後はもう滅茶苦茶さ。とにかく走って走って、走って走って走って……逃げ込んだ店の隠し扉からあそこまで辿り着いて、お前を見付けた。その後は覚えてない」


掛ける言葉が見付からなかった。


起きた事をそのまま話しているようにも聞こえるが、サクヤには分かる。最近までのミナトからは考えられない感情……後悔が、言葉の1つ1つに滲んでいるのだ。


「俺のせいだ…全部俺のせいなんだサクヤ。ロアや警備隊の連中を殺してる時は何も感じなかったのに、目の前で2人が殺されてからそればかり考えてる!なぁサクヤ、俺はどうしたら償えるんだ⁈あんなに殺しておいて、命以外で償おうなんて都合の良い話だって分かってる。けどさ、だけど俺死にたくねぇ……死にたくねぇよ!」


頭を抱え、嗚咽を漏らすミナト。


どんな言葉を掛ければ彼女を救えるのか、今のサクヤには分からない。しかし1つだけ確かな事があった。


「私は嬉しい、ミナトが生きててくれて嬉しい。どれだけの後悔をしてるのか私には分からないけど、それでも生きる道を選んでくれた。だって私も死にたくないから」


自分の意思で"もう死んでも良い"と思ったのは、洞窟でジゼルが死んだと勘違いしたあの時だけ。


「私も沢山の死を見てきた。その内の何人かは、私の行動次第で助けられたかも知れない人達。その人達に出来る償いが、弔いがあるとしたら……忘れない事。色んな人の命を犠牲にして図々しく生きてる事を絶対に忘れない事だと思うよ」


「俺は……生きてて良いのか?」


「それは誰かが決められる事じゃないけど、私はミナトに生きていて欲しい。生きて、帰ろう。帰って伝えなくちゃ、皆がどうなったのかを」


そうだ、伝えなければ。向こうでサクヤ達の失踪がどのように伝わっているのか、あるいは始めから居なかった事になっているのかも知れないが、級友の死に様を知っている者は幾人と居ないのだ。


「帰るって……どうすりゃ良いんだ⁈どうやって来たのかも分からないんだぞ」


「まだ分からない。でも手掛かりはあるよ、それをあの館に調べに行こう」





事の次第を話す内にミナトも落ち着きを取り戻したようで、瞳に理知の光が戻る。サクヤの説明は所々要領を得ない部分もあったが、なんとか伝わった。


「成る程な、そのなんとかってロアの研究が今の所の手掛かりって訳か。けどそれは3人で出来るモンなのか?ロアは昼間にやり過ごすとしても、あの館はかなり広そうに見える。実際、俺達が外に出られたのも偶然なんだ」


「口が悪い割に頭が回るのね、ご明察よ。正確な地図がある訳ではないし、館の奥がルミリアの侵攻後どうなっているのか知る者も少ないわ。本来なら少なくとも20人は人手が欲しい所だけれど、明日からこの街はそれどころではなくなる。同時にミナト、貴女の捜索だって始まるでしょうね」


嫌味たっぷりに言うと、手にした果物を優雅な仕草で口に運ぶジゼル。


辺りは僅かに空が白み始めているが、屋外を闊歩する足音は止む気配が無い。


「……ちっ。しでかした事の反省はしてるが、やっぱりてめぇは嫌いだ。中学の時の先公にそっくりでムカつくぜ。けど状況はよく分かった、その為の保存食って訳だな」


「えぇ、館の奥へは1日と経たずに到達出来る。わたしの推測では捜索に1週間程、帰還に手間取るとしても十分な量を用意出来たわ」


それでも成果が得られない時は、再びマスターの厄介になるしかない。幸い、支払えるだけの対価は入手出来ている。


「随分と自信があるみたいだが、館の奥はどうする?行き当たりばったりでどうにかするつもりかよ」


「それは大丈夫!ジゼルはあの館の……」


「わたしは館の地図を見た事がある。外観に変化が無いなら、中の構造もあり得ない程の変わりは無いはずよ」


自分の事でもないのに自慢気に口を開こうとして、サクヤはその口を噤む。椅子を立ったジゼルの背中がそうさせたのだ。


自己嫌悪。


「……まぁいい、どうせこの街に居ても捕まるだけだ。なら帰る手掛かりのありそうな所へ行くさ」


嚙りかけの果物を一気に詰め込んだミナトは、近くの棚にあった布を掴み取ると蓑虫のように包まる。


「悪いが少し寝かせてくれ。……ずっと気を張ってたからもう限界……だ……」


返答を確認する事も無く寝息を立て始めるミナト。安らかな寝顔は彼女の整った顔立ちを際立たせるが、同時に激しい疲労の色も強調させていた。



「…………あの、ジゼル」


「気にしないで、身の上話をされるのが嫌いな訳じゃないの。彼女に情報を与えたくなかっただけよ」


ミナトが完全に寝入ったのを見計らってから、詫びの言葉を発しかけた口元をジゼルの指先が塞ぐ。表情を見る限り不快感は本当に感じられない。


「駄目だよ、ちゃんと謝らせて!ジゼルにとって辛い話だった……ごめんなさい」


下げた頭の上で困ったような声を上げるジゼル。少しの間を置いて肩に手が置かれた。


「貴女は態度と裏腹に頑固な所があるわね。分かった、誰にでも話したい事じゃなかったわ。でももう許した、顔を上げてちょうだい」


「本当に怒ってない?」


「貴女だから話したの。いえ、少し違うわね。初対面の時は自棄になっていたからかもしれないけれど……でも今は、貴女さえ知っていてくれれば良い。そう思っているのよ?」


サクヤの手を取り、慈しむような仕草で頬に寄せるジゼル。これ以上詫びるのは非礼というものだ。


「ねぇ、ジゼル……もし私が帰る方法を見付けてここから居なくなったとしても、忘れないでいてくれる?」


「忘れない。絶対によ」


ふと頭に湧いた問いを口にすると、間髪入れず答えが返って来る。真っ直ぐにこちらへ向けられた視線はサクヤの双眸を射抜かんばかりだ。


「サクヤ……私のサクヤ。今だけは自惚れと笑わないでね。貴女がわたしの前から消えても、この身体は貴女に救われて、貴女に触れた事を忘れない。理がわたしの記憶から貴女を消し去ったとしても、きっとこの身体はそれすら捻じ曲げて貴女を思い出してみせる」


顔が近い。


真剣な表情のジゼル。その大きな黒目に映るサクヤの顔もまた真剣だ。


「わたしはもう、生を投げ出さない。貴女に2度も救われたこの命と、貴女の面影を抱いて生き抜いてみせる。だから……」


真剣な視線が一瞬で鋭さを増し、ジゼルを寡黙にする。


「ジゼル……?」


視線だけで辺りを探る眼差しには怒りすら宿っているように感じた。それが2人の時間に水を差された為のものだと思うのは、サクヤの自惚れだろうか。


「出て来なさい、見ているのは分かってるわよ」


どこへとも無くジゼルが言い放つ。そんな気配には全く気が付いていなかったサクヤは、今更ながら慌てて辺りを見回した。


しかし視線の主からの返答は無く、沈黙が続く。



「……いや、邪魔されて不機嫌なのは分かるけどよ。目の前でイチャつかれりゃ起きるって」


嘆息と共に口を開いたのはミナトだった。片目だけを開けて気まずそうな視線を向けている。


「イチャ……違うよ!そんなんじゃ……」


考えた事も無かった。


しかし確かにあれは恋人でもなかなか近付かない距離だろう、それこそ逢瀬にする口付けのそれだ。


「あー、良いって良いって。それよりお前ら、少しは寝とけよ?」


それだけ言うと、ミナトはこちらに背を向けて再び眠りに就いた。おかしな誤解を解きたい所だが、疲労の回復を優先させてやりたい。


「もう、ミナトってば変な勘違いしてるみたいだね。半分からかってるだけだと思うから気にしないでね?……ジゼル?」


未だ虚空へと厳しい視線を向けていたジゼルは、何度目かの呼び掛けでようやく我に返った。


「何でもないわ。それよりミナトの言う通りね、交代で少し休みましょう」


外の様子は相変わらず、警備隊が動き出すのもまだ先の事だろう。仮眠くらいは取れるか。


決して快適とは言えない椅子のベッドで、サクヤは束の間の眠りに身を委ねる。


目を覚ましても、この夢から覚める事は無い。しかし決して悪夢ではないと、僅かな暖かさを抱いて。

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