第33話 不動の神はその身を焦がす

 真中が部屋に入ると、まず四角い木の机と二つの椅子が目に入ってくる。

 椅子は机を挟んで向かい合う様に置かれていて、ここに宗通先生と柔変が座るのだろうか。

 周りを見渡してみても、入ってきた扉以外に窓等も無く、扉だけ護符を貼り付けてしまえば、まあ逃げられることは無いはずだ。


 真中がそんなことを考えていると、柔変が奥の椅子に宗通先生を誘導して、座らせる。その後、彼自身は手前の椅子に腰を下ろす。


 暫く宗通先生と柔変の歓談を聞き流しながら、しゃがみ込んだ真中は包丁と瓶を鞄から取り出す。身体と接していないと護符の力を受けられないので、これらが身体から離れてしまわない様に気を付けて、慎重にゆっくりと動いていた。

 

 入り口の近くに立っている充希は、それを心配そうに眺める。

 ここに至るまでに散々煽った手前、今更口に出すことは憚られるのだが、やはり彼女自身も、何処か責任を感じているところでもあるのだろう。


 真中が包丁を取り出し、瓶の蓋を開けようとしていると、新たに神様が部屋へと入ってきた。

 その手には丸い盆を持ち、盆の上には何かしらの金属でできているらしい二つの酒器に二膳の長い箸と、干した何かの肉やら魚やらがのった白い皿が置かれていた。

 そして、腰には酒壺を提げている。

 部屋に入った神様は、入り口の扉を閉めて、顔に喜色を浮かべながら言った。


「さあ、今日のためにたっぷりと用意はしてありますからね。どんどん召し上がってください」

「ああ、ありがとう堅殻。さあ、宗通殿も遠慮無く」

「これはありがたい。丁度朝から歩き詰めで、喉も渇き切って腹の虫がおさまらなくなっていたところだ」


 宗通先生は盆を見つめながら歯を見せて、笑顔で腹をさすって返事した。

 堅殻とぶつからない様に壁際に移動した真中は、文字通り指をくわえながら、これを無表情で眺めている。

 

 いいなあ、おいしそう……。堅殻って悪い奴じゃ無いんじゃないか。

 はっとした彼は首を横に振り、充希はどうだと彼女に目を向ける。

 彼女の視線は盆に釘づけで、見られていることなど全く気付いていないらしい。

 それを見た真中は、やっぱそうなるよなあ、と勝手に頷いていた。


 堅殻は机までゆっくり歩いて行くと、盆の上にのっている物を次々と机へ並べる。

 それを気遣った宗通先生は、箸を右手で持ちながら、彼に顔を向けて声をかけた。


「いや、全て君に任せきりで申し訳ないな」

「いえいえ、お気になさらず。宗通殿は大切な客ですから、どっしりと構えてさえいればよろしいのですよ」

「そうですぞ、宗通殿。今日は私達があなたを招待したのだ。気を遣わせてしまっては、それこそ我らの恥というものだ」

「そうですか、ではお言葉に甘えるとしようかな」


 宗通先生ははそう言い終えると、箸で干し肉を一切れつまんで口に運ぶ。

 部屋の中で立ち続けている真中と充希は、涎を垂らして物欲しそうにそれを見つめているが、残念ながら誰にも気づいてもらえなかった。



 宗通先生と柔変が椅子に座って対面し、あれやこれやと話をしている中、傍には立ったままの堅殻が控えて、彼らを見守りながら、時折話に参加していた。

 自分の役目を思い出した真中は涎を服で拭いて、こっそりと堅殻に近寄って行く。

 

 彼は右手に包丁、左手には蓋の開いた瓶を持ち、鞄を背負いながら、合図があればすぐに堅殻を刺せる位置で止まった。

 緊張からか、不安からか、それとも前向きな気持ちからか、彼は武者震いする。

 そのまま充希を一瞥すると、それを合図と受け取った彼女はゆっくりとしゃがんで、目立たない様に部屋の扉の下の左隅に、護符を貼り付ける。 


 堅殻は扉に背を向けて、柔変の左隣に立っているのでこれに気付く様子は無く、真直ぐ視線を向けると扉が見える宗通先生だけが、これに気付くことができた。

 そして彼は、何かの合図のつもりだろうか、箸で皿をこつこつと叩き音をたてる。

 堅殻はこれを訝しんで、彼に尋ねた。


「どうかなさいましたか、宗通殿」

「いやあ、どれも実に美味しそうで目移りして、どの魚を頂こうかとつい迷ってしまってな」

「そうですか。それではこの小魚など如何ですか。骨に絶妙な歯ごたえがあって、食べていて楽しいと我々の中でも評判の物ですよ」

「なるほど。ではそれを頂いてみようかな」


 彼らが会話している間に、真中は瓶の中に包丁の先端を漬ける。

 いよいよ出番が来るぞ、とじっと構える真中は、敢えて余計な事は考えず、ただ只管宗通先生の合図を待ち続けた。

 もし雑念が邪魔すれば、必ず二の足を踏んでしまうに違い無い、と心を空に保ち続けて息を殺している。


 役目を終え待ち続ける充希は、両手を胸の前で絡めながら真中の姿を凝視する。

彼女は不安そうに眉間にしわを寄せながら、かと言って出来ることも無く、ただその場で無言のまま祈り続けた。

 その身体は微かに震えている様にも見えるが、視線は決してぶれることが無い。


 二人が身体を震わせて、今か今かと待ち続ける中で、神様達が談笑している。

 そんな光景は、突然終わりを告げる。

 箸を手から離し、椅子から立ち上がった宗通先生が、不意に放った一言、例の合図の言葉によって。


「そうだ、堅殻殿。少しこちらへ来てくれないか」


 宗通先生が堅殻を手招きしながら発したその言葉が、真中の耳を突き抜ける。



 合図を受けた真中は咄嗟に動き出す。

 不安と焦りから呼吸が乱れ、慌てて瓶から包丁を抜こうとしたために、瓶の縁に包丁が当たって、こつん、と小さな音がした。

 しまった、とつい声に出し、包丁に目を遣る彼の顔は青ざめて、聞こえていないことを願い再び堅殻に目を向ける。


 しかし、一瞬の音を聞き逃さなかった堅殻は、何事かとすぐに振り向いた。

 そして、目の前に突如姿を現したらしい存在に混乱した様子で、目を見開き後ずさりしながら叫ぶ。


「これは一体!?」


 気付かれたと悟った真中は瓶を床に置き、一思いに堅殻の懐に飛び込んだ。

 そのまま包丁を突き出して一気に腹に押し込もうとしたが、それに先んじて堅殻が反応し、包丁はその堅牢な身体にはじかれてしまう。

 彼の視線の先にある堅殻の顔は、恐ろしい形相で彼を睨み付けている様に見えた。

 

 あっさりとしくじって頭が真っ白になり、俯きながら膝から崩れ落ちる真中。

 それを見た充希は、慌てて彼の元へと駆け寄る。

 これに一番焦ったのは宗通先生だったらしく、これはいかん、と慌てて柔変に目配せすると、身体を大の字に広げて何やら聞き慣れない言葉で、呪文の様なものを唱え始めた。

 

 一瞬遅れて、柔変が勢いよく立ち上がり、彼の座っていた椅子が後ろに倒れるが、彼は意に介さず、宗通先生と同じく大の字になり呪いを詠唱する。

 すると、間に挟まれた堅殻の体を包み込む様に、黄色く光る四角い結界が出現し、真中を睨んだままの体勢で、堅殻は動けなくなった。


「真中! 今だ、頼む!」


 宗通先生がそう叫ぶと、呆然自失としていた真中は我に返り、俯いたまま包丁を握りしめて立ち上がる。

 傍でしゃがみ込んで心配そうに見つめる充希を置いて、彼はゆっくりと構えると顔を上げて、力強く堅殻を見据えた。


 ぴくりとも動かなくなった堅殻の姿は、本当に生きているのかと疑ってしまうほどで、まるで人形の様に生気が感じられない。

 すると、不安も緊張も自然と和らぎ、殺す相手の心配をするなんて馬鹿みたいだな、などと案外冷静に笑いを零した真中は、目を瞑ると一気に包丁を突き出した。


 柔らかな肉塊を貫くその感触は、やはり人形ではなく生物であると実感させる。真中は一瞬渋い顔をするが、事ここに至っては前に進むより無く、更に渾身の力を込めて包丁を押し込んだ。


 堅殻が断末魔の叫びをあげることは無く、代わりに肉の焦げる様な臭いと、じゅうう、という轟音が鳴り響く。

 それまで感じていた肉の感触を感じなくなった真中が、恐る恐る目を開けると、目の前から堅殻の姿は消えていた。



 




 

 

 




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