第32話 柔変、嘆息する
歩き続けた宗通先生と二人は、小高い丘、と言うよりも、小さな山、の麓にやってきて足を止めた。先には、山道がある様だ。
真中が視線を徐々に上へと持っていくと、丁度緑一色のつまらなさに飽き飽きした頃に、ちょっとした館が目に入る。
隣で膝に手をついて休んでいる充希に、館を眺めたまま真中は尋ねた。
「充希、これってたぶん柔変さんの屋敷だよな?」
「と思いますけど。宗通先生の家程では無いにしても、そんなに大きくないですね」
「全体が見えないことには何とも言えないけど、あんまりだな」
神様っていうのは、皆こんななのかな。
「あ、誰か来ますよ。あれが柔変さんですかねえ……」
そう言って山道の奥を指差す充希。
彼女の言葉を聞いて視線を落とした真中が、その指し示す先に目を遣ると、確かに長身の神様らしき姿が見え、見る見る内に鮮明に、大きくなってくる。
少し日に焼けた肌の色に、後ろでまとめた黒い長髪、優しげな表情をしていて、さわやかな青年の様な雰囲気を醸し出している。
すぐにでも駆け寄って確認したい気持ちはあるが、声を出して確認する訳にもいかないので、二人は無言のまま、宗通先生の口が開くのをじっと待ち続けた。
暫くすると、その姿を認めた宗通先生が再び歩き始めた。転界路を抜けてからの道中に比べて、明らかにゆっくりと慎重に動いている。
そして、宗通先生が目の前の神様と普通に話せる程度の距離まで近づくと、相手の神様から先に、軽く会釈をして、話しかけてきた。
「こうして、公の場以外でお会いするのは久しぶりですね。宗通殿」
これを聞いた真中と充希は、やはりこれが柔変さんか、と顔を見合わせて頷く。
二人が頷くのと殆ど同時に、宗通先生がこの神様の言葉に反応して、にこりと笑いながら返事をした。
「ああ、確かにその通りだな。恙無く、元気にしておられたかな?」
「ええ、柔変殿であれば、元気そのものです。私が補佐するまでも無く」
神様は顔を綻ばせて言った。
宗通先生はすぐに返事をせず、何か考えているかの様に押し黙っている。
真中と充希は再び顔を見合わせると、少しその場を離れてしゃがみ込み、ひそひそと話し始める。
「萬屋さん、どうも柔変さんとは違うみたいですよ」
「ああ、違うみたいだな」
「では、誰なんでしょうか」
わかるか。
「さあ、あ、静かに」
真中が口の前で人差し指を立てると、二人は再び宗通先生と神様の近くに寄って、彼らの言葉を聞き逃すまいと耳をすます。
思案を終えた宗通先生は、神様の目を見て尋ねた。
「そうか、それは良い事だ。しかし、柔変殿はと言うと、君は違うのか?」
「雑事が多く、中々心の休まる暇も無いものでして。ははは」
「なるほど、それは大変だな。きっと落ち着かないことだろう」
「ええ、大変です。と、柔変殿が中でお待ちですので、ここでくだらない話をしている場合ではありませんね。さあ、行きましょう」
「ああ」
神様が山道を歩き始めると、それに宗通先生もついていく。
更にその後を、二人が追った。
風の音と山中の木の葉が揺れる音で、歩きながら何か話しているらしい、神様達の声が聞こえないまま、疑問だけが膨らみ続けた充希は、不満を募らせ不機嫌そうな顔をしている。
そして、真中の服を少し引っ張りながら、小声で言った。
「ちょっと萬屋さん、誰かわからないじゃないですか」
「そんな事言われても。俺だってわからないよ」
いきなり引っ張られて声出すところだったよ。
「ああ、じれったいなあ。声かけてもいいですか」
「駄目に決まってるだろ。どうせそのうちわかるだろうから、おとなしくしてろ」
「ああ……。気になるなあ、もう……」
充希は小刻みに足を動かしながら、右手親指の爪を噛んで歩き続けた。
山道は結構な急勾配で、すぐに疲れてしまった二人は、時折空を仰ぎながらのろのろと足を進める。幸いに、話が弾んでいるらしい神様達の歩みは遅く、一本道になっているので、見失ってしまうことはなかった。
四十分ほど歩いただろうか。
歩き続ける彼らの前に、漸く館の扉が姿を現す。
そして、麓へ宗通先生を迎えに来た、柔変ではないらしい神様は、駆け寄って扉を開くと、館の中へと消えて行った。
無言で立ち続ける宗通先生の背後で、同じ様に直立不動を貫く二人。
暫くして、再びその神様が出てくると、その傍らには、顎に綺麗に伸びた黒髭を蓄えた別の神様が控えている。ただ、どちらかと言えば、黒髭の神様が、迎えの神様を伴っている様に見えた。
彼らが、宗通先生の元へとゆっくり歩いてくるのを見ながら、充希は隣の真中の肩を軽くぽんぽんと叩いて囁く。
「あれ、今度こそ柔変さんですよね。きっと」
「だと思う」
神様達が近づいてくると、今度は宗通先生が話の口火を切った。
「ああ、柔変殿。相変わらずお元気そうで安心致しました」
「はは、宗通殿こそ。無事お迎えすることができて良かった」
「全くですな。道端で躓きでもしたら大変だ」
宗通先生と柔変が話をしていると、迎えの神様が手を叩いて口を挟む。
「さあ柔変殿も宗通殿も、何かと積もる話もありましょうが、一先ず中へ」
「うむ、そうだな。堅殻よ、先に行って酒の一杯でも、準備しておいてくれるかな」
「承知致しました。では、失礼いたします。熱々のをお出ししますから、冷めてしまわない内に来てくださいよ。ははは」
柔変の頼みを聞いた堅殻は、笑いながら館の中へと入っていった。
柔変はそれを見届けた後、顔を曇らせ宗通先生を見て囁く。
「さあ、宗通殿、中へと。御付きの方々も……」
「柔変殿、心中お察し致しますぞ。私とて、親しくしている者がそうであると知れば、同じ思いを抱くでしょう」
「ああ、まさか彼がなあ。正直言って、未だにに信じられん……はあ」
柔変は険しい顔をしたまま俯き、嘆息する。
そして、彼は宗通先生を伴って館の中へ足を進める。
真中と充希の二人も眉をひそめながら、彼を追いかけて館へと入っていった。
館の中を柔変に従って歩きながら、横を歩く充希に寄って、真中は囁く。
「聞いてたか? さっきの髭じゃ無い方の神様、あれが堅殻だって」
「聞いてましたよ。もっと狡賢そうな感じかと思ってたので、驚きました」
目を見開いた充希が、まじまじと彼を見つめながら返す。
それを聞くと、彼は彼女を窘める。
「こら、相手を見た目で判断しちゃいけないぞ。俺はそう樹から教えられた」
「すみません。まあ、とにかく、ここまできてやっぱできない、とか言うつもりじゃないでしょうね?」
充希はそう言うと、眉間にしわを寄せてきっと真中を睨んだ。
予期せぬ質問を投げかけられて、真中は少し慌てて返事をする。
「そ、そんな訳無いだろ。ただ、柔変さんはちょっと可哀想だなって思っただけだ」
「あまり面には出していませんでしたけど、大分落ち込んでるみたいでしたよね」
「そんな様子だったな」
二人がひそひそと話しながら歩いていると、不意に前を歩いていた宗通先生の足が
止まる。二人は慌てて上げた足を下ろすと、前を向いた。
両側に扉があり、どちらへ入ればいい、と宗通先生が尋ねる。
すると、柔変が左手を伸ばして右側に見える扉を開き、中へと宗通先生を招き入れる様に言った。
「この部屋に。既に準備は整っておりますぞ」
準備……か。
遂に来てしまった、と思うと緊張と不安のあまり胃が痛くなり、真中は手で腹を軽く押さえる。しかし、ここまで来たのだからもう後戻りはできないぞ、と自分を鼓舞し、彼は背水の陣で臨もうと決意した。
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