真中、聴く。
第29話 宗通先生は意地悪
目の前に見える宗通先生の家は、倫学所の大きさからすればはるかに小さく、周治の勤務している交番よりも小さい。外観から推測するに、中は二つほど小さな部屋があるくらいではないだろうか。
木造の平屋建て、建ててからどれだけの時間がたっているのか、全体がどことなく淀んで見え、所々穴が開いている。
あまり手入れが行き届いていない様子で、周りを雑草が囲い込む。
左手に申し訳程度の池があるが、魚は住んでおらず苔が我が物顔で居座っている。
池の奥に見える広い庭園は、青々とした木々が広がっているだけで、それはそれで涼し気で風流ではあるのだが、色彩の豊かさは無かった。
宗通先生はもっと豪華な屋敷にでも住んでいるのだろう、と思っていた二人は驚きを隠せず、呆然として立ち尽くす。
何を言っても嫌味になりそうな、失礼になりそうな、そんな状況に口を閉ざす。
しかし、それがかえって彼には不満だった様で、げらげらと笑いながら指をさして、二人に話しかけた。
「おい、そんな馬鹿面でじっと眺めているだけ、なんて失礼だとは思わんか」
すると、助け船のつもりなのか、ただ面白がっているだけなのか、宗通先生に近寄った周治が口を挟む。
「きっと、先生のおんぼろ小屋にがっかりしたんでしょうな。はっはっは」
「いえ、別にがっかりしたとかそういう訳では……」
咄嗟に充希が言うと、にやりとした宗通先生が彼女と目を合わせて尋ねた。
「では、どう思う? 初めて見たとき、とても失礼なことを叫んでおったが。はて」
「叫んでましたねえ、先生のお住まいを犬小屋みたいだって。ははは」
よし、よくやった充希。これで俺は助かったな……。
充希が二人の玩具に選ばれると、真中はほっとして息を吐き、成行きを見守る。
腹を抱えて笑い、完全に面白がっている周治を睨みつけると、顔を赤くした充希は言い返した。
「そこまでは、言ってません! ただ、師匠くらいになると、大きなお屋敷に住んでるのかな、と思ってたからびっくりしただけです!」
「それで、がっかりしたか? これでも私の都だぞ?」
「いえ、失望してなんかいません!」
「本当か?」
「本当です」
「本当は?」
「本当だと言ってるでしょう! しつこい、殺しますよ!」
つい勢いで口走った充希は、すぐにはっとして手で口を押えるが、時すでに遅し。
これを聞いた真中は、満面の笑みを浮かべて参戦する。
「おい、今先生の事殺すって。先生! とんでもない弟子じゃないですか」
「これはいかんなあ。破門もやむを得ないかもしれんぞ」
顔に喜色を浮かべて、顎に手を当てながら、そう答える宗通先生。
周治は隣でにやにやしていた。
抑えていた怒りが爆発しそうになった充希が、歯を食いしばりわなわなと震えていると、がらがら、と家の戸が開く音が聞こえる。
そして、彼女をからかう彼らを窘める、高く透き通った声がした。
「皆さん、寄って集って女の子を虐めるなんて、感心しませんね!」
耳聡くそれを聞いた宗通先生は、真っ先に声の主に顔を向け、それに三人も続く。
ああ、この方は……。どうしてここにいるんだろうか。
真中は、一目見てそれが誰かを察すると同時に、つい目を見開いて見惚れる。
その見目麗しい姿は、忘れたくても忘れられない、甘桃圏で出会った女神様。
姓名を透花蓮という神様だった。
透は頬を膨らませ険しい顔をして、腰に両手を当てながら呆れた様な声で言う。
「何時までも遊んでいないで、早く本題に入りますよ。さあ、中に入ってください」
怒った顔も美しい……。
真中が煩悩にまみれていると、早くしなさい、と彼女が急かす。
彼女に叱られた宗通先生と真中、周治は、神妙な顔をして家へと駆け寄った。
彼女は、彼らの後に駆け寄ってきた充希を呼び止めると、手を合わせて微笑見ながら囁く。
「すぐ調子にのる方々でごめんなさい。類は友を呼ぶ、とでも言うのでしょうか。宗通の知り合いはあのような者ばかりで、困ったものです。ふふふ」
「い、いえ。私だって師匠もあの二人も、あんな性格と知っているので平気です!」
同性ながら、透の色香にあてられた充希は、慌てて姿勢を正し彼女から目を逸らして、震え声で早口にそう答えた。
全員が家の中に入ると、その戸は堅く閉じられる。
内装は簡素なもので、主は家を飾り付ける様な趣味は持っていない様に思われるが、その外観から考えられたほどに、古びている感じでも無かった。
そして、畳の上に座布団を敷き、円卓を中心に輪になって座り込む。
既に円卓の上には、人数分の茶の注がれた湯呑が置かれていた。
「さあ、本題に入りましょう」
暫くの沈黙の後、笑顔でそう言った透に恐縮しながら、宗通先生は口を開いた。
「そ、そうだ。本題に入るぞ。こんなに馬鹿話を続けている場合では無い」
「師匠のせいです」
さらりと突っ込む充希の言葉に、真中と周治がつい失笑するが、頬を赤らめた宗通先生が、こほん、と咳払いすると、真面目な顔をして姿勢を正す。
それを見計らって、真剣な顔をした宗通先生は続けた。
「まず、そこの二人が気にしている、鵬崎樹と臥蛇泉と言う二人の人間についてだ」
二人の名を聞いた真中と充希は、宗通先生を凝視し耳を澄ます。
「鵬崎樹は、緩地圏の南東域にいるそうだ。臥蛇泉は甘桃圏の西域にいる。それで間違い無いのだな? 透よ」
「ええ、間違いありません」
緩地圏は祭儀圏の南の地域。
透は胸を張って自信満々に答える。それを訝んだ充希が尋ねた。
「どうやって調べたんですか?」
「透は西の旧帝様から、地縁を通じて力を得ているからな。甘桃圏の事は全て見通せる。鵬崎樹に関しては、知り合いに頼んで調べてもらった」
旧帝様は、大昔に東西南北でそれぞれ命を落としたとされる、大泰帝様の兄弟。
「探偵の神様ですか!?」
身を乗り出して叫ぶ充希。
その勢いにたじろいで苦笑いした宗通先生は答える。
「いや、残念ながらただの知り合いだ」
「そ、そうですか」
充希は残念そうに下を向き、しゅんとしている。
かわいいなあ、もう。
そこで、真中が宗通先生に質問する。
「場所がわかっているのなら、その二人を今から迎えに行きましょう!」
力強く立ち上がり大声で言い放った真中は、宗通先生の返事を待たずに、外へ飛び出そうとする。
しかし、彼が戸をどれだけ力を込めて引っ張っても、全く動かないので、どうしたことか、と怪訝な顔をして宗通先生を見る。
すると、不敵な笑みを浮かべながら宗通先生は言う。
「どうだ? その戸はお前がどれだけ引っ張っても開かないぞ」
「どういうことですか?」
「それはな、お前が殺そ……、お前が二人を救うために、会いに行く奴の力が込められた護符だ」
「これが護符の効果ってことですか?」
「ああ。これを貼り付けると、どんなものでも石の様に硬直して動かなくなる」
それを聞きながら、真中はあることを思い出し、ああ、と声を出し手を叩く。
そして充希を見ると、彼女にも思い当たる節があるらしく、彼と目を合せて頷く。
「あの二人の小屋に泊めてもらった時にも、同じ様な事があったんです。不思議だったけど、そういうことだったのか」
「ん? この護符を見たことがあるのか」
「いえ、ちょっとひと騒動ありまして。へへ」
詳細を告げる訳にはいかない真中は、後頭部に手を当てながら、乾いた笑いで誤魔化す。
充希は、無言で口をへの字に曲げて、じっと真中を見つめている。
やめろ、絶対に言うなよ。絶対にだぞ。
真中はそんな思いを込めて、彼女を一瞥した。
その様子を眺める周治がにやにやしていたので、真中がきっと睨むと、わかったわかった、とでも言いたげに、溜め息を吐いて首を横に振る。
宗通先生も興味がありそうにしていたが、透が咳ばらいをすると、背筋をぴんと伸ばして、話を戻した。
「まあ、そんなことはどうでもいい。それで、二人をどう迎えに行くかだが……」
再び、二人は視線を宗通先生に合わせて、彼を凝視する。
横からその様子を眺める周治と透は、顔を見合わせて小さく笑った。
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