第28話 罪過なき殺神 

 約束の日までの間、真中は部屋に閉じこもっていた。

 ……と言うことも無く、周治の元へと向かった。追い出されたわけではない。

 相変わらず、交番に入ってみても誰もいない。いつも通り、奥へ入っていく。


「こんにちは、生きてるか?」


 そう言って、奥の居間を覗き込むと、横になっている男がいたので、真中は周治だと思って手でゆすり、無理矢理起こそうとする。

 ううん、と唸って目を覚まし、こちらを見た男の顔は、周治ではなかった。

 そう言われてみれば、声も違うし後姿も彼より大きくて筋肉質だ。

 間違えた。どうしよう。


「ん? あ、加賀屋のとこに何時も遊びに来てる子か。あいつなら今日はいないよ」

「今日も非番ですか?」

「いや、昨日の夜いきなり交番にやってきてさ、俺に代わってくれって頼み込んできたんだよ。そんないきなり言われても困っちゃうよな。ははは」


 笑う男に合わせて、笑顔を作る真中。

 この人は昔からよく笑う気さくな人だ。

 そのがっちりとした体つきと言い、その明るい性格と言い、何処か樹を思い出す。

 っと、そんなことを考えている場合じゃないな


「ははは。えっと、それで加賀屋さんは一体何処に……?」

「さあな。まあ、あんなに真面目にしてるあいつは初めて見たからな。珍しいものを見れたってんで、報酬代わりに俺が入ってやったんだ」

「へ、へえ。確かに、あの人が真面目にやってるのなんて滅多に見ないですもんね」

「ああ! そうだろ? 傑作だったぞ。君にも見せてやりたかったぐらいだ」


 口を大開きにして、叫ぶように男は笑う。

 仕方ない、帰るか……。


「すみません。ありがとうございました」


 そう言って、真中は深々とお辞儀すると、交番を出ようとした。


「ああ、あいつが来たら言っとくから。ごめんな」


 困った顔をしながら男が手を合わせて謝ると、愛想笑いを浮かべてこれに返事をした真中は、交番を後にする。

 結局、その日は其処らをぶらぶらした後、帰宅した。



 そして翌日の朝早く、まだ日も昇らない頃に真中は家を出る。

 充希の事だから、既に展望台へと向かっている頃だろう。そう考えると、彼女を待たせてしまうのが忍びなかったからだ。


 朝の冷たい風が身に染みて、境界領域の暖かい風が恋しくなる。

 風をしのぐため。いや、今にも雨が降りそうな真黒な雲から逃げるため。

 そんな理由だろうか、真中は走って転界路へと向かった。


 入る時こそ、足取りの軽かった真中だったが、前進して境界領域へと近づいて行くにつれて、緊張が高まりその足取りは徐々に重くなってきた。

 ここからはもう、後戻りはできない。自らの決意を断固たるものとする。

 友を救いたいという思いは、たとえそれが神倫にもとるものであったとしても、人倫にもとるものでは決してない、と自ら肯定し頷く。


 そして、ゆっくりと一歩ずつ、その思いを噛み締めながら歩いていく。



 転界路を抜けると、温かい風が真中の足を助け、木々のざわめきが声援を送る。

 迷いを断ち切ったその男は、一心不乱に展望台へと走った。


 やはり、先に来ていたらしい充希は、息を切らしながら展望台を駆けあがる真中の姿を見つけると、おおい、と手を振り快活そうな声で叫ぶ。


「あ、萬屋さん! おはようございます。今日は早かったんですね」


 声の主に顔を向けた真中は、痛む脇腹を押さえながらも、何とか笑顔を作って叫び返した。


「おはよう。今日も早いな!」


真中は充希の元へと駆け寄ると、息を整えながら尋ねる。


「はあ、はあ、し……宗通先生は何処に?」

「何だか用事があるらしくて、もう少ししてから来るという事です」


 真中と目を合わせた充希が答えると、それを聞いているのかいないのか、彼は返答する事なく即座に言った。


「ぁ、はあ、とりあえず、……席に着こう」

「どれだけ全力で走ってきたんですか……」


 呆れて苦笑いする充希に構わず、真中はどすんと椅子に座り込み、背もたれにもたれかかる。そして、口を大きく開いたまま空を仰ぐ。


「いい天気だな」

「此処は何時もこうですけどね」

「そうだな。でも、今日は格別だ」

「そうですか。よかった」


 そう言った充希は真中に微笑みかける。

 それから暫くの間、二人だけの展望台で、今まで見る余裕も無かった景色に驚き、充希の持参した水筒のお茶を分け合いながら、くだらない笑い話で時間を潰した。



 二人が歓談していると、宗通先生が遂に姿を現した。

 それまでの和やかな空気が、一転して張り詰め、二人の視線が彼に集中する。


 それを察した彼は頭を掻きながら罰悪げに、少しでも緊張を解そうとするかの様

に、口を開いた。


「おはよう、と言ってももう昼になるが。真中よ、腹は決まったか?」


 自分に浴びせられた視線に負けじと、真中も宗通先生を見据えて答える。


「はい、覚悟は決まりました。俺は……二人を助けます」


 徐に、はっきりとした声でそう言った真中を、宗通先生は凝視して、そのまま静止する。

 そして顔を綻ばせると、優しげな声色で言った。


「そうか。頑張って二人を助けてやれよ」

「はい」


 そこで充希が口を挟む。


「それで、これって神倫の教えに反する行動だと思うのですが、萬屋さんの事はどうなるんでしょうか?」

「ん? 友を助けることがどうして教えに反するのだ?」


 宗通先生がとぼけると、思わず二人は笑いだし、突っ込みを入れる。


「そんなのでいいんですか、神様」

「そんなのとは何だ。立派な行いではないか」

「はあ、……ははは。仕方のない先生だ」


 その場に彼らの笑い声がこだまする。

 後に分かったことだが、これが境界領域の色々な所で聞こえたらしく、一つの都市伝説として語り継がれることとなった。



 そして、宗通先生が二人を何処かへ連れて行くというので、彼らが展望台を下り始めたその時、ひょっこりと周治が姿を現した。


「あれ、もうお話は済んだのですか、先生。しくじったなあ、折角修羅場を見物でもしようかな、と思ってやってきたのになあ」


 彼はそう言って、からからと笑い頭を掻いている。

 宗通先生は呆れた顔で彼を叱った。


「馬鹿者。もっと早く来いと言ってあっただろうに、全く……」

「いやあ、申し訳ない。徹夜続きでつい寝坊してしまって。ははは」

「まあ良い、さあ行くぞ」

「はいはい。さあ、其処の二人も僕についてこおい」


 調子の良い周治の態度に、二人は呆れてものも言えないが、同時に、おかげで場が盛り上がって有り難いとも思った。


 その後、何故か周治が先頭に立って、彼らはその後ろについて歩いていく。

 道中、会話は殆ど無かったが、それは緊張から来るものでは無く、彼らにとって心地の良い沈黙の時間だった。


 そして行きついた先は、真中も充希も見知らぬ庵の様な建物だった。

 それを指差して凄いだろう、と言った顔で二人を見る周治に、思わず真中は殴りかかりそうになったが、何とか抑えると、宗通先生に尋ねる。


「此処は一体?」

「此処は、私の家だ」

「ええ!?」

「この小さいのがですか!?」

「おい、充希。本音が漏れておるぞ。主の前でくらい隠しておいたらどうだ」


 それを聞いた二人は、驚いた顔で互いに見合っていた。

 

 

 




















 





 

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