第23話 真中の心中安からず

 二人で隣り合わせに長椅子に座っていると、どことなく気恥ずかしい。

 充希はどうなんだ、と真中は隣の彼女を一瞥する。

 全くわからん。表情に出てないだけなのか、何とも思っていないのか。

 ……恐らく、後者だな。違いない、はあ。


 彼の視線を浴びている事など気づきもしない彼女は、自分の世界に入り込み、目を閉じて一定の間隔で首を横に振りながら、足を小刻みに動かしている。

 自分だけが気にしているのも馬鹿らしいので、真中はなんとか彼女から意識を逸らし、頭の中に逃避する。


 一先ず此処に落ち着いたのは良いのだが、これからどうする。こんな所で、先生が帰ってくるまで待ち続けるなんて言うのは、悪い冗談だ。そもそも、先生に火急の用がある訳でもない。

 やはり、一旦家にでも帰るのが良いだろうか。でも、帰ってもすることないしなあ。それならこのまま充希と一緒にいたいよ。


 差し迫ってしなければいけないことがある訳でもない真中だが、充希と別れないための口実を作ろうと知恵を絞っている。何か理由がなければ、このまま離れてしまうのではないか、そんな強迫観念に駆られて、焦りを感じていたためだ。


 これが今生の別れとなる、と言う訳でも無いにも関わらず、そこまでに彼を追い詰めるのは、彼の彼女への思いの強さゆえだろうか。


 でもなぁ、あんまりしつこく引き留めるのも、それはそれで引かれちゃうよなあ。

 真中の脳内で、解散する派閥と引き留める派閥の争いが始まっていた。



 争いは熾烈を極めたが、最終的に勝利したのは解散する派閥だった。

 それは、真中の中に眠る修学者としての矜持がそうさせたのだろうか。

 いや、そんなことはない。ただ、こういうところでいまいち押すことのできない、消極的な小心者というだけの話だ。


 脳内劇場が閉幕し、はっとした真中が再び顔を横に向けると、そこには首を傾け、見開いた大きな目で不思議そうに彼を凝視する充希の顔があった。

 心の内が読まれでもしたのか、と心臓の口から飛び出る思いがした真中は、咄嗟に気持ちを隠そうと、反って彼女に怒って見せる。


「な、なんだよ! いきなり……」


 冷や汗をかいて、目を合わせようとしない彼に、尚更充希の疑問は膨らんだようで、彼の怒声には無反応に、冷静な声色で尋ねる。


「どうしたんですか? さっきから、何度声をかけても返事がないと思ったら、いきなりそんな大声を出すなんて」

「え、いや……ごめん。考え事してて、呼ばれてたのに気づかなかったんだ」


 冷静さを取り戻した真中は、突然怒鳴ったことを詫びて頭を下げる。


「そうですか、気にしてませんよ。誰にでもそういうことはありますからね」


 事も無げにそう言ってにこりと微笑む彼女の姿に、幾分か救われた気がして、心を覆っていた霧が晴れた様に吹っ切れた真中は、急に立ち上がって言った。


「よし、まだ朝早いけど今日は帰ろう」


 突然機嫌の良くなった彼の姿に、最初はきょとんとしていた充希も、何か悟ったように後を追って立ち上がり、歯を見せて笑う。

「そうですね。また、出直して来ましょう。別に今日でなければいけないこともないですし。それが上策です」



 人原へと帰った真中を待っていたのは、二人の鬼、ではなかった。


「おお、真中、帰ってきたか。おじさん暇で暇で、死んじゃうところだったよ」

「どうしてあんたが……」


 真中の眼前、家の居間で寝転んでいる、浮浪者みたいな姿をした無職、いや警察官は顔色一つ変えずに、いけしゃあしゃあとそんな事を言ってのける。

 どうも、両親は色々忙しく、出かけた真中が何時帰ってくるかもわからないので、その男は家の警備員を任されたらしい。

 本職の警察官が警備をしてくれるのだから、これほど心強いものはない。そう言って両親は大喜びだったそうだ。


 それを目の前の警備員から聞いた真中は、目の前が真っ暗になる。


「そんな馬鹿な。心強いどころか、何時敵に回るかもわからないよ」

「本人を前にしてそれを言うか。お前も手厳しいなあ」

「だって、交番でもあのざまなのに、家の中であんたが姿勢を正して、机に向かってられるのか?」


 男は腕を組んで少し考えた後、無理だな、と言い切った。

 あまりに堂々として、気持ちよささえ感じた真中は、さらに疑問を投げかける。


「それで、交番はどうしたんだよ。まさか本日閉店、とか玄関に掛かってないよな」

「今日は非番だ。僕一人だけで番犬やってるわけないだろう。君もまだまだだなあ」


 手を打ってからからと笑いながら、真中を馬鹿にする男に、彼は殴りかかりそうになる。が、何とか抑える。

 そして、歯を食いしばりながら、声を押し出す。


「そ、それで、俺の世話してくれんの?」

「え、なんで。 僕は警備する。福利厚生は雇用主の君の担当だろう」

「は?」


 もう駄目だ、そう思った真中は男の元へと駆け寄り右手で叩こうとする。


「おいおい、やめてよ。暴力は良くないぞ。宗通先生から教わらなかったか」


 寸でのところで、宗通先生という言葉に反応した真中は、手を止めた。


「あんた、宗通先生の事知ってるのか?」


 叩かれずにすんで安堵した男は、ふう、と息を吐くと答える。


「もちろん。僕だって修学者だからね」


 男はにやりと不敵に笑う。


「本当か?」


 この法螺吹きが神倫を学んだとは思えないのだが。


「ああ、神様に誓って嘘ついていないよ」


 嘘つくような奴なら、余裕で神様を裏切れるだろ。


「白装束の幽霊は」


 とっておきの嘘発見器だ。

 すると、即行で男は言う。


「槐副所長の奥さん」

「……なるほど、本物らしいな」


 この男が修学者だったとは、大丈夫なのか、倫学所。

 どうやら本物らしいので、色々と尋ねようとする真中。


「本物なんだな? じゃあ、聞きたいことがあるんだけど」

「え? じゃあ、対価を求めるのは当たり前だよね」

「こいつ……」


 結局、家事雑用は真中がやる事になってしまった。

 その日は両親が帰ってこないということだったので、夜通し二人はどんちゃん騒ぎを続けた。……近所の迷惑にならない程度に。



 次の日の昼頃、徹夜してぐっすり眠っている二人の元に、充希が現れた。

 何度外から呼びかけても反応がなかったので、庭に回り込み窓をどんどんと叩いて、二人を起こそうとする。


 窓の叩かれる音に気付いて目を覚ました真中は、しかし、視野が定まらず、泥棒かと驚いて男を叩き起こす。

 大変なことだ、と二人して窓を見ると、そこにいたのは誰でもない、充希だったので、早とちりだったと真中は顔を赤らめた。


 それを見た男は、誰かはわからないが、とりあえず泥棒ではなかったようだ、と悟って窓を開けに向かう。

 外から窓にへばりつく充希は、向かってくる男に警戒感を露わにしているようだった。


「真中さん! 宗通先生が帰っていらっしゃいましたよ」


 部屋に入るなり大声でそういう充希。

 それを怪訝な顔をして見つめる男。


「えっと、真中あ、これは誰かな? もしかして、彼女とかか」


 男の言葉に、瞬時に頭が沸騰して顔を真っ赤にした二人は、揃ってこれに反論した。


「全然違う!」

「ああ、そう。はっはっは……はぁ」


 二人そろっての猛反発にたじろいだ男は、作り笑いで誤魔化した。

 



 



 





 





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