真中、くたびれる。
第19話 潤いたっぷり慕情奇行 神も仏となりゃしてぇ
素早い魚達の動きに苦戦している充希の姿を、父親の様に温かい目で見守る真中。
その目は曇りなく、妙な下心などありはしない。
彼はそう思い込みながら、ゆっくりと隣に座っている彼女との距離を、物理的に縮めていた。もちろん自覚している。
「よしよし、その調子だ。頑張れ」
などと、自分に言い聞かせているのか、充希に言っているのかわからない言葉を発しながら、じりじりと近づいていく。魚と戯れるのに夢中になっている彼女は、それに気付く気配が全く無い。
もう少し、と真中が油断したその時だった。湖の向こうから怒鳴り声がした。
もうちょっとだったのに。
驚いた二人は、咄嗟に声のする方を向いて、何事かと事態を見定めようとする。同時に、真中がやたらと近くに寄っていたことに気付いた充希は、それが真中の意図によるものかどうかは知る由もないが、少し頬を染めて、離れて行ってしまう。
上手くいきそうだったのに、と水を差された真中は不機嫌そうに口を尖らせる。
「何だよ、いきなり大声なんか出して」
「まだ何か言ってますよ。怒ってるみたいですけど……」
「そのようだな」
二人がひそひそ話していると、白髪でしわしわ顔の神様が湖に沿ってこちらに向かってくるではないか。どうしようかと戸惑う二人は、顔を見合わせて相談する。
「おい、これからどうする。あの爺さん、こっちに向かってきてるんだけど」
逃げようかな。
「向かってきてますね。逃げますか? そうだ、護符使いましょう」
手を叩いて、名案が浮かんだ、とでも言いたげに笑う充希。
「お前なあ、素直に謝ろう。何に怒ってるのか知らないが」
とりあえず謝ろうとする事なかれ主義の真中。
「なぜ自分が悪いのかもわからないのに謝るんですか。納得いきません」
そう言って、不快感を露わにする充希を、真中は、わかったわかった、と両手を前に出して宥めすかす。
そして、まず俺が訳を聞いてくるよ、と言うと頭を掻きながら一人で神様の元へ向かった。充希はそれを心配そうに、両手を絡めて祈りながら見守る。
真中とその神様が接触する時、史上稀に見る乱闘騒ぎが、……始まらなかった。
「あのお、俺たちが何かお気に障ることでも、やらかしちゃいましたか?」
阿る様に手をにぎにぎしながら、卑屈な笑みを浮かべ上目づかいで尋ねる真中。
すると、眉の吊り上がったその神様は答える。
「ああ、今あっちの女が其処の湖から、魚を盗もうとしてただろ」
してないが。いや、捕ろうとはしたけど。
「いえ、決してそんなことは……」
勝手に捕ったらダメだったらしいな……。やっちまった。
止めておけばよかった、と後悔する真中のまなざしは弱弱しく、自らの敗北を伝えるかのように充希を見つめる。
そんなことを知るはずもない充希は、彼の目に込められた意図を読み取れず、何を伝えたいのか考え込むように首をかしげ、腕を組んでいた。
「じゃあ、さっきは何をやってたっていうんだ?」
語気を強めて真中に詰め寄る神様は、完全に敵意をむき出しにしている。
魚捕ってました、盗ってません。なんて言える訳がないしなあ。どうしよう。
答えに詰まる真中だが、そうしている間にも、じりじりと神様が近づいてくる。
これが、天罰ってやつなのか……。
神様が、真中の目の前まで近寄ってきて、二人の顔が間近になった時、ええいままよ、と彼は目を瞑って言い放った。
「すみません! 魚を捕まえようとしてました。でも、決していけない所だと知ってた訳ではないんです。本当に偶々で……」
深く頭を下げ、謝罪する真中に満足したのか、神様は溜め息を吐くとさっきまでの険しい表情を少し和らげた。
「そうだ。初めからそうやって素直に言えばよいのに、誤魔化そうとするからいかんのだ。全く最近の若いもんは……」
はい、出ましたお決まりのこれ。人原でも何十回と聞いたぞ。
けど、この神様からしたら若いもんどころか、生まれたての赤ん坊だよな俺。
「いやあ、すみません。素直じゃないのが取り柄でして。へへ」
「馬鹿言うな。ほら、あいつもここに連れて来い」
「は、はい」
とっとこ走るよ真中は、充希の元へと走るよ、大好きなのは、災いの種。
「おい、充希。あの爺さんがお前をご所望だ」
「はい? 何を言ってるんですか」
低い声で言いながら、一瞬で顔を歪め不機嫌になり、真中を鋭く睨み付ける充希。
こっちも怖いわ。
「いや、えっとですね。この湖の魚って、やっぱり勝手に取ったらダメですよってことらしいんですよね。それで、あのお爺様はお怒りに、と言う次第です。はい」
「ああ、私のせいじゃないですか。それならそうと言ってくださいよ」
はあ、と溜め息を吐いて、徐に歩き出した充希は、確りと神様を目で見据えながら、彼の元へと向かう。
それに付き従う様に、真中も後ろを歩いて行く。
三者が一堂に会し、一人と一体は無言で互いに相手を凝視する。
どうなるものか、と胃をきりきりさせながら、少し離れた所で、真中は成り行きを見守る。
すると、話の口火を切ったのは神様だった。
「魚は、好きか?」
充希は誇る様に胸を張って答える。
「もちろん。生きてる魚を見るために、ここまでやってきたんですから!」
「そうか、……嘘は無さそうだな」
「私はうそを吐けるほど、狡猾な人間じゃありませんので」
充希がそういうと、示し合わせたかのように、彼らは真中を一瞥する。
「なんだよ、いきなり」
突っ込む真中だったが、最悪の事態は避けられたらしい、と胸をなでおろす。
どうも、彼らの相性は悪くないのか、色々と話し込んでいる。
それを、外野から真中が眺めていると、彼らは湖の向こう側へと歩き出し、充希は上半身を捻って振り返り、笑顔で真中を手招きしている。
とりあえず話が纏まったようなので、真中はそれに応じて走った。
真中が追いつくと、それを確認した神様は話し始めた。
「すまねえな。時折、湖を荒らす輩がいるもんだから。ついやっちまった」
謝るのが恥ずかしいのか、神様は前を向いて顔を見られない様に歩く。
「いえ、俺達こそ。勘違いされるようなことしたのは、こっちですから」
「そうですよ。私が悪いんですから、そんな謝らないで」
二人して、神様の言葉に恐縮する。
「いや、たとえそうでも、怒鳴り散らす理由にはならねえ」
そう返した神様は、向こうにある家の一軒を指差して言った。
「あっちが、俺の家だから。ちょっと寄ってってくれ」
「じゃあ、こっちの家は?」
真中は隣家を指差す。
「それは、湖小つう奴の家だ。若い奴でな、まだ四百年位しか生きてない青二才よ」
四百年で青二才と聞いて、互いに顔を見合わせて、苦笑いする真中と充希。
と、そこで目ざとく充希は、湖小の家の小屋の扉が開いているのを見つける。
「あれ、湖小さんの家の隣の小屋、扉空いてますよ」
「ああ? 変だなあ、あいつはここしばらく見てねえから。どこか遠出してるんじゃねえか、と思ってたんだが」
「何か連絡は?」
「いいや、何も聞いてねえ。いつもは何かしら一言言ってくるけど、そんなのないからって、逐一気にしたりしねえからなあ」
「閉め忘れたんですかね」
「しゃあねえ、閉めといてやるか。不用心な奴だな全く」
神様はそう言って、小屋へと駆け寄る。
「神様にもおっちょこちょいな方がいるんですね」
充希が言うと、真中が、そうみたいだな、と同意して笑う。
しかし、和やかな雰囲気で歩いていると、突然神様の悲鳴が聞こえた。
訝しんだ二人は、小屋へと走る。
「どうしたんだ、爺さん!?」
「ああ、湖小の奴が……」
「真中さん、あれ」
充希の指差す先には、一体の神様が血を流して倒れている。
おいおい、神様が刺されて死んでるって、どういうことだよ一体……。
遺体にすがり泣き叫ぶ神様を見ながら、二人は事態を飲み込めずに困惑していた。
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