真中、帰る。

第15話 地雷を踏んだらしい

 二人が転界路を抜けて、境界領域に戻ってくると、まず目に入ってきたのが、側の休憩所で眠っている宗通先生の姿だった。

 木でつくられた長椅子の真ん中に、腰をかけて頬杖をつき、こくんこくんとわずかに顔を前後に揺らしながら、夢の世界へと浸っているであろう先生。


 一年中変わらない、境界領域のぽかぽか陽気に誘われての事なのだろうか。いや、昨夜から一晩中二人を待ち続けていたのだろう。ただ道楽で眠気に耽るなら、学舎の縁側こそ最適だ。

 楽しそうに眠っている先生を見るにつけ、起こしてしまうのが申し訳なく思われて、話しかけることを躊躇してしまう二人。


 しかし、これまた待たせたままの家にも帰らねばならないので、申し訳ないとは思いながら宗通先生に近寄ると、出来る限り驚かさなくて済むようにと、真中は小さめの音量で先生に声をかけた。申し訳なさそうな顔をして、先生が反応するのを待つ。


「宗通先生、ただ今戻りました。萬屋真中です」

「ん、ああ、やっと戻ったのか」


 先生は、欠伸をしながら両腕を上に延ばして唸ると、立ち上がり二人と対面する。

 とはいっても、先生の方が背が高く、見下ろすような構図になる。


「道中不測の事態がありまして、遅くなって申し訳ありませんでした」

「すみません、私のせいなんです。萬屋さんは悪くありません」


 二人が頭を下げて謝ると、笑いながら先生は答える。


「いや、別に構わないよ。おかげでぐっすり眠れたからな。学舎の中じゃあ、積もる仕事があるからとえんじゅに突っつかれて、おちおち目を閉じることもできん」


 槐とは、倫学所にいる人間の副所長の名前だ。


「それに、こうして元気に帰ってこられたなら上々だ。俺はてっきり、あの女神にやられてしまって今頃骨片一つ残っていないんじゃないか、と心配していたところだ」


 そんな恐ろしいこと言わないでくださいよ……。

 真中は内心びびりながら、そんなことないですよ、と愛想笑いでごまかす。


「いえ、透様はとってもお優しい方でした。そうだ、師匠に言伝があるんですよ」

「ほう、あの女神様が何と言っておったかな。言ってみよ」


 先生は不敵な笑みを浮かべながら、充希を睨みつける。

 


 おいおい、あの事言うのかよ。まあ、伝えたからってどうとはならないだろうが。


「はい! 弟子を扱き使うのはほどほどに、と仰っておられました」

「はあ、なんだそれは。使いに行くといったのはお前達だろうになあ?」


 怒り顔をつくって声色を低くする先生に、手慣れたものよと真中は言う。


「そうですね。だから、俺が言っておきましたよ。自ら進んで使いにきましたって」

「そうか、よくやった。全く余計な口を出す女神よ」


 表情を和らげ、真中を褒める先生。このようなことは、真中にしてみればよくあることだ。先生も本気で怒っているわけではあるまい。


「あれ、萬屋さん。嘘つかないでください。それを言ったのは私ですけど」

「……だそうだが、真中よ?」


 全く余計な口を出す女よ。


「ああ、そうだった……かなあ。でも、元々俺は降りるって言ったのを、無理矢理行かされたんですからね! 俺は被害者です」


 本当の事だから。命の危険があるって言われて降りるって言ったもん。


「お前というやつは……」


 真中を睨み、呆れた顔で言う先生。

 なんとか、言い返さなければなるまい。と真中は反抗する。


「うう、そうだ。その時充希の奴、先生が透様の事悪く言ってたの、つい漏らしそうになってたんですよ!」


 先生が透様を悪く言ったかどうかは忘れたが、とりあえず矛先を充希に向けねば。


「なに?」

「え、いやいや、師匠が私達の身を案じてくださったというのを、つい口にしてしまっただけです」


 冷静に、平坦な声で言い返す充希。その顔色には全く動揺などなさそうだ。


「そこ詳しく追及されたら、どうするつもりだったんだよ。俺が華麗に回避してやったからよかったものの」


 先生曰く、相手は俺達を粉微塵に出来るような奴だったんだぞ。


「馬鹿者、自分で言うな」

「先生は充希の味方なんですか?」

「はあ、お前らというやつは。全くどうしようもないな……」


 深くため息をつき、目を瞑って下を向く先生だった。



 そこで思い出したように先生は口を開く。


「それで、一晩どこに泊まってきたんだ? まさか、透の屋敷ではあるまい。それなら、こんなに早く帰ってこられるはずがない」


 やはり来たか、と身構える真中。どうするつもりなのかと真中に目を遣る充希。

 真中の考えは既に決まっている。人情としては、黙っておきたいのは山々だが、修学者としては黙っているわけにはいかない。


「実は、向こうで滞在している人間と偶然知り合ったんですね。それで、色々と流れで泊めてもらった次第です。朝夕と二食もしっかり頂きました」

「……それは人間がしっかりと定住していた。ということか? 真中よ」


 つい先ほどまでの笑みが、宗通の顔から消え失せた。


「はい、……ただ、何も無許可でということではなくて、何処かの神様の特別な取り計らいで、住まわせてもらっている……と」

「神の取り計らいだと? 馬鹿な、そんな事をした痴れ者が神原にいるのか。永らく守られてきた不文律を破るなぞ、大それたことをしでかしたものよ」


 しまった、地雷を踏んだかもしれない。

 宗通先生には珍しく、本気で怒っているようで、わなわなと震え手をぎゅっと握り、眉間にしわを寄せて歯を食いしばっている。両眉は恐ろしく吊り上がっていた。


 初めて見た宗通先生の態度に、流石の真中もこれを茶化そうなどとは考えられなかった。もちろん、不文律を破るのは、良くないことだとは認識している。

 しかし、ここまで宗通を豹変させてしまうのは想定外の事で、それだけの大事なのだろう、とも察しが付くのだが、言ってしまった事を少し後悔していた。

 この先生の様子では、あの二人にも累が及びかねないと思ったからだ。


「あ、あの。でも、そういうことをするための、手続きというのはあった訳ですよね? では、必ずしもいけないと言う訳でもないのでは……」


 充希が恐る恐る口を挟む。余計な事をしてくれる、と真中は舌打ちする。

 火に油を注ぐことにならないか、と充希の発言にひやひやした真中だったが、その心配は杞憂に終わった。


「移住の手続きというのは、確かに形式上は存在する。が、相手方への影響を考慮して、実際に移住を行う事は禁忌とされてきたのだ。神が人原へと住むにせよ、人が神原に住むにせよ、やらないのに比べて災禍を招くことになるは必定。あくまで、交流という大義名分を腐らせないための、形式だけの手続きだったのだ。それを……」


 相変わらず怒ってはいるようだが、一先ず冷静さを取り戻したらしい。


「でも、じゃあ、どんな神様がそんなこと。それを知らないはずありませんよね」


 本当に物怖じしないなこの人。時と場合によるけど。


「もちろんだ。存在自体申し訳程度のこの手続きを、秘密裏に強行できる者となれば、かなり高位の者に違いあるまい。少し調べねばならん」


 顎に手を当てて、難しそうな顔をした先生はそう言った。


「それで、人間への処置は? 俺が見た限りでは、二人は悪人と言う訳では……」

「直ぐにどうということはない。本当にそれを手助けした官神がいたとするなら、下手に動けば厄介な事になるやもしれん。それに、こんな事を表沙汰にすれば、それこそ神原に波乱を招くことにつながるわい」

「そ、そうですか……」


 とりあえず、すぐ二人の身に何かあるという事はなさそうだ、と真中は安堵した。


「すまないが、私は今から祭儀圏に行く。二人はその事を、槐に伝えてくれないか」

「わかりました」

「はい」

「旅の疲れも残っておるだろうに、労いの一つもしてやれなくてすまないな」


 急に声色が優しくなり、いつもの先生の様に二人に語り掛ける。


「いえ、仕方のないことです。俺が余計な事言ったから、迷惑かけて……」

「何を言うか。よく知らせてくれた。この後はゆっくり休めよ」


 そう言って、宗通先生は真中と充希の頭をぽんと軽く叩くと、足早に二人の元を離れて行った。



 残された二人は顔を見合わせると、誤魔化すように苦笑いする。


「行っちゃいましたね、師匠」

「ああ」

「御礼状渡しそびれましたよ。どうしますか?」

「まあ、次会った時に渡せばいいだろう。それより、倫学所に行かないと」

「ああ、私が行きます。萬屋さんは家に帰ってもらって構いませんよ。連絡もなしに一日中でかけっぱなしだったんでしょう?」

「あんたは?」

「この前言ったでしょう。私の両親は旅行中だって」

「ああ、そうだったな。大分昔の事に思えるぜ」


 さっきまでの緊張を解すためだろうか、暫く他愛もない会話が続く。

 そして、二人は解散した後、真中は家に、充希は宗通先生の言葉を伝えるために倫学所へと向かった。



 帰宅後、真中を待っていたのは、怒った宗通先生よりも怖い、二人の鬼の鉄拳制裁だった。

 どうやら、心配性な母親の手によって、警察にも届が出されていたようで、一通り説教され殴られた後、警察署へ謝罪に出かけることとなった。

 今度から神原に行くときは、暫く帰らないかもしれない、って前置きしとかないといけないな。俺の身の安全のために。散々だ。

 









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