第16話 お巡りさん家で暇潰し

 あれからしばらくの間、宗通先生は倫学所に姿を見せなかった。

 充希は無事入所して、修学者となるべく日々研鑽を積んでいる。

 しかし、ずっと学舎にいると、流石に息が詰まることもあるようで、偶に家の前までやってきては、人原や神原を一緒にぶらぶらしている。


 俺は、基本特に何もせず、だらだらしている。この前は、帰ってこなくて心配した、だの何処に行ってたんだ、だの言ってたくせに、ちょっと家でごろごろしていると、今度は家を出てけというんだから困ったもんだ。

 仕方がないので家を出た。と言っても、行く当てもないのだが、何処に行こう。


 特に目的地がある訳でもないが、立ち止まっていても暇はつぶせないので、真中は歩き始めた。



 宗通先生は何かと忙しく大変そうだが、俺のこちらの社会での生活は平穏そのものだ。

 小さな諍いは警察が、それ以上の仲裁は神役局が担当しており、犯罪行為等は、警察が逮捕した後、軽いものは人社会で裁判が行われて刑が確定する。重いものは、更に神役局での吟味を経て量刑が判断される。


 人社会の裁判では、事務的に判例が重視されるが、神役局での吟味は、必ずしもそうではない。良く言えば臨機応変、悪く言えば神様達の胸三寸というやつだ。

 神役局での刑罰については秘匿されていることから、様々な噂だけが独り歩きしているが、それが抑止力となっているようで、犯罪を犯す者はさほど多くはない。


 犯罪の少なさは、神社会からのお恵みがあることによって、最低限度の生活がおくれないほどに困窮する、ということは殆ど無いというのも一因かもしれない。


 故に、犯罪の多くは人間関係での摩擦から来ることが多く、公平を期すため、特に重い事案については、神役局が裁判する場合が多い、という事になっている。


 家の周りでも少しの窃盗騒ぎすら、起こったという話を聞いたことがないから、多分本当にそうなんだろう。おかげさまで、安全に過ごせてます。ありがとうございます、神様。

 真中は手を合わせて、目を瞑ってみせる。神様とは言っても、見ているわけではないとは思っているが。



 そんな訳で、町のお巡りさんはいつもぐうたらしていて、真中は羨ましくなる。


「こんにちはあ、起きてますか」


 反応がない、というか誰もいない。これは、奥の居間で寝てるな。まあ、いつもの事だ。それでも誰も文句を言わないほど、平和ということだな。

 真中は無断で交番の中に入ると、奥の居間へと忍び寄る。


 そっと近づいて居間の様子を覗いてみると、案の定、唸りながら寝返りを打つ初老の男が一人。少し灰色がかった髪はぼさぼさで無精ひげが伸び、服はしわだらけで清潔感の欠片もない。住人に好かれるお巡りさんとしては、あるまじき姿だ。


 普段から忙しそうにしている、宗通先生ならいざ知らず。こんな幸せそうに眠り呆けている男をみると、つい驚かしたくなってしまうのが、真中という人間だ。


「おい、お巡りさん! 隣で殺人事件が起きてるよ!」


 全く反応しない。この人もう駄目だろ。

 仕方ないので、真中は男の体を手で強めに押さえて揺らす。すると、やっと気づいたようで、欠伸をしながら男は目を覚ました。


「誰だ、いきなり。ああ、真中か。相変わらず暇なんだな」

「あんたがいうな。職務中にぐっすりお寝んね決め込みやがって」

「本官は寝るのが仕事であります。それじゃ、お休み」


 上半身を起こして、手と首だけで敬礼した男は、すぐ横になると再び目を瞑る。


「おいおい」

「冗談だ。でもなあ、昨日は徹夜だったから眠いんだよ。寝かせてくれよ」


 男の声はしゃがれていて、命乞いをしているかのように必死に聞こえた。


「何かあったのか? ここらで事件が起きたとは聞かないが」


 あったらこんな優しい起こし方はしていないからな。


「はは、昨日は脱却論者達の集会があってさ、夜通しその警備に駆り出されたの」

「へえ、あんたが仕事してることなんてあったのか」


 両腕を万歳して、伸びをしながら男は言った。


「僕は何時だって真面目さ。真面目過ぎて馬鹿らしくなるから、寝てるんだ」

「何だよそれ」

「ははは、何でもないよ。それで、何か用か?」

「いや、特に何かあって来た訳じゃないんだけどさ。家から追い出されてさ」

「お前も出てって叱られたり、籠って追い出されたり、難儀な奴だなあ」

「だろう」


 この交番には、やたら暇つぶしのための、おもちゃやら、雑誌やら、が貯めこまれている。もちろん、この男の私物だ。既に相当な期間居座っており、彼を知る誰もが諦めている。


 小さい頃の真中にとって、ここは宝の山であり、昔からよく遊びに来ていた。それで、今でも男とは親交があるというわけだ。

 行く先もなく転がり込んだ真中は、夕方になるまでここで過ごした。ここに来ると、童心にかえってつい遊び過ぎ、男にそろそろ帰れと促されるのが常だ。

 例にもれず、空も暗くなってきたからと追い出された真中は、そろそろいいだろう、と帰宅した。



 念のために、ゆっくりと音をたてないよう家に忍び込む真中だったが、あっけなく母に見つかり、声をかけられる。


「あら、おかえり。お客さんが来てるわよ」


 心なしか、声が弾んでいる。朝追い出されたときは、かんかんに怒っていたのに、どうしたんだろうか。父も向こうで騒いでいる。

 そんな疑問を頭に浮かべながら、階段を上り部屋に入る。すると、そこには頬を膨らまして、不満げな顔をした充希の姿があった。


「あ、こんばんは。一体どこほっつき歩いてたんですか。待ちくたびれましたよ」

「いや、ちょっと追い出されてな。充希こそ、どうしたんだ」

「神原に行きたいな、と思ったんですけど、宗通先生のお墨付きは真中さんが持ってるじゃないですか。だから迎えに来たんですよ」

「なんだよそれ。俺はお墨付きのついでかよ」


 俺に会いに来てくれたのかと思ったのに。俺が自意識過剰みたいじゃないか。


「それで、昼前ごろからずっと待ってたんですよ。謝罪くらいしてもいいんじゃないですか?」


 頼んだわけでもないのに、勝手に待っておいてなんだその言いぐさは。

 少しいらっとした真中だったが、抑えて充希に尋ねる。


「それで、今度は何処に行きたいんだ? 危険な所は嫌だぞ」

「はい。祭儀圏の北東、潤水圏に、生きた魚を展示してる所があるらしいんです」


 その名の通り水が豊富で、人間社会では中々目にすることのない、生きている魚がたくさん見られる所である。


「それで、何。俺わかんない」

「わかって言ってるでしょう! そこに、行きたいんですよ!」


 充希は身を乗り出して強弁し、真中の服を引っ張った。


「ええ、どうしようかなあ……」


 行きたいと言われると、行きたくなくなる天邪鬼な男、真中。


「お願いします! この通りですから」


 頭を過剰に下げながら、手を合わせる充希。

 そう頼まれると断れないのが、真中の、いや修学者の矜持だ。真中がただの人間であったならば、平気で断りもするだろう。


「よし、わかった。でも、ちょっと支度とかあるから、明後日でいいか?」


 いや、特にないけど。もうちょっとだけだらけたいんだ。ごめんよ。


「わかりました。では、明後日の朝に迎えに来ますので、逃げないでくださいね」

「お、おう。どんだけ信用無いんだよ……」


 充希が家を出るとき、なぜか階段で待ち受けていて、外まで見送りに出てきた両親。真中は、何か勘違いしていると気づいたが、それで両親の機嫌がよくなったのなら、まあいいか、と放っておくことにして、夕食の席に臨む。その日は終始、両親が真中に優しかった。




 

 


 




 


 


 



 

 


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