第13話 夫婦かと思った

 小屋の中に入った三人を待ち受けていたのは、一人の女性だった。

 紐で束ねられた茶色がかった黒髪は、弧を描いて肩に乗り、その小麦色に焼けた肌は彼女の活発さを主張する。健康的な体つきは、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいるというやつだ。

 褐色の中に微かに浮かび上がる紅い唇は色っぽく、丸い大きな目はまじまじと真中を見つめている。

 

 なんだ妻帯者かよ、折角いい夫を見つけたと思っていたのに。


「おおい、泉。そこに布団を敷いてやってくれ。ちょっと気分が悪いらしいんだ」


 樹の声に反応した女性は、畳の上に布団を敷き、手でぱんぱんと叩いて合図する。


「おう、ありがとう」


 彼女は頷くと、充希を見ながらその口を開いた。


「樹、この人たちは誰? 人間、よね」


 彼女はそう言い終えると、今度は真中の顔を凝視する。明らかに、見知らぬ二人の人間を警戒している様だった。特に、人の珍しい神原でのこと、樹の様に屈託ない笑顔で近づいてくる人は、そうはいない。


「ああ、さっきそこで知り合ったんだ。この娘はこっちに来たのが初めてで、ちょっと酔っちまったらしくてな」

「へえ、珍しいわね。そんな酔い方した人なんて初めて見た」


 驚いて充希を見る彼女の顔は、さっきまでの険しさが消えていた。少し警戒が和らいだようだ。代わりに少し顔の曇った男が一人、萬屋真中その人だ。


「ですよね。俺は酔わなかったから、初めてで困ってたところだったんすよ。はは」


 彼は、何か感づかれてはまずいぞ、とその場しのぎに言葉を発する。


「えっと、君は……」


 彼女は真中を指さして何か言おうとしているが、名前がわからず困惑している。


「ああ、こいつは真中って言うんだ。こっちの娘は、あれ、まだ聞いてなかったな」


 樹は真中を見ながら頭を掻く。この娘は何て名前なんだ、とでも言いたげだった。

 そういえば、言ってなかったな。


「……私は、充希です。橘充希といいます。お世話になります」


 無理して喋らなくてもいいのに。早く治してもらわないと俺も帰れないし。


「おい、気分悪いんだろ、喋らなくていいから。えっと、そちらのお姉さんは?」

「私は臥蛇泉ふせた いずみ。ごめんね、変な顔で君たちの事見たりして。でも、何があるかわからないから、一応警戒しとかないと。ね、わかるでしょ?」


 これまでの表情から一転、微笑んだ泉は謝罪して、手を合わせる。


「すまないな、こいついつもこうなんだ。俺からも謝っとくよ」

「あんたが不用心すぎるから、代わりに警戒してるんでしょうが。本当ごめんね」

「いえ、お気になさらず。正直な所、俺も鵬崎さんに初めて話しかけられたとき、そんな感じだったんで。ははは」


 愛想笑いを決め込む真中に、釣られて笑い出す樹。


「それは仕方ないさ。こんな巨漢がいきなり近づいてきたら、怖いのは当たり前よ。しかも、こんなかわいい病人を連れてる時なら尚更ね」


 そう言って、豪快に笑う泉。

 泉の言葉を聞いて、床に臥せっている充希は、声を出すことはないが、顔を真っ赤にして震え出し、かけ布団を被って顔を隠してしまった。

 布団に隠れていても、じたばたしているのがわかるぞ。かわいいなあ、もう。

 これだけで、連れてきてもらって正解だったぜ。



 充希の様子を見て、真中がついついにやけていると、目ざとくそれを察した樹がからかう。


「おい真中あ、なににやにやしてるんだ? ほら、見てみろよこの顔」

「あらあ、真中君、何考えてんだろうね。ほら、充希ちゃん。見られてるよ」


 それに便乗する泉。

 とんでもない人達だな、仲がいいにもほどがあるだろう。絶対あんたら夫婦だろ。


 最初こそ、笑って応えていたものの、そのあともやまない二人のからかいに、段々腹が立ってきた真中は、歯ぎしりしながら、手をぎゅっと握って、叫びたい衝動を抑え込む。

 そして、爆発してしまう前にどうにか発散しようと、その口を開いた。


「あ、あの、お二人は夫婦なんですかね?」


 怒りで訳がわからなくなった真中は、内心怒りながら、感情に反して笑っていた。


「いや、違うよ」

「違うぞ」


 まじかよ。なんでこんなに仲いいのよ。あれか、じゃあ、竹馬の友ってやつか。


「昔馴染みとか?」

「いや、違うよ」

「違うぞ」


 まじかよ。なんでこんなに仲いいのよ。あれか、じゃあ、赤の他人ってやつか。


「二人とも、凄く仲よさそうですよね。俺、てっきり夫婦なのかと思ってました」

「夫婦う? そう見えるかな、そんなわけないでしょ。あはは」


 馬鹿にしたような口調でそう答える泉。それに続いて、樹が言う。


「あんまり、笑うなよ、泉。それだけ俺たちが、仲良くやれてるってことだぜ?」

「それもそうだな。教えてくれてありがとう、真中君」


 笑い過ぎて零れた涙を手で拭く泉。

 腹立つけど、なんか色っぽい。


「あっ、はい」


 何の礼なのかわからんが、もらえるものはもらっておくか。



 しかし、この二人、旧知の仲ってわけでもないらしいな。何故二人でこんな所に小屋を建てたんだろうか。

 真中が頭の中で疑問を膨らませていると、勝手にその疑問は解決した。


「実は、俺たちはある神様から頼みごとを請け負ってな、さすがに会ったばかりのお前たちに、その名は明かせないけど、同僚みたいなものなんだ」

「へえ、まあ、俺たちもそんなもんですよ。なあ、充希」


 返事がない、眠ってしまったようだ。さっきから動かなくなったのはそれでか。


「おお、そうなのか! 同業者なら、雇い主の名を明かせないのもわかってくれるだろう? それで、報酬がわりにその方の眷属という扱いで、しばらくの間、神原に拠点を構えさせてもらって、そこらを旅してるんだよ」


 なるほど。

 しかし、期限付きとはいえ神原に住めるよう取り計らってくれるなんて、随分気前の良い神様だな。聞いたことないぞ、そんなの。

 かなり煩雑な手続きが必要なはずだし、そもそも暗黙の了解として、互いの社会への一日二日程度の逗留なら兎も角、長期間の滞在等は避けることになっていたはずだ。

 落ち着いてしまうと、色々と相手方の社会に迷惑をかける可能性があるからな。

 その了解の元で、こんなことが出来るとなると、雇い主というのはかなり高位の神様に違いない。そうでなければ、たった二人でもこんなのすぐ問題になる。


「へえ、また格別のお計らいっすね。うちの神様もそれくらい気前の良い神様だとよかったんだけどなあ。ははは」


 宗通先生は、絶対そんなこと認めてくれないだろうな。すごく羨ましい。


「どんな仕事を……って言うのは聞くべきじゃないすよね、気になるけど。その旅行っていうのはお二人で?」

「気遣い痛み入る。二人で行くときもあるが、大体は各々、好き勝手に行ってるな」

「そうね。私も樹も気の赴くままに好きな所に行って、ここで会った時には、旅先での出来事なんかを披露する自慢大会が始まるの」


 羨ましい、羨ましすぎて嫉妬してしまいそうだ。


「いいなあ、人間でそんなことできるの、あんたら夫婦くらいでしょ」


 少し嫌味ったらしく真中は言ったが、全く気にもせず笑いながら泉は答える。


「だから、夫婦なんかじゃないってば。真中君も意地が悪いなあ。はは」

「俺たちだけだろうな、これは他言無用だから、頼むよ真中。本当に、ばれたらとんでもないことになるから」


 そう言われると、言いたくなってしまうのが人の性。羨ましさも手伝って、一瞬良からぬ企みが真中の頭をよぎるが、そこは修学者として流されてはいけない、と気を取り直して、渋々承諾する。


 真中の返事を聞いて、気を良くした樹は、雄弁に旅先でのあれこれを語りだした。すると、負けじとばかりに、泉も神原での思い出を口にする。


 初めは羨ましく、妬ましく、雑音にも似たようなものを聞いている気持ちだった真中だが、聴いているうちに嫉妬よりも関心が勝ったようだ。遂には自分から、お薦めはどんなところだ、とか、それでどうなった、などと質問までしていた。

 そして、話を聴きながら、未踏の地に思いを馳せて、いつか行くぞと決意する。

 


 充希が眠ってしまって身動きも取れないから、とそんな調子で、ずっと二人の話に耳を傾けていると、外は既に陽が隠れてしまい、小屋の中も暗くなってきた。

 泉によって、ランタンに灯りがともされると、暗黒に染まりかけていた小屋の中は、その明るさを取り戻す。

 さあ、と真中が話を聴こうとしたところで、ううん、と充希が目を覚ました。











 













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