第11話 帰るまでがお使いです
透華蓮の屋敷を出た後、二人は護符を使わずに歩き続けた。特段理由のあるわけではないが、少し歩いてみようと思い立ったのだろうか。
少し行ったところで、真中はふと思い出したように充希に尋ねる。
「そういえば、あの籠の中には何が入ってたんだ」
「籠……、ああ、ありましたね。全く気にもしていませんでした」
「俺もだ。あんなに目立つところに置かれていたのに、どうしてだ」
「さあ」
「ま、今更どうでもいいか」
「そうですよ、帰りましょう」
気にはなるが、出てきてしまった以上知る手立てもないので、諦める真中。
元からたいして気にしていない充希。
話題が続くことはなく、小川のせせらぎだけが耳に入ってくる。
ほどよく潤いをたもちつつ、暖かい甘桃圏の気候が、二人の思考を鈍らせ、眠気を誘い、その足取りは徐々に重たくなっていく。緩やかに下り坂となっている地形だけが、彼らの足を進める助けとなっていた。太陽は燦々と輝き、雲一つない晴天。
このまま歩くのをやめて、大地に身を委ねてしまおうか。既に用は済んでいるのだから、急いで帰ろうとすることもあるまい。
「なあ、急いで帰る必要って別にないよな」
「はい? まあ、もう用事は済みましたし、急ぐ必要はありませんが」
「ゆっくりしていきたい、と思わないか。俺は思うぞ」
「……それは。まあ、思わなくもないですけど……」
「だろ」
「……いや、駄目です。師匠も仰っていたでしょう! 帰るまでがお使いです」
「そうか……」
口ではそう言っても、充希の体は明らかに歩くことを良しとしていないが、頑なに拒むので、真中も諦めて歩き続ける。
のろのろ惰性で歩き続けるくらいなら、一度休憩して英気を養った方がいいと思うのだが、絶対にきかないんだもの、仕方ないわ。
喧嘩する気力もない真中は、充希に逆らうことも無く歩き続けた。
そういえば、透華蓮様に水筒に入れてもらったお茶があったな。あまり苦くない、飲みやすいやつを入れてくれたらしいので、少し飲んでみようかな。
そう思い立った真中は、鞄から水筒を取り出す。そして、充希を見て言った。
「あんたも飲むか? さっき頂いたお茶だ」
「頂きます。ちょうど喉が渇いていたところ何ですよねえ」
そういって水筒に飛びついた充希は、注ぎ口に直接口をつけて茶を貪る。
最初少し戸惑いが見えたのは、俺への遠慮からだろうか。いや、ないな。
「あの、これ苦くないですね。飲みやすくて、どんどん体の中に入ってくる」
口の中にお茶を含んだまま、少し顔を上に向けながらそう話す充希。
なるほど、さっき頂いた、というのを勘違いしてたのか。
しかし、この調子で飲まれてしまうと、俺の分がなくなる。まあ、そこらに水でも果物でも転がっているから、干からびるということはないだろうが、折角女神様からもらったお茶、俺だって飲みたいよ。
「ぷはあ、このお茶最高ですね。すっごくおいしくて、ほどほどで止めないと、勝手に喉が求めていっちゃいますよ」
「へえ、その素晴らしいお茶、俺も飲みたいんですが」
「ええ、私のとっておきなんですよこれ。……どうしよう」
今の今まで存在すら知りませんでしたよね。
「頼む、一口だけでいいから」
「しょうがないなあ、一口だけだよ?」
「ありがたい」
どうして、下手に出てるんだ俺は。まあいい、それだけのお茶を飲めるなら、小さな自尊心などかなぐり捨ててやる。充希から水筒を受け取り、口をつけると、まるで茶が口の中に入り込んでくるかのように、どんどん流れていく。確かにこれは、自制しないときりがないな。
無理矢理剥がすように、水筒から口を離す真中。
「ふう、ありがとう。最高だなこれ、また今度もらいに行こう」
口周りの水分を服で拭きながら、空を仰ぎ見て真中はそう言った。
「そうでしょう! またもらいに来ましょう!」
顔を見合わせ笑いあうと、二人は再び進みだす。
今度は、神行符を使い走り始めた。
本当に速い、さっきまでだらだらと歩いた距離も、護符を使って走り抜ければ数十分とかからないだろう。
きんきんに冷えたお茶が体中を巡り、眠りかけていた体を一気に覚醒させる。その上に、護符をつけて走り、風を切るこの爽快感。さっきまでのやる気のなさはどこかへ、飛んで行ってしまったようだ。俺も、充希も、あのお茶が良い気分転換になったな、本当にありがとうございます女神様。
さっき彼方に見えた景色が、気付けば遥か後ろになっている。そんな不思議な感覚に、中々慣れない充希は少し酔っている様子で、下を向きながら走っている。
気休め程度にしかならないだろうけど、と真中は酔い止めを充希に手渡した。それをのんだ充希は、どれだけ効いているのかはわからないが、少し楽になりました、と真中に微笑んだ。
「少し休んでいくか?」
ちょうど、近くに小屋が見える。頼めば看てくれないことも無いだろう。いざとなればお墨付きもあるしな。
「いえ、大丈夫です。行きましょう」
「そうか、まあ、転界路までもうちょっとの辛抱だから」
「はい、お気遣いありがとうございます。うっ……」
口を手で押さえる充希。大丈夫だろうか、とは思いつつも、本人の気持ちを尊重することにして、真中は再び走り始めた。何とか、充希も後から付いて行く。
途中てこずって、少し遅れはしたものの、転界路が真中の視野に入ってきた。あと一息だぞ、と充希に声をかけると、声にならない声で返事がかえってくる。
「本当に、平気か? 転界路まで行っても、まだ歩かないといけないんだからさ。やっぱりどこかで休んだ方がいいよ」
「いえ、そんな。……あ、やっぱり休ませてください。すみません……」
「気にしなくていいよ、俺も慣れるまではそうだったから」
充希が野原に仰向けになると、真中は水を汲むために近くの小川へと向かった。
一か所にとどまっていると、見慣れぬ人間に嫌でも注目が集まってくる。そうなると、一部には良からぬ輩もいないとは言い切れないので、できれば避けたかったのだが、仕方がない。
さっき、俺がゆっくりしようって言ってたのは、神様が周りにいなかったからだから、セーフだたぶん。まあ、不用心だったとは、反省してる。そう頭の中で言い訳しながら、水を汲み終えた真中は充希の元へと走って戻る。
「ほら、水を飲んで気分を落ち着けろ」
「すみません……」
口から溢れた水が、充希の肌に沿って滴り落ちる。それを目で追った真中は、無意識のうちに、充希の首筋をまじまじと見つめていた。水を飲み込み、呼吸をするたびに揺れ動く柔肌に、つい息を飲む。
おっといけない、と首を横に振り気を紛らわす真中だった。
そんな二人のところへ、一人の人間が声をかける。
「おっと、人間がこっちにいるなんてどうしたんだい。しかも二人組ときたもんだ」
突然声をかけられて、警戒感を露わにしながら振り返った真中だったが、相手が人間とみると、表情を和らげた。神原では珍しい、人間と人間との出会いだった。
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