第9話 優しそうな女神様
目的の女神さまがいると思しき建物の前に立ち、深呼吸をして息を整える二人。
息ぴったりに、二人でこんこんと戸を叩く。それから、戸にぴったりと耳をつけて、中の様子を窺う。
「気難しい神様らしいからな。下手なことするなよ」
真中が注意を促すと、充希はすぐさま言い返す。
「私よりもあなたでしょう。あ、足音がしますよ」
「近づいて来てるな」
屋敷の中から聞こえる足音が徐々に大きくなってくる。
さあ、鬼が出るか蛇が出るか。一度入ってしまえば、もう外の空気を吸うことも無いかもしれない。最期にたっぷり吸っておこう。
「緊張しすぎて、過呼吸にでもなりましたか?」
充希は呆気に取られてぽかんとした顔で、真中に尋ねた。
「違う、最期の晩餐だ。もう生きて出られないかもしれないんだぞ」
「私は嫌ですよ。絶対に生きて帰りますから」
「それを決めるのは、俺たちじゃなくて神様だからな」
どんどん足音が近づいてくる。そろそろ来るぞ。
「ああ、来ましたよ。どうしましょう」
「今更狼狽えるんじゃないよ、もうじたばたしたって仕方ないだろ。今から逃げてもすぐ追いつかれるからな」
がらがらがら、と戸が開いた。
二人は何が出てくるか、と戸の向こうに視線を合わせながら、足では少し後ずさりする。一瞬の静寂の後、件の女神様が姿を現した。
「あ、あの、こんにちは」
必死に笑顔を作り、震え声で屋敷の主に挨拶する真中。充希は硬直している。
「ええ、よく来てくれましたね。宗通の使いの方々、どうぞ、中へ」
微笑みながら会釈すると、二人を屋敷の中へと招き入れる女神様。
涼し気な流し目に、細くハの字型に垂れる眉。ふふふと笑い震える艶やかな唇。
混じりけ無い純粋な群青色の髪は長く、歩くたびに揺れていてつい目で追ってしまう。
それに、神様だけあってやはり長身だ。体つきは神衣で隠れて見えないが、衣の隙から垣間見えるか細く白いその腕は、さぞや繊細な方なのだろう、と思わせる。
もしかしたらこの女神様は、その美しさで男に災いをもたらす悪い神様なのかもしれない。
つい見惚れた真中が放心状態で歩いていると、その様子に呆れ、みかねた充希が彼の脇腹を突く。
「ちょっと、正気に戻ってください。神様の色香に惑わされてはいけませんよ。神に惑う人間の末路は碌なことに成らないって、相場が決まっているんですからね」
「おっと、危ない危ない。よくやった我が弟子よ」
「私の事を弟子と言っていいのは、宗通先生だけです。それにしても、優しそうな方じゃないですか。全然、大丈夫そうですね」
「どうかいたしましたか?」
「いえ!」
話聞かれたのかな、聞かれてないよな。うん、大丈夫だろ。たぶん。
それにしても美しい。駄目だとわかっていても、つい見つめてしまう。
「なんでもないです、綺麗なお屋敷だなあ、と。ところで、女神さまにはお名前はあるんですか? 私は橘充希と言います」
いきなり質問する充希に、真中は慌てる。
「ちょ、ちょっと、いきなり失礼じゃないか? あ、俺は萬屋真中と申します」
「構いませんよ。神というのは人間の方々が言い始めたことですからね。我々は言葉遣いなどそうそう気にしませんし、お気遣いも無用です。ああ、祭儀圏の神々等はそうでない場合もありますから。それだけは、気を付けてくださいね」
女神様は振り返ると、二人の目をを交互に見ながら、そう答えた。
「そうなんですか。やっぱり神様って、私が思ってたのと結構違うんだなあ」
「どういう者だと思っていましたか? ふふ、偉ぶっている奴らだろうな、とか?」
「い、いえ、そんなことは。ただ、もっと理解できない様な、超人間的な方々だと」
「あら、それでは期待外れだったかもしれないですね。ふふふ」
「いいえ! 親近感湧いて、もっと好きになりましたよ。神様のこと」
充希は大声で詰め寄る様に叫んだ。
「そうですか、それは良かった。人間がこちらまで来ることは、中々ありませんからね。こういう意見を聴けるのは貴重な機会です。私が人と話したいと言っていたから、宗通先生が気を利かせてくれたのかもしれません」
「へえ、宗通先生ってやはり偉い方なんですか?」
ああ、宗通先生のこと、充希はまだ詳しくは知らないのか。
「それはもう、この神原でただ一人の司教様ですからね。神と人とを繋ぐ、とても尊いお方です。神原に彼の事を悪く言う者は殆どいませんよ。まあ、これには、政治に余計な口出しをしないから、都合よく思っている方々がいる、という面もありますけれどね。ふふ」
「やっぱり、凄い方なんですね!」
充希は透き通った目を輝かし、身を乗り出して、女神様に顔を近づけ叫んだ。心なしか、女神様がひいてるような……。
それはともかくとして、なるほど、気難しい神様だなんて宗通先生は言ってたけれど、優しそうな良い女神様だ。この方の仰る通り、俺たちをここに遣ったのは、先生なりに気を利かせただけの事なのかもしれないな。
女神様に続いて歩いていくと、左側に大きな扉のあるところで立ち止まる。
「ああ、こちらの部屋です。それでは、椅子に腰かけて暫くお待ちくださいね」
部屋の中に案内されると、そう言い残して女神様はどこかへ行ってしまった。
女神様がいなくなると、緊張感から解放された二人は、気が抜けたように椅子に腰かけて、机にうつぶせになる。そして、口から無理矢理押し出しているような、力ない声で話を始めた。
「ああ、疲れた。正直、最初はどうなるかと思ったが、なんとも問題なさそうだな」
「ですね……。緊張しました、でも神様と会う事にも早く慣れないとですね」
「それにしても、これだけのお屋敷が、初め来た時には全然見えなかったというのは、どういうことなんだ」
ふと思い出した真中がそんなことを呟くと、さして興味もなさそうに返事をする充希だったが、なにかを思い出したようで突然大きな声を出す。
「さあ。あ、そういえば、昨日も不思議な事ありましたね。萬屋さんが扉の閉じたままの図書室を出入りしていたじゃないですか!」
「ああ、外からはそう見えていたのか。あれは扉がふっと消えて、司書番の神様みたいのが中に入れてくれたんだ」
「はあ、そうなんですか。昨日は見えるものが見えなくなって、今日は見えないものが見えるようになって。もう一体何を信じればよいのやら……」
充希は釈然としない顔つきで、首をかしげながら溜め息を吐く。
「神様を信じればいいんだ。それですべて救われる。何も考えなくていい」
「気持ち悪いこと言わないでくださいよ」
華美な飾りなどはない、質素な部屋。どことなく気が安らぐ。壁に開けられた風を通すための穴からは、心地よい涼しい風が部屋を駆け抜ける。
どこかで焚かれている御香の香りが、風にのって二人の元へ運ばれてくると、彼らの嗅覚を楽しませる。
「……なかなか来ませんね、女神さま」
「支度でもあるんだろう。気長に待てばいいさ」
そういいながら、真中は部屋中を舐めるように見回している。もう慣れてしまったか、呆れ果てて相手をする気もなくなったか、充希はそれには触れずに喋り続ける。
「なんだろう、落ち着きますね。さっきまでの騒がしさはどこへやら」
「そうだな、ずっとこのままでいい」
「それは困りますが」
取り留めない会話を続けながら、その空気を楽しんでいると、扉をこんこんと叩く音がした。ああ、来たか、と姿勢を正して女神様を待ち受ける二人。
部屋の扉は、観音開きになっているが、扉が開くと現れたのは、観音様ではなく女神様だった。
「すみません、お待たせしてしまいました。人間のお客さんなんて、随分久しぶりでしたので、つい気合いが入ってしまったんですよ。ふふふ」
そういって現れた女神様は、右腕に何か入った籠を提げ、両手で茶の入った湯呑ののったお盆を持っていた。
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