真中、頑張る。

第8話 お墨付きって凄いや

  翌朝、真中は神役局前で待ち合わせている充希の元へと走る。


 転界路を越えて神役局へと近づくと、充希の姿を発見した。同時に、その横に長身の人間、いや神様の姿があった。

 宗通先生だ。

 昨日は行きたくないと言っていたのに、やっぱりいくのかな、などと思いながら手を振って近づく。

 真中に気付いた充希が手を振り返し、宗通先生も手を上げて真中に応える。


「はあ、はあ、お、おはようございます先生。一体どうなさったんですか、昨日は行きたくないと仰っていたのに。ほら、先生がこんな所に来ることなんてそうないから、すごい注目集めちゃってるじゃないですか」


 彼が息を整えながら宗通先生に尋ねると、隣にいた充希が不満げに言う。


「私には挨拶なしですか、萬屋さん」

「あ、おはよう」


 適当に挨拶して流すと、真中は宗通先生の顔を見る。


「いや、同行しようというわけではなくて、ちょっと見送りに来てやったのだよ。これがお前達との、今生の別れになるかもしれんからな」


 そう言った彼のまなざしは優しく、別れを覚悟しているかのように強くもあった。


 何それ、凄く不安になるんですけど。

 やだよ、やっぱ来なければよかった。


「それは、先生がもう永くはない、ということですかね。俺たちがってことですか」


 真中もわかってはいるものの、とぼけて尋ねてみる。


「それは、お前たちがに決まっているだろう」


 面倒がって真顔で言い返す宗通先生。


「どういうことですか。何処に行かせようというのか」

「でも、書簡をその女神様にお届けするだけの仕事なんですよね? それがどうして私達の危険がどうという話になるんですか」


 充希もさすがに気になったようで、首を傾げて宗通先生に尋ねる。


「そうですよ、せめて説明してくださいよ」


 真中も腕をあげて抗議の意を示している。

 しかし、宗通先生は詳しくは語らなかった。


「それは、まあ、大したことはないのだが。ちょっと荒れ易いだけだ。機嫌を損ねなければ特段問題はない。さあ行った行った」


 言い淀む宗通先生は、しっし、と手で追いたてて二人を急かす。


「死ぬかもしれないのに大したことがない、と?」

「まあ、行ってみましょう。萬屋さん行きますよ。もたもたしない!」


 なんでこんなにやる気なのこの人。


「無事帰ってきたら良いものやるから。頑張ってこい」


 人を物で釣ろうとする悪い神様だ。


「よし、さっさと行こう」


 諦めた真中は渋々行くことを決意した。


「やっとですか、私はとっくに準備できてましたけどね」


 さあ、行くと決めたからには行くしかない。やると決めたらやる男、それが萬屋真中だ。俺に二言などない。必ずハーレムを成し遂げる、そのための第一歩だ。

 そう決意して真中は踏み出す。

 その先にある薔薇色の世界を夢見て。夢見るだけならただ。



 境界領域から神原へと入るには、人原へ行くときと同じように転界路を利用するのだが、神様がこの境界領域を利用することは稀であり、人原には多くの玄関口があるのに対して、神原への転界路はある程度行き先が限定されている。

 神様の世界は大雑把に十の圏域に分かれていて、それぞれの地に東西南北四つずつの転界路への玄関口がある。


 圏域の詳細は必要に応じて説明するとして、宗通先生からもらった地図によると、今回の目的地は神原の中心となる祭儀圏の西側、甘桃圏の東部域にある。

 この辺りは豊穣の神様等が好んでいる場所で名物も多く、他圏域からも多くの神様が訪れる。神原でもかなり開放的な所で、初めての充希を連れていくのにも悪くないところだ。


 宗通先生が色々いると気にしていたのはその地の神様というよりは、観光で訪れた神様達の中の一部の非礼者達の事だろう。

 しかし、この辺りの神様は温和な方々ばかりと聞いているが、機嫌を損ねると命にかかわる女神さまか。


「それで萬屋さん、まずはどちらへ? 確か神原へ人間が入る時は、手続きが必要だとか聞いたことがあるんですが」


 初めての事で全く勝手がわからない充希は、腕を組みながら真中に質問する。


「特に目的無く、いく場合はね。けど、今回は宗通先生のお墨付きがあるからさ。これがあれば、どれだけの金銀財宝よりも効果覿面だぜ」


 真中は鞄をごそごそと探ると、宗通先生直筆のお墨付きを取り出して、見せつけるように彼女の眼前に差し出した。

 しかし、案外に彼女の反応は薄く無表情で答えた。


「へえ、とりあえずはこのまま転界路を通れるってことですね」

「そういうこと、目的地に一番近い甘桃圏東部口に」


 神様の世界にも序列は存在するのだが、宗通先生はそこから外れていて大泰帝様直属の司教という格別の地位にある。単純には、上司に当たるのは大泰帝様ただお一方だけだ。だからといって、門外の政治などに簡単に口出しすることはできないが、その権威は神原全体に響き渡っている。


「そうだ、神原への転界路を渡るときは下に気を付けろよ。荒神様が人前にでてしまっては一大事だからな。心安からぬ者には妨害があるって、昨日きいた」


 真中は歩きながら後ろを振り返ってそう注意を促した。


「へえ、まあ大丈夫でしょう」

 

 転界路は相変わらず長々しい。倫学所は長いとはいえ、見える景色も変わるのだからまだましだ。転界路はずっと同じ景色の中を歩かなければならず、長い長いトンネルのようなものだ。だからこそ、通り抜けた後、周りを見回した時の感動もひとしおではあるのだが。

 

 ただ只管、無心に歩き続ける。

 二人の間に交わす言葉はない。

 真中は話がないわけではないのだが、神原に着いてからに取っておきたいので、無言を貫いている。

 充希は興味深く転界路を見回しながら歩いていて、話をする暇もなさそうだ。

 いずれこの興味も尽きて、彼女も真中のように嫌々歩くことになるだろうが、今はまだそこまでに至っていない。


 真中にとってはこの時間は只管苦痛だ。

 ここを通るたびに、せめて神原に通じる側だけでも転界路に代わる道が欲しいと願ってやまないのだが、全くかなえられる気配はない。



 そんなこんなで長い長い転界路を抜けると、そこは神原であった。

 ここにはありとあらゆる植物が豊かに実り、飢えを知るものなどいない。

 故に、住まう神様達の性質は寛容である。


「やっと着きましたね、私初めてですよ! 神社会へ来たの」


 気分が高揚している充希は、頬を染めて周囲を見回しながら叫んでいる。


「良い所だろう? ……少なくともここは……」


 真中はぼそっと呟いた。


「なんか言いました?」


 小声でつぶやいたつもりだったので、慌てた真中ははぐらかして歩き始める。


「いえ。それじゃあ、さっさと女神さまのところへ行きますよっと」

「そうですね。あ、そうだ。今朝師匠から頂いた白い護符があるんですけど」


 充希は白い封筒の中から、徐に白い護符を取り出す。

 それを見ていた真中はすぐ食いついて、大声で叫ぶ。


「本当に! よし、さっそく使わせてもらおう」

「これって何に使えるんですか」


 充希が尋ねると真中は彼女と顔を合わせ、目を輝かせて歯を剥き出しにした飛び切りの笑顔を見せながら、興奮気味に早口で説明する。


「神行符つって、足が速くなり疲れなくなる。滅多に使えない貴重な護符だぞ」


 真中は護符を手に取ると、ありがたやあ、と拝みだした。


「へえ、やっぱ神様ってそういうもの持ってたりするんですね。昨日師匠にお会いした限りでは人間とそんなに変わらないなあ、と思ってたんで驚きです」


 充希は真ん丸に目を見開いて、不思議そうな顔をしながら護符を見ている。


「あんまり変わらないよね。最初は俺ももっとこう、人間とは全然違うなっていう存在だと思ってたもん。でも、少し超常的な力があるだけで、結構人間らしい感じ」

「そうですね。もっと人間とは程遠い存在だと思ってたんで、親近感湧きますよ」

「人原じゃそうやって教わるもんなあ」


 勝手に神様に親近感を感じながら、女神さまの元へ走り始める。

 感覚としては、普段となんら変わりないのだが、気づけばとんでもない距離を移動しているようで、普通に移動するには広すぎる神原も一気に駆け抜けることができる。恐らく、常時の何倍、いや何十倍もの速度で移動しているだろう。


 周りからはどう見えているのだろうか。見えてないのかな。

 わからないけど、爽快感が凄くて、そんなことどうでもよくなってくる。


 ちなみに、転界路ではこの護符を使ってもあまり効果がない。空間の歪みによって補正されるので、どれだけ速く動いても意味がないらしい。



 二人はしばらく走り続けて、地図に示されている丘陵地帯に行きついた。


「この辺りだと思うんだがなあ」


 首を傾げながら、地図と周囲の景色を交互に凝視する真中。


「本当ですか? 建物なんて何処にも見当たりませんけど」


 周囲を見回して訝しむ充希。


「ああ、先生がぼけてなければ間違いなくここだ」


 さて、一体どういうことだろうか。

 辺りに建物は見当たらず、草木が生い茂り果物が至る所に実っている。

 ちらほらそれを収穫している神様はいるが、先生は女神さまだと言っていたので一致しない。


「どうしますか? 萬屋さん。探偵の神様とかいないんですか」


 じれったくなったのか、充希は突然そんなことを言い出した。

 不意を突かれた真中は失笑する。


「探せばいるかもしれないけどさ、調子よくここにいたりはしないでしょ」

「ですよねえ。ははは」


 突拍子もないことを言った自覚のある彼女は、気恥ずかしさを誤魔化すように、真中につられて笑って見せた。

 その顔は真っ赤で、林檎みたいになっていた。


「そうだ、先生からもらったお墨付き。困ったらあれを出せって」


 両手を叩いて思い出したように言った真中は、お墨付きを鞄の中から取り出して、周りに見せつけるように掲げる。

 すると突然、近くの小高い丘の上に建造物が出現した。


「何したんですか、建物が出てきましたよ!」

「もし、宗通先生からの届け物の事を女神さまも知ってるならさ、これ見せれば出てくるかな、と思ったんだ。建物が出てくるとは思ってなかったけど」

「さっすが! 私わかってましたよ。萬屋さんは出来る人だって!」


 興奮して鼻息荒く、大声で真中を褒めちぎる充希に、まんざらでもない真中はにやつきながら答える。


「褒めるなよ、照れるだろう。建物が出てきたってことは、こっちに気付いてるはずだろうから、会うっていう意思表示に違いない。さあ、行くぞ。どんな美人に会えるのかなあ」

「下心出てますよ。しまってください。怒らせたら死ぬかもなんですよ」


 すぐに冷静さを取り戻した充希は不用心な真中を窘める。


「おっと、そうだったな」


 それっぽさを演出するために、神行符を剥がした後、女神さまのすまう建物へゆっくりと近づいていく。

 近づくにつれて真中の期待は増していき、留まるところを知らない。

 二人は逸る気持ちを抑えるように、敢えて歩みを遅くする。


「さあ、いくぞ……」

「はい、覚悟はいいですね」

「俺のセリフを取るんじゃあない」

「言った者勝ちです!」

「締まらないなあ……」













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