第6話 神様の千里眼は嘘っぱち

 弟子の前で情けない姿は見せられないぞ、と胸を張り、自信満々だと言わんばかりに締まった顔つき、そのどっしり構えた声色は、聞くものの耳を驚かすに違いない。


「先生、俺は立派な修学者として独立し、既に弟子が出来ました!」

「ほう、やるではないか。あの問題児が、弟子などとは生意気なことだ」


 豪快に笑いながら、弟子の冗談に付き合う宗通先生。


「いいえ、私はそんなぼんくらでなくて、宗通先生の弟子になりに来たんです!」


 いきなり口を挟む充希に、彼女の発言に面食らう真中。

 今まで気づいていなかったのか、気にもしていなかったのか、充希の存在を認識し、宗通先生は凝視する。


「おう、我が愛弟子真中よ。ときに、この娘は何者じゃ」


 彼は真中の方に顔を向けると、充希を指差して真中に尋ねた。


「え、全部見ておられたのでは? いつも俺の事を見張っているって」


 そうやっていつも脅かされてたぞ。


「私は千里眼ではないのだぞ。そんなもの冗談に決まっておるだろう」


 宗通先生はそう言った後、手をぱんぱん叩いて笑う。


「嘘ですか、神様がそんな……人を弄ぶようなことをするなんて。俺、神様不信になりそうなんですけど、どうしてくれるんですか」


 恨めしそうに真中が睨み付けるが、彼は意にも介さずに答えた。


「私は大泰帝様よりお許しを頂いている。少々神の道に外れても、お咎めなしだ」


 そして宗通先生は、馬鹿みたいに笑いだす。

 そのまま笑い死ねばいいのに。おっと、神様に向かって不遜だったな。今のは無し、口に出してないからセーフ。


 それはともかくとして、彼女の事を推薦しに来たんだったな。

 教育者でありながら、軽々と神の道を外れる先生に、今頃失望してるんじゃないか。まあ、どうとでもなれ。

 こほん、と咳払いすると真中は言った。


「えっと、この女性は、橘充希さんと言ってですね。修学者になりたいというので、ここに連れてきました」


 事情は言わないほうがいいだろうか。まあ、聞かれれば言ったらいいか。


「ふむ、充希、何故修学者になりたい? 私がこんなこと言うのもなんだが。ここに来る若い人間などというのは、真中のような物好きばかりだ。君はどうなのだ」


 宗通先生は充希の方に顔を向けて、彼女に確りと目を合わせる。

 迷いのない充希は、間髪入れずに話し始める。


 全く失望とかなさそうだな。


「私は至極まともな人間です! 修学者になりたいのも、神社会を研究したいというきちんとした理由があるからですからね。そこの色情魔と一緒にしないでください」


 失礼な、というか先生の前で何口走ってくれてるんですかね。


「なるほど、神原に興味を持つ時点で、人原の者としては十二分に変人だ。ところで、色情魔というのは? 真中よ、何かしでかしたのか」


 俺を見る先生の目が冷たい。

 先生は俺をそんな奴だと思っているのか。


「何もしてませんよ。ただ、ちょっと神様がするっていう、ハーレムっていうのを作ってみよう……かなあって思っただけで。ほら、俺、懐広いじゃないですかあ」

「自分で言うな。私に黙ってたのは後ろめたかったからじゃないのか? ん?」

「いえ、先生は曲がりなりにも教育者じゃないですか。こういうこと質問したら迷惑かなって、俺なりに気を遣ったんですよ。ははは」


 後頭部を手で押さえて作り笑いで誤魔化そうとする真中。

 充希の奴、笑ってやがる。

 ここまできたらお前に用はない、そう顔に書いてある。

 やはり、殊勝な態度をとっていたのは演技だったか。

 俺は最初から見抜いていたぞ。



「なるほど、お前が気遣いなど出来るようになったのか。それは上々だ。それで、ハーレムは作れそうか? なあ」


 にやにやしながら、先生は充希を一瞥する。

 何の意図があるのか知らないが、無視しよう。

 しかし、気を遣った俺が馬鹿だった。

 迷惑どころか、この先生は自ら進んで話に乗ってきたじゃないか。


「いえ、それがですね。窓口で突き返されまして。ハンコを寄越せって言うんですけど、これがわからなくて、さっき神役局の図書室に調べに行ってたんですよ」

「ああ、図書室か。懐かしい。で、わかったのか?」

「ええ、まあ。届け出た人間の身元を明らかにして、監視を行う神様が一体。届け出た者と行動を共にして、常に傍に控える修学者が一名。神と人と二者で届出人を保証する。その二者と届出人との間の契約書の事らしいですね。届出人一人に対して、神と人とが左右半分ずつに分かたれた契約半書を準備する。これを、届け出るものが両者の眼前でつなぎ合わせ、最後に跨るように修学士の大印を押す。そうしてつくられた契約書の事をハンコといい、届出人の身元を確認し、人格を保証する証拠となるわけですね。書物の受け売りですけど」

「良く調べたな。それで、ハンコは手に入りそうか?」


 真中は首を横に振る。


「いえ、無理そうですね。はい。神様は先生に頼めばいいとして、問題は修学者ですよ。常に一緒ですってよ。そんな無茶苦茶な」


 そんな修学者心当たりがない。こんなにあっさりと、計画は頓挫してしまうのか。


「そうか、じゃあ諦めろ。それに、私はハンコに名を連ねるつもりはないぞ」

「何故ですか、可愛い愛弟子の頼みですよ? ほら、この通りですから!」


 手を合わせて宗通を拝む真中。

 可愛い愛弟子から頼まれてなんともならない宗通は、困り顔で顔をかきながら、申し訳なさそうに真中に言った。


「実はな、お前のみた書物は恐らく大分古いもので、今はさらに新しいきまりがあってだな。その、名を連ねる二名も、届出人のハーレムに加わらねばならんのだよ」


 まあ、修学者は行動を共にする、とあるのだからそんなものだろうと思っていたが、まさか神様までとは。

 あまりの事実に、真中は目の前が真っ暗になった。


「そんなの無理じゃないですか」

「少し前に、やらかした奴らがいてな。より、関係の深いものだけが、ハンコに署名できるように規則が改められたのだ。それに、この制度は届出人の欲望を満たすためだけに、存在しているわけではないからな。相手とて情も理も持ち合わせた者だ、ということを忘れてはならん。これくらいの条件を満たせないようでは、その関係はいずれ破たんしてしまうだろうよ。それでは、誰も幸せにはなれないじゃろう?」

「まあ……そうですけど、はあ」


 真中は項垂れて閉口してしまった。

 辺りを静寂が包み込む。



 真中が口を閉ざし隙ができたとみたか、頬を膨らました充希が口を開く。


「ちょっと! お二方だけ盛り上がるのも結構ですが、私の事はどうなるんですか」

「ん、ああ、構わんよ。別に誰であろうとも、学ぼうという志ある者を、無下に追い返したりすることはないよ。しかし、隠し事はいけないよ」


 思い出したように充希の方を振り向くと、易々とその入学を引き受ける先生。

 やはり、神様というだけのことはあって、充希が何か隠していることを悟っているらしい。いや、恐らくかまをかけているだけだろう。

 さっき、それがわかった。


 今まで先生はまさに聖人君子の見本みたいな方だと思ってたけど、それは司教として演じていただけなんだな。

 がっかりしたような、どこかほっとして親近感が湧いたような。


 その後、宗通先生が心を見通せない事は、すぐ明らかになる。


「はい、ではこれからよろしくお願いしますね! 宗通先生」


 あれ、すっごい笑顔ですけど、何か隠してますよね。


「ああ、歓迎する」


 にっこりと微笑んで宗通先生は言った。


 宗通先生も何も気づいていないみたいだ。

 まあ、それでいいなら態々事を荒立てる必要もあるまい。

 にしても、俺に向けられていた作り物の笑顔とは違う。屈託のない、自然と内側から溢れ出る感じというか、裏表なく顔がほころんでいる。

 まあ、この笑顔を見れたんだ、役得というやつか。これで十分だな。


 そう言い聞かせて自分の心を落ち着けると、真中は倫学所を発とうとする。

 しかし、宗通先生はそう簡単に帰してはくれなかった。


 まあ、通っていたころからの恒例行事だ。

 適当な理由をつけて、雑用やら先生の相手やらをさせられる。

 別に強制されているわけでもないが、俺もやぶさかではないので、いつも付き合っている。先生に呼ばれると、今日は一体なんの御用だろうか、とわくわくして少し心臓の脈打つ速度が速くなる。


「はい、なんのご用ですか。先生の愛弟子ですからね。なんなりと」


 真摯な態度で宗通先生に対面する真中。


「もう門下ではないのだから、断っても問題ないのだが。まあ、殊勝な心掛けだ。では、真中よ。少し使いを頼まれてくれないか」


 彼は、考える間もなく即答する。


「はい、わかりました!」


 一体どこへ行けと言われるのだろうか。先生の使いということだから、神原のどこかへ行けという事だろう。

 こういう機会でもないと、中々行こうともならないので、楽しみで仕方がない。

 


 ちょっと、何よ、あの仲睦まじい師弟愛みたいなの。私も混ぜてもらいたいくらいよ。ずるい。いや、もらいたい、じゃなくて混ぜてもらおう。決めた。


「先生! その役目、私が引き受けます!」




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