第5話 師匠の師匠の宗通先生

 真中が閉じたままの扉の向こうから、その姿を現したので、充希は驚き尋ねた。


「ああ、お帰りなさい。ところで、その扉どうなってるんですか? さっきはすっと中へ入っていきましたよね。今度は中から現れて、どんな仕掛けなんですか」


 自身もよく事情が分かっていない真中は、首を横に振って答える。


「さあ、俺にもさっぱりわからん。司書役の神様みたいなのが出てきて、俺を中へ入れてくれたんだ」


 釈然としない様子の充希だが、次の瞬間には話題をかえる。


「へえ、不思議なこともあるんですね。ところで、調べ物は済みましたか?」

「ああ、おかげさまで。それじゃ、帰ろうか」


 そう言って真中は歩き出そうとする。


「いやいやいや、これから倫学所へ行くんですよ」

「え、なんで?」


 一点の淀みも無い澄んだ目をしているつもりで、彼女に尋ねる真中。


「私を推薦してくれるって言ったじゃないですか。あなたの用事は済んだんだから、今度は私の番ですよね」


 充希は自身を指差してそう言った。

 頭を掻きながら、真中はこれに答える。


「仕方ないなあ、じゃあ行くか。でも、先生いるかわからないぞ」

「大丈夫です。その時はおかえりになるまで待たせてもらうので」

「迷惑な奴だな……。それじゃ、さっさと行こう」


 倫学所は、神役局と同じく、両方の社会を繋ぐ境界領域の中にある。既に、領域の中へ入ってきているので、ここからはそれほど時間がかかることはない。

 充希に促された真中は、渋々案内役を引き受けた。



 とぼとぼと歩いている真中を、充希が後ろから押して無理矢理前へと進ませる。気だるげな真中の興味をひこうとでも考えたのか、充希はきょろきょろと周囲を見回しながら、両手を絡めて少し大きな声で話しかける。


「境界領域ってすごくきれいですよね。一年中桜やら梅や椿やらが満開で、いつでもお花見が楽しめますよ。こんな所で勉強するなんてさぞや気持ちいいでしょうね」


 そう言った充希が、綺麗に並んで花を咲かせる木々を、恍惚とした表情で眺めながら歩いていると、それを横目で見ながら真中は呟く。


「そんなことあるか、どこでやったって勉強なんか楽しくないよ。若い学生が少ないのがその証拠さ」


 すかさず、彼女は言い返す。


「でも、きちんと学を修めたんでしょう? 真中さんもやるじゃないですか」


 思いもかけず、褒められてつい顔がほころぶ真中。


「そ、そうかな。まあ、頑張ったからね」

「ええ、凄いですよ! 私、とても尊敬しちゃいます」

「へえ、へへ、そういわれると悪い気はしないな」


 このざまじゃ、充希には少し煽てればのってくる単純な奴だと思われてるだろう。

 しかし、わざわざ体を近づけて耳元で囁くように言ってくるんですよ。

 そんなの、勘違いしちゃうに決まってるでしょうが。俺は悪くない、悪いのはこの魔性の女だ。


 でも、こんなんじゃハーレム作ろうなんて夢のまた夢だな。

 もっと頑張らねえと。


「仕方ないなあ、宗通先生のところまで案内してやるよ。感謝しろよ」


 恥ずかしさから、視線を空に向けて真中は言った。


「本当に!? やっとやる気になってくれましたか。お願いしますよ、師匠」


 師匠、なんという気持ちのいい響きだろうか。そんな呼ばれかたしたらもう、嫌が応にもいい気になっちゃいますよ。

 もっと呼んでくれないかな。


「お、おう……」

「さすが師匠。もう、師匠のためならなんだってしちゃいますよ」


 心が読まれてるのかな。


「師匠、これからも私の事助けてくださいね!」

「え、あ、わかった」

「さっすが! ありがとう師匠、大好きです!」


 ちょろいなこいつ。とりあえず煽てとけば何でも言うこと聞くのかな、いいの釣れたわ。こんなのでハーレムとかよく言えたものね、馬鹿みたい。



 充希を連れて、意気揚々と倫学所へやってきた真中は、手を後ろで組み姿勢を正して、門の前で叫ぶ。


「修学者萬屋真中、宗通束理先生に用事があって参りました」

「門扉は開いてますけど、わざわざ名乗る必要あったんですか」

「一応名乗っておかないと、中には色んな神様や人間がいるからさ。不審者と間違われて何かあったら嫌じゃないか」


 充希を見ながら真中はそう答える。


「へえ、そういうところはしっかりしているんですね」


 真中を見直したらしい充希は、少し驚いた様な顔で言った。


「一度とっ捕まって散々な目に遭ったからな、二度目はもう御免だ」

「なるほど。愚者は経験にってやつですか」

 

 一転して肩を落とした彼女は、溜め息を吐く。

 それを見て恥ずかしくなった真中は、顔を赤くして彼女を窘める。


「俺は断じて愚者なんかじゃないぞ。その考えはさっさと改めて、さっきまでの様に俺を尊敬する気持ちを忘れないように」


 少しの間を空けて、充希がこれに答えた。


「あ、はい、師匠!」


 そんな気持ち、もともと持ち合わせていないのだけれど。

 


 宗通先生には度々会いに行っているけど、学舎の中に入るのは久しぶりだ。最後に来たのがもう一年も前のことだから、少しはかわったかなと思ったけど、そんなこともない。人間の一年なんて、神様からすれば一瞬よりも短いだろうしな。

 

 学舎は大きな壁に囲まれていて、外からでは一体どうなっているのか見当もつかない。その構造は、巨大な平たい屋根を無数の柱で支えていて、壁はないので端から端まで見通せるようになっている。視覚で部屋の区分けを確認するには、下に敷かれている床を見るよりない。


 基本的に土足で入ることは禁じられており、遅刻しそうで飛び込んだ時には、杖で二十回叩かれる罰を受けた。十回くらいからは記憶がないが、背中が抉れてた。本当、神様って容赦無い、優しいとかどんな都市伝説ですかね。


 ちなみに、ここの所長は宗通先生だが、副所長は人間だ。とっても優しい菩薩のような人で、怒っているのを見たことがない。神様に認められるほどの人格者ということなのだろう。人間側の代表として、取り決めに無い神様に都合のよい教育を施していないかを監視する役目だ。


「さあ、あそこにいるのが宗通先生だ。忙しい人だから、あまり迷惑をかけるなよ」


 注意する真中を煙たがる充希は、目を見開いて遠くを見ながら尋ねた。


「わかってるって。にしても、見えるけどかなり遠くないですか?」

「ああ、ここから歩いて二時間くらいかかる」


 驚きのあまり、大声で彼女は叫んだ。


「嘘でしょ!? こんなに遠いんじゃ、さっき名乗った意味ないじゃない」

「あ、そこ土足禁止だから、靴脱いで、俺が預かるから」

「え、ああ、お願いします」


 冷静に言う真中に、つい流される充希だった。

 蒸れて生暖かい靴、何とも言えない衝動が真中を駆り立てる。

 しかし、ここで踏み止まり何もしないのが、彼の修学者としての矜持だ。もしかしたら、人としてこれ以上はいけないと考えたのかもしれない。


 真中が欲望と格闘していると、動かなくなった彼を訝しんだ充希は彼に言う。


「ほら、さっさと行きますよ。こんな所で時間かかってたら夜までに帰れません」

「ああ、すまない。少し考え事をしていたんだ。ここに来るとつい考え事が多くなってしまってね」

「はあ……そうですか」


 充希は目を細めて真中を凝視する。


 その後、彼方に見える宗通先生を訪ねて、二人は歩き始めた。

 今は講義が行われている時間で、どの教室でも多くの人々が、神様達の説教に耳を傾けている。ここに来るのは、皆自らの意志で学びに来ているのだから、当たり前ではあるが、廊下は人っ子一人いない。


 二人でそこを歩いているものだから、とても目立って仕方がない。

 鴬張りの廊下は歩くたびに音が鳴るので、その度に視線を感じる。

 なぜこんな所で鴬張りなのだろうか、と脳内に逃げ込むことで恥ずかしさを紛らわそうとする真中。

 そして、多数の人間や神様からの視線を浴び続けて、さすがに恥ずかしさが豪胆さに勝ったらしい橘充希も、顔を赤らめて下を向きながら歩いていた。


 二人に会話をする余裕はなく、ただ只管歩き続けた。



 あれからどれだけ歩いたのだろうか。

 後ろを振り返ったとき、最初に通った学所の門は遠く、前に見える宗通先生の姿は、より大きく鮮明だった。

 長髪と言うほどではないが、少し伸びた黒色の髪に、少し垂れた目と黒い眉に、髭の無い大きな口は常に両端が上がっている。

 基本的に神様は長身で、彼もかなり背が高くその両腕は長い。

 橙色の美しい肌も、彼にいかにも優しそうな印象を与えている。

  

「ここに宗通先生がおられる」


 真中は胸を張って充希に伝える。


「見ればわかります」


 宗通先生を目で追いながら、彼女は真中の言葉を適当に受け流した。


「そうか、今は講義中だからもう少し待とう」


 しばらくすると、講義が終わった宗通先生が教室から出てきた。


「おお、真中じゃないか。学舎に姿を見せるなんて、一体どうしたんだ?」


 顔に喜色を浮かべて、宗通先生は近づいてくる。

 ここは、弟子に情けない姿を見せるわけにはいかない。師匠の威厳というやつを示さなければなるまい。


「行くぞ、弟子よ。師匠の勇姿を焼き付けておけよ」

「はい、師匠」


 こいつ馬鹿じゃないの。

 それにしても、あれが宗通先生かあ、優しそうでよかった。












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