第3話 教えるから、教えてよ

 それまで躊躇していた橘充希から述べられたことは、躊躇していた意味のわからないほどに、少なくとも真中が考えていたほどに、そこまで重要なことではなかった。

 

 まず、神社会のことについて研究したいということ。

 しかし、普通に人間社会の資料館を当たってみても、神と人間との交流という点について知ることはできるが、神社会について記述したものが殆ど見つからないということ。

 だから、神社会へ行くために、倫学所に通って修学者になりたいということ。

 そして、倫学所に入るのに修学者の推薦が欲しいということ。

 大雑把にはこれくらいだった。


 全てを言い終えると、少し息を切らしながら彼女は言った。


「……と、いうことです。どうか、推薦よろしくお願いします」


 想像したほどのことも無く、肩透かしを食らった真中は真顔で答える。


「いや、推薦も何も普通に入所すればいいのでは? 入所に特別な手続き等要らなかったと思うんだけど。あ、入所試験が嫌なのか、もしかして」


 すると、彼女は顔を背けて、気恥ずかしそうにしながら徐に言った。


「いや、試験を受けるのは全く問題ないんですけどね。実は、その、私の両親は神様の存在……というか人間社会への介入をあまり快く思わない人たちでしてね。だから、その娘の私が一人で倫学所へ行くのはどうかなあって思うんですよ。ははは」

「ああ、脱却論者か」


 脱却論者というのは、人間社会と神社会は一体のものであって、相互に影響を与え合うことが当たり前であるという現在の考え方の元で、実際の社会の在り方はそうではない、と唱えている人たちのことである。


 その主張は、今の世界では実質的には神社会から人間社会がほぼ一方的に影響を受けているため、これでは神の意のままに世界を操っているも同然だというものだ。

 そして、本当の相互交流が成立していない現状のままでいるくらいならば、互いの交流を一切断ち切る事で、神様達の侵略から人間社会の独立を守ろう、という活動をしている。


 実際のところ、人間社会が神社会から影響を受けていることは多く、その逆が少ないのは、神社会が人間の介入を拒んでいるというよりも、人間社会が神社会に対して無関心であるというところが大きく、殆どの神様連中には、人間社会を好き勝手しよう、などという意図は無いのだが。


 そもそも、先述の通り神様達は、人間の信託がなければその存在に権威が伴わず、拒絶されてしまえば、人間社会への影響を行使できないのだから、人間を無下に扱うことなどしない。



 長たらしい話はここまでにして、ちょっとこの娘は神様を舐めているな。

 修学者として、どちらかと言えば親神様派の真中は、見せつけるように指を振りながら、充希を窘める。


「おいおい、俺たちの神様をそんな狭量な存在だとみくびってはいけないなあ」


 彼の言葉に納得いかないらしく、顔をしかめて彼女は反論した。


「だって、神様のこと悪く思ってる人達の子供ですよ? もしかしたら、脱却論者の送り込んだ密偵、という可能性だってあるじゃないですか」


 真中は不敵に笑って、彼女の発言を一蹴する。


「そうだったとして、何の問題があるっていうんだ? 神の祝福は万人に与えられる。その教えは人の別を問わない。神様は相手がどんな人間であろうと、喜んでご説教してくださるぞ。じゃなきゃ、俺なんかが修学者になれてないよ」


 それを聞いた充希は、突然表情をやわらげて、軽快に話し始めた。


「ああ、なんか説得力があるね、それ! でもなあ、やっぱり心配じゃない?」


 人差し指を唇に当てて、考えるような素振りを見せる充希。


「その不安はわからないでもない。一般人が神様と接することなんてそうないしな」

「でしょ! じゃあさ、推薦お願い。この通り!」


 彼女は手を合わせて真中を拝む。

 拝まれても俺は神様じゃないぞ、と心の中で突っ込みを入れるが、それでも気分は悪くない。


 そうだ、と真中はあることを思い立つ。


「よし、その願いきいてやろう。そのかわりだ、俺の頼みをきいてくれ」


 彼の言葉を聞いた充希は、一瞬で後ずさりして身震いしながら叫ぶ。


「え、何をするつもりですか。警察呼びますよ」


 これに、真中は慌てて言い返す。


「ここは俺ん家だ、警察が来たらどっちが怪しいと思う?」

「それは、服を剥かれて押し倒されてる女の子のが被害者だと思うでしょ」


 事も無げに充希はそう言ってのける。


「そんなことしないよ。あんた、神役局から尾行してきたんなら察しつくだろう?」

「ああ、ハーレム作ろうとして追い返されたんでしたね。どうしようもない人」


 彼女は何かを思い出したように手を叩くと、じっと真中の顔を睨み付けた。

 軽蔑するような目に思わずぞくぞくするぞ。

 しかし、これはこの娘にきいてもどうしようもないかなあ。修学者でさえないんだし。まあ、聞いてみるか。


「そうだよ、ハンコが足りないって言われて追い返されたんだ。ハンコって何のことなのか知ってるか? 教えてくれたら推薦してやる」

「ええ、知りませんよそんなの。お願いしますよ、後生ですから、できることなら何でもしますからあ。……あ、局の中には図書室がありますよね! そこで探してみたらいいんじゃないですか?」


 図書室なんて初耳だ、そんなところがあったのか。修学者の俺が知らないのに、なぜそんなことをこの脱却論者の卵が知っているんだ。

 とにかく、そこに行けばきっと、ハンコの正体もわかるだろうな。いい情報が手に入った。


「そんなところあるのか、これはいいこと聞いたな。ありがとう。それじゃ!」

「いやいや、役に立ったんだからこっちの願いも聞いてくださいよ。っていうか、修学者なのに図書室の存在も知らなかったんですか。あなた本当に修学者?」


 呆れたような顔をして真中の事を疑う充希。


「失敬な。寧ろ何故あんたが知ってるんだよ。もしかして、脱却論者の送り込んだ工作員なんじゃないのか。宗通様のところに突き出すぞ」


 悪者扱いされて、頬を膨らまし顔を真っ赤にした彼女は、大声でまくしたてるように、真中に反論する。


「違います! 初めに言いましたよね、神社会の事が知りたいって。それで役局に行ったときに見つけたんですよ。ただ、人間では修学者しか入れなかったんです!」


 早口で言い終えると、はあはあ、と息を荒げていた。

 あまりの剣幕に、唖然とした真中は暫く動かなかった。



 なるほどな。とりあえず、その図書室とやらに行ってみるか。


「よし、ちょっとその図書室に行ってみるから、今日は帰って。もう暗いでしょ」


 しっし、と手で追い払う真中に、充希は言う。


「嫌です。今日は、帰らないって既に親にも連絡済みです。推薦してくれるまで、あなたのそばから離れるつもりはありませんから」


 その丸い目は純粋で、真剣そのもので、嘘を吐いているようには見え無かった。


「嘘だろ……。わかった、明日は神役局に行ってその後宗通先生のとこに連れて行こう。それでいいだろ。とりあえず帰れ、女連れ込んだなんて父さんに知れたら……」


 彼女の決意にたじろいで、慌てて答える真中。


「まあ、わかりました。明日ですね。逃げたらあなたの両親に、あなたに暴行されたって訴え出るのでよろしくお願いしますね」


 そう言い残して、彼女は家を出て行った。

 そして、すぐ父親が帰ってきた。

 危なかったな、もう少しで鉢合わせするところだったぞ。って、そういえば、母さんいないから今日は夕食当番だ、どうしよう……。


「あの、父さん。おかえり……」

「お、真中か。母さんいないから今日の夕飯はお前だったな。何作ったんだ。お前の料理なんて久しぶりだからなあ。頑張って歩いて腹減らしてきたんだぞ」

「へ、へえ、ちょっと時間かかりそうだからさ。部屋で待っててよ」

「おう、できるだけ早く頼むぞ」


 ちょっと出かけて材料買ってくるか……。

 そして、真中は夜の街へ繰り出した。その後、夕飯が出来るころには、父は機嫌を悪くしてしまい、その形相は鬼のようだった。

 くわばらくわばら。

 


 ああ、なんか楽しそうにしてるなあ。こっちは家に帰らないって連絡しちゃった手前、泊る所に困ってるっていうのに。

 とにかく、せっかくのチャンス逃す手はないんだから、一晩中監視してやる。


「絶対に逃がしたりしないからね」


 そういった充希の目は鋭く、家の中で騒いでいる真中を見据えていた。






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