第15話

 二人ともがまるきりのペーパードライバーだったから、タクシーを使うことも考えてたかあさんととーさんにたくさんのお土産を持って帰ってもらえるからっていう単純な理由で車で行くことを賛成した自分の言動に今でも無性に腹が立つ、ことがある。

 空港から最短で八十分くらいの道のりはその日少し混んでいたらしい。いちばん最寄りの谷町のインターチェンジを出て六本木通りを霞が関に向かう。桜田濠に付き当たったら議事堂前の信号で左折して内堀通りへ入ると、もう本当にウチはすぐだ。三宅坂の信号で外堀通りに入るか、半蔵門の信号で新宿通りに入るかは多分、とーさんは迷ったと思う。だって、わたしの待ってるじーちゃんの家には外堀通りから来た方が少しだけ速いからね。

 でもその時は確かどこかのVIPが来日していて、永田町や迎賓館の警備が強化されている可能性があったのと、外堀通りだと交通量の多い通りを右折しなければ、帰って来られなかったから、車にあんまり乗り付けないとーさんは、永田町の警備を表向きの理由にして、半蔵門まで来たんだと思う。かあさんは、そんなとーさんのことが分かってたから、きっと「ふふ」って少しだけえくぼで笑って、「あと少しだから、本当に気を付けてね」って言って、とーさんは「おう、まかせとけ」って言って・・・・・・多分、多分ね。

 わたしは携帯電話を持たされてアメリカに行く前に「寂しくさせちゃうお詫び」として買ってもらった二十六型の「チャーリー二世」に乗って、じーちゃんちの近所をふらふらしてた。やっと、待ちに待ったかあさんととーさんと逢える、なにを買ってきてくれたのかなあ、なんて平凡なことに思いを巡らせながら、そのころは本当に小さかった胸ふくらませながら、待ってたんだ。そんなとき、携帯電話が鳴った。夕方の四時くらいだったと思う。「あ、ママ! 今どこ? うん、うん、分かった新宿通りね。ママが言った通りだね。トーキョーFMのとこまで、行ってようかな。うん、パパに長時間の運転ご苦労様でしたって、言って! うん、聞こえた。或美も愛してるって言っておいて。うん、ママよりも愛してるって。え? 聞こえた。うん、じゃあもうちょっとだから、気を引き締めてくださいって言って。うん、ママ、わたしも早く逢いたい。おみやげ話、たくさん聞きたい」

 これが、かあさんと交わした最後の言葉。とーさんとは、かあさんとの電話越しでしか声を聞いてない。ウチの車が外車だったのも、良くなかったんだろうね。とーさんには、歩道を向かってくる自転車のわたしが、良く見えたろうから。新宿通りに入ってひとつ目の交差点を渡りかけた時、前を走ってた工事車両が急停車したらしい。今までにない長期の旅行で、時差ボケをしっかりと解消できないまま、愛娘の待つ我が家に早く帰ろうと、ハンドルを握ったとーさんの疲労は混雑する首都高速で、もうピークだったんだと思う。あとほんの少しでなつかしの我が家で、前から自分に向かってくる愛娘が見えたら、アクセルを踏んじゃうのは分かる、もんね。注意力が、ほんの少し、途切れたんだ。

 

 ウチの車は、工事車両の下に滑り込んで、ペチャンコになってたらしい。らしい、っていうのは、わたしにはその時の記憶が、まるっきり残ってないから。電話、までの記憶は、怖いくらいに鮮鋭なのに、そのあとは映像は滲んじゃって、音声はとぎれとぎれでかすれちゃって、もうまったくもって役に立たない。でも、そのおかげなのかどうか、ぜんぜん涙が出なかった。死んじゃってる、のは分かってるのに、何故だか、まだ旅行から帰ってないんだって、自然と思えちゃって。今でも、無意識の中で両親の帰りを待ってる自分に気付くとびっくりする。

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