第26話

食事を終えた後、陽はすっかりと落ちてしまい、屋敷内に夜が訪れる。

 現在、この周辺に住民はなく、街灯だけが不気味に照らしている。

 魔法使いの被害により、旧時計塔へと避難しているため、すべての家には明かりはない。

 本来誰もいないはずの場所なのだから、明かりを点けるわけにはいかない。仕方なしに蝋燭に緋真さんの魔法で火を点ける。

 仄かに灯る火が、真っ暗な客室が薄暗いものへと切り替わる。その部屋で私は毛布に包まってソファで小さくなっている。


「さ、寒い」


 冬真っ只中の一月。

 暖房の一つもつけていないので、冷え切っている。


「我慢しなさい。あともう少しでここを出るのだから、余計な危険は犯したくないのよ」

「昨日はストーブ点けてくれたのに……」


 部屋の隅っこに置かれている石油ストーブを横目に未練がましくぼやく。

 昨日の夜はあれで過ごしていたのだ。


「戦闘員に大体の場所を特定されてしまったのだから、あきらめるしかないわ。ほら、蝋燭の火をみてみなさい。あったかく感じてこないかしら」


 ジーっと見つめてみる。

 ゆらゆらと揺らめく火が蝋燭をポタポタと溶かしていく。

 うん。全くあったかく感じない。


「気持ち的に落ち着くだけなんだけど。これってキャンドルセラピーってやつなんじゃないの」

「そうかもしれないわね。でも、同時に寒さも紛らわせれたんじゃないかしら」

「気持ち的にはね」


 そういって蝋燭から目を離して再び小さくなる。

 みていたら段々と眠気が襲ってきたからだ。

 けど、しばらくするとやっぱり寒いってことを実感して眠気も覚めてしまう。

 そんなとき、茜ちゃんが客室に入室してくる。

 上着のポケットにはふくらみがある。

 暖房器具が使えないということなので、茜ちゃんが近所の自販機で買って来てくれたホットの缶がはいっているのだ。

 茜ちゃんはソファで体を丸めている私の様子が目に入って、缶を取り出し渡してくれた。


「はい、彩葉ちゃん」

「ありがと」


 かじかみかけていた手をミルクティの缶で温めるように両手で握りしめる。

 缶の熱量を手のひらが奪い取り、体に熱を帯び始めていくのが分かる。

 茜ちゃんも外の寒さに負けてしまった体を私と同じようにミルクティを両手でしっかりと握りしめる。

 やっぱり冬と言えばやるよね、それ。


「このあとの予定はどうするのですか?」


 私の隣に腰掛けた茜ちゃんがプルタブを開いて一口飲んでから言った。


「どうしようかしら」


 ちらっと壁掛けされた時計で時刻を確認する。


「まだ七時か……。そうね。とりあえず私たちが動けるのは深夜零時を回ってからになるわね」

「あと五時間か……」


 散々弄んでぬるくなり始めた缶を開けて口をつける。

 この時間帯だと外には一般市民が町を闊歩しているため、むやみに動くことはできない。

 私たちがこの周辺にいることはアンチマジックに昼間に気づかれているので、今頃は戦闘員がうろついているはずだ。

 もし、出会えば戦闘になることは必然的なことになることは間違いない。

 そうなってしまえば無関係な人たちが巻き込まれてしまう可能性もでてしまう。

 現につい二日前にそれは起きているのだ。

 だから、人通りが薄れる深夜を狙って移動するのだ。


「屋敷を出たらそのまま二十九区に向かうのですか?」

「そうね。特にやることもないし行きましょう。――ところで、二人は三十区からでたことはあるのかしら?」

「学校の修学旅行ぐらいしかないです」

「私も。あ、いや……何回か父さんたちと旅行で出たことはあったかも」 


 何年前のことだったかは忘れたけど。

 各区にはそれぞれの特色をもって独立した生活を送っている区がある。

 別の区に行くときは大抵、観光目的か住む場所を変える時ぐらいで、基本的には自分の住んでいる場所からでることはほとんどないから数える程度しか私は出たことがない。


「用がなければ出ることはそうそうないわよね。……学校の修学旅行ということは高校生の? それとも中学生かしら?」

「中学生のですね。もう三年前ぐらいだったと思います」


 私もそのぐらいの時だったと記憶している。


「魔障壁は見たことは覚えてるかしら?」」

「確か、区画の外周を囲んでいるのですよね。そして、各区画間を橋でつないでいる、と知識としてはあるのですが」


 実際に通ったことがあるから私も覚えているし、知っている。

 私たちの住んでいるこの国では全部で四十七の区に分かれていて、それぞれが壁でぐるりと囲まれ、外から見ればまるで一つの巨大な要塞のような形となっている。区画を跨ぐには、関所から橋を渡っていくのだ。


「橋、と言っても今はもうそうは言わないわね。どこも西暦二千年に向けて改修されているから、外観も見違えるようになっているわよ」

「そういえば、三十区のは最近終わったって聞いたかも。見たことはないけど」

「テレビでやっていましたよ。ガラス張りの長い通路のような道に変わっていましたよ。とても綺麗でした」


 茜ちゃんが大絶賛している。ちょっと興味が湧いてきたよ。


「接続の道と言うのよ。区画の両端ターミナルから反対側の両端ターミナルまで繋ぐ長い渡り廊下のことよ」


 そんな名前だった。

 橋から接続の道。

 関所から両端ターミナル

 どちらも前までは石造りで建てられていたけど、二千年という時代の節目に合わせて全区画が近代的にリニューアルされたのだ。

 私が通っている学校も建て替えをする予定にもなっていた。


「あの……関所になっていた時は、身分証明書とか必要でしたけど、魔法使いの私たちでも通れるのですか?」

「いけるわよ」


 さらっとさも当然であるかのように答える緋真さん。


「私たちの正体がばれないようにすればいいだけのことよ」

「もうばれてるじゃん」

「それは、一部のアンチマジック関係者だけよ。全員が知っているというわけではないのよ」

「そういえば、今日時計塔に行った時も、私たちのことや彩葉ちゃんの両親が魔法使いだったということも皆さん知らないようでした」


 言われて思い出す。

 むしろ心配してくれていたのだ。そもそも母さんたちは私が生まれる前からこの区で生活をしていたのだった。


「魔法使いの正体が世間にばれると混乱を招くからだそうよ。だからしっかりとした資料も残していないから、時間が経てば私たちの正体も忘れられるわ」

「じゃあ、安心できそうだね」


 心配する必要なんてなかったみたいだ。

 ようはヘマをしない限り無事にこの区からでることができるということなのだから。あとは、運次第ということなのだろう。


「出発までに何かすることってあるかな?」

「とりあえず休みなさい」

「え?!」


 聞き間違えていなければ休めっていわれたような気がする。

 確かにそれだけの時間はあるけれど、何もやることがないってことはないだろうに。


「そんなことしていていいの? 言ってくれれば私、何かやるけど……」

「あなたたちは昼間に体力を使ったから夜に向けて休みなさいってことよ。何が起きるか分からないのだから、休める時に休んでおく。大事なことよ」


 そんなことを言われると反論なんて出来ない。

 それに疲れが溜まっていることも事実だし。このままの状態では足を引っ張てしまう確率の方が高い。


「それは分かりましたけど、緋真さんはどうするのですか?」

「私はやることがあるから、あとからにするわ」


 そう言った緋真さんは布で膨れた袋を取り出した。


「あ、それって」

「彩葉ちゃんたちが買ってきてくれたものよ」


 袋を逆さにして、布が吐き出されていく。

 机いっぱいに広がって、それを眺めながら結局なにに使うのか分からずに買ってきたことを思い出した。


「適当に多めに買ってきといたけど、それで何するの?」

「もしもの時のための保険をかけておくのよ」

「保険……ですか?」


 布だけで? 更に謎が深まるけど、それを訊く前に緋真さんが話し出す。


「用心は必要だからね。まあ、さすがに相手がA級ともなると通用するかどうかは分からないわね」

「そんなにすごいんだ。A級って……」


 実際に戦闘員が戦っているところなんて見たことがないから、どれほどの危険なのかは分からない。

 でも、緋真さんが言うからにはやっぱり手強い相手なんだろう。


「そうよ。もし戦うことになったら逃げることだけに専念しなさいよ。殺されてしまうかもしれないから」


 低い口調で言った緋真さんには凄みがあった。


「――っ!!」

「ころ……っ!? ってそこまでするの?」

「不思議なことじゃないわよ。アンチマジックは魔法使いを斃して社会の平和を守る組織だってことは知っているでしょ」

「そう……でした。私たちはもう魔法使いなんですよね……」


 今まではアンチマジックという存在は私たちを守ってくれていた。

 それが立場が逆転してしまって社会を脅かす側になってしまった私たち。

 何人もの魔法使いが殺されたニュースは散々見てきたんだ。

 当然、殲滅を執行する戦闘員は手加減なんてしてくれるはずがない。

 急に襲いかかってくる恐怖。

 多分、一切の容赦もなく、躊躇もなく執行してくる。

 父さんと母さんと戦闘員の戦いも大きな地響きと唸りを上げていた。

 あの時にも恐怖を感じていたけど、いまの方がもっと怖い。


「安心しなさい。私がどんな手を使ってでも、絶対にあなたたちは守ってみせるから。怖がらなくてもいいのよ」

「緋真さん……」


 頼もしい笑みを作って余裕を見せつけてくれる緋真さん。

 萎縮していた茜が少しだけ元気を取り戻したように見えた。 


「だからね。いまはゆっくりと休んで、体力を温存しておきなさい。体が保たなくなるわよ」

「うん……わかった」


 いつものようにお姉さんぶって私たちを安心させてくれる。

 暖かみがあって、優しさで包まれた声色には、私たちを落ち着かせるまじないが込められていた。

 不安は抱えきれないほどあるけれど、緋真さんの存在が。言葉が。それを打ち消してくれるかのようで心強かった。

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