第25話

 日が暮れ始める冬の夕方。

 屋敷内はカーテンを閉め切っていて、暗く、ジメジメした雰囲気にわずかな陽が差し込む。

 完全な闇がやってくる前に、雲の裂け目から覗いている陽を部屋の明かり代わりにして、早めの夕食を取ることになった。


「今日買ってきたインスタントのうどんがあるからそれにしましょう」


 緋真さんは台所の棚に入っていた袋を取り出す。

 中には、カップのうどんが三人分入ってた。ちなみに全部同じものである。


「今日……って、いつの間に買ってきたの?」

「彩葉ちゃんたちが出かけているときによ」


 袋から取り出したカップの包装を剥きながら答える緋真さん。


「お湯沸かさないといけませんね」

「私がやるから茜ちゃんは座ってなさい」

「いえ、これぐらいはやります」


 そのまま緋真さんの言葉に背を向け、お湯を沸かし始める茜ちゃん。

 これ以上緋真さんに頼りっきりにするのが悪いと思っているのか、それとも単純に自分の出来ることがあったからなのか張り切って台所へといってしまう。

 私も何か手伝おうかな。


「お姉ちゃんとしての面目が……」

「そんなの気にしてたの?」

「そりゃ年上だもの。こういうことは私がやるものなのよ」


 自分のやるべき仕事を取られたことにムスっと膨れる緋真さん。

 そこまでお姉ちゃん意識高めなくてもいいような気がするのだけど、何かプライドのようなものでもあるのかも。

 年下の子と一緒に作業することなんてほとんどなかった私には分からない感覚だ。


「それにしても、茜ちゃんはよく働くわね。昨日も散らかした部屋の片づけも率先してやってくれてたし」


 部屋の片づけというのは、昨日魔法の扱い方を教えると言って、客室の家具を動かした後のことだ。

 結局私はあまり役に立てず茜ちゃんがほとんどやってしまった。

 一寸の狂いもなく、元の状態へと戻してしまったのだ。脳に写真でも焼き付けているのではないかというほどに完璧だったと思う。


「茜ちゃんは花屋で産まれて、ずっと手伝いをしていたからじゃないかな」

「あら、そうなの。道理でよく動くわけだわ」


 火のお守りをしている茜ちゃんの姿を横見にしながら緋真さんは言った。

 そうこう話しつつもカップの準備をする手を止めない。

 と、その時。


「お湯が沸いたので、そちらに持っていきますね」


 茜ちゃんが私たちの方に振り向き、確認を問いかけてくる。

 それと同時に三人分の準備が整ったから、茜に「いいよ」と迎え入れる。グッドタイミングだ。

 熱湯が注がれ、フタを閉じ、何をするわけでもなくボーっと湧き出る湯気を眺める。五分は長い。

 秒針の振れる無機質な音色を聴きながら、緋真さんと茜ちゃんも同じく無言で時間が過ぎていくのを待っている。


「たまには、こうして作ってもらうのも悪くはないかもね」


 不意に緋真さんが口を開いた。


「どうしたのですか? 急に……」

「ずっと作ってあげる立場だったから……こうしてインスタントとはいえ、誰かに食事を用意してもらうのは本当に久しぶりだわ」

「作るって誰に? 男?」


 興味津々に聞いてみる。

 緋真さんは男という単語に反応したみたいで、少し慌てた様子になる。


「そ、そんな色っぽいことじゃないわよ。妹よ。い・も・う・と」

「え!? 緋真さんって妹がいたの?」

「といっても従妹だけどね。けど、姉妹同然のように育ってきたからあまり従妹って意識したことはないわね」

「一度会ってみたいですね。――いまはどうしているのですか?」

「さあ。どうしているのかしらね」


 きっかり五分経ったフタをめくりながら、憂い交じりで虚空を眺める緋真さん。忘れてきたものを気遣うように感じられる。

 その様子があまりにもぼんやりしていたので心配して茜ちゃんが呼びかける。


「……緋真さん?」

「……三年前に生き別れたのよ。たしか、茜ちゃんたちと同じぐらいの年齢になるはずよ」

「――ごめんなさい。立ち入った話に触れたみたいですね」

「いいのよ、気にしなくて。

 ――そうね、代わりにもし会うことがあれば仲良くしてくれると嬉しいわね。あの子、すっごく世話の焼ける子だから迷惑かけるかもしれないけど」

「全然問題ないよ。緋真さんの従妹っていったらやっぱり大抵のことはなんでもこなしてしまうタイプなのかな」


 面倒見がよく、家事ができて、おまけに医者の真似事もできる。

 そんな大抵のことは苦もなくこなしてしまうお姉さまと一緒に生活してきたのなら、こっちが迷惑かけることになるかもしれない。


「あら、褒めてもなんにもでないわよ」


 口では言うが、心底嬉しそうに答える緋真さん。


「それにあの子は私にベッタリで可愛らしい子よ」

「三年前と言うと中学生ですよね。それほどの月日が経っていたら、見違えるように変わっているかもしれませんよ」


 茜ちゃんの言う通りだ。

 中学生から高校生になるということは外見はもちろんのこと。中身も成長する。

 かくいう私もオシャレが出来るようになったり、体型を気にしたり、料理も出来るようになった。あと、ついでに言えば父さんのノリがうざく感じてしまうこともあった。

 だけど、これは仕方がない。――私だってもう十七歳。恋する乙女真っ只中なのだから。


「あの子の成長は嬉しいけど、それはそれで寂しいわね」


 儚げさと喜ばしさの二つが入り混じった言葉だ。

 やっぱり姉妹同然として育ってきた仲だと思うところもあるのだろうか。

 私にもそんな存在がいたら同じ気持ちになるのかな?

 会話が途切れ、沈黙が降り注ぐ。代わりにスープを飲み干す音だけが響く。


「あの頃もこうしてインスタントばかり食べていたわね……」


 カップを静かに机に置いて緋真さんが口を開く。


「どうしたの? 急に?」


 会話の切り口としては唐突すぎて何のことなのか分からなかった。


「三年前のことですか?」

「もっと前よ。……妹と過ごしていた頃のことよ。あの時もこうしてインスタントばかり食べていたのよ」

「体に悪そう……。でも緋真さんって料理できたよね。作らなかったの?」


 一度家で一緒にホットケーキを作った。

 あの時はいかにも慣れた手つきで、ああこの人出来る人だ! って思ったぐらいだ。

 それぐらい洗練されていて、鮮やかだった。


「何か理由でもあるのですか?」


 緋真さんは翳った表情をしていたが、不意に決心つけたように語り始める。


「私は四十七区画の中でも、治安の悪い四十二区で二年過ごしていた時期があったのよ」

「四十二区ですか……!? そんなところで二年だなんて……、何があったのですか?」


 私たちが住む三十区から東に行けばいくほど数字が一に近くなっていき。逆に西の方へいけば、四十七に近づいていく。

 四十二区は貧富の差がある場所で、治安の悪い場所では犯罪紛いの事件が多発している地域として浸透している地区だ。

 そんなところで二年も過ごすとなるとよっぽどの深い事情があるということに他ならないことでもある。


「昔ちょっとしたことがきっかけとなってね……仕方なく四十二区に妹と移り住んだのよ」

「それって緋真さんが魔法使いになったことと関係したこと?」


 緋真さんは一瞬の躊躇いを見せた後に、肯定した。


「ひどいところだったわよ。彩葉ちゃんたちが想像も出来ないような環境だったわ。まるで人のどん底を見たような気分で、毎日のように生きるための犯罪が当たり前だったわ」

「生きる為って……食料のこと?」

「そうね。食料の調達が一番苦労したわ。何せ私を含めた十人分も集めなくてはならなかったのよ。私が町に出て、死にもの狂いで働いて、やっとのことで食料を買っていたわ。その中でも一番安く手に入ったのがインスタントだったのよ。それを私や妹、私が面倒をみていた小さな子と分けていたのよ」


 いま、緋真さんの今までの行動力の起源を見たような気がした。

 私たちが眠っている間の警戒や怪我の治療。

 自分が一番疲れているはずなのに食料の調達、そして常に年上だからと言って私たちに楽をさせようとしてくれていたこと。

 言葉では言い表せれないほどの感謝はできる。だけど、そこに緋真さんの楽しみっていうのはあるのか心配してしまう。

 誰よりも頑張って。誰よりも疲れて。

 もしかしたらそれは、私が気にかけることではないのかもしれないけど。やっぱり苦しいはずだったんじゃないかと思う。


「緋真さんがそこまで苦労する必要ってあったの? 十人もいたんだったらみんなで手分けしたら十分な生活が出来るんじゃないの」

「したわよ。下の子たちには自分たちの住む環境を守ってもらっていたわよ」

「そうなのですか。――いえ。ですが、四十二区は暴力や盗みが多く起きていたと聞いています。小さい子たちだけでは危険なのではないですか?」

「その心配はないわ。あそこには私のような行き場を失くした魔法使いも隠れ住んでいたから。私と同じ魔法使いの人に付いてもらっていたからむしろ安心していたわ」


 それはそのとおりなのかも。

 秩序なんてあってないような場所なら、魔法使いという存在はある意味で圧倒的な用心棒になるわけだ。


「それでは、そういった被害には合わなかったのですね」

「そんなことはないわ。何も四六時中、見守っていたわけではないわ。ちょっと目を離したすきに寝床が荒らされていたり、暴力沙汰に遭った子もいたわよ。当然、やり返してやったけどね」

「えーー!? 途中まですごく立派だなと思っていたのに……」


 自分のことを後回しにして小さい子の世話をしてすごいなと感激していたところだった。

 当時は私よりも年下のはずなのに、たくさん苦労して、頑張ってきて私だったらそんな真似が出来るのかと考えたぐらいなのに。

 何か感傷に浸れていたのが一瞬に覚めて、感心したのがバカみたいじゃん。


「当たり前じゃない。家はいいとしても、私が面倒みていた子が襲われたらやり返したくもなるわよ。その時に親の気持ちが分かったような気がしたわ」

「あーうん。そういわれるとそうなのかもって思う……かな?」


 親の気持ちなんて全然分からないけど、茜ちゃん、纏、覇人がひどい目に遭うことを考えたら少しは同情の気持ちもきっと起こる。それと同じ理屈なんだろう。


「気持ちは分かりますけど、やり返すのはあんまりだと思います。そんなことをしても双方が傷つくだけです」

「茜ちゃんらしい考えね。けど、私たちが住んでいた世界ではそんな甘い考えでは生きていけなかったわ。私たちには力があると、私たちに手を出したら痛い目に遭うわよ、って力を誇示しないと何度も何度も標的にされるだけだったわ。現に力のなかった人たちは恰好の餌食とされて、憂さ晴らしや食料の強奪にあって衰弱死していったわ」


 それは、その日々のことを哀れみ、悲しみに満ちた痛切な言葉だった。

 誰もが生きるために戦った。弱肉強食の世界。それが四十二区。

 魔法使いとして人の社会に溶け込めなかった果てにたどり着く競争社会。

 敗者は早々に立ち去っていく命の取り合い。


「だから……緋真さんはそんなにも逞しいのですね。こうして罪のない人の住む場所に入り込んで……まるで自分の家のようにできるのもその時の生活環境のことを考えると仕方のないことなのかもしれませんけど……私はそれでもこういうことはしたくないです」


 いままでの生活から想像も出来ない環境がそこにある。

 そこには人も住んでいて、魔法使いもいる。けれど、こことは違う在り方。

 同じ国なのに地区によって差異がある。

 そんな違いが茜ちゃんには受け入れられなくて、悲哀の叫びが漏れ出てきている。


「安心して。あそこは訳ありの人たちが住む場所。そんな人たちにとっては居心地のいい場所なのよ。住めば都っていうでしょ。――それと、私を不法侵入者みたいに言わないの。あなたたちを守る為に一時的にやっているだけで好きでやっているわけじゃないのよ」

「……ごめんなさい。言いすぎました」

「分かればいいのよ。大体、家は借りたとしても食べ物などには手を出していないでしょ」

「あっ!? そういえば」


 よくよく思い返してみれば、寝床を借りただけでそれ以外の物には手を出していなかったような気がする。

 あーでも。昨日客室の天井を緋真さんの魔法で焦がしていたっけ。スプリンクラーのおかげで酷いことにはならなかったけど。ま、結果的に大事にはならなかったから気にすることはないか。


「食べ物を盗っちゃうとこの家の家主が困るでしょ。私たちの都合で苦しむ人がでたら後味が悪いじゃない」

「家に入られるのも迷惑だと思うけど」

「混ぜっ返さないの。それはそれ。これはこれ。いいじゃない減る物じゃないし」

「……そだね。減ったら増やして置いておけば許してくれそうなもんだし。そういうことにしとけばいっか」

「もう、彩葉ちゃん……っ! それはなにか違うような気がしますよ。減らないから増やせば良いだなんて……。でも、寝床を借りるぐらいなら下宿……と考えれば良いのでしょうか。そうですね、食費はこちらで用意しているのであとは、お部屋の掃除でもすれば許されますよね」


 茜ちゃんは一人、納得のいく答えを求めてブツブツと自問自答へと堕ちてしまっていた。

 そんなことにも気にせずスープを飲み干した緋真さんは、カップが入っていた袋へとゴミを捨てる。

 そのなかは、具の一粒も残さず綺麗な真っ白な器となっていた。まるでそこには何も入っていなかったかのように。

 それは緋真さんの性格なのか、育ちが関わっているのか私には判別もできなかった。

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