第2話

 全四十七に区分けされた島国の西方に位置する三十区。

 三十区の中でも最も土地が広く、緑の多い町であることからここは野原町と名付けられたらしい。

 朝の日光で生命力に満ち溢れた木々が、今日も目に優しく映り込む。

 十二月下旬。空は晴れ渡り、寒風の吹く朝。おおよそ学生をあまり見かけない時間帯を私たちは走った。

 前を行く通行人を避け、自転車を追い越し、やがてだだっ広いグラウンドとその横に開校しているのが信じられないほどの古びた校舎が見えてくる。

 三十区私立野原高等学校。私たちの通っている学校であり、来年で創立百周年を迎える学校だ。

 校内には、古くなった機材や錆びた運動用に使う道具などが廃棄予定となり、ゴミ置き場には、文字道理ゴミの山となっている。

 校門から入って正面にある校舎は百年の歴史を感じさせるような古風さが残り、随所に修繕の跡がある。それも再来年の西暦二千年までにきれいな校舎に建て替わるということらしい。


「や、やっと着きました」

「さすがに疲れたね。少しゆっくりと行こ」


 到着した時点では、まだ登校者がいたから本鈴は鳴っていない。時間ギリギリだと思うけど、とりあえず間に合ったから良し。

 それにホッとして、乱れた息を整えながら、歩調は駆け足に切り替えて下駄箱を目指す。サッと上履きに履き替え、校舎二階にある二年二組の教室にたどり着き、ようやく間に合ったことを実感することができた。



 午前八時二十五分。本鈴の鳴る五分前の到着だ。


「間に合ったー」

「ギリギリだね」


 室内にはほとんどの生徒が揃っており、あちらこちらから賑やかな談笑が飛び交っている。その窓際の一角に、百七十前後はあるだろう長身に、華奢な体をした藍色の髪をもつ少年がいる。その横には、反対に高校生らしいしっかりとした体格と綺麗な灰色に染まった髪の少年達がいた。


「よう、遅かったな」と藍色の少年。天童纏てんどうまといが挨拶。

「おはよう。彩葉、茜」と灰色の少年。近衛覇人このえはるとが挨拶。

「おはよー!」

「おはようございます」


 四者四様による挨拶が交わされる。


「なんだ、走ってきたのか?」


 十分に息を整えてきたつもりだったが、微かに漂う疲労は隠せなかったみたい。


「うん、二度寝してね。遅刻しそうだったから」


 疲れた体を窓際に預け、一息つきながら答える。


「あんまり茜に迷惑かけないようにな」

「でも、そのおかげでなんと!! 茜ちゃんにモーニングコールをしてもらうことになったんだよ」

「していません! そんな約束」


 私が適当なことを言ったら、茜ちゃんは誤解を解こうと必死になってきた。


「……本当、あまり迷惑かけないようにな」


 同じセリフを呆れたように纏が言った。


「それにしても、彩葉が二度寝で遅刻寸前になるなんて珍しいんじゃないか?」

「お、そういやそうだな。二度寝はよくあるくせに、意外にも時間だけは余裕持ってきてるのにな」


 覇人の物言いが気になって、すぐさま訂正をいれる。


「意外って失礼だね。時間を守るのは当然だよ。そして二度寝は仕方ない」


 時間が有り余っていたんだから、そりゃあ寝るよね。


「というか、覇人はどっちも守れていないことの方が多いじゃん」

「俺は大人の夜を過ごしてるからな。仕方ねえよ」

「また、夜遊びですか。ダメですよ」

「……二人とも少し反省した方がいいな」


 真面目な子が二人いる。


「覇人くんも彩葉ちゃんみたいにしっかりと睡眠をとらないといけませんよ」

「だよねー! 私悪いことしてないよね。むしろいいことじゃない? 寝る子は育つっていうし」

「う~ん……。間違ってはいないんだけど、年頃の女の子が寝過ぎるのはよくないから、次からは気を付けましょうね」


 子供を諭すかのようにやんわりと注意する茜ちゃんに素直に返事をしておく。


「茜は彩葉に甘過ぎるんじゃないか?」

「そんなことはないですよ。ダメなときはきっちりと注意したり、厳しく躾けたりしてるから大丈夫です」


 指摘する纏に対し、まるで私の保護者のように力説する茜ちゃん。

 私のことをこんなにも気にしてくれていたなんて嬉しいなあ。でもあれ……私って躾けられてたの。


「……いい友達をもったな、彩葉」


 若干、憐れんでいるような言い方をされたような気がしなくもないけど、前向きに考えると羨ましいのかな。


「ははーん。さてはあれですな、私と茜ちゃんの仲良しさに嫉妬してるんだね」

「は?」

「あー、うん。分かるよ。こんなにも美人な人に心配してもらえるんだから、私でも嫉妬するよ」

「……いや、心配されるようになったら迷惑だろ」


 あきれというかなんというかもう、色んな感情がごちゃ混ぜになったような発音で纏に言い返されてしまった。

 そこに朝のホームルームを告げるチャイムが鳴り響いた。

 それに反応し、そそくさと各々の席へと着く。と、同時に担任が入室してきた。

 眠気を振り払いながら、朝の退屈な授業を乗り越え、昼を乗り越え、下校時間まで無事、耐え凌ぐ。

 待ちに待った下校時間になると、みんな一様に浮足立つように気持ちが弾んでいるようにも見えた。

 部活に行く人や、さっさと帰宅する人たちと別れるけど、私たちは後者。

 通学時は私と茜ちゃんペア。纏、覇人の二人でそれぞれ通学しているのだが、帰り道は四人が別れる公園まで下校することになっている。これは中学の頃からずっと続いている習慣だ。

 本当なら朝も公園で待ち合わせして通学しているのだけど。私が朝の余裕をもっていない行動に付き合っていられなくなり、通学時は別々で通学することになったのだ。茜ちゃんだけがこんな私に付き合ってくれている。いい友達を持ったものだ。


「バイトを始めて一年半だったか。結構頑張っているみたいだな」

「まあね、せっかく茜ちゃんに無理言って雇って貰ったんだからしっかりと働かないと」


 高校生と言えば、アルバイト。そんなイメージから始めて早一年半が経とうとしていた。


「彩葉ちゃんは接客が上手だからお客さんにも評判よくて助かりますよ」


 茜ちゃんの実家は野原町の商店街にあり、そこで楪生花店を営んでいる。そこで私は長年の付き合いのよしみで、働かしてもらっている。


「確かにそうだな。その明るさは接客に向いていると思うぜ」

「他にもあるよ。風邪も引かないし、遅刻もしたことないし、美人だし、スタイルいいし」


 指を一つ一つ折り曲げて自分の美徳を数え上げていく。結構あるねー。


「そういうのはちがうんじゃね。――後、美人とかっていうのは茜には完敗していると思うぞ」


 反論が出来ない。確かに茜ちゃんは女のわたしから見ても美人だからなあ。チラッと茜の方を盗み見て改めて敗北を感じる。そんな私の視線に気付き茜ちゃんは、


「彩葉ちゃんも可愛いと思いますよ」

「ありがとう。でも可愛い……か。可愛いと美人だとなんだか子供っぽいと大人っぽいっていうイメージがあるのは私だけ?」

「また微妙な疑問を持ったな。けど、なぜだろう。彩葉には美人という言葉はあまり当てはまらないな」

「そりゃあそうだろ。彩葉は童顔で子供っぽいからそう見えるんだよ――美人はさすがにねぇな。あ、ちなみに俺は美人な人の方がタイプだな」

「いや、誰も聞いてないから」


 可愛いの部分を否定しないところをみると、少なからず覇人も可愛いとは思ってくれているのだろう。

 だけど、どちらかと言うと子供と大人だとやっぱり大人と見られたいという気持ちの方が強い。もう、高校生だしね。


「覇人はなんか、夜遊びとか酒飲んだりとかちょっと悪ぶってる子供みたい」

「大人の階段を登りきっちまってるから、もう子供じゃねえよ」

「あのなあ、そもそも未成年だろう覇人。大人の階段はまだ登るもんじゃないよ」


 すごく自慢気にしている覇人に纏が正論を浴びせた。


「相変わらずお堅い頭してるねえ」

「悪い子です」


 茜ちゃんも呆れ気味。覇人はそのままこの話をなかったかのように話題を逸らしてくる。


「……ところで、稼いだ金は何に使ってるんだ? 無駄遣いとかしてねーよな」

「大丈夫、お金は貯金用と使うようと分けてるから」

「随分としっかり管理してるんだな。将来何かに使う予定でもあるのか?」


 感心したように頷く纏。


「うん、できれば中心地である二十三区に行ってみたいなって思うんだ」

「二十三区。ということは町をでるのか?」


 おかしなことでも言ったのか、怪訝そうにたずねてくる纏。


「だって、二十三区には魔法使いがいなくて、平和な区だって有名じゃん! そりゃ住むんだったら平和な場所で暮らしたいでしょ」

「えっ! 彩葉ちゃんここから出て行くのですか」


 私の突然の告白にびっくり仰天する茜ちゃん。


「まだ考えているだけだからどうするかは決めてないけどね。あ、でも茜ちゃんがどうしてもっていうなら行かないけどね」

「もう、彩葉ちゃんってば」


 拗ねているような照れているような微妙な表情になる茜ちゃん。こういう表情を見せられると、なんだか悪いことをしているような気がしてきた。 


「その話しは有名だけど、どういう場所になっているかは分からないぞ」

「そうだな、世界中のどこにでも現れては不思議な力を使う連中だ。いないなんて一言で言われても実感がねえよな」

「でも、実際に現れた経歴はないって聞いたよ」

「そういわれるとそうなんだけど」


 歴史が安全を証明をしているが実際のところは、魔法使いはいるにはいるけど、騒ぎを起こしていないだけなのかも知れない。

 しかし四十七区画中、二十三区のみ魔法使いの被害にあっていないという話を聞いたのはたしかだ。

 一説には、魔法使いを撃滅する組織。退魔力殲滅委員会アンチマジックの拠点が建てられているからだという話しがある。その存在だけで十分な抑止力となり、魔法使いもうかつに手が出せず隠れひそんでいるだけなのではというもの。


「そういえば、二十三区ってすげえ家が高かったはずだぞ。バイト代の貯金程度じゃあ全く足りないと思うけどな」

「そうですね。安全が一応保障されているので他の区よりもお高めになっていましたね」

「夢の話しだよ! 夢! 平和な場所ってだけでどんなところか気にならない?」


 理想論から現実的な話題に流れていき始めたところで中断させる。現実の厳しさは聞きたくないのだ。


「当分はここで暮らすことになりそうだな」

「ですねー。夢は遠いですなー」


 それでもいつかは叶えたい。平和な世界で生きて、いつ襲い来るかも分からぬ存在に怯えないような毎日を過ごすためにも今日のバイト、そして明日以降も頑張っていこうと胸に強く刻むのだった。



 やがて、大通から車一台分通れるような脇道を曲がり、今朝通り過ぎた公園前までたどり着く。


「そんじゃ、俺は用事があるから先帰るわ」

「え、おい。ちょっと待ってくれよ」


 いつもの帰所で覇人はさっさと帰宅しようとする。


「気を付けて帰ってくださいね」

「まったく。あいつはたまに早く帰るけど、いつもなにしているんだろうな」

「さあ?」


 覇人は中学の頃から時折早く帰ることがある。そして、何日も音信不通が続くこともあった。もう慣れていることだし、聞いても適当にはぐらかされてしまうからもう聞かないけど。


「それじゃあ、俺も帰るとするよ。彩葉、茜。仕事頑張れよ」


 最後の纏の励ましを耳にし、二つのグループに分かれ、それぞれの帰路に着いた。

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