第1話

 眩しい日差しが部屋中に差し、十二月の寒い外気が部屋を満たす。外では人々の安眠を邪魔するかのように鳩の歌声が鳴り響き、私こと――雨宮彩葉の睡眠を邪魔してくる。

 なかなか覚めない目をこすりながら体を起こし、大きなあくびとともに伸びをする。

 眠い。それもそのはず、時計を見るとまだ六時。私が普段起きる時間は七時なので、二度寝が出来る時間だ。

 あと一時間は寝れる。もう少しだけ……。

 そう自分に言い聞かせて、もう一度布団をかぶり直し、眠ることにしよう。

 鳩の鳴き声も慣れれば、自然の一つとして数えて気にならなくなった。



 二階へと続く階段を地響きが駆け巡り、それが私の目覚ましとなった。それと同時に部屋の扉が吹き飛ぶんじゃないかというぐらいの勢いで扉が開いた。


「起きなさーい! 朝よ」

「……っ!!」


 あまりの大声に体が勝手に飛び上がってしまい、一気に眠気が吹き飛んでしまう。朝から元気なことである。


「もう何時だと思ってるの?」


 私の母、雨宮奏が少し焦った口調で尋ねてくる。それに反応し、すかさず時計をみる。

 時計の針は短針が七、長針がもうまもなく三十を差そうというところだ。つまり時間は午前七時三十分。……ということは――。


「うわあ! もうこんな時間。どうして起こしてくれなかったのー!?」

「今、起こしたよ」


 遅いし! 普通に遅刻一歩手前じゃん。と言いたいところだけど、起こしてもらった手前、そんなことも言えず素直に感謝しておく。


「でも起こすんだったら、もう少し静かに起こしてよ」

「彩葉はこれぐらいしないと起きないでしょ」


 ごもっとも。まったくもって反論できない。


「ほら、さっさと着替えて顔を洗いなさい」

「あ、そうだった。すぐ準備するよ」

「そうそう早くしないと遅刻するわよ」


 ドタバタと忙しなく動き始める。だけど、さっきからずっと扉の前で経っている母さんが気になって、動きが止まった。


「なんで見張ってるの?」

「こっちの方がテキパキと動けるでしょ」


 私は囚人みたいな扱い方をいま受けている。


「そんなところにいられたら恥ずかしくて着替えられないよ! いいから出ていって! すぐに行くから」 

「ちょっ……分かったってば。出ていくから押さないでよ。母さんこけるわよ」


 さっさと出ていけと言わんばかりの勢いで、背中をぐいぐいと押して母を追い出し、すぐに冬用の制服に着替える作業に移る。


「茜ちゃんももうすぐ来るから早くするのよ」


 母の声がドア越しから漏れ出てくる。

 小学校からの唯一無二の親友、楪茜ゆずりはあかね。いつも決まった時間には迎えに来てくれる大切な存在だ。そんな人物をこの時期に待たす訳にもいかず、自然と焦りが出てくる。

着なれた制服なのに普段以上に手間取ってしまうことに焦れったくなり、上の服を持ち、階段をかけ降り先に洗面所で用を済ますことにした。



 午前七時四十分。

 歯を磨きながら制服の裾を通すという器用な作業を事も無げにこなし、寝癖のついた私の自慢の鮮やかな栗色の髪を整え、髪型は決まってゴムで結うだけの簡単な物に仕上げる。鏡に写し出される自分の髪に寝癖がないか確認。うん、今日もバッチリ。さあ、居間に急げ。

 いつもならこの時間に朝食も食べ終え、学校に行ける準備が出来ているのだけど、今日は寝坊したせいで遅めの朝食になる。

 トースト一枚に熱い紅茶の組み合わせの筈だったのだが、トーストは乾燥した米粒のようになり、紅茶は完全に冷めきっていた。まぁ冷めていても問題はないのだが、寒い朝に冷たい紅茶はちょっとした罰ゲームのようでもあった。


「ううぅ、硬い……」

「ちゃんと食べなさいよ」


 硬くなったトーストをぼそぼそと齧る作業に没頭しているとインターホンが鳴る。


「茜ちゃんが来たわよ」


 どうやら私の親友が迎えにきたようだ。ものすごいタイミングに驚いたが、思考はすぐさま前向きな物持ちに切り替わる。

 迎えが来て朝食を食べる時間が無い。ということは、この鈍器みたいなトーストを食べずに済むということでは。

 そう思って私は用意してもらった紅茶を飲み干して、トーストはそのままに急いで玄関に向かおうとするが、母さんの冷ややかな声が足を留めた。


「ご飯。ちゃんと食べていきなさいよ」


 笑顔の似合う母さんではあるが、こういうときの笑顔は大体怒りの籠った圧力のあるものである。


「……はい」


 やっぱり逃げられなかったか。でもここで逆らうと後が怖いのでしぶしぶ鈍器トーストをくわえて外へ飛び出す。


「じゃ、行ってきます」


  こうして騒々しい私の一日の幕が開けたのであった。



 外に飛び出すと、そこには野原高校の制服を身に纏い、長い黒髪をした高校生とは思えないほどの美しさと清楚さを併せ持ち、大和撫子という言葉がしっくりくるような少女、楪茜が寒さに耐えながらも健気に待っていてくれた。


「ご、ごめんね。遅れて」

「ううん、そんなに待っていなかったから平気ですよ」


 寒い季節特有の白い息を吐きながら、かじかんだ手にふーっと息を吐き、擦りあわせて少しでも暖まろうとしている様子を見るとなんだか胸の奥がちくりと痛む。


「いや、ほんとごめん。今日は寝坊して遅れてしまったの」

「もう、また寝坊ですか? 早く寝ないとダメですよ」

「それは大丈夫なんだけど。朝早くに目が覚めてしまって、それで余裕こいて二度寝してまいまして。――で、寝坊と」


 寒いし、起きれなかったというのもあるんだけどね。


「お布団、暖かいですもんね。それに、彩葉ちゃんのことだし二度寝は仕方ないですね。でも、遅刻ギリギリまで寝るのはよくないですよ」


 時間にして約五分ほど待たしてまったかな。短い時間に思えるかもしれないが、この時期ではさすがに辛い。しかし茜ちゃんは、嫌な顔一つしないでやさしく叱ってくれる。


「はーい。気を付けます。あ、そうだ! 対策として次からはモーニングコールとかしてくれると嬉しいな。私、絶対目が覚めると思うよ」


 我ながらナイスアイデアだ。こんな美少女に朝起こしてもらえると思うと、どんな乙女でもイチコロだろう。しかし、そんな私の思惑を見透かしていたかのように、


「そんなことはしませんよ。自分で起きないとダメです」


 親が子に叱りつけるようにズバッといい放たれた。


「えー、いいじゃん起こしてよー。この冬限定でもいいから」

「ダメなものはダメです」


 ここで引いたら負けという謎の強迫観念に駆られて、その後も何度かお願いするが断固拒否されてしまう。強情だ。あ、私か! それは。


「そういえば、そのパンって朝ご飯ですか?」


 ついには話題を変えるために、その手に一口しか囓っていない例の鈍器トーストに話の矛先を変えてくる。


「そう、これ朝ご飯。でもカチカチなんだ、だから半分食べて」


  はいっと、半分と言っておきながら全て差し出す。


「もらってあげてもいいのですけど、私はもう食べてお腹一杯ですし。それに、朝ごはんはしっかり食べておいた方がいいですよ」

「分かってるけど、硬いんだよね」


 文句を言いながらも再びトーストを口に運ぶ作業を再開する。……やっぱり硬い。パサパサする。冷めたトーストなんて食べるもんじゃないな。

 家を出て自動車が一台が通れる程の細長い道路を歩くこと十分。その間にトーストをくわえて素敵な王子様に出逢うようなハプニングも起きず、最後まで食べきってしまう。

 しばらく歩いて行くと公園がある。

 滑り台があって、ブランコが三つあり、一見すると定番の遊具が置いてある公園だが、中央には煉瓦で組み上げられた高さ十メートル程の建築物があり、その頂点には学校に置いてあるような時計が掲げらている。

 定番の遊具があるなかで、それはこの公園には似つかわないシンボルのような場違い感が漂っている。それ故に、一際目立つ町の名所となりつつある。

 私達にとっては小学生の時によく遊んだ馴染みのある場所で、よく茜ちゃんとここへ来ていた。

 小学生の後半辺りになってからはめっきり来ることはなかったが、通学路なので前を通り過ぎることはある。

 いつもの習慣で公園のシンボルを見上げると時刻は八時十五分を回ったところだった。


「わ、大変。もうこんな時間ですよ。急がないと遅刻するかもしれません」

「ほんとだ!? 走らないと間に合わないかも」

「ですね、急ぎましょう」


 ここから歩いて行くと二十分は優にかかる距離だが、走ると五分、いや十分は短縮できる筈だ……多分。


「よーし! 走るぞ。遅刻しない程度に」

「彩葉ちゃん待ってくださいよ。私、走りは苦手なんです」


 気合いを入れて走り出した私に、一応注意してから後を追う茜ちゃん。

 残された時間は十五分。長いようで短い時間を駆け抜けた。

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