第39話 変質

 男がこっそりと薄暗い部屋のなかに入ってきた。現在使われていない人体強化研究所主任室だ。彼はキョロキョロとあたりを見回し、人の気配がないことを確認する。ポケットから携帯電話を取りだしてリダイヤルを押した。無機質な電子音を聞きながら早く相手が電話にでてくれるように祈る。

 息をひそめ電話を握りしめている男の背後からバタン、と扉の開く音が響いた。

 肩を大きく振わせ振り向くと、そこにはNSMの主任である直樹が立っていた。背後には工機主任の国光や応数主任のクラウディア、SP主任のレジスや人化のハルといった面々が揃っており、男は即座に自分の行動がバレてしまったことを悟る。

 男が未だ電子音を鳴り響かせる携帯電話を取り落とした。彼が2、3歩後退すると代わりに直樹が数歩前に出る。ガタン、と音がして男の背中が机にぶつかった。

 無表情で彼を睨み付けたまま直樹が口を開く。


「貴方だったんですね。NSMにいる"スパイ"は」


 それは質問ではなく確認だ。男は歯軋りをして目の前の子供を睨み付ける。自分より10近く年下のクセにNSMにクラッキングをしかけ、どういう方法かはしらないがテオ・マクニールに取り入って主任の座を手に入れたずる賢いガキだ。

 優秀だと言われ鳴り物入りでこの研究室に就職した自分が、なぜこんな子供の下で働かなければいけないのか。納得いかない。

 これはICLOへの当然の報いだ。自分の能力を正統に評価せず、こんな子供を上の地位に就けたテオ・マクニールやICLOそのものにたいしての正統な罰のはずだ。


「ちっ、違う! これはっ、これはお前がっ! おまえらが悪いんだっ!」


 男の口から吐き出された言葉に直樹が首を傾げる。顔は無表情のままどこか男を見下しているように見えた。


「まあ、なんだっていいですよ。こっちは誰がスパイか解ればいいんですから」


「くっ、くそっ、くそっ! なんでだっ! NSMの連中はみんな俺と同じはずだ! ジラルドもノエも! お前を敵視していた! なんで俺だってわかったんだ! あいつら、あいつらだって白井直樹がいなくなれば万々歳のはずだ! 俺のことを、話す、ワケが……!」


「ああ、彼らですか?」


 初めて直樹の表情が変った。馬鹿にするような見下すような嘲笑を男に向ける。


「先日"躾け"をしたら、僕にしっぽ振るようになりましたけど?」


 男が目を見開き、喉の奥から咆吼を響かせた。


「くっ、そぉおおおおおおおお!」


 彼は携帯電話を地面に投げつけ、直樹に向かってくる。体当たりでもして逃げる気なのだろう。少年は嘲笑するような表情をそのままにポケットから銃を取り出した。全長160mmの超コンパクトモデル、グロッグ26だ。


 パァン、と乾いた音がして咆吼していた男が倒れる。正確に体の中心を撃ち抜かれた死体から赤黒い水が流れ出し血溜まりを作り出した。

 直樹は相手が絶命したことを無感動に確認すると未だ煙を吹いているグロッグ26を軽く振る。死体の傍を通り過ぎ、まだ熱い銃身を書類の散らばった机に置いた。ついでに自分も机の上に腰かけて、直樹は冷めた目で国光を見る。


「国光、清掃員呼んでソレ片付けてよ」


 死体を目の前にしたにしてはあまりにも冷淡すぎる反応に国光は苦笑した。


「元部下をソレとかいいやがりますか」


「裏切ってたんだから部下もなにもないでしょ。それに幼女の体勝手にサイボーグ化しちゃう情緒障害者にそういうこと言われたくないな」


「情緒障害に関しては多分似たより寄ったりだと思うッスよ。それに夜はああしなきゃ死んじゃってたんですぅー」


「はいはい。いいからそれ、早く片付けて」


「このド鬼畜外道がぁー」


 直樹が再び銃を手にとって弄び始める。国光は慌てて携帯電話を取りだした。銃を弄ぶ直樹は


「鉄臭いなぁ」


 とさっきまで動いていた肉塊を見遣る。

 グロッグ26は護身用にと姉がくれたものだったが、まさかこんな形で役に立つとは思わなかった。

 そういえば初めて人を撃ったはずだが、話に聞く手の震えなどはまったくない。もう少し罪悪感があるかと思ったがそれもなく、まあよくよく考えれば直接的に動物をウィルス感染させて売買し、間接的に人間でさえ売買させていた経験もあるのだから今更人を撃ったくらいでどう思うわけもない。

 国光が電話で専門の清掃員を呼んでいる最中、直樹はふと座っている机に視線を向ける。人体狂化研究主任室であるからこれはテオの机だ。どうりでさっきからテオ信者のハルが睨み付けてくるはずである。何気なく散らばった資料の中から一枚を抜き取った直樹はその内容に眉をひそめた。


「姉さんの身体検査要請?」


 資料というよりテオが走り書きしたメモだろう。神経質な字で綴られたそれは、祐未の血液検査を至急、という言葉で締めくくられていた。


「ジュリアンウイルスの……変質?」


 詳細は記されていない。これから調べるところだったのだろう。資料としてまとめられているなら直樹の目にも触れるはずだ。

 それは直樹の姉の体で何かが起こっていることを意味しており、自分より10も年上の男に襲い掛かられたときより、初めて人を撃ったときより、はるかに直樹に衝撃と恐怖を与えた。

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