第35話 後継者候補

「で、そろいもそろって何の用なのさ」


 椅子に座った直樹が首だけを乱入者に向けて不機嫌そうに吐き捨てる。初動が遅れてしまった。目をつけていた人間が自分たちから押しかけてくるとは予想外だ。目的は友好か敵対か。早々に対策を考えないといけない。

 直樹がふてくされたようにレジスを睨み付けると、国光の横に立っていた男はヘラヘラと緊張感のない笑みを浮かべて直樹に近づいてきた。


「いやぁ、俺らも考えてみたんだけどさぁ! ICLOに侵入して毒ガス盗むって、内通者いないと無理だよね?」


 直樹の片眉がピクリと跳ねる。それに気づいているのかいないのか、レジスの後ろに立っていた女――倉田クラウディアが口を開いた。


「そして、施設内部の情報を一番入手しやすいのはNSMの人間よね」


 直樹の目がクラウディアを睨み付ける。さすがというべきか彼女は大した反応をしなかった。直樹が椅子を廻して体ごと乱入者に向き直り、首を傾げてみせる。


「NSMにスパイがいると?」


 座ったままの少年に睨み付けられたクラウディアがニコリと笑った。


「だって、そう考えるのが一番自然でしょう?」


 笑顔のクラウディアを睨み付けたまま直樹はさて、と考えた。これはNSMにスパイがいる可能性が高いから主任の自分に声をかけたのか、それとも直樹がスパイだと思って糾弾に来たのかどちらだろう。自分がICLO内部で快く思われていないことは知っている。ここにいる面子が今後の勢力争いについてどう考えているのかは知らないが、常に最悪の場合を想定して動いたほうがいい。いきなり公の場で糾弾されるよりはこちらのほうがまだ手の打ちようがあった。いざとなったら罪を被る代わりに姉と自分の安全を保証させるのもアリだ。うまく行けば姉と自分はICLOから自由になって日常生活を送れるようになる。

 切るべきカードを数枚頭の中に思い浮かべた直樹はそれと悟られないようクラウディアを睨み付けたまま言う。


「それが僕だなんて言わないでしょうね」


 直樹の言葉に答えたのは国光だった。


「まさか! そんなわけねぇじゃねぇですか!」


 彼は大仰に首を横に振ってみせ、緊張感のない笑みを浮かべたまま両手を大きく広げてみせる。直樹と同じ日本人のはずだがどうにもオーバーリアクションだ。


「直樹はそんな馬鹿なことしねぇですよ! 俺ら、テオの人を見る目は信用してるッスからね! テオが主任に推したんだから間違いねぇです! 直樹は祐未が好きだから、姉ちゃん危険な目にあわすマネなんかしねぇっしょ?」


 反論はない。ただテオがICLOでこんなにも信頼されているのは些か意外だった。姉はことあるごとにテオに噛みついていたし、直樹から見たテオはお世辞にも他人に好かれるような性格をしていない。

 もしかしたらICLOの連中は皆似たようなところが壊れていて、テオを見ても不快に思わないのだろうか。

 一番あり得そうな可能性を頭に浮かべたとたん、直樹はじゃあ自分もそうなのかと思いかけ即座に考えるのを辞めた。


「ならこんな大勢でなにしにきたのさ」


 自分の本質を見抜かれ、さも当然のように指摘されて多少腹が立ったけれど、ここで目くじらを立てても仕方ない。顔は平静を装って問いかける。答えたのは目の下に色濃いクマをつくった女だった。


「スッ、スパイがあなたじゃなくてもっ……! こっ、ここにいることは、ま、まちがい、ないんです!」


 人体強化研究室のハルだ。直樹がそちらに視線だけ移すと彼女は国光の影に隠れた。そういえば人見知りらしいな、と以前聞いた噂を思い出す。

 隠れてしまったハルの続きを国光が引き継いだ。


「ICLOの内部構造を調べるならNSMが一番てっとりばやいじゃねぇですか! 直樹は下の連中からあんまり良く思われてねぇですし、裏切り者が出る比率も一番高ぇんですよ!」


 少年が足を組んで椅子に座ったまま国光をチラと睨み付ける。


「ずいぶん言いたいこと言ってくれるね」


 睨まれた国光はヘラヘラ笑いをそのままに軽く肩を竦めてみせる。


「テオも直樹も興味ない人間にはトコトン興味ねぇですから、そういうトコ気にしやがらねぇでしょ? 結果的に、スパイ候補がうじゃうじゃ野放しになってやがるじゃねぇですか。俺のいうこと間違ってないッスよね?」


 フン、と一つ鼻を鳴らした直樹が足を組み直す。


「……で、それを僕に捜し出せっていうの?」


 国光が大げさに両手を広げた。


「俺らも協力しますよーっ!」


 直樹はしばらく国光を睨み付ける。やがて諦めたようにため息をついてクルリと椅子を廻し、国光たちから視線を逸らした。


「……こっちからエサの情報でも流してみる?」


「いいッスねそれ! なんかあるんスか?」


「ないけど」


「あ、ないんスか……」


 国光が少し残念そうに眉尻を下げる。彼の情けない声を無視するように直樹が左手を彼の前にかざした。


「黙って。姉さんから連絡が入った」


「おっと、了解ッス」


 国光は口に手を当てて黙る。直樹の視界に険しい表情を浮かべたハルも入ってきたが今はそれどころではないので無視した。通信画面を開いて姉と会話をはじめる。


「なに、姉さん」


 通信画面からは姉の緊張感を孕んだ声が聞こえてきた。


『直樹か。ごめんな、なんかこっちのことバレたみたいで』


「知ってる。ミサイルの操作システム掌握するまで時間稼いでくれる? 多分そんなに時間かからないから」


『ああ、ありがとう直樹!』


「いいよ仕事だから。姉さんも気をつけてね」


『うん!』


 通信が途切れたので直樹も椅子から立ち上がった。それを国光が視線だけで追いかける。


「クラッキングするんスか?」


「うん。今からNSM全員に通達してくる。ついでにエサにもなるでしょ」


 そしてそのまま国光の横を通り過ぎようとすると、険しい顔をしていたハルの口から言葉が漏れた。


「……No1……主任にあんな怪我をさせておいて、能天気に……」


 国光がしまった、とでも言いたげな顔をする。直樹はその場で立ち止まった。ハルが険しい顔で直樹を睨み付ける。


「あなたの姉なんでしょ……ちゃんと仕事をするように言って。主任を守るのが仕事なのに」


 直樹は無表情のままハルを見て、やはり無表情のまま腕を振り上げた。

 平手打ちなどという可愛いものではない。渾身の力を振り絞った拳の、しかも骨の部分が当たるように考慮した一撃だ。

 ガツン、と荒々しい音がしてハルの体が横に飛ぶ。

 国光が声をあらげた。


「おっ、おい直樹っ!」


 咎めるような声にも直樹は眉一つ動かさない。


「僕の目の前で姉さんを批判するってことはケンカ売ってるってことでしょ。悪いけど僕、女子供でも容赦しないから」


「だからってあんまりじゃないッスかぁ……?」


「なにが? いつもなら貧相なツラが梅干しみたいになるまで殴り飛ばしてるところだよ。グーパン一発で許してやるんだからこの緊急事態に感謝してほしいね」


 頬を押さえたハルが直樹を見る。直樹もハルを無表情で睨み返した。


「下らないことで口動かしてる暇があったらその貧相な脳みそ動かして仕事してよね。次に姉さんのこと侮辱しようもんなら名実ともに日向を歩けないようにしてやるからよくスカスカの脳みそに刻みつけとけ。テオに尻尾振って媚び売るのは勝手だけどそれに僕の姉さんまで巻き込むなよ雌豚」


 無表情の直樹が吐き出す言葉にハルの顔が赤くなった。直樹はすでにハルへ対する興味をなくしたらしくさっさと扉へ向かい歩いていく。


「国光たちは念のためNSMのほかにも情報流して。僕も警戒しとくけどここのモニターで不審な動きがないか観察しておいて」


 国光たちの返事など聞きもせず直樹は扉の向うへ消えていく。

 直樹がさった後、倒れたままのハルにクラウディアが駆け寄った。


「腫れてるわね。医務室いきましょう」


 傍観していたレジスが肩を竦める。


「いやーしかし……似てるねぇ」


 国光も彼の言葉に頷いた。


「似てるッスよねぇ……テオに」


 クラウディアがハルを助け起こしながら直樹の消えていったほうをみつめる。


「多分、テオは彼に継がせる気よね」


 レジスがモニターを覗きこみながらクラウディアに答える。


「ICLOの最高責任者な」


 そのつもりで教育してるよな、というレジスの言葉に国光がうんうんと頷いていた。

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