第36話 裏切り
「いたぞ! こっちだ!」
慌ただしい足音が廊下に響く。すぐに銃を乱射する音がした。祐未が声のするほうに撃ち返すと銃弾が倍になって飛んでくる。アレックスがすぐ近くの部屋に飛び込んだので祐未とルーサーも慌てて飛び込んだ。二人があとから入ってきたのを確認してアレックスが扉に背を預ける。
「百回聞いたようなセリフだねぇ」
銃を構え直してアレックスが笑ったので祐未は眉をひそめた。
「こんな時にずいぶん余裕だなアンタ」
「アルでいいよ!」
「人の話聞けよ」
ガガガガッ、と轟音がして足音が近づいてくる。突入されるのも時間の問題だろう。
舌打ちする祐未に視線は向けずアレックスは言った。
「だが、我々は運が良いよ」
ルーサーが片眉を上げる。
「なんで」
「ちょうど"リンゴ"が一つある」
アレックスが直径5cmほどの鉄の塊を取り出した。M67破片手榴弾――俗に「アップル・グレネード」あるいは「ベースボール」などと言われる手榴弾である。
アレックスは安全クリップと安全ピンを抜くと扉を少し開けて廊下に投げた。それから扉を閉めて部屋の窓際に飛び込む。祐未とルーサーもあわててそれに習った。数秒後にはボンッ、と電子レンジの中で卵が爆発したような音が廊下から聞こえてくる。
アップル・グレネードに内臓された184gのコンポジション爆薬と硬質鉄線は5メートル範囲内の人間に致命傷を与える凶悪な代物だ。実際、先ほどまで銃撃の音でやかましかった廊下は爆発音を最後に静まりかえってしまった。
祐未が銃を構えたまま扉を蹴り開け、外敵がいないか確認する。
ビニールが焦げたような臭いが漂う廊下には爆発と硬質鉄線でズタズタに引き裂かれた死体が3つ転がっていた。
敵の沈黙を確認した祐未がジェスチャーのみでアレックスとルーサーを手招くと、2人とも音を立てずに扉へ背中をつける。
ルーサーが廊下の様子を見て眉をひそめた。
「めちゃくちゃじゃねぇか。これ、あとで始末書とかねぇだろうな」
祐未は銃を構えながら少し慌てた様子だ。
「え、その場合はアルが書くんだよな?」
「ははっ、そうなるね。だがよかった。運が良いよ」
アレックスの能天気な言葉を聞いてルーサーがため息をついた。
「どうしてそう言いきれんだよ」
「廊下は傷ついたが、ファーストレディーの執務室は扉を除いて無傷だ。見たかぎりでは」
祐未が今出てきた扉を振り返る。
「えっ、あれってそうだったの!」
「おや、祐未はホワイトハウスの見学に来たことは?」
「ねぇよそんなもん」
ルーサーは眉をひそめて祐未を見た。
「っていうか作戦前に図面渡されただろ。頭に入れとけよ」
「部屋の名前なんて書いてなかったじゃねぇか」
「イーストウィングだぞ、わかるだろ普通……」
「わかんねぇよそんなん知らねぇもん」
祐未がヘッドセットから外れていたイヤホンを繋ぎ直し、ICLOの弟と連絡を試みた。ルーサーとアレックスもヘッドセットの位置を直し、通信に耳を傾ける。直樹はすぐに反応してくれた。
『なに、姉さん』
「直樹か。ごめんな、なんかこっちのことバレたみたいで」
『知ってる。ミサイルの操作システム掌握するまで時間稼いでくれる? 多分そんなに時間かからないから』
「ああ、ありがとう直樹!」
『いいよ仕事だから。姉さんも気をつけてね』
「うん!」
祐未が嬉しそうな顔で頷くとルーサーが呆れた顔をした。アレックスはヘッドセットの位置を少しだけいじってから祐未を見る。
「PEOCへの突入はもう少し後になりそうだね」
アレックスの横でルーサーが眉をひそめた。
「だが急がないと。PEOCの人質もやられてNYにもミサイルドカンじゃ目ぇ当てられねぇぞ」
まばたきもせずアレックスが言う。
「大丈夫だよ」
ルーサーは顔をゆがめた。
「なにを根拠に」
「ブラックストン大佐は無関係の人間を殺せる人種ではない」
「だからなにを根拠に言ってんだよ!」
「根拠はない。自信はあるがね」
「そんなんで判断していい段階じゃねぇだろうが!」
ルーサーが声を荒げるもアレックスは微動だにしない。かわりに祐未が眉をひそめた。
「騒ぐなよ、気づかれんだろ」
ルーサーが苛立った様子で舌打ちする。アレックスは廊下に敵の気配がないことを確認すると銃を構えたまま先へ進んだ。
「……できるかぎりミサイルは無効化しておいたほうがいいね。相手の手札は少ないに限る」
アレックスのすぐ背後にぴったりと張り付くようにしていた祐未が小さな声をあげた。
「どっかで地図確認するか? そのうち直樹がやってくれるけど」
時々背後を振り返りながらルーサーが言う。
「この先に郵便物預かり所があったはずだ。時間稼ぐにも丁度いいだろう」
祐未もアレックスも彼の提案に異存はない。極力音を立てないようにして目当ての部屋へ移動する。郵便物や荷物を管理する部屋はいざというときも障害物も多い。ドアから極力離れて壁に背中をつけたアレックスがホワイトハウスの見取り図を開いた。
「向うもうまく隠しているから当然写真からあまり情報は得られなかった。ルーサー、君ならどこにミサイルを設置する?」
「そうだな……」
ルーサーが顎に手を当てて地図を覗きこむ。前のめりになった彼とは逆に、祐未は背筋をピンと伸ばして障害物越しにドアのほうを睨み付けた。
「おい……なんかくる」
ルーサーもドアのほうを向く。アレックスが地図に右手をかけたまま石像のように動かなくなった。口だけが小さく動いて微かに空気を振わせる。
「いくらなんでも気づかれるのが早すぎるな」
祐未がドアから目を離さず吐き捨てた。
「"リンゴ"ぶっぱなしやがるからじゃねぇのか」
アレックスが瞳だけを動かし扉を睨み付ける。
「先遣隊がやられてすぐに、まっすぐ私たちのところにこられるものかな?」
祐未がなにかに気付いたように目を見開き、目だけでアレックスを見た。
「……どういうことだよ?」
彼女の吐き出した言葉は問いというより、答えを確認するような響きだった。
アレックスは扉から目を離さずに答える。
「突入の時もそうだ。ブラックストン大佐は優秀だから我々の動きを読んだのかと思ったが、それにしても対応が迅速すぎる。防犯カメラの復旧には最低3分はかかるはずなのに、どこから何人敵がくるのか最初からわかっているような動きだった」
つまり我々の動きは敵に掌握されている。
アレックスが小さく呟いた途端、背後からガチャリと金属音がした。ホルスターから拳銃を引き抜いた音だ。この時アレックスは初めて扉から目を離し、背後――仲間のルーサーを見る。パンッ、と乾いた音がした。
「ぐぅっ!?」
微かなうめき声を漏らしてすぐ隣にいた祐未が倒れる。急所は外れているようだが至近距離で弾丸をうけたため傷口は大きい。倒れたとき頭を打ったようで、脳しんとうをおこしている。早く手当てしなけばいけないだろう。
銃に手をかけたアレックスの腹部にルーサーの蹴りが入り、体が吹っ飛んだ。郵便物を管理している棚に背中から激突し、頭上に荷物がどさどさと落ちてきた。
扉を蹴破って敵が突入してくる。朦朧とする意識の中でアレックスは誰かに腕を掴まれた。霞む視界の隅でぐったりとした祐未が髪を掴まれているのが見える。彼女は脳しんとうを起こしていて動かすには細心の注意が必要だというのに。
アレックスが少女に伸ばした手はルーサーに踏みつけられた。
「悪いなアレックス……俺は、使い捨ての駒にされて尻尾ふってられるほど能天気じゃないんだ。お前とは違う」
最後にそんな言葉を聞いた気がする。
二年前の作戦中、祐未の詳細な情報はブラックストン大佐も手に入れられなかった。アレックスもその後彼女のことを調べてみたが情報は手に入れられず、今回再会したのはまったくの偶然だ。彼女にはそもそも敵に協力する機会がない。アレックスは裏切っていない。となれば自分達の情報を売り渡していた裏切り者はルーサーということになる。
少し考えればわかることだ。消去法でこんなに簡単に見つけられる。
私が、もっと早く行動していれば――
踏みつけられた手を握りしめ、歯を噛み締める。最後に戦友だった男の顔を睨み付けてアレックスは意識を手放した。
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