第34話 切り札

「あぁああああああああああああぁあああああああああぁあっ!」


 祐未の口から溢れた声に周りの敵のみでなくアレックスやルーサーも何事かと身がまえた。銃を構えた男たちが祐未に標準をあわせるも、彼女の動きは彼らが引き金を引くよりも早い。まず自分に銃をつきつけていた背後の敵を1人回し蹴りで吹き飛ばし、となりの男に頭突きを喰らわせる。銃を構え直した男の顎に下から掌を叩きつけて銃を奪うと通路の反対側に勢いよく投げつけた。


「祐未……?」


 アレックスが震える声で呟く。

 祐未は声を頼りにアレックスを見たが、彼がどんな表情をしているのか彼女には見えていなかった。こうなると瞳孔が激しく左右に揺れるので周りの景色を影でしか捉えられなくなってしまう。アレックスがいる方向くらいは声と気配でわかるのだが、どんな様子なのかはわからなかった。でもきっと化け物を見るような目をしているのだろう。

 突然咆吼をあげ、髪と肌が色を無くす。そのかわりに黒い瞳は血のような赤色に染まり、運動能力は普通の人間をはるかに凌ぐ。

 これが化け物でなくてなんだというのか。B級ホラーにでてくるクリーチャーのようではないか。

 一瞬だけアレックスを見た祐未は、そのあとすぐ周りを取り囲む敵に視線を戻した。蹴り飛ばしたのが東通用ゲート側の前列2人、鉄の塊が腹に直撃してぐったりしているのがイーストウイングの前列2人。祐未はまず自分から近い東通用ゲート側の敵を倒そうと決めた。敵が銃を構え直し、アレックスとルーサーがタイムラグを利用して柱の影へ隠れたようだ。轟音が響いて敵が銃を撃つ。祐未は弾丸の嵐を潜り抜け、2人の兵士に急接近した。途中いくつかの弾丸が身体をかすり、血が噴き出す。祐未においていかれた血液は空中に彼女の軌跡を残し、すぐに霧散した。赤い軌跡を描きながら祐未の足が敵の銃を蹴り飛ばし、掌が1人の顎を正確に打ち抜く。昏倒した兵士を横目に今度は隣の兵士を蹴りつける。腹に吸い込まれた足はそのまま男の身体を吹き飛ばし、祐未はイーストウイング側の3人と指揮官に向かって走り出した。

 アレックスが銃を構えたのが気配でわかる。柱の影に隠れて銃撃戦を繰り広げているようだ。


「退却だ! 退却しろ!」


 確かピンターと言っただろうか、指揮官が銃を構えた3人に向かって叫ぶ。後退する敵をなおも追う祐未に向かってアレックスが叫んだ。


「祐未! やめろ、危険だ!」


 飛んでくる弾丸で祐未の身体が更に傷つく。赤い軌跡は空中のみならず落ち着いた色合いの床や壁に飛び散り、シミを作った。身体のあげる悲鳴を無視して祐未はさらに弾丸の間を潜り抜ける。目測を誤って肩の肉が少し深めに削られてしまった。鋭い痛みに眉をひそめる。

 敵との距離を縮めようとした祐未の腕をアレックスが掴んだ。


「祐未っ!」


 傷から流れ出した血がアレックスの手も汚す。強い力で引っ張られた祐未の身体はバランスを崩してアレックスの腕に倒れ込む。

 他人に力づくで動きを規制されるなど運動能力が向上した状態の祐未には初めての経験だった。意識の外へ追いやっていたとはいえ、普通の人間に不意を突かれるようなことは今までなかった。

 テオは確か、ウイルスの酵素で向上した祐未の能力は普通の人間の5倍だと言っていなかったか。

 それをこの男は腕ずくで止めたのだ。

 祐未が驚いたままアレックスの顔を見つめていると彼はニコリと笑ってみせた。

 今まで彼女が暴れ回ったあとでこんな風に笑いかけてきた人間はいない。大抵は化け物をみるような目で脅えるし、事情を知るテオはバカにしたような笑みを浮かべて様子を観察するだけだ。

 この男はなぜこんな風に笑えるのだろう。


「深追いは危険だ。潜入がバレた以上、こちらも体勢を立て直す必要がある。いいかい?」


「あ……ああ……」


 目を見開いたまま少女が返事をするとアレックスは満足そうに笑みを深める。

 驚いて硬直した祐未の身体がすっと冷えていく。今まで敵に集中していた意識がふわりと霧散した。目が見えるようになったので、きっと元に戻ってしまったのだろう。祐未には原理が理解できないが彼女の身体能力向上は興奮することで起こるらしい。『三月兎March Hare』の言葉はその興奮を安定して発生させる手段にすぎず、だからその言葉がなくても祐未が興奮すれば髪が白くなって目が赤くなるし、興奮が収まれば元に戻る。

 今は無理やり引き留められたこととアレックスが予想外の行動をしたせいで冷静になってしまったのだろうと思われた。

 黒に戻った髪を祐未が確認している最中、銃を構えたまま硬直していたルーサーが声を荒げる。


「おい、待てよ!」


 彼の叫びに答えたのはアレックスだ。


「なんだい?」


「お前なんにもなかったみたいにスルーしてるけどな! そいつ化け物じゃねぇか! なんで目の色と髪の色変わってんだよ! それに普通に考えてさっきの動き人間じゃないだろ! なんなんだそいつ! 生物兵器かサイボーグかなんかか!? ちゃんと味方なんだろうな!? 下手すりゃ俺たちも殺されかねないぞ!」


 ルーサーの持っていた銃が祐未に向けられた。真っ当な反応だ。ポケットの中にあるレコーダーを起動させる暇はあるだろうか。できなかったら弾が一発くらい腕にかするのを覚悟で対応するしかないだろう。多少の痛みがあれば『呪文』がなくても戦える。今までもそうだった。

 身がまえる祐未をみてルーサーがなおも口を開く。

 けれど2人の間にアレックスが割って入ったのでお互いそれ以上の行動はできなかった。


「そこまでだルーサー。それ以上言葉がすぎれば私も怒らざるを得ないよ」


「なんでそうなるんだよっ! こっちの命だって危ないかもしれないんだぞ!」


「君は今回の指令に不備があるとでもいいたいのか?」


 ルーサーがグッと言葉を詰まらせる。しばらくして彼は一瞬だけ悔しそうな表情を浮かべたあとノロノロと銃を下ろした。


「これだから『番犬』はっ! 疑うことを知らねぇ!」


「私は祐未のことも、この国のことも信頼しているからね」


 アレックスの言葉を聞いてルーサーが派手に舌打ちをする。アレックスは数時間前も自分で『デルタの番犬』と言っていた。会話から察するに盲目なほど命令に忠実なのだろう。


「祐未、出血が酷いよ。ひとまず応急処置をしようじゃないか。止血くらいしかできないけれどね」


 傷を見せてくれといわれたので祐未は大人しく服の袖を捲った。まだわずかに出血している傷痕に男が包帯を巻いていく。さすがに手慣れた動作だ。ルーサーはしばらく苦々しげに祐未たちを見ていたがやがて視線を周囲に移した。再襲撃を警戒しているのだろう。

 傷ついた少女の腕に包帯が巻かれていく。ふとアレックスの人差し指が耳に繋がるコードを軽く引っ張った。


「ところで、祐未」


「なんだよ」


「君のさっきの変化には、これが関係しているのかな」


「……なんで」


「その言葉は肯定と見なすよ。ただ、質問に答えるなら……そうだね、包囲される直前、ヘッドセットのコードをサイドポケットに入れるのが見えたからかな。危険を冒してまでそんなことをする理由が私には思いつかなかったものでね」


 アレックスが少し強くコードを引っ張る。アクアブルーの目が真っ直ぐに祐未を見据えていた。すでに原因を確信しているだろう男の目を見て祐未は思わず舌打ちする。


「……ファック……」


「女性がそんな言葉をいうものではないよ」


 コードを掴んでいたアレックスの手がボイスレコーダーの入ったポケットに伸びる。祐未が止めようとした頃には彼がレコーダーを持っていた。少女も取り返そうと手を伸ばす。急に動いたせいか傷が痛み、アレックスは簡単にその手を避けてしまった。


「おい、返せよ!」


「やはりこのレコーダーが重要なんだね」


「そっ、そうだけど……だったらなんだってんだよ!」


「あんな戦い方を何度もさせるわけにはいかない。君の身が持たないからね」


 レコーダーを取り返そうとする祐未の手を潜り抜け、アレックスがレコーダーを地面に叩きつける。甲高い音がして機械が壊れた。真っ二つに割れて中からネジやICチップが飛び出している。もう直せないだろう。慌ててレコーダーを拾おうとしてそれが無駄だと気づいた祐未がアレックスを睨み付ける。


「なっ、なにしてんだテメェ!」


 だいたいの人間は祐未のこの声を聞くと驚くか脅えるかするのだが、アレックスは眉ひとつ動かさず彼女を見据えた。


「今後私と共に行動するうちはもうあんなものには頼らせないよ」


 アレックスの足がレコーダーを踏みつぶし、ガチャンとまた音がして今度はICチップも壊れる。


「私は怒っているんだ。君の向こう見ずさもそうだが、なにより君だけに負担を強いた自分の無力さにね。……これからはもう二度と君だけに戦わせたりしない」


 破壊されたレコーダーを祐未は茫然と見つめる。これがなくても本当に危険になれば自力で白化できるが、タイムラグは否めない。

 というかつい先ほどあれだけの危機を経験しておいて、アレックスはどうして『切り札』を躊躇なく破壊できるのだろうか。


「さ、今度は足を治療しよう。右肩はあまり動かしてはいけないよ。ほかより少し傷が深い」


 アレックスが祐未の足をとり、服をまくる。包帯が巻かれていく自分の足を見つめて祐未は呟いた。


「……それが終わったら……」


「なんだい?」


「一発殴らせろ」


 少女は正真正銘『切り札』がなくなっても平然と笑っていられる男に腹が立っていた。

 アレックスが軽い笑い声を上げる。


「はは、だが断らせていただく」


 祐未は自由なほうの足でアレックスを蹴ろうとしたが、それさえも軽く受け止められてしまった。

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