第31話 腹芸

 直樹が黒い画面に表示されたプログラムを改変すると別のモニターに連動して表示されていた監視カメラの映像が変化する。リアルタイムから録画に切り替わった映像はプログラムを調べないかぎり区別がつかないだろう。赤外線ビームセンサーのシステムに入り込み、動きを停止させると装着していたイヤホンマイクを使って現場に待機している姉へ連絡を入れた。


「姉さん、監視カメラと対人センサーは停止させたよ。復旧だけでも最低十分は掛かる」


『了解。サンキュー、直樹』


 ノイズの混じった姉の声が耳元で聞こえる。


「仕事だから。……気をつけてね」


『ありがとう!』


 短い言葉と共に通信が切れた。連動モニターとプログラムを確認してまだ敵に気づかれていない事実を確認する。一息ついて椅子に深く腰かけると、膝を抱え込むようにして体を丸めた。右手は忙しなくボールペンを回転させている。

 テオは現在意識不明の重体だ。医療班が全力で治療にあたっているが撃たれた場所が悪く出血が多い。祐未のように体力があるわけでもないから乱暴な治療はできないだろう。最悪の場合このまま目が覚めないこともありうる。そうなれば当然テオの後釜に誰を据えるかという話になってくるだろう。勢力争いが起こることは必至だ。

 テオは事実上ICLOの最高責任者であるから、『ポスト・マクニール』は自分の研究室に優位に物事を運べるのはもちろん、やりようによってはすべての研究室の研究を報告させることさえ可能だろう。ただ現在のICLOメンバーはほとんどがテオの構造改革後参加したメンバーなので、彼ほどこの組織の構造や歴史、全容に詳しくはない。それ以前に所属していたメンバーはほとんどがテオによって駆逐されてしまった。一握りの人間がまだ『人体実験の材料』としてICLOに残っている。他の人間の末路を直樹はあまり思い出したくなかった。

 直樹にとって重要なのは、テオの後継者になった人間がNSM――ネットワークセキュリティ対策室の今回やらかした失態をどう処理するのか、だ。警備システムを的確に破壊する所業はICLOの内部情報を手に入れなければ不可能である。ダミー回路を取り付けた手口にしても、警報装置の設計やダミーをどこに設置すればいいかは職員をスパイに仕立て上げるかクラッキングするかして情報を入手しなければ実行できない。テオに引き抜かれた現NSM主任の直樹はICLOのサーバーにクラッキングを仕かけた経歴があり、十五歳という年齢は若い研究者の多いICLOでも殊更目立つ若さだ。高校生に主任を任せている苦々しさとクラッキングを許した悔しさで今でも直樹を目の仇にしている者は多い。有無を言わさず今回の戦犯にされる可能性は高かった。テオがいれば――悔しいことに、ICLO職員で一番直樹の腕を買っているのはテオなので――そんなことはないのだが、テオがいなくなれば話は別になってくる。



 薬化のアダム・グベンコは唯一テオより古株の研究員だが日和見の食えない爺さんだ。テオが彼を駆逐しなかったのはアダムが非常に優秀で変わりがいなかったというのもそうだが、野心もなく実害がないからというのが大きい理由であるらしい。勢力はそれなりの規模をほこるが、頭が日和見である為他所の事情にまで介入する可能性は皆無だった。つまり直樹が吊し上げにあったとしても一切関与しないだろう。


 医学の西野リリアンも同上だ。強いて言えば薬化よりもマクニール派だが、勢力争いに参加するとは考えにくい。


 人化でテオに次ぐ実績の持ち主はハル・アイベールという女だ。遺伝子操作の分野ではテオよりも実績がある。ただし政治的センスは皆無。テオも研究に関しては率先して彼女に経験を積ませようとしているようだが、政治的なものに関しては一切関与させていない。ハルも他人に興味がないタイプなので職場の人間関係や勢力争いにはとことん疎かった。御輿としての素材は充分だが、力不足の感が否めない。仮に彼女がテオの後釜になったとしても周囲の声に押されて行動することは必至だ。彼女自身に働きかけても意味はない。


 応数主任のクラウディア・倉田はテオが引き抜いた数学の天才だ。テオとは大学の同期であるらしく特異点がふたつ存在するブラックホール解を求めるなど、驚くべき実績を数おおく持っている。頭の回転も速いから政治に疎いハルの変わりに御輿として利用される可能性は充分にあった。本人が乗り気かどうか直樹には今のところ判断できないが、少なくともテオが意識不明だからといって慌てふためいている様子はない。どこかの派閥に属している様子もないため、マクニール派がハルを後継者として担ぎ出した場合、反マクニール派が彼女を対抗馬にする可能性すら考えられた。このままテオが目覚めず直樹が吊し上げにあったときのため、今のうちから味方につけておいたほうがよさそうだ。


 現状最も動きに気を配るべきなのはレジス・ダランベールだろう。今までICLOで比較的冷遇されてきた言語学や国際関係学、法学、あるいは経済学や考古学、地理学、民族学や社会学といったいわゆる『文系研究室』から圧倒的な支持を得る社会心理学研究室の主任で、テオやクラウディアとは大学の同期。ハーバード大学で講師をしていたところをテオに引き抜かれて以降異例の早さで功績を詰んでいる。彼が勢力争いに参加するにしてもしないにしても『文系研究室』はレジスの行動を全面的に支持するだろう。彼がどう動くかが勢力争いに大きく関わってくることは間違いない。彼もテオが意識不明だからとうろたえている様子はなかった。またどこかの派閥に属している様子もない。強いて言えばダランベール派筆頭であり、なにを考えているか、どう動くか直樹にはまったく予測ができなかった。こちらも取り入るなら早めに動いたほうが良さそうだ。


 忙しなく回していたペンの動きをとめ、直樹は携帯電話に手を伸ばす。幸い、NSMと同じ棟にある機工――機械工学開発室――の主任新川国光はレジス・ダランベールとそれなりに交流がある。クラウディア・倉田のことも毎朝寮からバイクで送ってくるというから、彼らに取り入るなら国光に頼んだほうが手っ取り早いだろう。同じ日本人ということもあって、直樹も懇意にさせてもらっている。

 新川国光は友好関係が非常に広い男だったがそれ故中立と見なされ、勢力争いからは無関係な立ち位置を築いている。レジスやクラウディアとはまた違った意味で厄介な男だ。あの2人は動きが読めないだけでどれだけの規模の味方がいるかくらいは把握できる。新川国光という男は、動きが読めないだけでなくどれだけの味方がいるのか、また彼自身は誰の味方なのかも、まったく掴めていなかった。



 まだICLOに入って半年ほどしか経っていない直樹はそれでなくても人間関係を把握できていないのに、この職場は厄介な人間が多すぎる。ほぼ孤立無援の状態――力強い味方である姉の祐未はこのような繊細な争いに対応できる神経と脳みそを持ち合わせていないだろう――で起こった今回の窮地にはすべてを投げ出して頭を抱えたい気分になった。

 電話帳のデータから新川国光の電話番号に発信すると二、三度コール音がしてから通話状態になる。


「……もしもし、国光? ちょっと紹介して欲しい人がいるんだけど」


 本人かどうかの確認もそこそこに本題を切り出すと、電話の向こうから明るい男の声が聞こえてきた。新川国光のものだ。


「おー、丁度良かったです! こっちも直樹に紹介してぇ奴がいるんですよ!」


「え?」


「いやー大丈夫大丈夫。取って喰いやしねぇはずですから。今からそっち引っ張ってきますね」


「いや、ちょっと国光……」


 彼は自分の本題を言うや否や一方的に通話を終了させてしまった。取り残された直樹はもう一度電話をするべきかどうか迷う。その一瞬のタイムラグで隣の研究室にいたらしい国光がNSM室の扉を開けた。


「やっほー直樹ぃ! お仕事お疲れさまです。ちょっと俺の話を聞きやがれですよー!」


 直樹が眉をひそめて扉に視線を向ける。このクソ忙しいうえに色々なことを平行して行わなければならない非常事態に、話の通じないバカの説得までしている余裕はないのだ。国光を睨み付けるつもりで振り向いた直樹は彼と目が合った瞬間目を見開いて硬直してしまった。

 国光はあいかわらずハイテンションのまま宣う。


「レジスとクラちゃんが直樹に話があるとかいいやがるんですよ! ついでにハルちゃんも引っ張ってきちまったです!」


 直樹の手から握っていたボールペンが床に滑り落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る