第14話 冷酷な寂しがり屋
――「ゆみ、とりひきしよう」
ジュリアンが連れてきた少女にそう言うと、彼女は不思議そうな顔をした。
少女は白井祐未という名前の日本人で、家族旅行の途中事故に遭い、両親は死亡したそうだ。
生き残ったのは彼女と彼女の弟。どういう経緯かは知らないが二人ともICLOの研究所に来ていた。
――「お前がちゃんと協力してくれれば、弟は日本にかえしてやるから」
突然人間からモルモットになってしまった祐未は当たり前だが実験には非協力的だった。ジュリアンはその抵抗さえも愉しんでいたが、予定がずれているのはたしかだ。
だから、テオはその時チャンスだと思った。
このままだと自分は一生ジュリアンの慰み者として暮らすことになる。そうなる前にモルモットから人間にならないといけない。だから自分がいかに人間として使える存在か周りに示す必要があった。
ではどうすればいい?
ジュリアンが行っている研究の一つだけでもいい。自分が完成させてしまえばいい。
口で言うほど簡単なものではなかったが、自分にならできるとテオは確信していた。
目的のためには自分専用のモルモットがいる。
自分にだけ従うモルモットがいればそれだけでただの実験体という立場からは逃れられるだろう。この取引が成功すれば祐未を被検体にして行われている実験はすべてテオが思うように進行できる。
それは子供の知恵というにはあまりに浅ましく大人の知恵というにはあまりに拙いものだったが、生き残るためにテオは必死だった。
もうなにふりかまっていられない。悪党になろうとなんだろうと知ったことか。
祐未が拒否すれば言いくるめるための言葉はいくらでも用意してある。不思議そうな顔をする祐未を見つめて、彼女の返答を幾通りも予想する。もしかしたらもっと違った条件での取引を望むかも知れない。
そう思っていたら、祐未は真っ直ぐにテオの顔を見ながらハッキリと断言した。
――「あたしはなんでもするから、弟を助けて!」
あの祐未の表情をテオは今でも覚えている。もう何年も前のことなのに、よほど自分の中で印象的な出来事だったらしい。
その時からテオは、祐未が怖くなった。
血反吐をぶちまけながら悲鳴をあげるほどの苦痛を体験しておいて、取引をすればそれが未来永劫続くと理解していて、弟のために迷わず自分の身をさしだした愚行。何年もはなれて暮らしていながら、未だに弟に執着しているさまは畏怖さえ感じる。
テオは祐未が苦手だ。まれに彼女にはすべてを見透かされているのではないかと思うときがある。そんなことはないはずなのに。
テオのほうが頭の回転は速いし、本音を隠すことにも慣れているから、バカな祐未にテオの考えを見抜くなんてことはできないはずなのに。
「……バカ女め……」
車のドアから見える範囲にもう祐未は見あたらない。
追いかけていって殴り飛ばしてもよかったが、それさえ行う気力がなかった。さんざん言いたいことを言って気が済んだら逃げるとは良い度胸だ。直感だけが頼りの意見をよくもまあ胸をはって声高に主張できる。
バカの相手は苦手だ。話が通じないから。
「ふん……」
ため息のような嘲笑をこぼしたあと、テオはポケットに入れていた携帯電話を取りだして電話帳機能を開いた。
祐未はバカで暴力に頼ることしかできない低脳だ。その彼女に、なぜ自分の内面の、根本の部分を指摘されなければいけないのだろう。
屈辱だ。
愛が信じられないだと?
当然だろう。そんな目に見えない不確かなものを信じろというほうがムリな話だ。愛は幽霊と同じようなものだ。見たと主張する人間はいるが存在するという確かな証拠はない。そんなもの、信じろというほうがムリだ。だからテオは愛なんてものを信じない。そこに関しては祐未は正しい。けれど別にテオは愛を信じたいなんて思っていない。
「……あいつが勝手に……」
そう思っているだけだ。と続けようとして言葉につまる。自分の手が震えていることに気づいた。
「くそっ……!」
携帯電話からはコール音が鳴り響いている。イライラして舌打ちするとよけいに惨めな気持ちになった。
これでは、図星をつかれて動揺しているようではないか。バカらしい。
祐未の指摘があっていたとでもいうのだろうか。あのバカな女の当てずっぽうが、自分の内面を言い当てたと?
そんなことがあってたまるか。あんなバカに内面を見透かされるなんてとんだ失態だ。あのバカ女に苦手意識を抱いている時点で屈辱なのに、バカに考えを見透かされていたなんて舌を噛んで死んでもいいくらいのレベルだ。
ああイライラする。
愛を信じられなくてなにが悪い。信じられないものを信じるのには、自分の目で確かめるのが一番手っ取り早い。幽霊だって妖怪だって、空飛ぶ円盤だって魔法使いだって、自分の目で見てたしかめれば信じられる。
愛だって同じだ。だから、そうしたまでなのだ。
信じたくても信じられないものを信じるためには自分の目で確かめなければならない。
寂しい?
当たり前だろう。母親にも父親にも愛してもらえなかったんだから。
母にとってテオは動いて喋るサンドバックと同じだった。父にとってテオは、自分をいたぶった憎い女の化身だった。
愛が信じられない?
当たり前だろう。愛なんて見たことがないんだから。
ただ、自分でそれを認めるのが悔しいから黙っていただけだ。周りに同情されたり馬鹿にされたりするのが嫌だから隠していただけだ。
完璧だったはずなのに。
演技も偽装も完璧だったはずなのに、なぜあのバカ女だけには解ったのだろう。バカはバカなりに、野生の勘とやらがそなわっていたということだろうか。
ああ屈辱だ。これ以上ない恥辱だ。いますぐ自分の頭を窓にたたきつけたいくらい悔しくて恥ずかしい。
平然と、人の一番触れられたくない場所に食らいつきやがって。あのバカ女は遠慮というものを知らないらしい。
「ふふっ……ははっ……ははははははっ」
だから昔からあの女は苦手だったのだ。
深く理論的に考えず、直感的に正しいと思ったことを信じる。自分の思考回路がどうなっているかなんて考えずに、ただ自分の直感を信じて進む獣のような女だ。
だからこそ彼女の野生の勘はなかなかに侮れない。
電話口からはまだコール音が響いていた。いい加減電話を耳に押し当てているのもつかれてきたが、それでもテオは相手が出るのを待ち続ける。
「……俺だって同じだ……」
つぶやいた言葉はここにいる人間に向けたものではない。だからここでは意味のない独り言になってしまう。
「ふっ……ははっ……」
屈辱のメーターが振り切れてだんだん可笑しくなってきた。笑いが止まらない。
祐未はバカだ。だから話していると疲れることがある。
もうさんざん屈辱を味わってきたのだからこのさい認めてしまおう。目を逸らしていたって疲れるだけだ。
一番目を逸らしたい場所はさっきむりやり見せつけられた。だからもういい。
祐未はバカだけれど、長く一緒にいるから、自分の言いつける仕事をきっちりこなしているのはちゃんと知っている。バカすぎてイラつくこともあるけれど、それをおぎなって余りあるほどには
「俺だって、信じてる」
のだ。
祐未が世界中の誰よりも一番テオを信頼して頼っているように、テオも世界中の誰よりも一番祐未を信頼して頼っている。
すべてが祐未の言ったとおりになるのはとても屈辱的だと一瞬思ったが、いまさらかと自嘲する。
もうとっくの昔に屈辱のメーターは振り切れた。前々から祐未がテオのことをあんなふうに思っていたなら屈辱どころの騒ぎではない。
だから今からテオがすべて祐未の言ったとおりに行動しようが、祐未の指摘したとおりのことを実行できなかろうが、いまさらなのだ。恥の上塗りは一定の許容量を超えればなんでもなくなってしまう。もうどうでもよかった。何かを取り繕うのも煩わしい。
「……もしもし?」
それはとても投げやりな気持ちで、きっととても敗北感に満ちていて、吐き気がするくらい不快なはずなのに、なぜかその時テオはとても清々しい気分だった。
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