第13話 信じてる

「そんなにあのガキが心配ならすぐ俺のところに連れてこい。聞きたいことを吐かせれば病院に連れていってもかまわん」


「……は?」


 テオの言葉に祐未は思わず間抜けな声を出してしまった。眉をひそめて自分を睨みつける祐未にテオは派手なため息をついて言葉を続ける。


「病院に行かず、適切な治療もうけず、あのガキは未だ健康体だ。不自然だとは思わないか?」


「だって、お前がほっといて大丈夫っていったんだろ!」


 もしや病気が発症する可能性は祐未が思っているより高かったのだろうか。声を荒げると、テオの視線が彼女に突き刺さる。


「無論、病院に運ばれた時点で傷口の洗浄はしたし暴露後ワクチン接種も行ったが、本来なら六回行わなければならない。あのガキは一度しかワクチン接種を行っていないにも関わらず発病した様子がない。不自然だろう」


 だからなんだというのだろう。

 いっそすぐ近くにある男の腹部を蹴り飛ばしてやろうと思ったが、それをやるのも面倒だった。


「少し痛めつければなにか吐く。その後で病院にでもどこでも連れていけ」


 ああ、なんてバカらしい。


「約束が違うじゃねぇかっ! 普通に暮らせるようにするっていったろ!」


 声を荒げてテオの胸ぐらを掴む。細い体が少し揺れたが、テオは表情一つ代えなかった。


「俺が言ったのは、あのガキをICLOから逃がしてやることと、お前に定期的な情報提供をすること、お前が望む援助を好きなだけさせてやることだ。非常事態になった以上こちらの判断に従ってもらう。第一あのガキは本当にお前のいう普通の生活を望んでいるのか?」


 見下すようにバカにするようにテオが吐き捨てる。運転手は相変わらず会話が聞こえていないかのように微動だにしない。


「真実が知りたいというなら知らせてやればいいだろう。お前にそれができないなら俺がやってやる。大人しくあのガキを連れてこい」


「てめぇっ……このっ……!」


 胸ぐらをつかまれてぎりぎりと締め上げられても、テオの表情は変わらない。ただ見下すようにバカにするように、祐未を見下ろしている。


「それとも他の人間にまかせるか? そのほうが許せないだろう? お前のあずかり知らないところでどうにかされるのが嫌だからお前は俺と取引したんだもんな? 守ってやりたいんだろう? お前が近くにいないと、俺がどれだけあいつを痛めつけようともストップをかける人間はいないぞ」


 祐未を見下すようにテオは笑う。見下してバカにするしかできないクセに、なにを偉そうに。苛んで嬲ること自体が趣味のジュリアンに比べれば、テオの拷問なんて可愛いほうだ。たかが知れている。脅しの材料に使うような代物ではない……


「お前は、ちょっとでもあいつに危害が及ぶのが許せないんだろう?」


 テオが笑った。祐未を試すように。


「なら、すぐ傍にいないと。今までは傍にいてやれなかったんだから」



「それがあいつの姉である、お前の務めなんだろう? 



 祐未は自分の頭に血が上るのを感じた。

 これ以上自分に直樹を裏切れというのか。

 祐未がテオの前に直樹を連れてきたとしたら、その時直樹はどんな顔で祐未を見るのだろう。

 幼い頃生き別れた可愛い弟。父と母が死んで二人だけ生き残った、たった一人の祐未の家族。


――「ゆみ、とりひきしよう」


 だから守らなければいけないと思った。


――「お前がちゃんと協力してくれれば、弟は日本にかえしてやるから」


 だから祐未は、テオのあの言葉に頷いたのだ。


「ふっ……ざけんなよ……」


 頭に血が昇り、怒りに体が震える。

 試すように、テオは『傍にいないと』と言った。なにを試しているのか祐未は知っている。それはテオに対して従順であることでも、任務を遂行する決意でもない。


「てめぇぇえ……いくらバカなあたしでも、それくらい気づくぞ!」


 バカにしたように、テオが笑う。


「ほう、何を?」


 祐未の視界が怒りで赤く染まる。


「てめぇが今、あたしになんていってほしいかだよ!」


 この男は祐未の執着を試そうとしているのだ。直樹に対する愛情といっても言い。


「あたしはそれでも直樹を守るって、それが聞きたいんだろうがっ! てめぇの母親がトチ狂ってるからって、他の人間もトチ狂ってると思うなよ! どんだけ視野が狭いんだよお前は!」


 祐未がテオの命令を無視してでも、自分が死ぬことになってでも、直樹を守ると言いはれるかどうか。

 寂しいのは嫌で一人なのが怖いから、独りで生きていかなくてもいいと信じたいのだろう。自分が与えられなかった、そして理解できなかった家族愛というものが本当に存在するかどうか。テオはそれが確かめたいのだ。


「愛が信じられないのぉ、なんて、どこのバカ女だてめぇはっ! 悲劇のヒロイン気取りか? 誰かに同情されりゃあ満足かよっ! 不思議な転校生にでも共感して同情してもらえば満足かよっ!」


 母親に慰み者にされ、実験体にされた男が、自分と同じように慰み者にされ、実験体にされた女の愛情を試している。

 それはなんと滑稽な姿だろう。

 自分に対する愛情ですらないのに、それでもワラにすがるような思いで、それが真実だとわかれば自分にもいつか愛が与えられると信じこんで。


「バッカじゃねぇのっ? お前が本気でそんなこと考えてるわけねぇだろうが!」


 どんなに否定しても、テオにとってジュリアンにされたことはトラウマだ。そのトラウマを持つテオが、高校生とはいえまだ子供に分類される少年を拷問できるわけがない。


「あたしはバカだけど、長いつき合いなんだからそれくらいわかるぞ! お前、ただ寂しいだけだろ!」


 本当は誰より寂しがり屋で、誰より愛情に飢えている。愛が欲しいのに愛が信じられなくて、ああなんて陳腐な言葉だろう。テオの行動理念はどこまでも陳腐で青臭いものでできている。

 祐未はそれを否定する気はない。青臭くても陳腐でも、それが根本にあるのだから、それがテオなのだから。むしろ育った環境や職場を考えると、真っ当すぎて感動さえ覚える。

 頭にくるのは、テオの態度だ。

 頭がいいのだからわかっているはずなのに、自分が陳腐で青臭い理由で動いていることに気づかないふりをしている。バカな祐未にだってわかることなのに、テオにわからないはずがないのにわからないフリなんて、バカらしいことこの上ない。


「お前だって気づいてるはずだろ! なのに気づかないふりしてるの見てると、頭にくンだよ!」


 祐未が叫ぶと、テオの嘲笑がかき消えた。


「……言いたいことはそれだけか」


 見下したような口調を取り繕おうとして失敗したのか、声がかすかに震えている。顔は無表情だったが、なにかに怯えているようにも感じられた。


――「テオ。ちゃんとデータを取っておいてね」


 何故かジュリアンにそう言われたときのテオの顔を思い出す。

 必死に冷静をよそおいながらも、なにかに怯えているような表情。ホラー映画をムリに凝視している子供のようにかたくなで脆い表情だ。

 指をさして笑ってやりたくなったが、それをするのはあまりに酷な気がしてやめた。祐未にそう思われていることのほうがテオにとっては酷かもしれなかったが。


「……テメェのハッキリしねぇ態度みてると、頭に来ンだよ」


 テオの胸ぐらを掴んだままそれ以上力を加えることはせず、祐未は静かに言う。

 口でどれだけ祐未を脅しても、直樹を拷問にかけるなんてテオにはできないだろう。祐未よりもずっと昔から実の母親であるジュリアンの慰み者にされてきたテオは、きっと祐未より深い心の傷を背負っている。祐未はそれを知っている。


「そんでも、お前とは長いつき合いだし、すっげぇ頭がいいこともちゃんと知ってる。だから……」


 だから頭にくるのだが、それを補って余りあるほどには


「信じてる」


 のだ。

 世界中の誰よりも、きっと祐未が一番テオを信頼して頼っている。直樹を助けてくれたのはどんな理由があろうとも結局はテオだ。祐未一人だったらきっと助けられなかっただろう。

 テオは昔から頭が良くて要領が良かった。バカな祐未は彼の意見に何度も助けられたし、彼の指示で命拾いしてきたのだ。

 だからどんなに頭にきても、この信頼だけは揺るがない。


「あたしもう直樹の様子見に行くから。そんなに話聞きたいってんなら連れてきてやるよ。よぉーく考えてからあたしの携帯に連絡いれろや」


 どうせテオがどんなにあがいたところで、彼に直樹を拷問するなんてできやしない。

 車のドアを開けて外に出る。

 最後に少しだけ車内にいるテオに視線を送ると、まるで石のように硬直したまま動く様子はなかった。

 自分がひた隠しにしてきたことを祐未に指摘されてショックなのか、祐未が最後に吐き捨てた言葉が予想外だったのか、その無表情からはよくわからない。

 けれど祐未はこれ以上テオになにかいうつもりはなかった。テオは頭が良い。だからきっと、これだけ言えば嫌でもわかるだろう。


「……じゃあな」


 最後に小さくつぶやいて、乱暴にドアを閉めた。

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