第11話 歪んだ彼女と歪んだ彼
直樹の通う学校はゆるやかな坂の上に立っている。数年前までは女子校だったらしく、共学になるとき制服も替わったらしい。今でも生徒は女性の比率が少し高いようだ。県立と市立二つの女子校を前身とし、昭和二十九年にそのふたつが合併して現在の形になったという。通っている学校のことをたずねたとき、直樹が教えてくれた。
通学路は数種類あってどこも学生が歩いている。
直樹もたいやきを販売している駅で下り、小さな池のある道を通って学校へ向かっていた。学生にまぎれて直樹の後をつける祐未も直樹から少しはなれて同じ道を歩いていく。この時点ですでに少し道を変えながら学校付近を何周もしていた。
時間が経つにつれ、道を歩く学生が少なくなっていく。
学校の授業が終わる三時過ぎまでこのあたりで待っていよう。近所にはスーパーも衣料品店もドラックストアもコンビニもあるから暇つぶしには苦労しない。
今日の朝職員連中にはすでに話をつけた。直樹に万一のことがあっても学校から連絡が入る。そうしたらすぐに駆けつければいい。
祐未が制服を着て学校からはなれるように歩いていっても誰も気にする様子はなかった。むしろ彼女と同じ方向に歩く生徒も数人見受けられる。家に忘れ物をしたのか別の理由なのか祐未にはわからないし興味もない。
コンビニにでもいって雑誌でも立ち読みしてるか。
のろのろと坂を下り民家が立ち並ぶ脇道を通って近くにあるコンビニに向かう。スーパーの看板がやけに目を引いた。関東地方に百店舗以上を展開するスーパーマーケットチェーンだ。駐車場を広く確保しており、すぐ横にセルフサービスのガソリンスタンド。道路の向かい側にはベージュ色の外壁が目を引く衣料品店が立っている。
コンビニに飽きたらスーパーにでも行ってみよう。それでも暇をもてあましたら散歩していればいい。常に見張っていなければならないわけではないからとても楽な仕事だ。だからといって気も手も抜くつもりはないのだが。
「……ぁ?」
脇道をのろのろと歩く祐未が立ち止まった。道路の反対側に、スモークフィルムを貼りつけた黒い車が停車したのだ。すぐにフィルムのはられた後部座席の窓がゆるゆると開き、そこから見覚えのある顔が出てくる。
黒い帽子に黒いコート、肌が病的なまでに白い銀髪の男。
テオ・マクニールだ。
彼は窓から顔をのぞかせ、黒に金の縁取りをほどこしたオペラグラスでこちらを見ている。
テオは日常生活に弱視用の杖を使用するくらい目が悪い。日常生活にルーペとオペラグラスは必需品だ。
「あいかわらず必死すぎて気持ち悪いな。お前は」
彼はオペラグラスごしに祐未を見ながら嘲笑を浮かべてつぶやく。
祐未は思わず眉をひそめて不機嫌そうな声を出してしまった。
「ンだってんだよ、クソ野郎が」
だがテオはそんな祐未の悪態も大して気にならないらしい。窓から顔をのぞかせ、嘲笑を浮かべたまま
「乗れ」
と短く指示してきた。
逆らうとあとでいろいろとうるさいだろう。尊大なものいいにイラつきながらも、憤りはため息と一緒に吐き出して車に近づく。後ろから回りこんで後部座席の前に立つと自動的にドアが開いた。
テオがオペラグラスを折りたたみ私物入れにしまいこむ。口元に嘲笑を浮かべたまま祐未を見た。ゴーグル型のサングラスごしで目はよく見えないがきっとこちらを見下すような目つきをしていることだろう。
「この前は、途中で話が終わってしまったからな」
嫌々ながら後部座席に乗りこみなるべくテオから距離を置いて腰を下ろす。見計らったように男がいやみったらしく口を開いた。
「直樹の様子はどうだ。なにか不審な動きは?」
「……事件のこと、知りたがってるみたいだけど……いまンところ、変なムチャとかはしてねぇぜ」
スモークフィルムのせいで外の景色がよく見えない。ぼそぼそと小さな声で報告するとテオが鼻で笑った。
「発病した様子はあいかわらずないんだな?」
「……ねぇことは、ねぇけどよ……」
運転手はなにも聞こえていないかのように祐未とテオの会話を聞いても微動だにしない。それが彼の仕事なのだから仕方がないが、人間味がなさすぎて少し気持ちが悪かった。
「事件のことは隠蔽しておく必要がある。情報規制を徹底しておけ。あんなガキに嗅ぎつけられたらたまらない」
言いながらテオは可笑しそうにクスクスと笑った。どうせ自分が誰かに出しぬかれることなどないと思っているのだろう。口では祐未に警戒しろといっているのに、顔からは油断になりそうなほどの余裕がみてとれる。彼の笑顔は直樹のことをなにも考えていないように見えた。実際なにも考えていないだろう。それがわかるから、祐未の頭にカッと血が上る。
「直樹は……例のヤツに腕噛まれたんだぞっ! 病気かもしれねぇのに病院ぬけ出しちまって連れ戻しもしないなんて! なにかあったらどうすんだよっ!」
祐未の怒鳴り声を聞いてテオがゆっくりと顔を動かした。いきなり本屋で友人が『なんで万引きしちゃだめなの?』と聞いてきたかのような表情で祐未を見る。バカにあきれている表情だ。
「適切な治療を受けていないにも関わらず体調に大きな変化は見られない。感染に関しては心配ない」
「なんでそう言い切れンだよ!」
祐未がさらに怒鳴ったのを聞いてテオがため息をついた。口元に浮かぶ笑みは消え、あきれそのものの表情で吐き捨てる。
「お前よりかはウイルスにも治療方法にも詳しいからだ」
そこで祐未は言葉を失った。バカな自分よりテオのほうが何倍も冷静な判断を下せることは知っている。
けれど彼の判断は冷静すぎて非情なのだ。
テオの判断にだけ従っていては直樹が命を落とす危険性がある。直樹が感染するかもしれない病気は発見されて十年も満たない新種のウイルスによるものなのだ。
突然変異があるかもしれない。亜種だってまだ発見されていないだけでいるかもしれない。
もし今発見されている種類より、潜伏期間が長い亜種に感染していたら?
このまま放っておけば、直樹が死んでしまう。
「まだ、まともに検査もしてない……やっぱり病院に入ってもらったほうが……」
うつむいて両の拳を握りしめる。自分の手を凝視してつぶやいたときだった。すぐ横でなにかが動いたのを感じる。
避けようとするが狭い車内では思うように動けない。青白く細いテオの腕が祐未の顔面を思いきり殴りつけた。
「……っ」
祐未の鼻頭に強烈な痛みが走ったが、声をだすことだけはなんとかこらえる。生暖かいものが彼女の頬を伝った。多分鼻血だろう。
「誰に向かって口をきいている?」
祐未が流れてきた血を拭うよりも早くテオが彼女の胸ぐらを掴んで車のドアに押しつけた。運転手は相変わらず微動だにしない。いつのまにか祐未のすぐ近くまで詰め寄ってきたテオは、嘲笑と暴力的な愉悦をないまぜにしたような笑みを浮かべて口を開く。
「お前は、どうせ俺に逆らえないんだ」
首が締めつけられて呼吸ができない。苦しい。
けれどテオはその細い体のどこにそんな力があるのか、祐未の首をぎりぎりと締めつけてくる。
「だから従え。逆らうだけムダだ」
優越感と嘲笑の入り交じったテオの笑みがより強くなった。酸欠で目の前が暗くなってきた祐未を見て、テオが楽しそうにクスクス笑う。青白い男の顔が近づいてきて、すぐ耳元で見下すような笑い声が聞こえる。
「
祐未の意志とは関係なく体が大きく震えた。男はクスクスと楽しそうに笑いながら彼女の体を解放する。
身体中の血が沸騰しそうに熱い。呼吸がどんどん荒くなり、体の痙攣も強くなっていく。
体をくの字に曲げてなんとか落着けようとするが、呼吸も痙攣もひどくなるばかりだ。
頭上からテオの笑い声が聞こえる。
体を震わせながら、祐未は人を見下すように笑っているテオを睨みつけてやった。
「クッ……ソ、やろぉお……」
だがやはりテオは大して気にしていないようで、むしろさっきよりも楽しそうに嬉しそうに祐未を見下して笑っている。
この男はどうしようもない性格破綻者だ。他人を見下して、自分に敵う人間は世界中に存在しないと思っている。祐未がこの男に逆らうことは許されない。彼は祐未の上司であり飼い主であり責任者だ。テオも祐未は自分に従うのが当然だと思っている。
いや、きっと彼にとっては世界中が自分にしたがって当然なのだろう。
「地獄に、落ちろ……」
「誰に向かって言っている?」
悔しくてつぶやくと、頬を思いきりはたかれた。口の中が切れて血の味が広がる。
本当にどうしようもない性格破綻者だ。けれど彼の性格が歪んだ理由を、祐未は知っている。
それに、それを言えば祐未の性格だって歪んでいるのだ。この男が地獄に堕ちるなら、祐未も地獄に堕ちるだろう。
ずっと昔から同じ時間を同じように罪を犯しながら進んできたのだから……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます