第9話 祐未と三月兎
「あたし用があるから、これで」
食事を取ってしばらく話をした後、『ありがとうございましたー』という店員の声に背中を押されるようにして店の外に出る。
「うん。ありがとう」
直樹が手を振ると祐未も笑顔で手を振り返してくれた。そのまま身を翻し足取りも軽く駅とは反対側へ歩いていく。直樹が使う私鉄はその方向に走っているから、最悪一つや二つ先の駅から乗っても問題はない。
もし彼女の用事が捜査だとしたら、ついていけばなにかわかるかも知れない。祐未はついてきて欲しくないから店の前で別れたのだろうけれど知りたいものは知りたいのだからしかたがない。うまく尾行に成功するとは思えないが、土地勘はこちらのほうがある。選ぶ道を見れば行く場所は大体予想がつく。見つかっても言い訳すれば笑って許してくれるだろう。
彼女に甘えているとも思える行動だ。しかしここで動かなかったらきっと事件のことはわからないままだろう。
小さくなっていく祐未の姿を確認し、少し距離を置いて彼女についていく。彼女は背後の直樹に気づいた様子もなく、図書館の前を通り過ぎて文化会館のほうへと向かっていく。
あの近くにも私鉄の駅があった。帰るならあの駅からになるだろう。私鉄の踏切を通りすぎ、ミドリガメが日光浴をしている池の前を通りすぎる。古びたボウリング場のある坂を登ると文化会館だ。
祐未は文化会館の手前にある小さな公園で立ち止まった。学校帰りの子供が二人、ブランコに乗って楽しそうに笑っている。
「……すっげぇ目立ってんぞ、てめぇ」
祐未がさびれたベンチの前で足を止め、吐き捨てた。
「この格好をしていれば、どこにいても目立つさ」
ベンチには一人の男が座っていた。
黒い帽子に黒いゴーグル型のサングラスをつけている。肌は病的なまでに白く、帽子から銀髪が少しだけのぞいていた。黒いコートを着て、弱視用の杖を持っている。
たしかに、この出で立ちは目立つだろう。
男が祐未を見て口を開く。
「どうだった?」
人を見下したような嘲笑を含む声。直樹はその声に聞き覚えがあった。病院で水島と会話していた、三月兎のものだ。
「人のこと小馬鹿にしたような口調でぬぁぁにホザいてやがる」
祐未が乱暴に男の隣へ腰かけた。足が弱視用の杖を軽く蹴るが、男は気にした様子はない。むしろ楽しそうに人を見下したような笑みを浮かべていた。
「近況を報告しろ」
「ウイルスのサンプルってほんとうにここにあんのか? ぜんっぜん見つかンねぇけど、ほんとうに盗まれたのかよ」
文化会館の駐車場へ周り、公園の植木に隠れて会話を盗み聞く。
ウイルスのサンプル。
祐未はやはりそれを探しているらしい。医者の水島と三月兎もウイルスの話をしていたし三月兎の騒ぎと関係があるのだろうか。
「そうでなかったら感染者が暴れ回るような事件が起こるか。頭を使え、バカ。盗まれたデータがここにあるのは間違いないんだ。探せ」
見つからないという言葉を聞いたとたん、男はつまらなそうにため息をつく。祐未は隣の男に全神経を集中しているようで、直樹に気づいた素振りはなかった。
「……なんでそいつは、パソコンのデータ盗むなんてめんどくせーことしたんだよ?」
「あのウイルスは、シロチナーゼの生成を妨害する。色素が欠乏した見た目の希少性を金儲けに使うこともできるし、そもそもあのウイルスの存在だけでも大発見といわれるべきものだからな」
三月兎のバカにしたような口調に祐未が眉をひそめる。今にも怒鳴り散らしそうな彼女の表情を見てなにを思ったのか、男は口元に浮かべていた嘲笑に少し苦笑を交えて口を開いた。
「ハッキングは、この町のビジネスホテルから行われた痕跡がある。ふざけたヤツだ」
よくわからない。と言いたげな表情で祐未が首をかしげる。三月兎は呆れたようにため息をつくと、口元の嘲笑をさらに強くしてみせた。
「それ以降犯人の消息は不明だ。店に問い合わせても詳しくはわからないし、使用の際に使われた名前ももちろん偽名。だというのに、ハッキングの痕跡だけははっきり残っている」
「ウソなんじゃねぇの? ホントは違う場所からやってたとか」
首をかしげる祐未には緊張感のカケラもないように見える。言葉の選びかたも少し違和感があるくらい単純なものが多い。
「それはない。むしろ、愉快犯だと考えたほうがいいな」
祐未がまた首をかしげた。
愉快犯の意味がわからないのか、ウイルスを盗んだ犯人が愉快犯である意味がわからないのか、直樹はふと疑問に思う。
「こっちをからかって愉しんでるんだ。そうでなかったら疑う余地がないくらいあんなにハッキリと、痕跡だけを残すわけがない」
「……まあ、お前がいうからにはそうなんだろうよ」
顔をあわせたときからケンカ腰だったわりに、祐未はあっさりと三月兎の言葉を受け入れた。自分に難しいことはわからないし、考えてもわからないから頭の良いやつに従おう、とそういう感じだ。ちょうど友達同士だけで遠出するときまわりの友人についていくだけの小学生と似ている。
三月兎もそれはわかっているのだろう。男は祐未を見てため息をつき
「まあそれはいい。引き続き捜索しろ」
と言って、話題を変えた。
「目撃者のほうはどうだ?」
気を取り直したように口元の嘲笑を深める。祐未はそれを不快に思った様子はなかった。あるいは気づいていないのかもしれない。
彼女はさっきとはうって変わり、暗い表情でつぶやく。
「……病院に連れてったほうがいいぜ。やっぱり……」
「お前はあの目撃者に甘いな。もう少し様子を見ろといったろう?」
目撃者というのは直樹のことだろうか。彼らの話しているのは直樹のことか。祐未は直樹を観察する目的で一緒にいたのだろうか。
ファミレスで言った言葉は嘘だった? そうは思えなかったけれど。
「黙れよヒトデナシっ!」
とにかく三月兎と祐未はグルだった。それだけは確かだ。
「大きな声を出すな。子供が驚いてるぞ」
くすくすと嘲笑うように三月兎が笑う。彼の言葉を聞いて祐未が首を動かし、ブランコに乗ったまま自分を凝視する子供たちを見る。
そしてバツが悪そうに眉をひそめると
「……クソがっ……」
と吐き捨てて、ベンチに深く腰かけた。
「……調子が悪いらしいんだ。昨日も体が痺れた」
「だが発病はしていない」
三月兎が口元に嘲笑を浮かべてつぶやいた。祐未がいきおいよく男を睨みつけ、低い声を出す。
「してんだろ、もう!」
それだけで人を殺せそうな目つきと声だ。大概の人間はそれが自分に向けられただけで恐怖に身をすくませるか悲鳴をあげるだろう。直樹も言われたのは自分でないとわかっていて体が震えた。
だが三月兎は動じない。冷静に、口元の嘲笑はそのまま祐未に反論した。
「決定的な病状じゃない。本当に発病していたら今ごろ手遅れだ」
祐未が言葉を失い、これ見よがしに舌打ちしてみせる。
「だからって、今から発病しないって決まったわけじゃねぇだろ……」
「ああ。だから、様子を見ろと言っている」
笑い混じりにいう三月兎を祐未がまた睨みつけた。三月兎は相変わらず祐未をバカにするように笑っている。
とにかく、あの二人は顔見知りだ。そして今直樹のことを話している。
「……っ」
祐未はなぜ話してくれなかったのだろう。話せない理由があったのだろうか。
ああ、でも……そんなこと、今は関係ない。
とにかく祐未は、知っていて三月兎のことを黙っていたのだ。
そして三月兎とグルになって直樹のことを見張っていた。
なぜか祐未の幸せそうな笑顔を思い出す。
なにが一緒にいるだけで幸せだ。
頭にカッと血が上るのを感じた。
一歩足を動かすと、コンクリートがザリッと小さな音を立てる。
「おい、まて……」
その音を聞きつけたのか、それとも何か別の理由か。祐未が三月兎の肩に手をおき、振り返る。
そして、いきおいよく立ち上がった。
祐未の声が直樹の名前を呼ぶ。
「直樹っ……!」
三月兎が祐未につられて座ったまま振り返った。
サングラス越しに見える目が何色なのかよくわからなかったが、切れ長の目はひどく冷たい光を放っている。
弾かれたように直樹は走り出した。
「まて、直樹っ!」
背後から祐未の声が追いかけてくる。足には少し自信があるけれど、きっと祐未にはすぐに追いつかれてしまうだろう。大の男を一撃で気絶させられるような少女だ。
「直樹っ……!」
案の定ボウリング場を少しすぎたあたりで祐未に肩を掴まれる。
「直樹、待てよ……!」
やはり彼女の息はまったく乱れていなかった。肩を掴まれた直樹は背後を振り返り眼鏡をかけた少女を睨みつける。
「はなせよっ! あいつとグルになって、僕のこと見張ってたんだろ!」
肩に置かれた手を振り払うと、祐未は目を見開いて一歩後ずさった。今にも泣き出しそうな顔だ。
「近寄るなっ! 今まで言ってたこと全部嘘だろっ!」
「ちがうって! 直樹、聞いてくれ!」
カートを押した老婆が大声で言い合う二人をなにごとかと見つめ、その後すぐに歩き始める。
遠くから踏切のカンカンカン、という音が聞こえた。田舎町特有ののどかな場所で怒鳴り散らしている自分がひどく滑稽だ。
息を思いきり吸いこんで怒鳴り散らす。
「ついてくるなよ! くるなって! ……っ」
突然肺が酸素をためこんだまま、突然機能を停止してしまった。
「……ぁっ……」
真正面から突風が吹きつけてきたときのような息苦しさだ。呼吸がうまくできない。
手足も痺れて思うように動かない。なんとか呼吸を再開しようとノドを動かす。
「……っ、……!」
無理矢理唾を飲みこむと、激痛がした。
「直樹っ!」
祐未が直樹の変化に気づいて手を伸ばしてきた。彼女は直樹を病院に連れていって、どうする気だったのだろう。やぱり祐未も病院と三月兎とグルになって、直樹からすべてを隠蔽してしまう気だったのだ。
わかっていたはずなのに。
新聞やニュースでさえ詳しい情報が手に入れられない時点で、警察が関与していることはわかっていたはずなのに。祐未の笑顔に騙されていた。
「っ、触るな!」
少女の手が肩に触れた瞬間、自分の視界が赤く染まったような気がした。思わず怒鳴って、彼女の手をはたき落とす。
「……っ、あの……」
拒絶された祐未が眼鏡ごしの目を大きく見開いて一歩後ずさった。
今にも泣き出しそうな顔だ。イライラする。
「……近寄るな」
もう一度、祐未にクギを刺して身を翻す。
「な、直樹っ!」
彼女は背後から叫ぶだけで今度は追いかけてこなかった。
自分の言ったとおりになったはずなのに。
泣きそうな祐未の顔を思い出すとひどくイラついた。
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