第7話 カツアゲ上等
前日に突然呼吸困難になったとしても怪我をしていたとしても、直樹は学生だから平日は学校に行かなければいけない。傷はもう痛まなかったので学校にいくのは大した問題ではないのだが、それでも短時間にいろいろなことが起こったせいで日常生活がひどく苦痛だ。
今日くらい丸一日部屋にこもって休んでいても許されるのではないか、とそのまま二度寝してしまいそうになったがなんとかこらえた。
それに先日三月兎に遭遇したあの路地裏がどうしても気になる。どうせ何もわからないだろうが、それでも直樹の足は自然とそこに向かっていた。
「よおぉー直樹くぅん、どうしたのぉ? その怪我ぁあ」
途中同級生四人に話しかけられて、直樹は自分の行いを後悔する。
周りにくらべて線が細く頼りない印象があるらしい直樹はよくガラの悪い連中にからまれる。多分巡り合わせが悪いのもあるのだろうが、それにしてもよくこんな頻繁に目をつけられるものだ。
「うっわぁ、痛そぉー! だいじょうぶぅう?」
一人が楽しそうに笑う。その横にいた少年が嫌な笑いを浮かべて直樹の顔を覗きこんできた。
「ここで会ったのもなんかの縁だと思ってさぁー! ちょっと金貸してくんねぇ? 俺ら金なくってお家に帰れないのー」
じゃあ帰らなきゃいいだろ。そのほうがお前らの親だって喜ぶんじゃないのか。
腹の中で考えて眉をひそめる。少年たちは彼の変化に気づいているのかいないのかなれなれしく直樹の肩に手を乗せた。
「別に有り金全部ってわけじゃねぇーぜ? 直樹君も電車乗って帰らなきゃならないもんねぇ」
「五百円あれば帰れるよねぇ直樹くん!」
「ちょっとサイフみしてー」
ニヤニヤと笑いながら少年の一人が直樹のカバンに手を伸ばす。こうなったらいつも抵抗せずいわれるがままにすると決めている。
絡んでくる奴らはたいがいが直樹の顔を知っている同じ学校の生徒だ。抵抗すれば後でどんな仕返しにあうかわからないから抵抗はしない。
最初は走って逃げたりもしていたが、何度もこうして絡まれるうちに面倒になってしまったのだ。一年に七回も絡まれれば誰だってそうなる。生まれた星が悪かったのだろうか。
直樹はひとつため息をついて、カバンに手を突っこんだ。
「あははははっ、直樹君って素直だから好きだぜ!」
一人がそれをみてゲラゲラ笑う。
死ねばいいのに。
腹の中でつぶやきながら、サイフを手わたす。
これでサイフには今日の交通費を残して金がなくなるだろう。帰る前に郵便局でおろしておかないと。
直樹の目の前で少年達がサイフを開く。
「おい、にぃちゃんよぉ」
彼らの背後から、聞き覚えのある声が聞こえた。どこかで見たような展開だ。
「あ?」
一人が声のほうを振り返り、低い声を出す。その肩に少女の手がおかれた。
「あたしの知り合いにナニしてくれてンだよ?」
現れたのは、犬がうなり声を上げるときのように歯をむき出しにして笑う祐未だった。昨日のように黒縁の丸めがねをかけて、シャツには生殺与奪という四文字熟語が印刷されている。
「誰だてめぇ、直樹の知り合いか?」
「おいクソアマァ、ふざけたコトぬかしやがって。殴られてぇのか? ああ?」
その笑顔になにか危険なものを感じたのだろうか。少年たちの顔から笑いが消えた。口からはわざとらしい低い声が飛び出してくる。
けれど祐未はそれに驚く様子も怯える様子も見せず、歯をむき出しにして笑っていた。
そして、つぶやく。
「
今まで喋っていた日本語よりもなめらかな発音の、おそらくBBC英語。
「は?」
彼女の目の前にいた少年が首をかしげる。祐未の腕に力が入ったのを直樹は見た。
「てめぇなにいってや、がっぁああぁああぁあっ!」
少年がしゃべり終わる前に口へ拳がぶちこまれる。
間抜けな声が響いて、直樹の足下に歯らしきものが飛んできた。赤く染まっていてどこの歯なのか判断できなかったが、触ってまで確認する気にはなれない。
「ヒヒッ、ヒヒヒヒヒッ! どうしたのぉおぉ? その怪我ぁあぁあ」
ニヤニヤと笑いながら、祐未が少年たちに近づいた。多分最初から会話を聞いていたのだろう。悪趣味なことだ。
突然の攻撃に驚いた少年たちが倒れた仲間をちらちらと見ながら一歩後ずさる。
「痛ったそぉおぉ、大丈夫ぅうぅぅ?」
彼らの恐怖に気づいていないのか……いや、気づいていて楽しんでいるのだろう。祐未がニヤニヤ笑いながら一番近くにいた少年の胸ぐらを掴む。
「ここで会ったのもなんかの縁だと思ってさぁ、ちょっとあたしに金貸してくれよぉ、いいだろぉおぉ?」
いいのか、ICPOの特別捜査官がそんなことして。
普通の人間だとしてもしてはいけないことだろうが、彼女は罪の意識など感じていないようだ。
「ひっ」
細い体のどこにそんな力があるのやら。祐未が少年の襟首を掴んで持ち上げると彼のつま先が地面からかすかに浮かぶ。
「ぐっ、うぇっ……」
首に体重がかかった少年は苦しそうにうめいて足をバタつかせた。彼の様子を楽しむように祐未がケタケタと笑い声をあげ、言う。
「ちょぉぉっとサイフ見してくれよぉ? 全額とはいわねぇからさぁ」
うなづく以外、少年になにが出来ただろう。
「お前らもだぜぇ?」
周りを見渡した祐未は結局四人分のサイフから五千円を抜き取った。
「よっし、お前らもう行っていいぞ。おい、そいつ連れてってやれや」
鼻歌まじりの声で祐未が少年たちを追い払う。手には千円が五枚握られていた。
「ひぃいっ」
三人の少年たちが仲間を一人引きずりながら路地を駆けていく。情けない悲鳴を聞いて心底いい気味だと思った。
「よっし!」
彼らが立ち去ったのを確認して祐未が楽しそうな声をだす。彼女はくるりと体を反転させて直樹のほうを向くと心底嬉しそうに笑った。歯をむき出しにした笑顔が嘘のようだ。
今この状態が今までの人生で一番幸せな場面であるかのように笑って、彼女は直樹に言う。
「なあ、腹へってない?」
「……へ?」
五枚の千円札をポケットに突っこむ彼女を見て、間抜けな声を出してしまう。祐未はやはりニコニコと笑ったままさらに言葉を重ねてきた。
「どっかでなんか食おうぜ! 奢るからさ!」
それは正確にいうと、さっきの少年たちの奢りだろう。
「なあ、このあたりでどっか丁度いい店しんねぇ? ファミレスとか喫茶店とか」
けれど、いままで彼らには色々と迷惑をかけられた。これくらいはやってもバチは当たらないだろう。
「……じゃあ、一番近いファミレスに行こうか」
「おう!」
もう祐未の顔から威嚇するような笑顔の片りんは見られない。
彼女の顔に浮かんでいるのは、今こそが人生最高の瞬間と言いたげな幸せそうな笑顔だった。
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