第6話 知りたい理由

「昨日電話させてもらった祐未です。直樹君なんスけど、入院はしないで経過をみることになりました。今から送ってきますんで。なんかあったら、この電話番号に連絡ください。はい、お願いします」


 八時になるとこの町は駅しか使用されなくなる。施設の周りは完全に人通りが途絶えていた。

 外灯の明かりだけが相当な距離をおいてぽつぽつと道路を照らしており、そのあいだは完全な闇だ。こうなると外灯と外灯のあいだより、むしろ照らされている場所のほうが恐ろしい。周りとの対比でやけに明るく見えるその下になにか人ならざるものがいるのではないかと思ってしまう。


「今日会った、あの変な男……なんなのかな?」


 直樹が自分の横を歩き始めた祐未にたずねる。


「さぁなぁ……まだわかんねぇけど……警察には教えたし、そのうちなんかわかるかもしれねぇな」


 祐未が車の通らない道路側を歩いているのに気づいた。自分とまったく同じ速度で歩く彼女に他意があるのかないのか、直樹にはよくわからない。


「三月兎に殺された男とすごく似てたんだけど……なんか関係あるのかな?」


「わかんねぇ。今まで殺されてきた奴らと見かけがちょっと違うし。もしかしたら似てるだけで関係ないかもしれねぇ」


 古い民家が道をかこむように続いている。窓から明かりがもれている家もあるが、人が通ると玄関に明かりがつく、などという気のきいた建物はもちろん存在しない。だから道路の周りが古い民家だろうと長年放置されて思う存分成長した雑木林だろうと、どちらでも同じことだった。


「何かわかったら教えてね」


 それは何度目の要求だっただろうか。自分でも少しくどいように思えたが、自然に口から出ていた。

 祐未が歩みを止める。


「……なあ、なんでそんなに、事件のこと知りてぇんだ?」


「ん?」


 直樹も数歩進んだところで、祐未につられて歩みを止めた。

 以前も似たようなことを聞かれた気がする。その時はこんなに直接的ではなかったが。


「そりゃ、犯人が捕まったとかそういうことはちゃんと教えるぜ。だけどさ、お前が知りてぇのって、そンだけじゃねぇんだろ?」


 言いながら祐未が歩き始めたので、直樹もあわてて足を動かした。

 施設のあるほうへ道を曲がると坂になっている。短い上り坂のあとは施設とその下にある漁港へ繋がる坂道がずっと続いていた。


「……うん。できれば全部知りたい。三月兎のこともあいつがなんで人を殴り殺してるのかも、僕があった男がなんで襲いかかってきたのかも、全部」


「なんで?」


 泣き出しそうな声だった。そこまでのことだろうか。べつに隠しているわけではないから、理由くらいいくら語ったってかまわない。


「知らないことが嫌なんだ。自分がちょっとでも関わったことなら、なんでも知りたい」


横を歩く祐未の口が小さく開いた気がした。それが気のせいでなかったとしても、彼女は結局言葉を見つけられなかったらしい。祐未の声が空気を震わせることはなかった。


「……さっき電話してたし知ってると思うけど……僕が住んでるのは、菜の花苑っていう児童養護施設だ」


 けれど、彼女が言いたいことはだいたいわかる。


「家族の顔は覚えてない。僕に家族がいたってことも、先生に聞いた。先生って、施設の職員の人なんだけど」


 言いながら、いつ教えてもらったのか、どの先生に教えてもらったのかさえもう忘れてしまっていることに気づく。

 もしかしたらもう施設をはなれた人だったかもしれない。


「家族で旅行に行ったとき事故にあって、それで僕以外全員死んだんだって。僕は覚えてない。事故のことも、家族のことも、なんにも」


 施設にいる子供の大半は外に家庭がある。寂しい、帰りたい、と泣いている子供を、昔から何人も見てきた。彼らの気持ちなんて直樹にはわからない。だから、何も言えずにただ見ているだけだった。


「僕は、僕の人生を左右した出来事を知らないんだ。自分のことなのに。それっておかしいだろ? 自分の人生なのに、自分でどうするか選べなかったうえに、その時のことを覚えてないんだ。悔しいだろ」


 親の顔を知らない。

 そもそもそれがどんな存在なのかもわからない。

 大多数が共有する寂しさも不便さも、その原因である温かさも、直樹は知らない。

 そんな直樹を不幸だという人もいたし幸せだという人もいた。

 直樹自身には、やはりよくわからない。ただ、友人全員が同じまんがの話題で盛り上がっているのに、自分だけその漫画を読んでいなかったときのような疎外感を味わってきた。


「なおき……」


 祐未が小さくつぶやく。けれどやはり先の言葉が出てこないようだった。


「だから僕が知らないことは、あの事故のことと、家族のことだけで充分なんだ」


 施設の手前に小さな墓地がある。しかも少ない外灯の一つがわざとらしく目の前に立っていた。そのせいで墓場に続く階段がうっすらと闇夜に浮かび上がって、とても不気味だ。


「……うん……」


 外灯の下を通りすぎたところで祐未が小さくうなづいた。やはり、それ以降の言葉が見つからないらしい。


「祐未。施設、あれだから」


 戸惑っているような祐未に直樹が言う。彼が指差したのは下り坂の途中にある四階建ての建物だ。


「昼間は建物のあいだから海が見えるんだよ。ここをずっと下がってくと海だから、ながめはいいんだ……昼ならね」


 今は夜だから、海もあたりの雑木林もよく見えない。

 祐未は話を聞きながらなにか考えこんでいるようで、直樹がとぼけてみせても表情は明るくならなかった。


「送ってくれてありがとう。それじゃあ……」


「なあ!」


 直樹が一歩施設にむかって足を踏み出し、祐未に向かって軽く手を振る。直後、祐未が声を上げて、少年は思わず立ち止まった。


「あのさ、怪我とかまだ治ってないから痛かったらすぐに言えよ?」


 別れる直前の言葉としてはあんまりな言葉に、直樹は思わず苦笑する。これでは施設の教員とあまり変わらないではないか。


「大丈夫だよ。怪我って言っても軽いし」


「でも……傷からバイ菌とか入ってたら、大変だぜ? 変な病気になったりとか……」


 祐未は心配そうに眉をひそめて、直樹の腕を軽く引っ張ってくる。


「……変な病気って?」


 直樹の周りにいる人間は、執拗に怪我からの感染症を疑うようだ。


「い、いや……わかんねぇけど、さ……」


 病院でも水島と三月兎がそんな話をしていた。知っているなら話せばいいのに、祐未も水島も直樹にはなにも話さない。


「……持ち出されたウイルス、なんでしょ?」


「え?」


 祐未にたずねてみると、面白いくらいすっとんきょうな声をあげる。

 視線を不自然に泳がせた少女は直樹の問いに答える気はないらしい。

 吐き気がした。


「さっき言ったよね? 知らないのは嫌だって。知ってることがあるなら話してよ」


 祐未に一歩近づく。彼女は気圧されたように一歩後ずさった。そして、あわてて首を左右に振る。


「なっ、なんで! なんでそんなことしってんだよ!」


「病院で水島先生が話してるの聞いたんだよ!」


 語るに落ちるとはこのことだ。うっかり自白してしまったことに気づかないまま祐未は驚いた表情で直樹を見つめている。


「全身黒ずくめのマクニール博士ってやつが言ってたんだ。『こちらの管理不足』でウイルスが蔓延してるって。それって、もともと管理されてたものが不手際で予想外の動きをし始めたってことだ。あのうなってた男は感染者だろ。そいつに噛まれた僕はまず間違いなくウイルスに感染する! だから病院であんなに入念な検査を受けたんだ。ただの連続殺人事件に祐未みたいなICPO捜査官がくるわけない。持ち出されたんだろ? 人工的なウイルスなの? 祐未が追ってるのは連続殺人の犯人じゃないんだ!」


「なお……」


 祐未が直樹の名前を言いかける。


「本当なんだね? びっくりした顔してる」


「顔色が悪いぞ……」


 声を荒げたせいか、なんとなく息苦しかった。


「へへっ、祐未は驚いた顔してるよ」


 背中に嫌な汗が浮かんでくる。


「……イタズラ上手くいったガキみたいだぜ。顔色悪いくせに」


 祐未が驚いた表情のまま、あきれた声を出した。


「ははっ……ははははっ」


 その表情を見るだけで無性に笑い出したくなる。ただひどく息苦しかった。


「おい、本当に顔色悪いぞ……?」


 祐未が不安そうにつぶやいて直樹の顔を覗きこむ。


「大丈夫だよ、別に……っ」


 直樹が突然体を震わせる。

 息を吸いこんだすぐ後に、肺が痙攣したような気がした。強風を真正面から受けているような感覚だ。吐き出されるはずの空気が出てこない。肺が空気をためこんだまま機能を停止したようだ。


「……っ!」


 息が上手くできない。そのせいか、手足がしびれるような感覚に陥った。


「直樹っ、直樹どうしたっ?」


 気づいた祐未が直樹をささえる。

 今日男に肩を押されたときも似たようなことになった。

 足と手の感覚がない。動かそうと思っても動かない。今回はそれにくわえて、呼吸もうまくできなかった。


「おいっ、直樹、直樹大丈夫かよ!」


 呼吸ができないから、返事ができない。


「直樹、やっぱり病院いこうぜ」


 けれど彼女の提案だけはなんとか首を振って否定した。真実を教えてもらえない、あんな場所は嫌いだ。


「……だい、じょうぶ……」


 やっとのことでそれだけ答える。

 肺がゆっくりと動き始めて、手足の感覚も戻ってきた。足が動かなくなったときもすぐに治ったし、一時的な発作のようだ。病院にいかなくても放っておけばすぐに治る。


「けど、直樹ぃ……」


 うつむいた直樹の顔を覗きこむようにしながら、祐未が情けない声を出した。


「大丈夫」


 今度こそはっきりと意志を表明して、自分の肩におかれた手をどける。提案をはねつけられた祐未がますます泣きそうな顔をした。


「怪我をしただけだよ。本当なら入院するほどのことじゃない」


 頭の傷も腕の傷も縫ったりはしなかった。化膿止めでも塗ってその上から包帯を巻いておけばいいだけの話だ。


「大丈夫だよ」


 まだなにか言おうとした祐未より先にはっきりと宣言した。そうなれば彼女はもう何も言えなくなる。


「……なんかあったら連絡しろよ。携帯の番号は施設の人に教えといたから、あとで聞いてくれ」


 色々と言いたいことはあるだろう。けれど祐未はそれだけ言い残して直樹に背中をむけた。


「うん。送ってくれてありがとう」


 相手から見えはしないだろうが、彼女の背中にむかって軽く手をふる。

 そして結局、祐未から詳しいことを聞き出せていないことに気づいた。


「まあ……いっか」


 そしてすべてを知りたいはずの少年は、不気味なほどあっさりとあきらめの言葉を口にして、ため息をついたのだった。

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