第4話 Time for mad tea party

「じゃああたし用事あるからこれで帰るな。また明日くるよ」

 窓からみえる空は朱色に染まっていて、そろそろ日が沈みそうだ。


「うん。ありがとう」


 直樹は手を振って部屋を出ていく祐未を見送り、いつ退院できるのだろうとぼんやり考えた。怪我をしただけだから、目が覚めたら即日退院でも可笑しくないと思っていた。どうやらそうではないらしい。今日の医者の口ぶりからすると明日退院というわけでもなさそうだ。

 軽い怪我のはずなのに、いったいなぜ?

 血液検査やウイルス分離など怪我をした人間に行うものだとは思えない。


「まるで……感染病かなにかにかかってるようなあつかいだ」


 窓の外を見ると、空が藍色に染まっていた。


「じゃあ、明日は少し強いお薬を出しますからね」


 隣の病室から聞き覚えのある声が聞こえてくる。今日あった医者の――水島の声だ。


「お大事にー」


 のんびりした声が聞こえて、足音がこちらに向かってきた。ドアを少しだけあけて様子を伺う。彼の横には金沢がいた。


「水島先生、マクニール博士がお見えです」


「そう。分離検査の結果出てる?」


 さっきまでの優しげな声とは違い緊張感のある声だった。どこかおっくうそうにも聞こえる。


「ええ。逆転写ポリメラーゼ連鎖反応と蛍光抗体検査の結果も」


「そう、早かったね。結果、準備しておいてくれ」


 事務的な会話を繰り返して、彼らはだんだんと遠ざかっていく。

 分離検査と逆転写ポリメラーゼ、蛍光抗体検査は直樹が受けた検査だ。

 彼らが廊下の角を曲がる。数秒後、直樹はゆっくりと病室から抜け出し水島たちを追った。彼らはナースステーションの前で立ち止まっている。金沢が水島になにかを渡しているようだ。


「これが検査結果です。どうぞ」


「ありがとう」


 金沢がナースステーションに入っていく。水島は金沢を見送ると、身を翻してエレベーターに乗りこむ。エレベーターが次は一階に止まることを確認して、直樹は階段を駆け下りた。物陰に隠れているとしばらくして水島がエレベーターから降りてくる。金沢に渡された検査結果に目を通しながら病棟とは反対側に歩いていく。物音を立てないよう細心の注意を払い、直樹はゆっくりと水島のあとをつけた。

 しばらく歩いた後水島はある部屋の前で歩みを止める。


「失礼します」


 どうやら、応接間のようだ。

 ドアが閉まったのを確認し、耳を近づける。


「どうも、水島さん」


 聞こえてきたのは若い男の声だ。多分水島より年下だろう。だというのに、相手を見下しているような嫌な響きの声だった。


「……どうもお久しぶりです。マクニール博士」


 水島の声は患者に対する優しげなものでも、看護婦に対する事務的な声でもない。怯えて小さく震えているようにさえ聞こえる。


「白井直樹の検査結果はどうですか?」


 自分の名前が聞こえたことで、直樹の肩がびくりと跳ねた。どうやら予想は当たっていたようで、これは自分の話らしい。


「傷の洗浄は早期に行いました。発症もしていませんが……」


 ばさり、と紙のこすれる音がした。テーブルの上に検査結果を置いたのだろう。


「本人も男に腕を噛まれたといってます。間違いないでしょう」


 どうやら病院側は、死体の男に関わったことで直樹が病気に感染する可能性を考えているらしい。


「暴露後ワクチン接種は?」


「行いました。次の摂取は明後日の予定です」


 物音を立てないよう最新の注意を払って移動する。窓からこっそりと覗きこむと、水島の後ろ姿を確認できた。向かい側には銀髪赤目の男が座っている。おそらく、十代後半か二十代前半だろう。線は細く、肌が病的なまでに白い。

 直樹の腕に噛みついた男と、そしてその男を殴り殺した三月兎と、同じ容姿だ。


「では、今度は明後日うかがいます。その時はまた報告を」


 服は全身黒で、ソファの横には黒い帽子と全体がカーブを描いたゴーグル状のサングラスが置いてある。赤い目は水島を見下しているようで、口元には冷笑が浮かんでいた。手元にはメモ用紙があり右手にボールペンを持っていたが、会話などをメモしている様子はない。ただ円を描くようにペンを走らせているだけだった。顔立ちはどう見ても日本人には見えなかったが喋っているのは日本語だ。イントネーションに気にならない程度のなまりがあるためそれが母国語ではないとわかる。

 紙の上でぐるぐるとボールペンを走らせている男に水島が震える声でたずねた。


「あの、死んだ銀髪赤目の男は、何者ですか? なぜ、こんなウイルスの……」


「水島さん?」


 彼の言葉をさえぎるように、男が声を出す。


「……申し訳ありません」


 男の意図を読み取ったのだろうか。水島がすぐに震える声でつぶやき頭を下げた。


「けれど……こ、この町では、似たような事件が立て続けに起きて……町にすむ人間として……詳しいことを、知りたいのです」


 水島が言っているのは、五人が撲殺されたあの事件のことだろう。直樹が巻きこまれた事件だ。

 医者の体が小刻みに震えているのは年下に頭を下げる屈辱か、事件に対する恐怖か。

 銀髪赤目の男は、震えている水島を侮蔑の目で見つめたまま、口元に嘲笑を浮かべてみせる。


「……貴方のことは信頼してるんだ。仕事もできるしね」


 嘘だ、と直樹は思う。

 本当に信頼しているなら、見下すような目で見たり口元に嘲笑を浮かべたりするわけがない。


「だからあまりよけいな詮索はしないでもらいたい」


 水島がゆっくりと顔を上げた。直樹は彼の表情を見ることができないけれど、きっと途方にくれたような顔をしているのだろう。


「……し、しかし……」


 彼の気持ちは聞こえてくる声でなんとなく理解できる。

 水島とまっすぐ目を合わせた銀髪の男は口元に浮かべる嘲笑をさらに強くした。


お茶会の始まりだTime for mad teaparty


 彼の口から飛び出したのは、今まで喋っていた日本語よりもなめらかな発音のおそらくBBC英語だった。


「は?」


 水島の困惑した声が聞こえてくる。直樹も男の意図がわからず窓のむこうで首をかしげた。


「ウイルスの蔓延に関してこちらの管理不足です。申し訳ないと思っていますよ」


 あまり説得力のない口調で、男は言った。


「管理不足……ですか……」


 水島がどこか不安そうに男の言った言葉を繰り返す。

 管理不足ということは、銀髪の男がそのウイルスとやらを管理していたということだろうか。

 医者も直樹と同じことを考えたらしく焦ったような早口で喋りながら身を乗り出す。


「ということは、貴方がたが管理していたものが、なんらかのアクシデントによって持ち出されたということですか? もしかして、この町で起こっている事件も……」


「水島さん?」


 そのウイルスと関係があるんですか?

 水島は、そうたずねようとしたのだろう。


「俺に教えられるのはここまでです。あとはどれほど尋ねられようと、答えられませんよ」


 水島の言葉を断ち切るように、そして思考を停止させるように、さっきまでの嫌味ったらしい敬語から一変した低い声が空気を震わせる。


「ここまで教えてやったんだ。もうよけいな詮索はするな。次はない」


 水島が息をのむ。直樹にはそれがわかった。

 物音を立てないようにそっと窓からはなれ、あたりを見回す。

 マクニール博士と呼ばれたあの男は直樹が巻きこまれた事件の詳細を知っている。水島は全容を教えられてはいないが、あの男の部下かなにからしい。

 銀髪赤目の男が事件の詳細を知っている。

 三月兎は銀髪赤目だ。


 ――あの男は……あの男こそが三月兎なのではないだろうか?


 応接間から少しはなれて直樹は弾かれたように走り出す。

 この病院とあの男は……三月兎はグルだ。

 ここにいたらなにをされるかわかったものではない。

 ここにいてもきっと真実はわからない。

 あの男も病院も、直樹から真実を隠そうとしている。

 吐き気がした。

 なにも知らないのは嫌だ。

 自分のことだ。これは直樹の問題だ。

 だから知りたい。

 知る権利がある。

 直樹には真実を知る権利がある。

 病院を出よう。

 病院を出て、本当は何が起こっているのか調べよう。

 自然とそう決意していた。


「……直樹? どうしたんだ。危ねぇぞ?」


 部屋に駆けこむ途中、一騎当千という四文字熟語がかかれたシャツが目に入った。そして横から声がかかる。祐未だ。


「うん!」


 帰ったのではなかったのだろうか、と思ったが、深く考えている時間はない。思いついた言葉を返して足早にその場を通りすぎる。


「うん、って……おぉい」


 背後から戸惑ったような声が聞こえたが、返事をしている暇はない。

 とにかく早くこの病院から抜け出そうと思った。

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