第3話 三月のウサギみたいに気が狂ってる
色とりどりの折り紙がベッドに備えつけられたテーブルに散乱している。すみには折り紙の羊がいくつもあった。今はオレンジ色の羊が作られているところだ。
羊作っているのは腕と頭に包帯を巻いた直樹だった。浮かない顔をして彼はもくもくと羊を折り続けている。
――あの化け物はなんだろう?
――銀色の髪に、赤い目。被害者と加害者に同じ身体的特徴があるのは、なにか理由がありそうだ。
――警察もそれについては詳しくわかってないみたいだけど。
テーブルの上に、ベッドの上に、折り紙の羊が増えていく。
――死ぬまで相手を殴り続けるなんて、絶対にマトモじゃない。
――バカみたいに跳んだりはねたりして、まるで発情期のメスウサギみたいだ。
オレンジ色の羊が、テーブルの隅に放り投げられる。
――三月のウサギみたいに、気が狂ってる……
売店で買った折り紙の袋から、一番上にある紙を引き抜く。
――三月兎か……
次は紺色だった。
――マトモじゃない奴にはピッタリの名前だな。
――あの三月兎は……なんで突然あんなところに現れて、男を殴り殺して去っていったんだろう。
紺色の折り紙が羊に化ける。
――三月兎の目的はなんだ?
それがベッドの上に放り投げられ、次は朱色の折り紙がテーブルの上に引きずり出された。
「なーおきぃー! 起きてるかぁ?」
朱色の羊が半分くらい形作られたところで病室のドアが開く。折り紙をいじる手は休めずに顔を上げた。なにがそんなに嬉しいのか、笑顔で右手をかかげる祐未の姿がある。昨日とあまり変わらないラフな格好だ。着ているシャツには一騎当千という四文字熟語が印刷されている。右手には果物の詰め合わせが入ったカゴを持っていた。
「祐未さん、こんにちわ」
朱色の折り紙が羊に代り、またベッドのすみに押しのけられる。すると祐未がもともと明るい表情をパッと輝かせ、小走りでベッドの脇に駆け寄ってきた。備えつけられた冷蔵庫の上に果物カゴを置く。ベッドのすみに折り重なっていた羊を一体手に取り、感心したような声をあげた。
「うっわー! すげぇなこれ! ヒツジか? ヒツジだろ? 直樹が作ったのか?」
弾んだ声と楽しそうな表情はとても直樹より年上とは思えない子供っぽいものだ。刑事に敬語を使われていたような人物だとは思えず、直樹は苦笑した。
「欲しいならあげるよ」
何気なくつぶやいた言葉に、祐未がまた嬉しそうな顔で弾んだ声を出す。
「ホントかよ! いいの? だってムズカシイんじゃねぇの?」
「いっぱい作っちゃったから」
テーブルの上やベッドの上には、折り紙の羊が散乱している。直樹に言われてやっと気づいたらしく、祐未はあたりを見回したあと恥ずかしそうに頭を掻いた。そして自分が手に持っていたオレンジ色の羊を直樹に差し出し
「じゃあ、じゃあさっ、これちょーだい」
と照れくさそうに笑ってつぶやく。
「いいよ」
快諾すると、祐未は笑ったまま頭を掻いた。直樹が譲ったオレンジ色の羊をポケットにしまい、あらためてベッドの付近を見回す。
「にしても、すごい量だな。こんなにいっぱい、一人で作ったのか?」
「考えごとしてると、手を動かしたくなるんだ。折り紙は、昔からいろいろ教わってたからね。ちょうどいいんだよ」
直樹は施設育ちだ。幼いころからずっと集団生活をしてきた。施設にはボランティア団体や社会科見学の学生なども頻繁に訪れる。身寄りのない子供達とのふれあいのスケジュールに折り紙を入れる集団は多い。そんな人間と長年接してきた直樹は自然と折り紙が上手くなっていたのだ。
「すっげぇなぁ! 折り紙とか、あたしツルもできねぇぜ!」
あたりに散乱する色とりどりの羊をながめながら祐未が感心したような声を上げる。しばらくのあいだ嬉しそうに紙でできた羊の大群をながめていた祐未は、少しして落ち着いたのか、ベッド脇の椅子に腰を下ろして直樹に視線を合わせた。
「体調は大丈夫か? 熱とかない?」
心配そうに首をかしげる彼女は、直樹に事件のことを聞くつもりはないらしい。
「大丈夫。怪我も痛くないし」
もしかしたら、直樹の体調を気遣っているのかもしれない。
「……事件の調査は進んだ?」
「うーん」
直樹の質問に、祐未は曖昧な返事をして首をひねる。その様子からすると、あまり進展はしていないようだ。
「わかったことがあったら、教えられる範囲でいいから教えてね。被害者のことでも三月兎のことでも、なんでもいいから」
「三月兎?」
「あ、いや……」
不思議そうな顔をする祐未から、とっさに顔をそらす。三月兎は自分で勝手に決めた名前だ。
「ごめん、殺人犯のこと……勝手にそう呼んでたんだ」
「なんで、三月兎?」
バカにされるか笑い飛ばされるかと思ったが、祐未は今までにないくらい真剣な声で尋ねてきた。自分の考えたアダ名の理由を説明するのは、少し恥ずかしい。
「あの殺人鬼、獣みたいに跳んだりはねたりするんだ。発情期のウサギみたいに」
「それで……三月兎か」
感心したような声を出したあと、祐未は表情を曇らせた。
「話せることは、あんまりないと思うぜ……? なんでそんなに気になるんだ?」
口ぶりからすると、事件に直樹が関わることをあまりよく思っていないようだ。
「殺されかけたうえに疑われたんだ。気になるじゃないか」
知らないことは嫌だ。
吐き気がする。
直樹は、家族の顔を覚えていない。
幼いころに家族が死んだらしいがすべて人づてに聞いただけで、自分ではなにも覚えていない。
自分の運命を左右した事故を、自分が覚えていないのだ。
初めてそれを悔しいと思ったのはいつだっただろう。
とにかくその日から直樹は知らないことが大嫌いになった。
もう蚊帳の外にいるのは嫌だ。
知らないまま翻弄されるのは嫌だ。
とにかく、自分が少しでも関わったことならどんなことでもすべて知りたい。
何も知らないままでいるのは絶対に嫌だ。
「なにも知らないまま忘れろなんていうのはムリだよ。教えても問題ない範囲で大丈夫だから、せめて僕がなにに巻きこまれたかくらいは教えてね」
祐未は複雑な表情を浮かべたまま、ゆっくりとうなずいた。
「でも話せることはあんまりないと思うぜ……?」
二度目の言葉は忠告のようであると同時に、なにかの予防線のようでもあった。少しだけ空気が重くなったのを感じる。
祐未がまとわりつく空気を払拭するように、わざとらしい明るい声を出した。
「ここくる途中にさぁっ、フルーツ盛り買ってきたんだよ! どれ食いたい? 今から皮剥くからさっ」
「え? えっと……」
唐突な話題転換について行けず、直樹はあわてて声をあげる。さっきまでの曇った表情とは違い、ニコニコと笑う祐未になんと言って良いかわからず果物カゴに視線をうつした。
「あー……じゃぁりんご……」
「りんごだなっ!」
とりあえず、最初に目に入ったものの名前を言う。すると祐未が弾んだ声で答え、カゴからむんずとりんごをわし掴んだ。
「ちょっとまてよー皮むくやつもさぁ、さっき買ってきたんだよ、百均で」
折り紙の羊が散乱したテーブルにりんごを二つ置いたあと、果物カゴの中をさらにあさる。少しのあいだ果物カゴと格闘して彼女が探し当てたのは、包装されたままのピーラーだった。おそらく買ってすぐに手近な果物カゴに突っこんだのだろう。けれどどうせ果物をカットする必要があるのだから買うなら果物ナイフのはずだ。
「……ナイフは?」
「……え?」
カゴの中に果物ナイフが入っている様子はない。祐未は最初こそ目を丸くしていたものの、すぐに己の失態に気づいたらしい。
「あっ」
間抜けな声をあげ、眉尻をさげて情けない表情を浮かべた。そんな表情をされても直樹だって困る。
「……とりあえず、金沢さんに頼んで、ナイフ借りたら?」
力なく一番無難と思われるアドバイスをするくらいしかできなかった。祐未は己の失態をごまかすように苦笑し、直樹の提案に何度もうなずく。
ガララッ、と音を立てて、部屋の扉が開いた。
「直樹くーん、そろそろ検査よ?」
立っていたのは直樹を担当している金沢だ。
「あ、はい……」
直樹がベッドから降りると同時に祐未が椅子に座ったまま首だけ動かす。
「すンませんっ、ナイフって借りられますか?」
「え? あら、ナイフ忘れちゃったの? いいわよー。私は今から直樹君の検査につきそうから、ナースステーションに聞いてみて」
金沢は相変わらず軽い調子で質問に答えた。
「うぃっす」
彼女の返答を聞いた祐未がどこかおっくうそうに椅子から立ち上がる。彼女はすぐに笑みを浮かべて直樹に手を振った。
「帰ってくるまでに、りんご剥いとくからなっ!」
「ありがとう」
笑顔の祐未に手を振り替えし直樹は金沢の案内にしたがう。
「先生、直樹君を連れてきました」
金沢が開け放たれたドアをノックしながら病室を覗きこむ。
「ああ、ありがとうございます。直樹君、こんにちわ。担当医の水島です」
デスクの前に座っていたのは、眼鏡をかけて微笑む中年男性だった。笑顔は優しげだが顔は精悍なつくりをしていて、体もガッシリしている。
「じゃあ、その椅子に座ってくれるかな」
言われたとおり、医者と向かい合うように置かれたパイプ椅子に腰を下ろす。水島は直樹が座ったことを確認すると、デスクの上に目を走らせて口を開いた。
「検温の結果は異常なし。朝食も全部食べたみたいだね。傷は痛む?」
「いいえ。大丈夫です」
直樹の答えを聞いてうなずくと、手元のカルテになにやら書きこんでいく。
「じゃあ直樹君、ちょっと痛いけど我慢してね」
おそらく傷の経過などを調べられるのだろうと思っていた直樹は驚いた。水島が綿棒を持ち出して、直樹に少し顔を上げるように指示したのだ。
「二回やるからねー、でも、直ぐ終わるから」
鼻孔に異物が入ってくるのがわかった。水が入ってしまったときのようなツンとした痛みを鼻の奥に感じる。少しだけ涙が飛び出た。
「じゃあ、もう一回ね」
すぐに終わってしまうのが唯一の救いか。できれば二回もやりたくなかったが、医者がやるというのだから仕方がない。
それにしても、何のためにだろう。
直樹は怪我をしただけだ。
これではまるでインフルエンザかなにかのようではないか。
「血も少し取るよー」
なんのために?
直樹が質問するよりも早く、金沢が直樹の腕をアルコールで消毒する。
「ちょっとごめんね、直樹くん」
腕に小さな痛みが走って空だった注射器の中に赤黒い液体がたまっていく。時間にすればほんの数秒だろう。
「はい、終わり! また明日来てもらうかもしれないけど、よろしくね」
直樹の腕から針を引き抜いて、水島が言った。
金沢が直樹の腕をひき、病室に帰るよう促してくる。
水島に背を向け祐未のいる病室に帰ろうとしているとき、直樹は後ろでかわされる会話を聞いた。
「一回目のやつ、分離検査用ね。二回目はリバポリメやってくれる? 血液サンプルは蛍光免染用だからまわしといて」
「はい」
とっさに振り返って詳しく尋ねようとしたが、その前に部屋のドアが閉まった。
「お見舞いに来てくれた人あんまり待たせたら悪いものねぇ。急ぎましょうか」
「はぁ……」
金沢がのんびりとした口調で言いながら、直樹の手を引いていく。彼女の言葉に曖昧な返事をして、直樹は首をかしげた。
聞きなれない言葉だったが、リバポリメという略語は彼に逆転写ポリメラーゼ連鎖反応という言葉を連想させた。
DNA情報を持たない病原体遺伝子を検出する場合に用いられる方法だったはずだ。蛍光免染という俗称は、おそらく蛍光抗体法のことだろう。蛍光色素で標識した抗体を使用して、細菌やウイルスなどを検出する方法だ。どちらもウイルスや細菌の検出に使われる方法だが、なぜ怪我をしただけの直樹がそんなことをされなくてはいけないのだろう。体温だって別段高いわけではないし、そもそも咳すらでていないこの状況で、どんなウイルスがひそんでいる可能性があるというのだ。
体調になんの変化もないのに、三種類の検査を行う意味がない。
「おっ、直樹ぃ! 検査終わったのか? 結構早かったな!」
部屋に帰ると、ナースステーションで果物ナイフを借りたらしい祐未が笑顔で手を振っていた。
「りんご、一個切ってあるからさ。好きなの食えよ」
そういって、祐未は紙皿の上に乗ったりんごを直樹に差し出してくる。
部屋に来たときはそんなものを持っている様子はなかったので、これもナースステーションでもらったか、もしかしたら病院の売店で買ったのかも知れない。
「ありがとう」
礼を言ってカットされたりんごをひとつ口に含む。しゃりしゃりと耳に心地よい音がしてりんごの味が口の中に広がった。
「祐未も食べなよ」
「うん。これむき終わったらな!」
祐未の手にはりんごがあって、ピーラーで皮を剥いている最中だった。なにがそんなに嬉しいのか、祐未はずっと笑っている。けれど、自分を気遣ってくれているのはちゃんと理解できた。
「……ありがとう」
「んぁ?」
もう一度礼を言うと、祐未が間抜けな声をあげて直樹を見る。しばらくしてから言葉の意味に気づいたらしい。
「え、あ、ははは」
彼女は少し照れくさそうに笑って、けれどそれをごまかすように、さっきよりもぎこちなくピーラーを動かしはじめる。目はどこを見ているのか、少なくとも手元は見ていないようだ。
直樹の胸を小さな不安がよぎり、注意しようと口を開く。
「……祐未、危な……」
すると祐未が照れくさそうに笑ったまま、首を直樹のほうに動かした。
目が完全に手元からはなれる。
「いってぇぇえ!」
そして彼女は案の定というかなんというか、ピーラーで指の皮を剥いた。
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