レオンハルト

しき

プロローグ前半 「――ざっけんなゴルァ!」


 クルナ王国北部の農村、ハルトゥーン村に住むレオは農民の子だ。

 他の子供達と同様に親の畑仕事を手伝い、空いた時間は子供特有の無尽蔵な元気を運動で発散させるという生活を送っていた。

 春は畑を親の倍の速度で耕し、種を蒔き、剣を素振りする。

 夏は畑の様子を見、森を縦横無尽に走り回って自然の恵みを野生動物と奪い合い、素振りをする。

 秋には収穫を行い、冬に備えて薪を集める為に木を斬り倒し、冬眠の準備に餌を探し求める熊や魔物と戦い、素振り。

 冬は自宅以外にも村公共の道や集会所の雪掻きを行い、親含め周りが家に引きこもって内職しているのを尻目に森へ行って魔物を斬り、いつもの。

 剣が関わらなければ将来有望な働き者の若者としてレオは普通の生活を送っていた。

 しかし、雪溶け水が森から流れ春へと移り変わる時期、人生を一変しかねない夢を彼は見る。


 夢の中、レオは大きな鉄の箱の中にいた。柔らかい椅子が幾つもあって、黒目黒髪の童顔な少年少女達が同じ格好をして座っている。鉄の箱はバスと呼ばれる機械仕掛けの動く箱であった。

 見覚えが無いけれどやけに懐かしく、慣れ親しんだ感覚のする制服に包んだレオもまた黒目黒髪に変わっており、顔も変わっていたがそれが自分だと何故か分かった。

 透明度の高いガラス越しに欠伸しながら外の様子を眺めている夢の中のレオ。バスという乗り物の揺れが眠りを誘い、うとうとし始めた。

 その時、バスがいきなり斜めに傾いた。目が覚めて顔を上げるよりも早く、更に何か突き破った衝撃が起き、重力を失う。

 視界が回転して、バスが車道を飛び越え崖から落下している事実に気付く事も無く、暗転する。

 気付いた時、レオを含め若者達は真っ白な空間にいた。そして、革ジャンにシルバーアクセサリー塗れの若い金髪の男が現れた。

「はい、そんな訳で君ら死んじゃったから。俺がバス転がして即死したから。んで、何でそんな事したかっつーと、ネット小説である異世界転生とか転移モノやりたくなったから。え? ネット小説なんて知らない? 読めよインテリぶりやがってジャンルで好き嫌いしてるから死ぬんだよ。殺したのはお前だって? ええ、そうっすね。で、それで? 君ら、蟻の巣を水没させたらいちいち責任とんの? すっげーじゃん。バッカじゃねーの! という訳で、はい、転生してらっしゃい。あっ、チートは前世の記憶が戻った後にあげるから。俺以外の神様がな! じゃあ、良き来世を!」

 次の瞬間、レオの意識は遠のく。同時に夢を見ていたレオは自分の前世と言うべき記憶を思い出した。

 レオは地球という星で生活をしていた学生で、ある神の悪意によって事故という形でクラスメイト共々殺され違う世界で生まれ変わった存在だったのだ。


「――ざっけんなゴルァ!」

 目が覚めた瞬間、獣の咆哮のような怒声を上げたレオは壁に立てかけてあった剣を掴むと、窓を開いて外へと飛び出した。

 木造の二階から靴を履く事もせず、雪の名残がある庭に裸足のまま着地したレオは鞘から剣を引き抜いて素振りを始めた。

「くそがっ、ふざけんなッ! んな、事の、為に、事故らせ、やがった! クソッタレがァ! 次会ったらぶった斬る!」

 レオが振る剣からは彼の怒りを表したかのように重い風切り音が鳴る。

 前世の、しかも異なる世界での記憶が蘇るなんて貴重で奇妙な体験をしたレオだが、そんな事よりも怒りが勝っている。

 その矛先は当然、あの金髪の男だ。何者かは知らないが前世の死の原因があれなのは確かだろう。けれども男はここにいない。

 向ける先が無い怒りはレオにじっとしている事を許さず、兎に角剣を振るう事で冷静になろうと努力する。

「レオ、どした? あんな魔物みたいな声出してさ。みんな、びっくりして起きちまったじゃねえか」

 レオが素振りを行っていると、裏口から父親が顔を出した。その後ろでは母親もおり、更に後ろでは弟や妹達が眠そうな顔で立っている。

「わりぃ。夢見が悪くて思わず叫んじまった」

「レオ兄、こわいユメ見たのー?」

 一番下の妹が舌足らずな声で言った。その言葉に、レオが返事をする前に家族達が首を横に振って否定する。

「ないない。レオに限ってそれは無い」

「兄貴が怖い物ってどこの魔王?」

「レオ兄さんなら貴族も殴れるよね」

「それって洒落にならないよね。死ぬよね、貴族が」

「レオ兄ならなんでもきれるよねー」

「どうしてこんな子に育っちまったのか」

「家族だからって酷くねえ? あのな、俺だって――」

「熊だーッ! 冬眠明けの熊が山から下りて来たぞーッ!」

「――サンドバッグ来たかァ!」

 村人の警告が響いて来たのを聞き、レオは嬉しそうに裸足のまま庭から飛び出して行く。その反応の早さと嬉々として突っ込んでいく後ろ姿にレオの家族達は無言で眼差しを送るのだった。


 冬眠明けで痩せた熊を捌いた後、落ち着きを取り戻したのかレオは幹を伐り倒された切り株の上に座って剣を磨いていた。

 十年以上前に譲って貰った剣はすっかりと刃が薄くなってしまった。村の鍛冶師に教わって研いではいるが、矢張り刃こぼれが目立っている。武器としてはとっくに寿命ではあるが、この損耗具合が自分の剣術修行の積み重ねだと思うと愛着が湧く。

 動物を斬ったばかりで付着した血や油をバケツに組んだ水で洗い落としていく。

 本来なら剣の手入れは後回しにして家の仕事を手伝うべきなのだが、家族はレオを放置していた。そもそも早朝既に熊一匹を狩っている上にいざ動けば人一倍の作業量をこなす事から他の村人も何も言わない。

「ったく。にしても何で今更思い出したんだ?」

 乾いた布で水気を取って磨きながら、レオは前世の記憶が突然思い出した事に疑問を覚えていた。思い出した理由や原因が分からないのだ。

「そ、それは十五歳に、なったから」

「うぉおおっ!?」

 独り言の返事が来たと同時に気配が真後ろから感じたレオはビビって叫びながら飛び上がる。

 森の中を歩き回った経験のある人間として背後にいきなり気配や音がしたらかなり驚く。何と言っても油断していれば野生動物魔物に後ろから襲われ死んでしまうのだから。

 自分の未熟さを後悔するよりも早く飛び上がったレオは水が張った桶を蹴り飛ばしながら座っていた場所から数歩離れ、一瞬で背後に振り返りながら剣を横に振るった。

 ビビって剣を振ったと言えば情けない話だが、その速度が尋常では無かった。驚きからの迎撃の流れに滞りが無く機械のように正確だったのだ。

 後ろを振り返りながら剣を振るったレオはそこに立っていた者の姿を見る。

 人だ。黒いローブを被っており、ローブの色を塗り潰さん程の禍々しいオーラも感じる。すわ亡霊の類かとレオは思ったが、禍々しいながらも敵意の類は感じられず、しかも子供のように小柄だ。

 弟や妹ほどの体格にレオは対象に触れるか触れないかの所で剣を止めた。

 振った時と同様に予めそんな仕掛けでも備えていたかのように停止する剣。だが、生じた剣圧だけはどうしようも無く生じた突風が周囲の小石や庭の外の木々の枝を揺らし、後ろにいた人物のフードをも外す。

 黒いフードが捲れると金の髪が露わになった。

 黄金の川のようなウェーブのかかった金髪。紫水晶をはめ込んだような瞳。日の光を知らない白磁の肌。芸術の極みのような少女がそこに立っていた。

「……誰?」

「あ、あああうう、ごごごごめんなさいっ!」

 剣を首近くに添えられて今度は少女の方がビビって半泣き状態で震えていた。

「…………」

 レオは剣の腹で少女の頬を軽く叩いた。

「ひぅっ、あああわわわわわわっ」

 金属が冷たかったのか、一度大きく肩を振るさせて寒さに震える小動物のように少女は更に震えた。震度五はありそうだった。

 そしてそんな幼気な少女の様子を見て、レオは無言無表情でペチペチする。嗜虐に走った訳では無い。剣の腹で叩こうとすると、皮一枚の所で弾かれるのだ。

 決して、怯える少女の姿に嗜虐心が湧いた訳では無い。湧いた訳では無いのだ。


「で、お前誰?」

 通報モノの所業を三十分ほど行い、少女が落ち着くまで更に三十分。計一時間後、自分の行為など忘れたと言わんばかりにレオは逆さまにした桶に腰掛けて少女に問うた。

「わ、私はメフィーリアと言います」

 メフィーリアと名乗った少女はフードを再び被って切り株に座っていた。可愛らしい容姿をしているのだが、黒いローブという格好に吃る口調。何より暗いオーラのせいで非常に恐ろしげな印象を受ける。

「メフィーリアね。それでどうしてこんな辺鄙な村に来たんだ?」

 メフィーリアは村の住人では無い。他の村の住人の顔全てを知っている訳では無いが、こんな少女がいれば目立つ筈だから他の村の者でも無い。

 だからと言って旅人に見えないし、余所者が来ればすぐに分かる。それに振って湧いたかのような気配の現れ方もおかしかった。

「う、うん。それはね……こ、この度は前世での不慮の死、お悔やみ申し上げます」

「ああ、どうも……うん?」

 メフィーリアの口から出た前世という単語にレオは首を傾げる。そう言えば先程、前世の記憶の戻り方の愚痴を漏らした時にもこの少女は答えていた。

 レオが転生した事について何か知っているのは確かだった。

「知ってるのか? いや、その口ぶりだと関係者か?」

「お、同じ神だから」

「神?」

「…………?」

 レオはメフィーリアを見下ろす。人間離れした美しい少女だが、神と言うにしては威厳が全く無い。

「まあ、いいや。それで?」

 そんな風に思ったレオだが、物ぐさなのか少女の正気を疑ったのかはともかくメフィーリアに話の続きを促した。

「あ、貴方達を無理やりこっちに、転生させたのは今回だけじゃなくて、色んな世界で問題を、起こしてる神なの。みんな、こ、困ってる」

「あれが普通じゃないって言いたいんだな」

「う、うん。太陽神のアーバレス様も、す、すっごい怒ってて、貴方達の世界のスサノオさんも剣持ってととと飛び出して行ったとか」

「おおぅ…………」

 太陽神アーバレスはこの世界の最高神である。ただの農民であるレオも知っているし、村の小さな教会もアーバレス系列だ。そしてスサノオと言えば日本人であれば細かい逸話などはともかく誰もが知っている神であった。その両者の神の名が出てレオは思わず声を漏らした。

「見つかったのか?」

「まままだなの。ご、ごごめんなさい!」

「いや、確認で聞いただけだから。別にあんたらに対して怒ってないから落ち着けよ」

 どうでも良いがこの男、自称とは言え神に向かってタメ口である。

「そ、そう、ありがとう」

 そしてこの女神も人間に対して低姿勢だ。

「そ、それでね、申し訳ないけど転生しちゃったからには、ここで人生を送ってもらうしか、な、ないんだけど……」

「まあ、そりゃあな。もう一回死んで日本で生まれ変わるのも面倒だし」

「そ、それに、あああなた達の魂には欠損があるから、それをど、どうにかしないとって話になって」

「欠損? それがあるとどうなるんだ?」

「そ、それは……ま、魔物になっちゃうの」

「マジか」

「ま、まじ」

 魔物とは、所謂地球で言うファンタジアであるこの世界に存在するエネルギーの魔力を大量に含んだ動植物の事を主に指す。それ以外にも魔力による汚染で発生した突然変異、それと精神や魂の異常で変異し肉体を失っても生き続ける死霊などなど。要は魔法と関係のある害獣の事だ。

「た、魂が傷付いたままだとそれが原因で歪んで、変異を起こして魔物になっちゃうの。ほ、本当は、もっと早く助けて上げたかったんだけど、隠蔽されてて、十五歳になった春に隠蔽が解ける仕組みになってたの」

「隠蔽って、あのクソ神か」

「う、うん。そ、それと、貴方達の魂に傷を付けたのも、あ、あああの人なの」

「あの野郎…………」

 再び湧き上がる怒りでレオの剣の鞘を握る手に自然と力が篭る。それを察したのか自称神の少女の肩が震え、目に見えて怯えていた。目の端に玉の涙が浮かんでいるあたり、さっきの件が余程トラウマなっているらしい。

「ああ、悪い。それで話の続きをしてくれ」

 全く悪びれた様子も無いレオが話の続きを促す。言いつつもこの男、何時でも剣を抜けるようにしているのだ。

「わわわ分かった……っ。えっと、えっと、それで、魂の欠けた部分の補填を私を含む神々がしているの。ほ、他の子達にも、今頃他の神が会いに行ってる、筈だから」

「ああ、ちゃんと治してくれるのか」

「う、うん。流石に、こんな形で転生してしまった人に、ち、ちゃんと人としての生を送ってほしい、って、アーバレス様が」

「良い神様だな。神父さんの説法覚悟で教会に今度お供えに行くわ」

 現金な男である。ちなみに実際にお供えに行った場合、レオが用意するのは仕留めた森の動物達である。

「アーバレス様も、きっと喜ぶと、思う。そ、それで、魂の補填だけど、ど、どんな力が欲しい、の?」

「はい?」

 何だか予想外の言葉にレオは間抜けな声を出す。魂の補填と力にどう関わってくるのか。

「え、えっと、欠けた魂の修復は神でも難しいの。で、出来るんだよ? でも、とても繊細な作業が必要だし、バランスが狂ったり小さな傷が残ってたら、あ、後になってそれが原因で、べべ別の傷が出来ちゃったりするの」

「ふうん」

 口下手な女神なのだろう。メフィーリアが必死になって説明する様子を眺めつつ、レオは邪魔しない程度に相槌を打つ。

「だ、だから、私達神の魂の一部を使って欠けた所を埋めるの」

「うん……うん?」

「神は人と違って魂が治るの。それを利用して、私の魂の一部切り取って、それで欠けた所を埋めるの」

「あー、それってつまり、粘土みたいに」

「う、うん。い、一度癒着すれば、欠けた所を勝手に埋めてくれるし、貴方に合った形になるから。そ、それでね、一つ問題と言うか、副作用があって…………」

「それが力云々に?」

「う、うん。あ、貴方の魂そのものになるけど、元は神の一部だったから、相応の力があるの。分け与える際には、その力の方向性を決める事が出来るから、どうせならそれは本人達に決めてもらおうって話に、なって」

「……もしかして、クソ神がチートって言っていたのはこれの事か」

 怒りですっかり忘れていたが、元凶である神は自分以外の神がチートくれると言っていたのをレオは今になって思い出す。だとすると、神々を含め元凶の思い通りに動かされている訳でもあった。

 それを指摘しようかなとも思ったレオだが、この口下手な女神にそこまで言うのは酷ではないかと良心が囁いたので止めた。太陽神様に期待しよう。

「ち、地球では、そう言うのかな? こっちではギフトって言うんだけど」

「ギフト……ああ、確かそんな力を持った奴がいるって話なら聞いた事がある。そうか、チートだったのか」

「と、とにかく、私が出来る範囲なら、ギフトを上げられるから、どんなのが欲しいか教えて欲しいな?」

「具体的にはどんなのがあるんだ?」

「え? え、ええっと、私、そ、そそそういうの分かんなくて。貴方に決めて欲しいかなって……」

「いや、俺もよく知らんし。パッと思いつくの無いんだが」

「…………」

「…………」

 沈黙が下りた。村の表通りの方から子供達が遊んではしゃぎ回る声が聞こえて来た。

「あー……時間くれないか? 考えとく」

「う、うん。私も、他の神に聞いてみるね。ご、ごめんね? 頼りない神で」

「いや、別に」

「う、うん。ありがと」

「…………」

「…………」

 再び沈黙が下りた。一人と一柱の会話能力の低さが垣間見れる光景だった。

「ば、ばいばい」

「おう」

 座ったまま胸の位置で小さく手を振る女神。レオが短く返事をし、瞬きした途端に彼女の姿は消えていた。

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