エピローグ

とても良く晴れた夏の日に

 政務室と名付けられた残骸の空間で、私は一人、壊れた板の上にたまった報告書を読み、整理していた。

 上を見ればここ最近の天気が嘘のような晴れやかな空が広がっている。

 青空教室ならぬ青空政務室と言ったところか。

 耳を澄まさなくても中央広場の跡地で開催されている昇武祭本戦の歓声が聞こえてくる。

「邪魔するぞえ」

 ぶらりと、あの女性がやってきた。

「これは鳳様、ようこそいらっしゃいました」

「ほほっ、意外かえ?」

「ええ。もっと早くいらっしゃるものとばかり」

「何の何の、ヌシの甘言に乗った者共とその周辺や、気になった輩共の仕置きをしておったらこんな時間にのうてしもうたわい」

「そんなこと……。お尋ね頂ければすぐにでもお教えしましたのに」

「主は、いや主も分かっとらんのう」

 彼女は自分の顔の傷跡を指す。

「剣の腕ならば妾より上の人間はおるのに、何故妾が『皇国護鬼』と言う大役を背負っているのか分かるか?」

「それは——」

 返答に詰まる。

「妾はの、斬ろうと思えば誰彼構わず斬れる。妾の剣を外せるのは一人——いや、あのちんまい女子を入れれば二人しか知らぬ」

 妾が選ばれたのはの、とこちらの困惑を見越したように彼女は続ける。

「それはの、斬るべきを斬り、斬らぬべきを斬らぬからじゃ」

 つまりは倫理観、いや判断力の高さを買われてと言うことか。

「島津の鬼共は何故鬼と呼ばれておる? 残酷苛烈な戦のせいか? それは違う。兵はあるじのためならば命を捨てると決め、主は兵を一人でも生き残らせるのならば己の命をも惜しまぬ。その絶対の主従関係が究極を超えた武を生む——彼奴らはそれを認識した上でさらなる強さと手柄を欲し戦場を駆け巡るのよ」

「強さだけではなれない、いえ、強いかどうかは本来は二の次と言うことですか?」

「然り」

 ほほほ、と、この女性は笑う。

「冥土の土産に良い話が聞けました。一つ、宜しいですか?」

「何ぞな?」

「貴女は聖教の人間と接触した後、封印を破ることを黙認しましたね? 皇国護鬼ともあろう人がそれで良いのですか?」

「ほぅ、よう気づいたの」

 彼女に三ツの滝の警備をお願いした時だ。

「奴らの語る誠に一理ありと判断したまでじゃ。もがくべきはそこではない、そう思うての」

「そうでしたか」

「安心せい。ことの次第はつぶさに奏上いたす。全ては御上の御心次第じゃ」

 なるほど、これが皇国護鬼と言う存在のあり方か。

「他にあるかの?」

「いえ、胸のつかえは全て取れました。願わくば——」

「む?」

「介錯を、お願できますか?」

 机の上に用意しておいた短刀を鞘から抜く。

 この身が犯した罪は良く知っている。公権力乱用、内乱誘致、国家転覆、反逆、共謀、謀殺、殺人に殺人教唆、傷害致死等々、どうしようもない罪状ばかりだ。

「ふむ」

 彼女は顎に手を当てる。私がこう出るとは予想していなかったのか?

「残りのことはご心配なく。弥生君なら一人でも私の後始末をしてくれるでしょう」

「ほう、あの饅頭娘か」

「ええ、あの饅頭娘です」

 これから死ぬと言うのに、私の胸には爽やかな風が吹いていた。

「では——」

「すまぬの」

「え?」

 ぐるりと、私の視界が三百六十度回転する。

「主のような輩を斬らずして何が皇国護鬼か。安心せい、記録上は自害したとしておく」

 ああ、そうか。

 首の無い自分の体を見て私はようやく彼女の抜刀術で首を斬り落されたのだと理解した。

 これで、いい。

 私の起こした騒乱が、静さん一人のためだったなどと、彼女が知る必要はない。

『あの子のこと、お願いね、政一郎君』

<思い出す>、彼女との最後の会話、約束を。

 途中までしか私はできなかったが——

「主が凶行に及んだ理由、妾は覚えておこうぞ」

 私は地面に転がりながらも笑みを抑えられないでいた。

 静さんなら、きっと大丈夫だ。彼女のために身を投げ打った友人と一緒なのだから。

 空が青い、何処までも澄んでいる。

 人生を振り返る走馬灯など見る必要はない。

 静さんは元気にやっていく——それだけで十分だ。

 私が生きた理由には、勿体ないくらいだ。

 私はここ数十年で、いや、生まれて初めて心の底まで満たされた気持ちで、

 目を、

 閉じた——。


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「それでは、昇武祭本戦一対一、準決勝第二試合を執り行う! 両者、前へ!!」

「心得ました」

「はい」

 沢庵教諭の声に、私は竹刀を手に前へと進み出る。

「行け行けー! リズさんやっちゃえー!」

「きゃー! リズさーん、こっち向いて〜!」

 私は参組の皆の応援を聞きながら、相手を見据える。

「会長〜! 頑張って〜!」

「会長! マジ参組の奴なんかに負けんなよ、頼むぞォ!」

「留学生に遅れをとっちゃダメですよー!」

「俺達の無念を晴らしてくれ〜!」

 男子生徒の太い声に混じり、女子生徒の黄色い声が耳につく。

 なるほど、流石は学級長の兄か。

 面の内より覗く端正な顔立ちには迷いは無く、気合十分である。

「皆〜、三対三なのに二人で出場しちゃう女子なぎ部もヨロシクねー!」

「百地よぅ、同好会だろぉ〜、お前んとこ」

「どうせシャルロッテちゃんが恩寵でドンドンパキーンじゃねぇか」

「青江さんも出場すれば良かったのにね〜」

「まだ安静にしてた方がいいみたいだし、仕方ないよ」

「畜生、負けた! また負けた!」

「大豪寺、また〜?」

「去年と同じ順位なんだからいーじゃーん」

「ふんどしとかやめて欲しいしー」

「こう言う時は素肌の温もりで暖めるのだー! てゆー訳で行け、志水っち!」

「アホ、何で俺なんだよ! 萌の役目だろ、それは」

「えー、だって東雲君はリズさんて彼氏がいる訳だしぃ〜」

「三角関係なんか——……いけるじゃん!! いけるって皆!」

「おっ、東雲をめぐってヴォルフハルトと大豪寺の二回戦勃発かぁ〜!?」

「アタシ、リズさんに昼ご飯賭ける!」

「私も! 三回分賭ける!」

「大豪寺に賭ける奴がいないと賭けが成立しないっしょ?」

「テ、テメェらぁ……!」

「はい、シャルちゃんガード」

「シャルちゃん、大豪寺、怖いねー」

「え、え? あの、あの?」

「ウ、グ、ウゴゴゴ……」

 うむむ、皆は相変わらずか。

「ヴォルフハルト君、この国に住む者の一人として改めて君に礼を言わせて貰う」

 私の対戦相手、学園の生徒会長が頭を下げる。

「私はただあの場に居合わせただけです。そのような礼など——」

 こそばゆい。

 賞賛されるべきは、正確に核へと斬撃を跳ね返したシャルロッテ、痛みに耐えてその場所を伝えた静、同時切断と言う離れ業をやってのけたあの女性だ。そして、突破口を斬り開いてくれた萌だ。あの『チェスト』がなければ何も始まらなかった。

 しかし……覚えていないとは何事か。無論、覚えられては困った不運で不幸な事故もあるにはあったのだが、そちらも覚えていないと彼は言う。

 しまった、大事な試合の前だと言うのに思い出したらまた小一時間程彼を問い詰めたくなってきた。

「リーゼちゃーん! 応援に来たわよー〜!」

「うお〜ぃ、とりあえず今日も元気にお仕事だ。仕事に支障きたさねえ程度に気張っとけ」

「可愛くないオジさんだこと。ほらアンタも応援しなさいって!」

 “フン……”

「あ、守康もりやすいるし。アンタ、リーゼちゃんの応援すんのにその抜けた態度は何なのよ! 声出しなさい、声!!」

「げげっ、燈姐!? 何でいやがんだよ、仕事中だろマジで……。萌、お前もだ! 声出しやがれ!」

 志水のヤケクソな声が飛んでくる。志水と日鉢殿は知り合いだったのか。そこで気付く、二人は旧家の出だったのだな、と。

 目が、合った。

 ——リズさん頑張れー!

 頬を赤らめ、はにかみながら萌が声を出す。

 それを見れただけで、先程の私の黒い思惑が何処かへ飛んで行ってしまった。なるほど、これが惚れた弱みと言う奴か。

 私は彼に笑みを返してから、緩んだ口元を結び、対戦相手に向き直る。

「では、<八岐大蛇>と渡り合ったと言うその剣技、味合わせて貰うとしようか」

 生徒会長が、穂先が十字になった竹槍で仏教の守護神の梵字を円と共に描き、名乗り上げる。

「鳥上学園撃剣科伍年、生徒会会長、宝影院正和——」

 彼の足元から、彼と寸分違わぬ影が二つ、地面に手をつきながら十字の槍を持って出現し——一斉に構える。

「<宝影院、開門>!」

 影使い、か。影二つ本人一人の三対一だが、それだけでは終わらないと私の目は告げる。

 私は鋭く強く一気に肺の空気を外へと押しやる。

 深く息を吸いながら左半身を前に出し、手に持った竹刀を相手に一直線に向ける『雄牛』の構えを取る。


「鳥上学園弐年参組、聖コンスタンス騎士修道会極東管区麾下下級従士、リーゼリッヒ・ヴォルフハルト。私の恩寵は——」


 強く、私は宣言する。

 私が生まれ持ち、そして彼との絆のきっかけになってくれた私の力の名前を。


「<強制視>」


「それでは両者、尋常に——」


 良く晴れた空に、


「勝負、始めィィ!!」


 戦いの掛け声が響く。


 どこまでも青い空の下、

 私は大切な人達と共に、

 新しい今日を、そしてもっと素敵な明日へと歩き出す。



 [Fin]



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