第3話

思い返してみれば、生まれてこの方、男の子に対して特別なきもちを抱いたことはない。

初恋の相手は幼稚園のみゆき先生という年上のお姉さんだった。

男女問わず他の子がみゆき先生に遊んでもらっていると、嫉妬心と独占欲がまだ小さかったからだの芯から溢れ出てきそうだったことを覚えている。

みゆき先生がお遊戯の時間にピアノを弾くときには、鍵盤を叩くリズムに合わせて身体を揺らしながらうっとりとしたきもちでその顔を眺めていたものだ。

当然ながらその初恋は実らず、幼稚園を卒業し小学校に上がったのだが

高学年にもなると周りの女の子達は、クラスの誰々君が好きだの、男性アイドルグループの〇〇君が格好良いだの色気づいてくる。

そうした幼い、性的な香りがしないような好きというきもちですら異性に対しては抱いたことがない。

何しろ私がそのとき好きだった相手は同じクラスの真紀ちゃんだったし、一番好きな芸能人は大人びた演技をすると評判の実力派女性俳優だったのだから。


ただ別に男性恐怖症だの、男性嫌悪症だのといったことは全くないのだ。

クラスの男子とは普通に(そして適当に)会話をするし、配布物を後ろの席に回すときに指くらい触れても別に嫌だったりはしない。

XY型の性染色体をもつ人間に対して、性的な魅力を全く感じないというだけなのだ。


私の母親は私を産んでしばらくして亡くなってしまった。

後に残された父は、天国の母が心配しないようにと勤務医としてハードに働きながら、可能な限り自分自身の手でこどもたちの面倒を見るという超人的な活動を行い

二人の兄と私とが中学を卒業するまでは出来る限り夕飯も一緒に食べようと、仕事先からいったん急いで帰ってきて家族での食事を済ますとまた仕事に戻っていくというくらいにバイタリティと愛情に溢れた人だ。

さすがに最近はもう私たちも大きいので夕飯はバラバラなことも多いけれど、そんなときでも父は私や兄にLINEで「お父さんは昨日君たちのために冷蔵庫に食後のデザートを用意しておいたよ」などと、壮年期の男性とは思えないまめさを見せてくる。

兄二人は両方とも大学生なのでゼミに余裕がある方が夕飯を作ったり掃除をしたりして、こちらもまめに我が家を維持している。

二人揃って「永美は生徒会の仕事もあるんだし食事当番はいいから、友達と遊んだり勉強したりして高校生活を楽しむといい」と、どう考えても父の血をひいていると確信できるくらいに私を甘やかしてくる。

こうしたわけで毛利家で私は性別アウェーな存在として今まで生きてきたわけだけれど、日常的に周囲に男ばかりがいると、何というか、慣れてしまって新鮮味がない。

完璧超人である父以外にも、客観的に見ても容姿は標準以上で家事もきっちりこなし、勉強もそれなりにできるというプチ完璧超人の兄二人がこうして一緒に住んでいるが、勿論父にも兄にも嫌悪感はない。

飼っている犬とインコまでアウェー感を更に演出するための嫌がらせのようにオスなのだが、勿論彼らのことも愛している。

しかし、家庭環境に問題がなくても、愛情が鬱陶しいくらいに注がれていても、そんなこととは関係なく性的マイノリティになるということは普通にあることなのだ。

私は考えに考え、自問自答を繰り返した結果、やっぱり女の子が好きだと高校一年のときにようやく自覚できた。

でも、私をとても愛して大切にしてくれている父と兄達には、打ち明けられない。

そしてお正月にみんなでおせちを食べているときにほろよいになった父が「永美ちゃんが結婚すると言って彼氏を連れてきたら、多分泣いちゃうなあ」などとおどけて言っているのを聞いて

そんなことはきっとおこらないよ。ごめんねお父さんと心の中で思いながら、期待に応えられそうもない自分という存在がとても苦しくなった。

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