0017 今回は俺の負けだ。


 コツコツと肘当てに爪を当てる音が響く。

 発生源である人物のイラつきに比例して間隔が狭くなっていったそれは、最後にはカツンッと大きく弾いたような音になり止まった。


「遅い……」


 赤髪に真紅の瞳、【炎帝】エミル・アウナスは端正な顔立ちを歪ませてぼやいた。


 直後、扉がノックされる。


「入れ」


 声に応じて入って来たのは、数十分前まで行動を共にしていた老人だった。

 しかし、その身に纏うものは先とは違い、銀色に輝く鎧へと変わっている。


「何の用だ、爺」

「賊の報告が届いたので、一応、お伝えしておこうかと」


 視線で続きを促すと、老人は口を報告を始める。


「まず、賊の人数は一人です」

「一人か。……一人!?」


 思わず取り乱す。

 てっきり複数人で来ているものだとばかり思っていた。


(たかだか一人相手に合唱魔法……? 実は合唱魔法ではなく、単純に個々で魔法を打っただけなのか?)


 合唱魔法——その名の通り多人数での合同詠唱により発動する魔法である。

 各々が別々の魔法を使うが、その威力は単純に複数人で魔法を放ったときとは比べものにならないレベルに達する。


 消費魔力が増えるというデメリットがあるために、戦争ではここぞという場面に用いられることが多い。


「つ、続けろ」

「……先ほどの轟音はやはり合唱魔法だったようです。人数は二千人超。極級の面々も詠唱に加わっていました」

「二千人……」


(戦争時に行使するものとは規模がだいぶ小さいが……それは被害を抑えるためだろう。極級が加わっていたのならば、王級にも傷を負わせることが出来る威力になったはずだ)


「賊は避ける素振りも見せず、魔法は直撃したとのことです」

「そうか……死んでないんだろ?」


 エミルの問いに老人は首を縦に降る。


「傷はどの程度だ。相手は治癒魔法の使い手か?」

「いえ、それが、……無傷だったと」

「…………」

「…………」

「……は?」


 間の抜けた声が静かな室内に響いた。エミルは気まずそうに咳払いをして、


「強固な防御手段を有しているということか……」

「そういうことになりますが……顔は露出しているらしいのです」

「……魔法は?」

「魔力の流れは感じなかったと」

「生身で火傷一つ負わなかったというのか……?」

「火傷どころか、髪の毛一本燃えた様子はなかったようです」


 信じられない。

 そんな表情を見せたエミルは、ゆっくりと問いを投げかける。


神之碑かみのえりいしは……?」

「特に反応があったとの報告はありません」


 神之碑かみのえりいし——世界でも最高峰の力を持つ人間の名が記された石碑。

 名が記された者が近づけば、それに反応して光を放つ魔導遺産である。


 いつから存在しているのか、誰が作ったのか、詳細が分からず、どんな攻撃も受け付けない硬さからその名で呼ばれている。


「そうか……」


 エミルはそっと息を吐く。

 自らより強い者が現れるのは嬉しいが、国を滅ぼされては困る。

 えりいしが反応しないのなら、自分と同じランクだろう。


「他になにか、情報はあるか? そいつの目的とか」

「はい。目的は——」


 老人はぴくりと眉を動かし、瞬く間に玉座の右側へと移動する。


 ——直後、老人が目を向けた窓ガラスが砕け散った。


「…………」

「…………」


 エミルは肘を立て、手の甲に頬を乗せながら不満気に、老人は剣先を向けて真剣な面持ちで侵入者を瞳に捉えた。


 しん、と静まり返った室内に侵入者の声が響く。


「あー、そこの人。ここ、玉座の間であってる?」


        × × × ×


 少し長めの黒髪が、割られた窓から吹き込む風で靡く。

 黒く澄んだ瞳からは、まるで戦意が感じられなかった。


「いや、玉座の間って呼び方であってんのか……? そこらへんあんま詳しくねぇんだよなぁ、俺」

「——ご客人、よくここまでおいでになった。しかし、窓を壊すのはいただけねぇなぁ。それ、結構値が張るんだぜ?」


 盛大に飛び散ったガラスの破片に視線を向けて、エミルはやれやれと首を振る。


「……ははっ、ああ、そりゃ悪かったな。でも、城が壊れるよりましだろ?」

「はっ、いい性格してやがる。違いねぇ。ああ、そうだ、先の質問に答えようか」


 そこで一旦言葉を区切り、エミルは立ち上がって壇上から侵入者を見下ろした。


「ここが玉座の間で間違いないぞ。そして俺がこの国の王——エミル・アウナスだ」


 室内を静寂が満たす。

 なんだかピンとこないような表情を浮かべた侵入者がつぶやいた。


「……若いな。もっとおっさんだと思ってた」

「俺のことを知らないのか……?」

「ほとんど知らないな……有名人なのか?」

「お、おう、まあ、国王だからな」

「そりゃそうか」


 なんだか調子が狂う。

 本当に戦う気があるのだろうかこいつ。


「こ、こほん。それで、貴殿はなんの目的があって我が国に?」

「……ん? ああ、この国、貰おうかと思ってな」

「そうか……は?」


(なんだこいつ、なんかとんでもないこと言いだしたぞ!? 国が欲しいからって飛び込んでくるか普通!? 単騎で!? バカじゃねえの? バカだろ!)


 エミルが混乱していると、侵入者が口を開く。


「それで? お前を倒せばこの国貰えんの? もう飽きたし、ちゃっちゃとやろうぜ」

「……はあ、もういい。おう、お前が勝ったらこの国はお前のものだ。魔族の国は力が全て、力こそ正義だ。強いやつが王になる、誰も文句は言いやしねぇし、言わせねぇ」

「よっし、じゃあ——」

「ただ、その前に爺を倒してみせろ。爺に勝てねぇようなやつに俺が時間を割く価値はねぇ」


 言って、エミルはどかりと玉座に座る。


「私の名は、ダヴィド・コヴァルスキ」

「…………」

「…………」

「ああ、俺も言う感じのやつね。悪い悪い。俺の名はアイン。姓はない。ただのアインだ。これでいいか? 行くぞ」

「いつでも」


 ——刹那、金属音が鳴り響く。


 拳を剣で受け止められたアインはにやりと口元を歪めた。


「へえ……見えてるのか」

「勘ですよ」


 アインは再び距離を取り、視線をエミルへと向ける。


「なあ、エミル・アウナス」

「なんだ」

「この国の医療技術はどのレベルだ? 例えば、腕が千切れても、生やしたりくっつけたりする事は可能か?」


 アインの質問にエミルは首を傾げる。

 なぜ今そんなことを聞くのだろうか。


「? ……上位の治癒魔法を使えば可能——」

「——そうか。ならこれ、くっつけてやってくれ」


 いつの間にか目の前に来ていたアインが無造作になにかを投げつけてくる。


「なっ……なんだこ——え?」


 ——腕だった。


 見慣れた腕だ。

 先には皺の刻まれた手がついている。


 慌ててダヴィドを見ると、両腕をもがれたダヴィドが倒れ伏すところだった。


「爺っ!!」

「おっと」


 倒れる寸前で、アインが優しくダヴィドを受け止め、床に寝かす。


「出血多量で死ぬ前にやってくんね? 殺す気はねぇんだよ。それともこれ、傷口塞いでもくっつくの?」

「問題ない——」


 言い切ったエミルが手から放出した炎でダヴィドの傷を塞ぐ。


「おお、かっこいいな」


(魔法を使うならやっぱり炎だろうか……いやでも正直火力は間に合ってるんだよな。防御も今のところ問題なさそうだし、そうなると、補助……回復? 移動? 初速からマッハ十を超えるとなると、瞬間移動的なのしか思いつかないが——)


 アインがのんびりとそんなことを考えていると、真剣な顔でエミルが口を開いた。


「場所を変えてもいいか? 城が壊れそうだ」


        × × × ×


「ここなら、壊れてもいいのか?」


 円形の闘技場で客席にずらりと並んだ国民や兵を眺めながら、エミルに問う。


「よくはない。だが、元々壊れることも視野に入れて建てられた施設だ。壊れたところでたいした問題ではない」

「なるほど……でもあれ、いいのか?」


 アインが客席を指差して訊く。


「ん? ああ、あいつらは観客と同時に結界を張る役目を担っている。まあ、あそこにいるのは万が一結界が壊れて怪我を負っても文句はないという者だけで、実際に結界を張っている人数はこの倍はあるが」

「倍、ねぇ……」

「闘技場の最大収容人数は十万人。倍で二十万。万が一にも壊れる心配はない、存分に戦おう」


 壊れる心配はない、というフレーズに眉をぴくりと動かしたアインが再び問う。


「本当に壊れないのか?」

「ああ。……いや、その問いが絶対的な防御か、という意味であるのなら、そんなことはない。というか、そんなものはない。魔法で生み出した防御手段及び、効果は例外なく術式を解くことで消すことが出来るからな。例外があるとすれば、封印くらいだろう……そんなこと、貴様も知っているだろう?」

「え? ああ、もちろん。知ってたけどな、確認みたいなもんだ」

「貴様の目的は国を盗ることであり、俺を倒すことだ。この闘技場を壊すことではない。それならば、断言出来る。この地面以外になにかが壊れることはない」


 堂々と言い放ったエミルを見て、「思ってたより、悪いやつじゃないな……」とアインがつぶやく。


 その思考もまた、いつも通りにどうでもいいと切り捨て、アインは改めて正面に立つ赤髪の青年を見つめた。


(……イケメンは死ね)


「さて、そろそろ始めようか」


 アインの心中など知らず、決闘の開始を促したエミルはそのまま詠唱する。


「我こそは欺瞞と裏切りの魔王。我が身に封じられし悪魔よ、今、解き放たれん——欺瞞と裏切りの悪魔アウナス


 詠唱を終えると同時に、エミルの身体が炎に包まれた。


「は?」


 アインがぽかんと口を開いていると、炎は収束し、人の形を象り安定する。


「改めて、名乗ろう」


 燃え盛る炎となったエミルがアインを見据え、言い放つ。


「俺は炎の国アウナスの王。歴代最強にして不敗の炎帝、エミル・アウナス——ここは俺の国だ。お前にはやらねぇ」

「……俺の名はアイン。まだ無名だが、その脳味噌に刻め、お前に黒星を付ける男の名だ」


 対峙し、睨み合う二人の耳に試合開始の合図が届く。


 同時にアウナスが身体から噴出させた炎がアインを飲み込んだ。


(相手は二千人での合唱魔法をものともしなかった化け物だ。俺の攻撃がそれ以下だとは思わないが……これで倒れるような容易い相手じゃない)


 アウナスが警戒して距離を取ると、背後﹅﹅から声が聞こえた。


「熱ぃな……髪が焦げたじゃねぇか」


 直後に轟音。


「——っ」


 背後を向くことなく土を蹴り上げ、眼前の陥没した地面まで遠ざかる——目の前にいた。


 なにが起きたのか分からなかった。つい先ほど響いた轟音と同じ音が場内に響き渡り、衝撃波のようなもので身体が切り裂かれる。


「あ、やべ」


 失敗した、というような表情を見せるアインを、エミルは睨みつける。


(まさか……一回目は遠回りしていたのか? わざわざ、俺の身体を傷つけないために?)


 炎を収束して身体を元通りに戻したエミルは後ろに跳躍し、問う。


「貴様、無名と言ったな。今までなにをしていた?」

「それは企業秘密ってやつだな。つか、便利だなそれ」


 アインの挙動を見逃さないように常に瞳の中にその姿を捉えながら、無詠唱で強化魔法を何重にもかけていく。


(短期決戦でいくしかない……)


「無視かよ」


 いつの間にか目の前にいたアインに拳を振り下ろされ、身体が飛び散る。

 それを再び収束し、力の限りアインの腹を殴る。


 避けられる可能性も考えていたが、全く避ける気配のなかったアインの腹部に殴打は直撃し、勢いよくアインの身体が吹き飛ば——なかった。


 吹き飛ばなかった。

 浮きもしなかった。

 エミルの渾身の攻撃は、アインを僅か数メートル遠ざけるだけの結果に終わった。


「へぇ……ちょっと凹んだぜ。やるな」

「……ははっ、笑えねぇ」


 この形態で出せる最大威力の攻撃だったと言っていい。

 衝撃波で結界が揺れたほどだ。


 相手の防御力が高いとか、装備の質がいいとか、そういう次元の話じゃない。

 吹き飛ばされて無傷だったなら、受け流されて衝撃波が伝わらなかっただけなら、どれだけよかっだろうか。


(重量は多少重いくらいだった。手応えもあった……)


 つまり、本当なら吹き飛ばされるところを足の力だけで耐えた、ということになる。

 その上、直後に喋れる程度にしかダメージが通っていない。


 これで生身だというのだから、驚きを通り越して呆れる。


「今のが全力か? どうする? 炎帝」


 アインがにやりと口元を緩めて問う。


「お前の堅さ、力の強さ、速さはよく分かった。正直、ここままなら、俺はお前を倒せない。だが、まあ、それは魔法が使えないお前も同じだろう?」

「……言ったか?」

「言わなくても分かる。この状況に至って、いまだに魔法を使わないやつなんていない。たまにいるんだ、世界に愛されず、全く魔法を行使出来ないってやつが」


 生身でここまでの戦闘能力ならば、それを世界に愛されていないとは言えないが、しかし、自分に対する攻撃手段がないということは変わらない。


「お前は俺に勝てないし、俺はお前に勝てない。魔力切れを狙っても無駄だ。俺は魔法でこの姿になっているわけではなく、本来の姿に戻っているだけだからな。魔力が切れたところで状況は変わらない」

「そうか……それは確かに、面倒だな」


 なにかを考える様子のアインを不思議に思いながら、どこで収拾をつけようか考えていると、ぼそりとつぶやきが耳に届いた。


「……ここまでか」


 嫌な予感がした。

 その予感の正体がなんなのか分からぬまま、アインが話し始める。


「俺は今回、この国を奪うにあたって、幾つかルールを設けた。制限と言ってもいい。なんの工夫もなく全力でやったんじゃつまらないし、死人が出るのはあいつも望まないだろう。そういうことは、昔からよくやっていた」


 制限。

 その単語を聞いて、嫌な予感がなんなのか分かった。


「それで全力ではないと言うのか……?」

「まあ、そういうことになるな。俺が俺自身に課したルール。一つは人を殺さないこと。そして、二つ目は——あらゆる武器と能力の禁止だ」

「武器と能力……?」


 一見して、アインが武器を持っているようには見えない。


(ハッタリか? だが、嘘を吐いている気配はない)


 警戒を保ったまま考えていると、再びアインが口を開いた。


「一応、訊いておこうか。炎帝、お前は炎が全て消えたときどうなるんだ?」

「……死ぬ」

「そうか。なら、この戦いに終止符を打つとしよう。ただ、今回は俺の負けだ。ルール違反は失格だからな。とは言え、国は貰うが」


 ぼそりと、聞き取れないほどの声量でアインが何かを呟いた。

 と、同時に、アインの背から物体が四方に向かって飛んでいく。


「——っ」


 エミルは反射的に物体が飛んで行った方向に最大出力で火炎を放出する。

 あれを破壊しなければならない。

 本能がそう告げていた。


「もう遅い。——【Vacuum】」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る