0016 俺はここで待つとしよう。


 その男が初めて人を殺したのは齢十二のとき。

 相手は炎の国アウナスの先王であり、男の実父だった。


 その後、王位を継承した男は、侵略されていた国土を取り戻すだけに留まらず、征服に征服を重ね、僅か八年足らずで小国であったアウナスを大国へと伸し上げる。


 不敗の炎帝——赫赫之名かくかくのなは大陸に轟き、次に狙われるのはどの国かと周辺諸国が震える中、男の脳裏に映るはそれとは別のある大国の女王であった。


        × × × ×


「チェックメイトだ」


 赤髪に紅の瞳を持つ青年がしたり顔で言う。


「ぐぬ……参りました。いやはや、お強い」


 白髭を蓄えた老人が両手を挙げ、ふるふると首を振ると、青年はふっと息を漏らし、


「俺が強いのでない。お前が弱いのだ、爺」

「全く、返す言葉もありませぬ……次こそは」


 瞳をギラつかせて剣呑な雰囲気を漂わせる老人に、青年は動じた様子もなく笑みを返し、椅子から立ち上がる。


「うむ、それでいい。強くなる志を持つ者は好きだ。強くなれ、俺よりも強くなれ、誰よりもだ。俺は強い奴が好きだ。強い奴と戦うのが好きだ。俺を叩きのめすような奴と……戦ってみたいものだ」


 いっそのこと、国を投げ出して旅にでも出ようか、そんな考えが浮かんでくる。

 しかし、いくらどうでもいいと言えども決闘の末に奪った自分のモノである。

 容易く手放して誰かに奪われても面白くない。


蝿王ようおうの件は、どうなったのですかな?」


 いつの間にか席を立っていた老人が扉を開きながら問う。


「ああ……、あれはダメだ。とんだ腑抜けだったわ。戦争を起こすくらいなら結婚もやむなし、そんな態度だった。『私が欲しければ、倒してみろ』くらい言うものだと思っていたが……」


 別に戦争がしたいわけではない。

 強い奴と戦いたいという、ただそれだけの願いだというのに、どうして誰も受け入れてくれないのだろう。


「なにが『不用意に王と王が決闘などするものではありません』だ……、俺はそんな正論が聞きたいわけではないわ!」


 蝿王ようおう、魔天、自分より間違いなく強いであろう女の顔を思い出すと腹が立って仕方がない。


「……襲撃でもしてみようか」


 長い廊下を歩きながら漏らした言葉に、老人が反応する。


「どうか、それだけはご勘弁を……かの蝿王ようおうを怒らせれば、我が国が滅びます」

「ふんっ、分かっておるわ。……爺も、俺ではあの女には勝てないと思うか?」


 青年の問いに、老人は失敗したというような顔で、


「そのようなつもりはなかったのですが……そうですね、申し訳ありませぬが」

「まあ、だろうな。奴は【天級】、一部の例外を除けば最高ランクだ。その点、俺は一つ下の【帝級】、二年前に殺した【弓帝】との戦いも接戦だった。あれから特別強くなれているような気もしない。この紋章も当時と変わらぬままだ……」


 青年が袖を捲ると、腕に炎をかたどった紋章が刻まれていた。

 それを一瞥した老人が口を開く。


「それは己より強き者と戦わなければ——」

「分かっている。……だからこそ、憎いのだ。あの女が」


 このままこれ以上に上がれないのであれば、このまま玉座に座って誰とも戦えないのであれば、そんな人生に価値はない。


「父上と戦ったのは失敗だったかもしれんな……」

「それが我が国の伝統です」

「はっ、俺が倒さなくても、誰かが倒せばそいつが王になったのだろう? 別に俺が王である必要なんてないと思うがな……こんなもの——」

「エミル・アウナス様」


 強い語気の込められた呼びかけに、エミル・アウナスと呼ばれた青年の口が止まる。


(民を背負う覚悟はあるか、か……あのとき、父上の問いに首を振っていれば……)


 そんなことを考え、エミルは微かに首を振った。


「すまない」


 自らの心に宿る微かな責任感を捨て去りたいという欲望はある。

 しかし、それをしては殺した先王が報われない。

 希望のない未来に、視線を足元に向けながらエミルは歩き出した。


 だが、その歩みは再び止まることになる。


 ——爆音が身体を突き抜けた。


「? 何事だ?」


 揺れる足元と続け様に鳴り響く轟音を気にした様子もなく、エミルは歩みを再開する。

 それに合わせて足を動かしながら、老人はエミルの質問に答えた。


「鼠でも侵入したのではないかと」

「鼠か……ただの鼠であったなら、我が国の兵達が怠惰であるということになるが。あの音、どう考えても大規模な合唱魔法だろう?」


 別に、特別自国の兵達が強いとは思っていない。

 【極級】がチラホラと、あとは精々【超級】止まりだったはずだ。


 しかし、だからと言って、そこらの賊に負ける程度の実力ではない。

 門兵が数人殺されるくらいなら分かるが、大概は騒ぎが大きくなる前に片がつくだろう。


「攻撃の合唱魔法なんて使うのは、戦争くらいのものだぞ。大体、俺がいると分かって仕掛けてきているのだろう? それがそこらへんのコソ泥と同類であったなら、俺も随分となめられたものだな」

「ふむ……確かに。では、私も念のため、準備を整えておくこととしましょう。兵を退けてここまでやって来た者の相手が、この老いぼれに務まるとは思えませぬが……」

「はっ、よく言うわ。お前を倒せるものなど、それこそ王や、大国の精鋭くらいのものだろう」


 幼き頃はよくしごかれた。確かにここ数年は戦いの場から離れていたが、老衰しているとはとても思えない。


「それは買いかぶり過ぎだと思いますが……」


 豪奢ごうしゃな装飾の施された扉を開きながら、老人は言葉を続けた。


「しかし、主君の期待は嬉しいものです。裏切らぬよう、尽力させて頂きます」

「ああ、それでいい。お前を倒したなら、そのときは俺が出る」


 広い室内を真っ直ぐ歩き、エミルは最奥に置かれた椅子へと腰掛けた。

 膝をつき、忠誠を示す老人を見下ろしながら、ニヤリと不敵な笑みをこぼす。


「——それまで、俺はここで待つとしよう」


 ここは炎の国アウナスの紅き城。【不敗の炎帝】エミル・アウナスは玉座にて、数年叶わなかった強者との戦いに胸を躍らせた。

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