0013 さよなら。


 念には念を、とは言うが、いくらなんでも念を入れ過ぎだろう。


 二十四時間経てば爆発する動力炉。

 それを止めるプログラムは存在せず、新たに作るとしても時間が足りない。

 その上、動力炉を外した場合は即時爆発、なんらかの方法で止められても記憶消去に強制停止。


 そこまでしなければならないほどの超兵器だと言われれば反論は浮かばないけれど、ここまでくると、動力炉を外されることになると確信していたように思える。


「はっ……」


 自分が生き延びる道が完全に閉ざされて、なんだか逆に思考が落ち着いてきた。

 これでフィーアを助けることに全力を注げる。


 当の本人はさっきから泣きじゃくっているが……ああ、そういうことか。


「どうして……私が先なの……っ」


 あの人がフィーアの身体の支配権を奪うように言ったのは、俺の無駄な足掻きを予想していたからじゃないのだ。

 いや、より正確に言うならば、それのさらに先まで予想していたから、か。


 つまり、あの人は、俺が無駄な足掻きによって『俺が助かる方法はない』ことを知るだろうと予想していた。

 その可能性を示唆しなかった理由は知りようがないが、それは、どうしてあの人がそう指示したのかを考えようとしなかった俺に問題がある。


 なにが、与えられるだけの人生は嫌だ、だ。

 笑わせる。

 与えられることを受け入れているから、考えることを放棄していたんだろうが。


 俺が助かる方法はない。

 そのことが分かれば、フィーアは間違いなく自分より俺を助けようとする。

 それは俺にとって都合が悪いし、下手をすれば二人とも助からないかも知れない。

 自分の造ったモノが二つも壊れてしまうのは、あの人にとっても面白くない話だろう。


 ただ、あの人がどうやって俺がこの状況を切り抜けると予想していたのかが気になる。

 どれだけ会話しているような気分に浸れても、あれはあくまで録音だ。


 まさか、勢い余って『俺たちが異世界に飛ばされて物質を転移させる魔法を行使出来る存在と出会う』なんてところまで予想していたわけではあるまいし。

 そんなものは予想というより妄想だし、それを予想と言うのなら、あの人が異世界の存在を認めていた、ということになる。


 それを否定すれば、逆説的にあの人にはこの状況の切り抜け方が分かっていたということになるわけだが……俺にはそれが分からない。


 いや、あの人は動力炉が爆発するプログラムに関与していないと言っていたのだから、僅かな爆発しないという可能性に賭けていただけ、ということもあり得るのか。


 あの人の言っていたことはすべて予想なのだから、普通に考えれば、それがすべてその通りになるかどうかはやってみなければ分からない。

 すべてを試してその通りになったら、そのときはもう諦めるしかない、ということか。


「……いや、そうじゃないだろ」


 もっと、よく考えろ。

 なにか、おかしくないか?

 俺は今、本当に全部自分で考えたのか?

 誰かの言ったことを前提に考えていなかったか?


 そうだ……もし、もしも——あの人がなにか隠していたら?


 たった今、似たようなことが起きたじゃないか。

 別に嘘をついていたわけじゃなくて、言っていなかったというだけのことだが、しかし、言葉に縋ったせいで可能性を見落としていた。


 それ以外のことは起きないのだと、盲目的に信じていた。


 思考を放棄するな。

 自分で考えろ。

 さっきも思っただろう。


『あの人の言っていたことはすべて予想なのだから、普通に考えれば、それがすべてその通りになるかどうかはやってみなければ分からない』のだと。


 やるんだ——やらなければならない。


 おかしいだろ。

 『あの人がそう考えている時点でまず間違いなく無理』だなんて、『あの人が言っていなかったから出来ないということ』だなんて。


 爆発を止める方法がないかもしれないと、あの人はそう言った。

 実際、爆発を止めるプログラムはどこを探しても見つからなかった。

 しかし、新たにプログラムを作成する手段まで消えたわけではない。


 勝手に無駄な足掻きだと決めつけていたが、それが無理かどうか分かるのはまだ先だ。


 言わなかった理由は分からない。

 出来ないから言わなかったのか、それとも俺を試すためにあえて言わなかったのか。

 考えられるのはその二つくらいだが、ここは後者であると期待しておこう。


 状況は最悪?


 助けられる余地があるかもしれない。

 ユリアに動力炉を外す能力があるのなら、作るプログラムは記憶を維持するためのものだけでいい。

 別にプログラムに限定しなくても、俺たちの記憶はデータ化されているはずなのだから、どこかに移動させて一時的に保存することだって出来ないことはないはずだ。


 これがすべて潰えたときが本当の最悪だ。


 止まっていた手が自然と動き始める。

 自分が死ぬことなんて考えなくていい。

 今やるべきはフィーアを助けることだけだ。

 後戻りはできない。


 フィーアの記憶を維持するためには記憶デバイスへのアクセスが必要不可欠だ。


 つまり、これからの行動を簡単に示すと、こうなる。

 まず記憶デバイスのセキュリティを解除する。

 フィーアのメインシステムと俺を接続する。

 記憶データをフィーアから俺に移す。


 こうして考えるだけなら、そんなに難しくなさそうに思えるから不思議だ。


 一体、何重のセキュリティがかけられているのだろう。

 解除し損ねた場合のペナルティはなんだろうか。

 記憶データをあらかじめ設定されている送信先以外に移せるのだろうか。

 移せたとして、フィーアの身体になにか異常が起きたりはしないか。


 あれだけ念を入れていた連中が、ここで手を抜いているとは思えない。

 なにか一つ間違えれば、すべてが終わってしまうかもしれない。


 それでも——やるんだ。助けるんだ。そう約束したのだから。


        × × × ×


 結論から言ってしまうと、俺の悪足掻きは結局無駄に終わった。

 そう、終わったのだ——ここに至っていまだに、フィーアの記憶維持を諦めない、などと言えるほどに、俺の精神は強くなかった。


 だから、そこにいるのは無理だと確信しながらも手を動かし続けるバカな男だ。

 自分自身を客観的に見て、そうとしか表現出来ない。


「……そろそろ、時間も限界でしょう」

『施設外活動時間が23時間30分を経過しました。強制帰還システムを実行——電波障害によりキャンセルされました。30分以内に帰還してください。24時間を超過した時点で、動力炉の起爆システムを作動します』


 ユリアの声と同時に、そんな声が脳内に響き渡った。

 続けて、意識の奥でタイマーが時間を刻み始める。


 ユリアがフィーアの動力炉を取り外し、フィーアの記憶が消去され、メンテナンスシステムを完全終了するのに、そこまで時間はかからない。


 ならば、ギリギリまで——


「終わりです」


 ——時間が止まった。


 心臓の鼓動は止まり、身体が一ミリも動かなくなる。

 意識だけがはっきりと、視界から色が失せていく様を認識していた。


 すべてが灰色に染まった世界で、たった一人、色を失わなかった少女が口を動かす。


「————」


 音は俺の耳に届かなかった。

 しかし、分かりやすくゆっくりと動かされた口から、彼女がなんと言ったのかを理解するのは難しいことではなかった。



〝——冷静になってください。残された時間は僅かです〟

〝そして、考えてください〟

〝あなたが今、やっておくべきことすべてを——〟



 停止した時間の中で、思考が加速していく。

 明らかに脳に負担をかけそうなこの行動を俺が一切の苦もなく行えているのは、まず間違いなく額に汗を浮かべている彼女のおかげなのだろう。


 だから、考えなくてはならない。

 俺が今からやるべきことを。

 俺が本当にやるべきことは、時間ギリギリまでフィーアを助けようとすることなのかを。


 そんなわけがない——そんなわけ、ないだろうが。


 俺がやるべきことは、そんな無駄な足掻きじゃない。

 それは、俺が少しでも満足して死にたいというだけのエゴだ。


 これから死ぬんだ。

 俺は、死ぬのだ。

 だから、俺が優先すべきは、俺の自己満足なんかじゃなくて——


 思考が結論を導き出し、俺が彼女に意識を向けると、彼女は微かに笑みを浮かべた。

 そして——再び世界は色づいていく。


「……人間業じゃねぇな」

「秘密ですよ?」


 荒くなった息を誤魔化すように、ユリアはくすりと笑う。


 まさか時間を止めることが出来るとは……。

 相当体力を消耗するようだが、こいつがなぜあそこまで自信を持っているのかがなんとなく分かったような気がする。


「ふぅ……やはり、少々堪えますね。わたしもまだまだ、修行が足りないということでしょうか。わたしは休んでいますので、どうぞ——あなたのすべきことを済ませてください」

「ああ……ありがとな」

「いえ。……大切な人を失う辛さは、わたしも分かっているつもりですので。失くしたあと、なにを後悔するのかも含めて」


 悲しげに眉尻を下げたユリアにその言葉の意味を追求することなく、顔を横に向けてぼうっと虚空を見つめるフィーアの脇へと歩み寄った。


 膝をついて、フィーアと視線の高さを合わせる。


 垂れた長い黒髪をそっと頭の後ろに退けると、絶世の美女と言って差し支えない自慢の妹の顔が瞳に映った。

 目鼻顔立ちは母親似だ。

 あの人が髪を黒く染めて、もう少し若返ったらこんな感じになるだろう。


 晒された顔にはくっきりと涙の痕が残っていた。

 泣かせたのだ、俺が。

 俺が、こいつを悲しませたのだ。

 そして、これから、再び泣かせてしまうかもしれない。


 フィーアは俺と違って、優しい女の子なのだ。

 自らが殺した死体を目にしたくないがために、爆撃を乱発してしまうほどに。

 それは保身であって優しさではないと詰る奴がいるのなら、俺がぶん殴る。


 誰が好き好んで殺戮者となっているというのか。


 人の死体なんて、そんなグロテスクなものを見続けることが楽しいわけがないだろうが。


 死体を見て気持ち悪いと思える精神が残っているところが、フィーアが非情になりきれていないことを肯定している。


「フィーア……」


 そっと頬に手を当てると、フィーアは朧げな瞳を俺に向ける。


「ごめんな」

「……ぅ」


 絞り出した声は枯れていて、フィーアはもう一度同じ言葉を吐いた。


「……違う」

「違くないさ。俺のせいで、お前は記憶をなくすんだ。俺が、お前を悲しませた」

「……違っ、違うっ。違うもん……っ、わた、わたしっ、が、お兄ちゃ……を、殺すのっ……」


 息を荒くしながら、フィーアは再び涙を流す。


「それは違う。俺が自分で選んだ道だ。俺が死ぬか生きるかは、俺が決める」

「違わないっ! 違わないじゃんっ! お、お兄ちゃんを……先にっ、やってれば——っ」

「違うさ。……怖いか?」

「う……うん、怖い……っ。怖い、よぉっ……!」


 止め処なく溢れてくる涙を拭いながら、俺はフィーアの瞳を正面から見返して言い切る。


「安心しろ、俺は死なない」

「それ、は……? だって」

「俺はお前のお兄ちゃんだぜ? お前に俺は殺せねぇよ。たとえ爆発して木っ端微塵になっても、絶対にお前のもとに戻ってくる。約束しよう、必ずだ」

「無理、だよ……そんなの」

「無理じゃない。俺は必ず約束は守る」


 俺の言葉にフィーアは自重気に笑って、


「必ずって……今だって……」

「…………」

「ご、ごめんなさ——」

「謝らなくていい。そうだな、今のままで終われば、俺はお前との約束を破ることになる。だがな、ここでは終わらない。終われねぇよ……そうだろ」


 こんなとこでは終われないのだ。

 たとえ爆発して粉々になっても、必ず再生し、俺はフィーアのもとへと辿り着く。

 そして、そこから約束を守るために動き出すのだ。


「——俺が、必ず、お前を助ける。お前の記憶は、俺が取り戻す」

「そんなことっ」

「出来る。ここに来れたんだ。帰れないなんてことはないだろ。魔法なんてわけのわからないものがあるんだ。異世界に渡れたっておかしくない。俺は帰る方法を探し出して、必ず向こうにある研究所からお前のバックアップデータを奪ってくる」


 出来る。

 絶対に。

 だから問題はやるかやらないか、それだけだ。

 俺はやる。

 成し遂げる。


「なんで……お兄ちゃんは、いつも、そう」

「約束は、守るためにするもんだ」


 大真面目に言い放った俺を見て、フィーアはくすりと笑う。


「やっぱり、……わたしのお兄ちゃんはかっこいいね」

「はっ、そんなもん当たり前だろ?」

「あはっ、うん、当たり前だった」


 しばらくくすくすと笑った後に、フィーアは口を開いた。


「わたし、記憶を取り戻したら、いろんなとこに行きたい。お兄ちゃんと一緒に。いっぱい、いっぱい、楽しいことがしたい……」

「ああ、しよう。任せろ。それも約束だ」


 あっけらかんと言った俺に眉を寄せて、フィーアは心配そうに、


「そんな簡単にしていいの?」

「ああ、簡単なことだからな」

「出来なかったら、怒るよ?」

「怒れ、怒れ。俺にはお前が笑ってる未来しか見えねぇよ」

「あははっ、ははっ、はぁ……頼もしいなぁ」

「妹は兄貴に頼ってればいいんだよ。お前の苦しさも悲しさも嫌なことは全部俺がどうにかしてやる。だから、お前は安心して楽しめ。笑え」

「うん、うん……っ」

「そこでどうして泣くんだよ、ったく」


 俺が呆れ顏で涙を拭うと、フィーアは悔しそうに唇を尖らせる。

 一つ一つの表情がとてつもなく愛らしい。

 今まで見えていなかったものが、ようやく見えたような、そんな気分になる。


「う、嬉し涙だよ、ばーかっ……!」


 苦し紛れに吐かれた言葉を受け取って、俺は立ち上がってフィーアの頭をくしゃくしゃと撫でた。


「そろそろ、時間だな。改めて約束しよう。俺が、お前を幸せにしてやる。だから、お前も約束しろ」

「……うんっ。わたし、絶対に幸せになる……っ!」

「ああ、それでいい」


 俺がユリアに視線を送ると、ユリアは微かに頷いてフィーアの横に立つ。

 そしてそのまま手のひらを動力炉に当てた。


「我が名はユールヒェン・シュヴァルツリヒト・ベルゼブブ。時と空間の神よ、我が意に沿い、此れを送り届けたまえ——物質転移サブスタンス・ウーバーガン


 ——ふっと、動力炉が消え失せた。


 同時に機械音声が空間に響き渡る。


『動力炉の喪失を確認しました。プログラムに従い、個体名【vier】をスリープモードへ移行します』

「——またね、お兄ちゃん」

「おう、またな」


 フィーアがまぶたを閉じると同時に、生気が感じられなくなる。

 俺たちは食事を筆頭に人間が生きるのに必要な諸々が必要ないような作りになっているので、本当に仮死状態と同じ状態になっているのだろう。


『続けて個体名【vier】のデータを消去します——実行中』

「それで、です」

「ああ」


 俺たちは眠るフィーアを視界に収めながら、これからのことを話し始める。


「俺は、お前らと会った森の近くで爆発するのを待つ。お前には迷惑をかけるが、その後、再生した俺を探してくれ」

「本気、なのですか……?」

「嘘ついてどうする」

「場所が分かっていれば……」

「遠隔操作出来るのか? それはすげぇな」


 転移は出来ないというようなことを言っていた気がするし、人間は無理なのだろうが、そんなことが出来るのなら相手の装備を飛ばしたりも出来るというわけだ。

 反則に近い。


「遠隔、とは言っても精々半径一メートルが限度ですし、精度が落ちます」

「なるほど、そこまで万能じゃないか。ま、それでもその案はなしだな」

「やはり、なにかあるのですね……」


 察していたか。

 まあ、俺もこいつの能力がかなり高いことは時間停止以降確信していたから、そう思われていると考えていればおかしな話でもない。


『データ消去が完了しました。以後、72時間個体名【vier】の操作は不可能になります。72時間経過後、有権者にのみスリープモードの解除が可能です』

「こいつは俺にしか起こせない」

「なるほど……なぜ、彼女には?」

「わざわざ不安になるようなことを言う必要はないだろ。どうせ俺は生きて戻ってくる」

「……ふふっ。はぁ、本当に崖の端の端になってようやく本領発揮という感じですね。その自信の源を問いたいところですが、もう時間はないのでしょう?」

「ああ、あと五分ってとこか。そろそろ行くよ。またな」

「ええ、また。フィーアさんの身柄は安全に保護しておきましょう。わたしもここまでするのは初めてですよ? まあ、ここまで大事になったのが初めて、なのですけど」

「悪いな。聞きたいこともあるだろうに」

「いえいえ、それはまた記憶が戻ったときにでも。では、後ほど迎えに」


 言葉と同時に天井部分に地上へと抜ける穴が現れる。


「ほんとすげぇな、魔法。ああ、またな」


 ユリアに背を向け、俺は飛び上がる。

 ぐんぐんと穴を突き抜けると、空が視界一杯に広がった。


 あと四分。

 まあ、間に合うだろう。


 マッハ十は飛行速度でも変わらない。

 ここ自体が王都からは距離がある場所だったため、森に着いたのは爆発まで三十秒を切った頃だった。


 そのまま空中に漂いながら自分の死を待つ。


 なんというか、不思議な気持ちだ。

 もしかしたら完全に死ぬかもしれないというのに、俺にはもう、未来のことしか考えられない。

 記憶を失ってしまうのだから、今考えても意味のないことだろうに。


 重力装置を切ると、身体が自然落下していく。

 この落ちていく感じが、なんだかあまり嫌いじゃない。

 ただの人間になってしまったようで。


「——三」


 自然と口に出していた。


「——二」


 これから、俺は一度死ぬのだ。

 そして再生する。


「——一」


 そのとき、俺はもう自由だ。


「————零」


 一旦、俺自身ともお別れだな。

 さよなら。

 また会おう。




 ガンッと、全身に衝撃が走った。



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