0011 お前は必ず、俺が助ける。


『【こんにちは、アイン。元気してる?】』


 からかうような声音。

 これが再生されるときの状況を想定していなかったわけないのに、あくまで調子を崩さない母親に感心しながら俺はじっくりとその声に耳を傾けた。


『【うんうん、びっくりしてるきみの顔が目に浮かぶよ。してやったり】』

「……やかましいわ」


 ついつっこんでしまった。

 しかし、まるでこの場にいるような物言いである。

 これに反応するなという方が難しい。


『【フィーアも元気かなー?】』

「う、うんっ! 元気だよ!」


 戸惑い気味にフィーアが言葉を返すと、それすらも予想通りだったのか、やはり返事がくる。


『【あははっ。だろうねー。フィーアはいつも元気だもんね?】』

「す、すごい……本当にしゃべってるみたい」

『【いやいや、そんな褒めないでくれよ。照れるじゃないかー。まあ、今の状況としては、パソコンの前で独り言をぶつぶつつぶやいてる頭のおかしい女なわけなのだけれどね!】』


 それを言ったらおしまいだろう。

 俺が若干引いていると、フィーアはツボに入ったようで笑い出す。


「あははははは! ははっ、はぁっ、はぁっ」

『【あはははっ! はぁっ、はは……お腹痛い】』

「親子ですね……」

「……だな」


 心なしかユリアも呆れ気味である。

 なんというか、身内の恥を見られて恥ずかしい。


『【まあ、録音に返事してる時点できみたちも同類だぜ。流石わたしの子だ!】』

「やめろ、一緒にすんな」

『【冷たいなぁ、アインは。そんなんだから女っ気がないんだきみは】』

「ほっとけ!」


 調子が狂う。

 この人はいつもこうだ。

 まったく、勘弁してもらいたい。


『【さて、アインをからかうのもほどほどにして、そろそろ本題に入ろうか】』

「このっ……」


 文句を言いかけて、それではまた繰り返しだと思いなんとか留まる。

 が、母親は全てを見透かしたように、


『【うん、いい子だ】』

「はぁ……」


 一体どこまで予想済みなんだろうか。

 驚きはあるものの、これでこそだとは思う。


 本当なら、この人はいつだって逃げ出せたのだろう。

 監禁なんてしたところで、この人を縛れるとはとても思えない。


 それでも逃げなかったのは、血気盛んな子供の抑止力としてだろうか。

 無駄なことをして殺されないように、とか。


『【さて、アイン。きみがフィーアのメンテナンスをすることになった経緯いきさつをわたしが正確に知ることは出来ない。が、きみがなんらかの理由で研究所に戻れない状況にあるとは推測出来る。あるいは、研究所に戻る気がない、か。わたしとしては後者であって欲しい。それならば、きみたちが研究所に戻るだけで問題は解決するからね】』


 残念ながら、その期待には答えられない。


『【そんな暗い顔をしないで欲しいな。わたしも、前者である可能性が九割だと思っているからね。もし、残りの一割であるなら、謝っておこうかな。ごめんね。これからわたしは、後者だと前提して話をする】』

「別に謝るほどのことじゃない」

『【ははっ、きみならそう言ってくれると思っていたよ。前者にしろ、後者にしろ、ね。でも、それでも、だ】』


 その発言に俺は首を傾げる。

 そこまで無理に謝るようなことだとは思えないが……。


『【わたしはこれを前者の事態を想定して残しているが、それでも後者だという程で話を進めるのは、つまり】』


 そこで言葉を区切った母親の意に沿う形で、俺は思索する。


「……なるほど」

『【理解が早くて助かるよ】』


 つまり、俺に前者をする度胸がないと思っていた、ということについてこの人は謝っているのだろう。


 だが、まあ、それだって謝られる謂れはない。

 俺にそんな度胸がないのは本当のことだし、別にそのことで自分が情けないとは思っていない。


『【では、話を戻そうか。きみたちは研究所に戻れない状況にある。それはイコールで、研究所を出てから二十四時間経過した時点できみたちが死ぬ、ということだ】』


 それに関しては、何回か聞かされていたことである。

 だからこそ、この世界に来てすぐに思い至り、今こうしているのだ。

 それもすでに九時間が経過してしまっているが。


『【きみたちの再生能力は異常の域にあるから、もしかしたら、きみたちが大破しても再生する可能性はあるが、記憶もなにもかも失って身体だけ残った状態の人間はすでにきみじゃない。だから、変な期待をしないために改めて断言するよ。このままではきみたちは必ず死ぬ】』


 俺たちの再生能力ってそこまでだったのか……。

 そもそも傷を負った経験がないから知らなかった。

 大破しても再生するって、流石に気色悪いなおい。


 しかし、もう怖いものはない。

 この人がこうして情報を残しておいてくれるのなら、俺たちの無事は約束されたようなものである。


『【だから、きみたちは爆弾を除去しなければならない。ただ……まあ、言いにくいけど、わたしが出来るのは途中までだ】』

「え……?」


 今、なんて……聞き間違いか?


 そんな俺の心中を察したように、母親は言葉を繰り返した。


『【わたしに出来るのは、途中までだ。爆弾——動力炉の位置まできみを辿り付かせること、まで。わたしは爆弾の設置というか、そのプログラムの制作に関わっていないんだよね。だから、そこからはアイン一人で頑張ってもらうしかない】』

「それは……でも」


 俺に、出来るのか?

 俺だって、メンテナンス時の記憶はあるものの、爆発についての情報なんて持っていない。

 爆弾処理の知識はあるが、それが当てになるかも分からない。


『【——アイン】』

「……だって、そんなの、俺には」

『【きみは、こうしてわたしの声を聞くまで、全て自分でやるつもりだったはずだ。違うかい?】』

「そ、それは、でも——」

『【男の子だろう? フィーアを救えるのはきみしかいない。やるんだ】』

「……分かった」


 分からない。

 分かるわけがない。

 差し伸べられた手を掴もうとしたら避けられたような、そんな気分だ。


 俺が、これをどうにかする?

 出来るのか?

 いや無理だ。

 出来るわけがない。


 今になって、目を逸らしていた現実を理解した。


 いや、分かってはいたのだ。

 だから、本当に目を逸らしていただけ。

 どうしようもないのだと、なにも出来ないのだと、理解はしていた。


 でも、それでも——


「お兄ちゃん……」


 不安気な瞳と目があった。


 ——そう、それでも、やらなければいけないのだ。


 生きなければ——生かさなければいけない。

 こいつだけでも、絶対に。


 一度大きく深呼吸をすると、自然と心も落ち着いてきた。

 そして、改めて告げる。


「——分かった」

『【よし】』


        × × × ×


「これが……」

「……動力炉、ですか」


 心臓があるのと似たような位置に、円柱形の無機質な物体が埋め込まれていた。

 そこから幾つもの管が体内に巡っており、これが正しく俺たちにとっての心臓なのだと本能的に理解する。


『【ようやく、だね】』


 ここまで、約四時間半。

 ここから、あと三時間は猶予がある。

 動力炉を止めるにしろ、外すにしろ、プログラムを書き換えるにしろ、なんとかなりそうだ。


『【さぁて、最初に言った通り、わたしに出来るのはここまでだ。あとはアイン、きみだけでやらなければならない】』

「ああ、分かってるよ。ありがとう」

『【——ただ、さよならの前に、いくつか余計なお世話を焼いていこうかな、ははっ】』


 怪し気な微笑みを漏らす母親の言葉の続きを待つ。


 余計なお世話、という言い方が気になるが、マイナスなことを言うとも思えない。

 聞かなければよかったと思うようなことは、言わない人だ。


『【まず一つ目。ウィンドウを操作し、メンテナンスサポートのページを開く】』

「……メンテナンスサポート?」


 確か、メンテナンス準備完了と同時に開いていたページだ。


『【開いたら、メニューから三番目の項目を実行する】』


 三番目……?

 なんで今更、という疑問を頭に浮かべながらも、言われた通りに実行する。


「え……? 力が……お母さん?」


 さっきまでは緊張で多少力んでいたフィーアの身体から完全に力が抜ける。

 今、俺が実行したのは、対象の身体の支配権を奪うというもので、メンテナンス時に反抗されるのを防ぐためのシステムだ。


『【理由は……面倒だし、なしで!】』

「ええ……」

『【はい、続けて二つ目だよ! 動力炉に関してだけど、なにもせずに止めたり外したりした場合、その時点で爆発すると思うから気をつけること。プログラムを書き換えるのは必須ってことだね】』

「面倒くせぇ……」


 まあ、でも、事前に教えてもらっておいてよかった。

 なんとなく予想出来ないことでもないが、結果が分かっていれば絶対にやらない。


『【はい、三つ目! プログラムを書き換えて止めたり外したりした場合、書き換えで爆発は止められてるんだから爆発はしないんだろうけど、ペナルティが発生する可能性がある】』

「ペナルティ……」

『【別にわたしが実際に見たわけじゃないからないかもしれないけれど、情報漏洩防止のためにデータ消去とか、わたしだったら全然やるね】』


 データ消去か……確かに、ありえない話ではなさそうだ。爆発を止められた場合の悪足搔きとしては、なかなかに悪質である。


『【たださ、これはあくまでも爆発を止められたら、の話。だから、四つ目はこれだ】』


 物事を最善に導きたければ、最悪の最悪を想定しろ。


 いつだったか、向こうの世界で母親の言った台詞を思い出して、背筋が凍った。

 なぜなら、この場合の最悪の最悪は——


『【——そもそも爆発を止める方法がないかもしれない】』

「…………」

『【だって、そうだろう? あいつらにとって、それは止める必要のないものだ。きみたちが帰って来れない状況にある、もしくは、帰るつもりがないのであれば、きみたちを生かしておく理由がない】』


 そんな身も蓋もないことを言われながら、しかし、自分でも不思議なくらいに俺の心は落ち着いていた。


 それは確かに、ぞっとする話だ。

 最悪にも程がある。

 が、それも心のどこかで理解していたのだろうと思う。

 別に辿り着けない結論ではないのだし。


 怖い。

 どうしようもないのかもしれない。

 ただ、俺はもう、決めたのだ。


「——それでも、なんとかするよ。母さん」

『【ははっ! ああ、それでこそ、わたしの息子だ!】』

「はっ、まあな」


 あと十時間半で爆発する動力炉。

 止めなければ必ず死ぬ。

 しかしそれを止める方法はない。


 間違いなく、俺の人生で最大最悪だろう。

 その上、もし止められても、なんらかのペナルティがあるときた。

 くそったれだ。

 現実逃避したくなってもおかしくない。


 俺は弱々しい瞳を見据えて、言い切った。


「フィーア。お前は必ず、俺が助ける」

「——っ。うん、信じてる」

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