0010 ——こんにちは、アイン。
「どっちからやるの?」
手術台とでも呼ぶべきか、人が一人寝れるような大きさの台を横目で見ながらフィーアが首を傾げる。
「お前からに決まってんだろ」
「え、でも……」
「はあ……じゃあ訊くが、お前メンテナンス中の記憶残ってんのか?」
俺の問いに、フィーアは悔しそうにかぶりを振る。
「……なんで、アインだけ」
「知るか。帰れたら研究所のやつにでも訊いてみろよ」
不幸中の幸い。微かな光明。
それでも、正確な方法を知っているわけではないので見よう見まねになってしまうが、それ以上は欲張りというものだろう。
「……私だけ生き残るとか、嫌だからね」
「はっ。そうなったら、精々俺の分まで生きてくれよ」
「……嫌だよ。自殺する」
拗ねたように唇を尖らせ、眉根を寄せるフィーアの頭を雑に撫でるが、どうもご機嫌は直らないらしい。
「それなら、俺のやることをしっかり見とけよ。俺の命はお前に任せたぜ」
言って、軽く額を小突くと、フィーアは額を両手で抑えて罰が悪そうな表情を浮かべた後に、ふんっとそっぽを向いて、
「それはちょっと重い」
「このクソガキ……」
口の減らない妹様である。
妹、妹か……今思えば、もう今更だな。
初めのうちはあまり情が移ってもしんどいだけだと思って『従来機と呼べ』なんて言っちゃいたが、これを無情と言うには流石に無理がある。
こうして先にフィーアの問題を片付けようとしているのも、心のどこかでこいつのことを兄妹なのだと認めているからなのかもしれない。
「……まあ、先にやろうが後にやろうが、なんとか出来なければ二人同時にお陀仏なんだが」
「そういうこと言わないでよー、もう!」
「最悪の事態を想定して腹を括っておけば、未練たらしく狼狽しないで済みそうだろ」
可能性としてはそっちの方が高いわけだし。
どれだけ軽口を叩こうが、怖いものは怖いのである。
死は生物なら抗えない恐怖だ。
まあ、可能性が低かろうがなんだろうが、なんとかして——
「——信じてるよ、お兄ちゃん」
——なんとかして、こいつだけは生かしてやりたい。
なんて、やっぱり重症なのかもしれなかった。
こんなことを疑いの欠片もない瞳で言われて全くなにも感じないようなクズ野郎がいるのなら、見てみたいところだが。
「……従来機と呼べ」
「照れた?」
「誰がお前なんぞに照れるかアホ。さっさと脱いで横になれ」
「きゃー、えっち——痛いっ!」
流石にびびってるのか、いつまでもふざけた調子でいるフィーアの頭をはたくと、フィーアはぶつぶつと文句を垂れながらもバトルアーマーを取り外し始める。
「それは
気持ち離れたところから俺たちの様子を窺っていたユリアに問われる。
「ん? ああ、これはな。似たような単語で言い間違えても困るし——って、この説明したか?」
「いえ、なんとなく、地上での攻撃などから推測して、そうなのだろうな、と。言葉で起動する、というのは魔法とも似通っていますし。一応、確認ですが、
「ああ。まあ、本人の声でなければ意味はないが」
やはり、ユリアの理解力は高いようだ。
適当に喋ってても案外理解してくれそうである。
もちろん例外はあるのだろうけど。
「なるほど……。しかし、言い間違えることなんてあるのでしょうか」
「場慣れしてなきゃ戦場でテンパることもあるだろうよ。別にこの機能は俺たちだけに与えられたものじゃないからな。普通の人間は簡単に死ぬ。言い間違えで防御手段を失ったなんて笑い話にもなりゃしねぇ」
俺たちならまだしも、他の兵はバトルアーマーが消えれば生身だ。
下手をすれば弾丸一発で即死なんてこともあり得る。
改造人間自体は俺たち以外にもいたし、それをそのまま受け継いだと考えれば別段おかしくもない。
ふむ、となにやら思案顔のユリアを見ていると、ふと今更ながらに気づくことがあった。
「そういやお前、こんなとこにいていいのか?」
「へ? え、ああ、なんというか……今更ですね」
くすりと微笑むユリアに焦った様子はない。
国王がこんなところにいていいのだろうか。
案外、自由にしてるのか?
「ご心配には及びませんよ。国には分身を置いてありますので」
「分身? 影武者的な?」
「いえ、そのままの意味で、わたしの分身です。劣化版のわたし、と言えばいいのでしょうか」
「なるほど、魔法か」
「はい。理解が早くて助かります」
本当になんでもありだな、魔法。
分身て、アメーバみてえ。
……ん? 分身?
「……こっちが本体なのか? まさか、どっちも本体……」
「ふふっ、流石にそこまで便利な力じゃないですよっ。ここにいるわたしが本体で、わたしが死ねば分身も消滅します」
「それはそれでおかしい気もするが……」
普通は本体を国に置いておくものじゃないのだろうか。
一体なんのための分身なんだ。
「——まだ」
「ん?」
「まだ、出来ることがあるかもしれないじゃないですか。分身は作った時点で余分に魔力を持たせておけば魔法を行使することも可能ですが、わたし自身の持つ固有魔法や能力は使用出来ません。それでなにかあったときに、本体で臨んでいれば、なんて後悔はしたくないのです」
気持ちは分からないでもないし、ありがたいとも思うが、
「……お人好しもほどほどにしとけよ」
「……お人好し、ですか。そんな高尚な理由なら——」
「おっけーっ!」
ユリアの台詞を遮り、バトルアーマーを外してタンクトップにスパッツという姿になったフィーアが台に寝転がる。
台に近づきながら、言葉の続きを促すようにユリアへ視線を送るが、しかし、それ以上言う気はないようで、ユリアは微かに首を振った。
「よ、よろしくお願いしますっ!」
少し上擦った声と共に敬礼するフィーア。
露出した腹部にそっと触れると、くすぐったそうに吐息を漏らす。
爆発でびくともしない身体の割には、フィーアの肌は女の子らしく柔らかい。
吸い付くような肌、という表現の意味を実感した瞬間だった。
シックスパックになっていたりはしないものの、へそと
ふむ……やっぱり腹筋を割るのには抵抗があるのだろうか。
誰に見られる予定があったわけでもないだろうに。
案外、かわいいところもあるものである。
爆発を巻き起こしながら高笑いしていたやつだとはとても思えない。
「ふっ……くくっ……はぁっ、はぁっ……ううっ——あーっ! もう! くすぐったいってばっ! 女の子のお腹で遊ぶなバカ!」
「ああ、悪い悪い。ついな。だが安心しろ、お前を異性として見ることはない」
「バカにしてんのっ!?」
バカになんてしていない。
これは正真正銘本心である。
残念ながら、俺は家族に欲情するような危ない性癖は持ち合わせていないのだ。
「落ち着け落ち着け。いいか、俺がセクハラするのはユリアだけだ。これは、被験体への興味からくる行動であり、これっぽっちもやましい気持ちはない」
「ね、ねぇ……? わたしの話聞いてた? 傷ついてるよ? わたし傷ついてるよ?」
「その特別扱い微塵も嬉しくないんですが……確かに私が言ったことですけど!」
なんだか文句ありげな女性陣二人。
いや、俺なんかおかしなこと言ったか?
「俺がお前の腹に興奮するとか自惚れんな。お前が真っ裸でうろついててもなんの意識も向けねぇっつの。精々、風邪引くから服着ろよって忠告するくらいのもんだ」
「なんでわたしお兄ちゃんにお腹見せて魅力がないって断言されるのと同義のこと言われてるのか理解が追いつかないんだけど……泣きたくなってきた」
被害妄想も甚だしい。
だいたい兄だと思ってるやつから魅力があるとか言われても嬉しくねぇだろ。
少なくとも俺はこいつにかっこいいとか言われても嬉しくない。
「別にそんなこと言ってねぇだろ。他のやつは知らねぇけど俺は興味ねぇって言ってんだよ。あと従来機と呼べ」
「言わなくていいの! バカ! わたしだって別にお兄ちゃんとか眼中にないし! アホー! お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん!」
「はぁ……反抗期かお前は」
「アインさんが全面的に悪いと思います」
えー、俺が悪いのこれ? めんどくせー。
「ね? ユリア分かってる! 流石!」
「たとえ兄だとしても、女の子は褒められるのが好きなんですよ? 兵器云々ではなく、そういった性格がアインさんに恋愛経験がない理由なのでは?」
「おま……」
ぐさっとなにかに貫かれた気分である。
胸が痛い。
俺がこんなに責められるようなことをしただろうか!
女という生き物はつくづく面倒くさい思考回路をお持ちのようだ。
「もういいからさっさとやって!」
今のくだらないやり取りで、少しばかりの不安と恐怖はどこかに飛んでいってしまったらしい。
恥じらいがなくなれば、ただでさえ皆無だった色気もマイナス方向にカンストしている。
「はいはい……」
やれやれとばかりに作業を再開しようとすると、フィーアはぶっきらぼうに、
「……ありがと」
「……さて、なんのことだか」
× × × ×
白磁のような肌に手のひらを当て、記憶の中で研究員がつぶやいていた言葉を告げる。
「【Authentication】」
『——声帯認証、完了。個体名【Ein】の声帯と一致。続けて、掌紋認証を行います。そのまま手を離さずにお待ちください——掌紋認証、完了。個体名【Ein】の掌紋と一致』
俺の声帯と掌紋が登録されているのか。
研究所の認証システムと共有しているのだろうか。
この段階で躓くことも予想していたため、ほっと息を漏らす。
しかし、俺とフィーアは続けられた機械音声の言葉に固まることとなった。
『接触者を個体名【Ein】と確定。個体名——【Takamoto Masiro】より、管理者権限が一部譲渡されております。個体名【vier】のメンテナンスを開始しますか?』
「たかもと、ましろ……」
「え……お母さん?」
まさかその名をこんなところで聞くことになろうとは。
「アインさんたちを作った方、なんですか?」
あまりいい印象を持っていないのか。
ユリアは微かに眉根を寄せる。
「……ああ。作った方——というよりかは、単純に血の繋がった母親って認識でいい」
稀代の天才、奉日本真白。
【
研究所に捕縛され、使い潰される運命にある人だ。
「一度、俺たちを逃がそうとして、監禁されていると聞いていたが……はあ、懲りない人だな」
「逃がそうとするくらいなら——」
「それ以上は許さねぇ。……確かに、元凶なのかもしれないが、やっぱり、それでも、俺たちの母親なんだ。あの人は」
「そう、ですか……申し訳ありません」
最大の問題となっている内蔵爆弾に関して、あの人は関わっていないという情報は得ている。
兵器として作り出したことは変わらないものの、それを責めるのは酷だろう。
誰だって——死ぬのは嫌だ。
「【Yes】」
答えると同時に、フィーアの腹部が開いていく。
中に詰まっているのは内臓ではなく、銀色に輝く機械の群れだ。
同時に空中にウィンドウが展開される。
『——個体名【vier】のメンテナンス準備が完了しました。続けて、個体名【Takamoto Mashiro】より、個体名【Ein】が個体名【vier】のメンテナンスを実行するとき、起動するようプログラムされた音声ファイルを起動し、再生します』
「なっ——」
『【——こんにちは、アイン。元気してる?】』
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