0005 殺しますからね?


「さて、まずは自己紹介から、ですかね」


 隣からそんな声が聞こえた。

 ちなみに俺の視界には窓と外の木々しか映っていない。

 実は反射して見えてるが、それを言うと追い出されそうなので黙っておくことにしよう。


 ……案外、振動が少なくて揺れていない。


「わたしはユールヒェン・シュヴァルツリヒト・ベルゼブブと申します。美食の国ベルゼブブ——」

「長え……うわっ!?」


 脇腹を信じられない勢いで殴られた。

 痛くはないが、さすがに驚く。

 殴った本人は少し痛そうに手を閉じたり開いたりしながら、


「……こほん。美食の国ベルゼブブ、三十二代目魔王がわたしの肩書きです。お気軽にユリアとお呼びください」


 それ言っていいのか。

 ベルンハルトの苦労とは一体。


「すぐに手が出る女はモテねぇぞ」

「人の名前にケチをつける殿方はモテませんよ」


 正論だった。

 なんなのこいつ、なんでこんなつっかかってくんの? 俺のこと嫌いなの?


「……アインだ」

「フィーアだよー。よろしくね、ユリア!」


 俺たちが自己紹介を終えると、ユリアはお行儀のいい姿勢でしばらく待った後に首を傾げる。


「? 姓は……」

「姓はない。強いて言うなら……そうだな、アイン・ツァール、アイン・ワースト。あとは、奉日本たかもとアインくらいだが……まあ、覚えやすいのでいい」

「ワースト……? そういえば、極東の島国から来たと聞いていましたが……なぜ、この国の言語を? 名前も、一という意味、ですよね?」

「名前にたいした意味はない。一号機、初号機、一番目の個体で、アインだ。俺たちは大抵の言語は喋れる」


 俺がなんでもないように告げると、ユリアは微かに眉を顰め、


「それでは、あなたたちが人工物のようではないですか」

「そうだっつーことだよ。俺たちは人間というよりかは道具に近い」

「ぶっちゃけ、兵器だしねー。ベースは人間なんだけど……だから、改造人間って言うのが正確なのかな?」


 困惑を隠せないといった様子で呆然としていたユリアは、地雷でも踏んだと思ったのか俯いてしまう。

 ……そんな気にすることでもないんだが。


「これが俺たちの普通だ。史上最凶の殺人兵器として生み出されたのが、俺たち【最悪の数字ワースト・ヌーマン】であり、俺たちはそのことになんの後ろめたさも抱いてねぇ」


 人を殺すために生まれたやつがそんなことを気にするなんて、冗談にしてはつまらない。


「ああ、分かってるとは思うが、俺たちは無差別殺人機じゃねぇ。お前に直接攻撃を仕掛けるようなことはねぇから、そこは安心してもらっていい」

「そんなことを気にしていたら、そもそも乗せてませんよ。……今まで、どれだけの人を殺してきたんですか?」

「は? んなもん一々数えてねぇよ。まあ、でも、精々一千万には収まるくらいじゃねぇか?」

「一千、万……」


 一千万人という人数がこの世界の人間にとってどのくらいの大きさなのかは分からないが、この女王にとっては目を見開くほどの衝撃だったらしい。

 真紅の瞳の奥に、不安が宿ったような気がした。


 ユリアはごくりと喉を鳴らして、恐る恐る尋ねてくる。


「それ、は……自発的に、というわけではないんですよね?」

「半強制的に、だな。まあ、別に嫌だとも思ってなかったから、常人とは感覚が違うという保険をかけておくが」

「人を殺すことに不快感を覚えないのですか?」

「全く」

「そう……ですか」


 理解し難いのだろう。

 それも当然だ。

 人と物の価値観が同じなわけがないのだから。


「——例えば、大砲で人を殺したとして、大砲に罪悪感なんてものは生まれねぇだろ? それと多分同じだ」

「大砲……?」

「大砲を知らないのか?」

「申し訳ありませんが……」


 大砲がないのなら、拳銃もないのだろうか。

 そもそも銃火器がない可能性もあるな。

 そうなると、やっぱりこの世界になんらかの施設がある可能性は低い、か。


「武器はなにを使ってるんだ?」

「人それぞれですが、魔導士なら杖、剣士なら剣、自分の拳のみという方もおります」


 ……原始的だ。

 それに、魔導士か。

 魔術的加工とかいう単語から間違いないとは思っていたが、魔導士とくれば本当に確定してよさそうだ。

 やはり、この世界には魔法がある。


「なら、こう言えば分かりやすいか。例えば、剣士が剣で人を斬り殺したとして、その行為になんらかの感情を持つのは剣士であって剣ではない。俺たちは、剣士ではなく剣なんだ。だから、俺は人を殺してもなにも思わない。そもそも、人を殺すかどうかを決めてるのが、道具おれじゃないんだから」


 伝わっただろうか——伝わったのだろう。

 彼女の苦虫を噛み潰したような顔を見ればそれはまさに一目瞭然だった。


 疲れないのかと思う。

 一体、他人にどれだけの感情を向けているのだろう。

 不幸なやつとか不憫なやつなんて世の中にはごろごろと転がっているのだから、その全てに悲しんでいたらキリがないだろうに。


「なら……」


 ぼんやりと窓の外を見つめていると、彼女は少し掠れた声を出す。


「——それなら、どうしてっ、あなたたちを作った人はあなたたちに感情を与えたのですか……っ! なぜ、わざわざ人を兵器にしたのですかっ!」

「おいおい、落ち着けよ。俺たちが気にしてねぇっつってんのに、お前が気にしてどうする」


 なぜこんなにも怒れるのだろう。

 どこかの誰かに対して、さっき会ったばかりなやつの人生に対して。


 考えたところで答えなんて見つかるはずもないのに、なぜか気になって、振り払っても脳裏に浮かんできてしまう。


 ここで怒るのが普通なのだろうか。

 俺には普通が分からない——だからこそ、異常なのだろう。


「質問に答える前に、一つ大前提として、世界には生物の身体に取り込むとその生物の身体を強靭にする悪性物質があるということを伝えておく」

「そんなものが……?」


 まあ、この世界にもあるかどうかは分からないが。


「それを踏まえて質問に答えよう。人を兵器にした理由は、悪性物質を利用した兵器を開発する上で、他の動物では理性がなく制御が効かないため。俺たちに感情がある理由は単にベースが人間だからだ。別に与えられたわけじゃねぇ」


 それに関しては、開発側も不本意だったような雰囲気だった。

 そりゃあ、なにも考えずにただ命令に従うやつの方がいいに決まってる。


「嘘、でしょう? たったそれだけのことで……人を兵器に変えたと?」

「お前、嘘は見抜けるんだろ?」

「っ……!! それで、いいのですか……? どうして、反発しないのですか!」

「自由になりたいと思ったことはあるさ、でも、命懸けで手に入れたいとは思わねぇな。生きててなんぼだろ」


 死ぬのは怖い。


 これだけ命を奪っておいて、殺すことに嫌悪感を覚えないと、殺した相手のことなどどうでもいいと宣っておきながら、自分が死ぬのは怖い。


 でも、多分そんなもんだろう。

 実際、人を殺したら自分も死ななければならないと考えているやつなんていねぇ。

 だから、死体を見ながら自分はこうなりたくないと思うのはおかしなことではない。


「使われるか、殺されるかなら、俺は使われる方を選ぶ。自己満足のために命を張れるような物語の主人公にはなれないし、なりたいとも思わねぇ」

「殺、される、とは……?」

「ああ、そういや、まだ言ってなかったな。俺たちが死ぬかもしれない理由を」


 感情を持ち、いつ裏切るか分からない兵器を従順にする方法。

 手綱を握って、自分たちが主人でい続ける方法。


「俺たちの身体には、爆弾、いや——俺たちの身体はある一定の条件を満たすと大破するように出来ている」

「……大破? 壊れる、ということですか? 身体が?」

「ああ、壊れるってことだ。木っ端微塵にな」


 おそらく、そのときには周囲も無事では済まないだろう。

 大規模な爆発が起きるはずだ。


「ど、どういうこと、ですか? なにもしていないのに、勝手に身体がバラバラになるんですか?」

「いや、なんて言えばいいんだろうな……爆発は知ってるか?」

「爆発? はい」


 爆発という単語があるのか。

 なら、爆弾はあるのか?


 爆弾があって大砲がない?

 なんだかちぐはぐな感じだ。

 爆弾を発明するところまでは至っているのか……?


「簡潔に言うと、指定時間を過ぎると身体が内側から爆発する」

「……なぜ?」

「裏切りを防ぐため」

「それは、つまり、えっと、え? あなたを改造した方がそうなるようにしたということですか? 裏切ったかもしれないだけで、殺すということ、ですか?」

「まあ、そういうことだな」


 ユリアはスカートの端を掴んでしばらく固まったのちに、俯いたままぽつりとつぶやく。


「分かりません……」

「どこか分からないとこがあったか?」


 俺が訊くと、ユリアはスカートの端を握る力を強め、ぶんぶんと顔を振る。


「どうして、そんな簡単に、自分のためだけに人の命を無駄にできるのか、誰かの人生を奪えるのか、分からないんです……」

「世の中はそういうやつで溢れてんだろ。自分の命を脅かす存在がいるのなら、対策を打つのは当然のことだ」


 窓に映る彼女が泣いているのを見て、益々わけが分からなくなってくる。

 お前が悲しむ必要がどこにある。

 他人のことを考えていられるほどに、満足な人生を歩んでいるのだろうか。


 フィーアはいつの間にか熟睡していたので、そんな彼女を暇つぶしがてら見ていると、彼女は唐突に顔を上げ、俺の肩を掴んで身体の向きを無理矢理自分に向けさせる。


 なに、見られたくなかったんじゃないの?

 まあ、見てたんだけど。


 そんなふざけた思考を殴るような勢いで、ユリアは正面から言葉をぶつけてきた。


「理不尽だと思わないのですか! なぜ、そこに甘んじていられるのですか!」

「落ち着けっつーの。だから、殺されるよりマシだって言ってんだろ? そりゃあ今となっちゃ大惨事だが、裏切る気がないのならそんな気にすることじゃない」

「……あなたはっ、あなたは気にしていないわけじゃない! 気にすることが、出来ないんです……っ」

「それならそれでいいだろ。悲しさなんてわざわざ求める必要はない」

「この異常な状況をっ、自分の異常事態を、悲しめないことが……どれだけ悲惨か……っ」

「俺が悲惨だと思ってないなら、それは悲惨じゃねぇんだよ。常人とは感覚が違うんだ。気にすんなっつーのも無理な話なのかもしれねぇが、やっぱりお前が気にすることじゃねぇよ。同情も悲哀も余計なお世話だ」

「……た、たとえ、余計なお世話なのだとしても——わたしはっ、あなたが気づけない悲しみを、捨てておくことは出来ません……っ!」

「どうしてそこまでする。俺にはお前の方がよっぽど意味不明だ」


 俺でも異常じゃないかと思う。

 どんな育ち方をすればこんな人間が出来上がるんだ。


 ユリアは涙を拭いながら、嗚咽交じりに話し出した。


「……わたしには、神子みこの友人がいるんです」

「神子? なんだそれ」

「神子を知らないのですか? ……なんらかの特殊能力を持って生まれてくる人のことを、わたしたちは神子と呼んでいるんです」


 特殊能力とは、またなんだかわくわくする単語が出てきたものである。


「へぇ、それで?」

「その友人の授かった能力は、世界中の悲しみが聴こえる、というものでした」


 なんて嫌な特殊能力だ……なんもわくわくしねぇ。


「彼女は、優しいのです。世界中の悲しみ全てに対して涙を流してしまうほどに。多分、わたしはそんな彼女とあなたを重ねているのでしょう。自分の悲しみさえ聴けない、あなたと」


 身内と重ねたから、か。

 まあ、その気持ちは分からないでもない。

 俺だって、俺が死ぬのと同じくらいにフィーアが爆発するのは嫌だと思う。


 七人いる同僚——家族に近しい存在——の中で一番長く隣にいた。

 こいつがいたから、なんてことは言わないが、こいつがいなくなったら寂しいだろう。


「だから、わたしはあなたを必ず救います。あなたの目的はその爆発を止めることでいいのでしょう?」

「ああ、そうだ」

「わたしになにが出来るかは分かりませんが……」

「出来ることはしてもらう。借りは必ず返す」


 俺がそう言うと、ユリアはおかしそうに笑って、


「はいっ、任せてください!」

「ところでお前、俺は窓の外を見てなくてもいいのか?」

「……もう今更ですよ」

「それはガン見OKってことでいいんだな?」


 そういうことならじっくり拝ませてもらおう。

 胸部に空いてる穴とか超エロいなこれ、バカじゃねぇの。

 ていうか——


「——おいこれ、こんだけ露出しててなんで谷間隠してんだよ! あり得ねぇ!! 頭おかし——ぶっ!?」


 頭を思いっきり窓に叩きつけられた。

 なんて仕打ちだ、この暴力女……。


「頭がおかしいのはあなたです! この変態!! こっち見ないでくださいっ! ていうか降りろ!!」

「おい、口調崩れてんぞ……。あと、手放してください。黙って窓の外見てるから許せ」

「嫌です、早く降りてください」

「いや、俺は空調をだな……つまり、お前が泣き虫なのが悪い。全ての元凶はお前だ。だからお前が降りろ。歩いて揺れる乳はしっかり見といてやる」

「なっ、泣き虫じゃありません! あなたが降りてください! ていうか、どんだけ胸好きなんですか! 自重というものを知らないのですか!」

「お前が露出を自重しろ、この露出狂が」

「蹴り出しますよ!?」

「ほお、やれるもんなら——」


 俺がユリアの手を押しのけて、さらに両手首を握ったときだった。

 突如、車内に怒号が響く。


「——うるっさい!!」

「すまん」

「す、すみませんでした。……あなたのせいで怒られたじゃないですか。ていうか手放してください。やってることが完全に強姦です」


 その通りだった。

 流石に強姦のレッテルは勘弁して欲しいので潔く手を放す。

 ちなみにフィーアは再び眠りに落ちたようである。

 早えな、おい。


「まあ、なに、調子に乗りすぎたとは思っている。反省と後悔はしない」

「反省と後悔しないんですね……。その、わたしも、なんだか気を遣っていただいたようなのに察せられなくて、えっと、アレです。気の遣い方に明らかに欲望が混じっていたので、お礼と謝罪はしません」

「お礼と謝罪しねぇのかよ……完全に言いがかりだよ、欲望とか十割くらいしかなかったよ」

「全部欲望じゃないですかそれ。はあ……あなたの相手をしていると疲れます」

「まあ、肩の力抜けよ。気楽にいこうぜ」


 俺が笑ってユリアの肩を軽く叩くと、ユリアはにっこりと微笑んで言うのだった。


「——次、触ったら殺しますからね?」

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