第13話 もう二度とあんな思いはしたくない
姉のジュリアン・マクニールが20の誕生日を迎え、記念に友人たちとキャンプに行くと言い出したとき、リリアンは10歳だった。
10も年の離れた姉やその友人はとても大人に見えて、リリアンの目にはとてもカッコ良く映った。自分のわからない問題を優しく教えてくれるのも、憧れる要員の一つだったように思う。
「リリアンも一緒にいきましょう?」
だから誘われたときは素直に嬉しかったし、こんな大人の輪に入れる自分がひどく誇らしかった。
まさか、あんなに恐ろしい思いをするなんて思わなかったのだ。
姉の友人だという男の車に乗って、友人家の別荘があるという森へ行く。途中まではよかったのだが、森のコテージについてから周囲の態度が一変した。
「おいジュリアン! こいつ好きにしていいんだよな!?」
「あんまり乱暴はしないでね。私の可愛い妹なんだから」
「はっ、可愛い妹をこんな目にあわせるんだからお前も大概イカれてるぜ!」
車を運転していた男に押さえつけられ、圧迫された手首が痛い。自分より圧倒的に体の大きな大人たちに押さえつけられている恐怖でリリアンは泣き叫いた。
「お姉ちゃん! 痛いよ! 恐い! やめてよぉ!」
リリアンが身を捩って恐怖と傷みから逃れようとすると覆い被さっていた男が眉をひそめる。バシン、と大きな音がして頬が熱くなった。殴られたと知って涙と悲鳴が止まる。
本当に恐ろしいと身体機能のすべてがマヒしてしまうのだと、この時リリアンは初めて知った。
「っるせぇんだよ! 黙れ!」
怒鳴られて体がビクリと震える。リリアンの脅えた表情に満足げな笑みを浮かべた男は、しかし次の瞬間ジュリアンに思い切り蹴り飛ばされ、ソファに頭を打ち付けていた。
「あんまり乱暴はしないでっていったでしょ。私の可愛いリリーの顔に傷でもついて痕がのこったらあんたケツ掘られる以外のことじゃイケなくしてやるわよ?」
リリアンは、姉が助けてくれたのだと思った。頼りになる姉だから、きっと自分をこの状況から救ってくれるのだと思った。
だが頭から血を流した男が姉の手の甲に口づけした瞬間、彼女は自分の認識が間違っていたことを知る。
「ヒッ、ヒヒヒッ……そうしてくれよぉ、たまんねぇなお前。そういうとこサイッコーだぜ」
舐めるような口づけだった。リリアンは見てはいけないものを見たような気がして目を逸らす。助けを求めるように見た姉の顔は、泣きそうな――けれども嬉しそうな、不思議な表情だった。
それが『恍惚』というのだとリリアンは随分後になってから知ることになる。
いつもはカッコイイと思う、真っ赤なルージュをひいた姉の唇が、この時ばかりは不気味に思えた。
「さあ、一緒に楽しみましょう? 私の可愛いリリー」
男に足首を掴まれる。放置した飲み水のように生暖かいぬるりとした感触にリリアンは悲鳴をあげた。
「やだっ! はなして! はなして! やだっ、お姉ちゃんっ!」
助けを求めてもジュリアンは笑うだけだ。赤いルージュの口元が歪む。
男の手がずるずると這い上がってきて、リリアンはまた泣き出した。
「やだ! やだよぉ! はなして!」
「逃げられねぇぞぉ、これから仲間もくるしよぉ、楽しもうじゃねぇか。ジュリアンの妹なんだから素質あるぜぇ? 多分なぁ」
男が不気味に笑いながらリリアンの腹を舐めあげる。ヘソのあたりが濡れて寒い。手の動きも舌の動きも、全身を虫が這い回っているようで怖気がたった。
生ぬるいねっとりと絡みつくような他人の温度が不快だ。
「やだ! はなして! やだ!」
――気持ち悪い。気色悪い。気味が悪い。離して、触らないで、近寄らないで!
手を伸ばして助けを求めても、ジュリアンはやはり笑ってみているだけだった。
意識が遠のいていく。
「やだぁあああああああああああああぁあああああ!」
その日のことはとうとう親には言えなかった。なんと言っていいかわからなかったし、姉は両親に信頼されているから、もし自分の言い分が信じて貰えなかったらとおもうと恐かったのだ。
その代わりにリリアンは11歳になったと同時にウェストミンスタースクールへ入学し、自宅から通える距離であるにも関わらず寮へ逃げ込んだ。休日の帰省をなるべく減らし、どうしても帰らなければいけないときは親と片時も離れないよう細心の注意を払った。
リリアンが14歳になる頃には姉は仕事でちょくちょくアメリカへいっていたから、それ以降は彼女に脅えることはなくのびのびと暮らしている。
ただこの事件以降、リリアンは人と触れあうことが極端に恐ろしくなってしまった。ウェストミンスターで最初の1年間は誰とも接触せず、暗い子だと言われていたくらいだ。
対人関係については時間をかけて少しずつ改善していったが、今でも女性が登場する性交渉シーンは全年齢対象の映画ですらマトモに直視できない。
男性同士なら大丈夫だと気がついたのはいつのころだったか。少しだけ自分がマトモになれたようで嬉しくて、ずいぶんとその世界にのめり込んだ。
勘違いされがちだが、リリアンは今でも――男女の性交渉は苦手だ。
苦手というより、それを示唆する表現を見ただけで吐き気を催す。
だからリリアンは今回の欲望をまるごとぶつけてくるようなストーカー事件が恐かった。
気持ちが悪いと思う。気色が悪いと思う。気味が悪いと思う。
とにかくリリアンはもう二度とあんな思いをするのは嫌だったし、友人であるエリンやアリエルが同じような思いをするのは、それ以上に嫌だったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます