第10話 サンドイッチ作ったった
「隆弘。とうとう警官を殴ったそうだな」
鉄格子の向う側から声をかけられた隆弘がゆっくりと目を開け声のほうを見る。くたびれた様子の警官が1人立っていた。
高い位置にある窓から日の光が差し込んでいるのでもう朝なのだろう。いつのまにか眠っていたようだ。
隆弘は寝転んだまま吐き捨てる。
「おっさんか。あんたの部下が悪ぃんだぜ」
隆弘の軽口を受け流すと、男は鉄格子に手をかけよりかかるような体勢になった。
「で、なんで殴ったんだ?」
「俺が殴った奴に聞いてねぇのか?」
「加害者と被害者両方に話を聞くのが筋だからな」
「クソマジメだな相変わらず」
「お前は相変わらず口より先に手がでるようだな」
警官が苦い顔をする。隆弘は喉の奥でククッ、と笑い、男から目を逸らした。
名前をアーマンというこの警官は去年隆弘が喧嘩騒ぎを起したとき世話になった人物だ。堅物だが話はきちんと聞いてくれる。警官が全員こういう人間ならよかったのだが、そううまい話はない。
「ダチがストーカーされててよ。被害者は女なんだが、あの野郎相手は元恋人じゃねぇかとか今の恋人と付き合うためにフッたんじゃねぇかとか言いたい放題言いやがって、頭に来たから殴ってやったんだよ」
アーマンがかすかに眉をひそめる。
「……それは酷いな。注意しておく」
「そうしてくれ。ストーカーに関しては2回通報したから資料はあると思うぜ。被害者がかなりまいってるから不良警官よりもこっちを先に解決してくれると助かる。1人怪しい奴がいるんだ。五年前近所の女しつこく口説いてフラれてやがる。オーバーチュアで被害者のリリアン・マクニールに助けられてるんだが、翌日メールアドレスをしつこく聞いて来たらしい。話を聞いてみてくれ」
「ジャッキー・ボーモントか……わかった。早期解決に努めよう」
「エクスタシーの事件で忙しいだろうに、悪いな」
「なに、忙しいからといって事件を選り好みしていては警察失格だ」
隆弘が片手をあげて感謝を表現するとアーマンも笑って片手をあげた。直後に鉄格子の鍵を開け、隆弘に外へ出るよう促す。
「だが頭に血が上ったからといってすぐに手を出すのはやめておけ。お前はただでさえ人よりガタイが良いんだから、危険だろう。これは前にも言ったと思うが」
「ああ、ああ、悪かったよおっさん。気をつけるぜ」
「本当にわかってるのか?」
「もちろんだぜ。で、俺はもう帰っていいのか?」
わかっていなさそうな隆弘を前に、アーマンがため息をつく。
「なんならもう一晩入って本格的に反省してもらってもかまわんぞ」
「冗談だろ。もう充分反省したぜ」
「そうは見えないな」
なおも続く小言に隆弘が肩を竦める。
「本当に反省したんだぜ。あんたの小言は長いからな。できれば聞きたくねぇ」
「ふん。ならこれからはせいぜい大人しく暮らせよ」
「おう。ぶちこまれないように気をつけるぜ」
「ぜひそうしろ」
隆弘が警察署の前でひらひらと手を振ると、アーマンも手を振り替えしてくれた。こういう良い人間もいるのに2回も不良物件を引き当てるあたりリリアンの運の悪さは折り紙つきだなと思う。警察署が見えなくなったあたりでポケットからタバコをとりだし、火を付ける。朝霧の中をフラフラと散歩しがてら10分かけて家へ戻ると、玄関の前にリリアンが立っていた。金色の髪が霧のせいで少し湿っている。まさか居るとは思っていなかった隆弘は思わずタバコを落としそうになり、緩慢な動きでニコチンを手に持った。
人の気配に気づいたのかリリアンがふっと顔をあげ、隆弘を見る。いつも笑っているはずの顔が今は泣きそうに歪んでいた。
「隆弘!」
彼女は慌ただしく隆弘にかけよると、申し訳なさそうにぐっと眉尻をさげて俯いた。
「迷惑かけてごめんな。こんなことになって、本当にごめん」
「別に俺が留置所にブチこまれたのはてめぇのせいじゃあねぇだろ」
隆弘としては至極真っ当な意見のつもりだったが、それでもリリアンの表情は晴れない。
「だって、部屋が荒らされてて警察呼んだから、あんなことになったんじゃねぇか……」
タバコをくわえ直した隆弘はガシガシと乱暴に頭を掻いた。
「てめぇは全部自分が悪者なら納得すんのか?」
リリアンが驚いたような顔で首を横に振る。
「そっ、そんなんじゃねぇけど!」
そんな顔をしてほしかったわけではない。
罪悪感に苛まれて欲しくて警官を殴ったわけではない。ただ隆弘自身が気に入らなかったから殴っただけだ。
沈んだ顔色のリリアンを見て口を開いた隆弘はいつものクセでいったん口を閉じ、キュッと真一文字に結んでから再び口を開いた。
俯いているリリアンの胸ぐらを掴み、引き寄せる。当然ながらリリアンはひどく驚いた顔をした。同時にとても脅えているようだ。女の体が震え出す。部屋を荒らされたときと同じ反応だ。自分もストーカーと同じ扱いなのはひどく不満だったが、きっとリリアンは隆弘ではなく、なにか別のものが恐くて周囲のすべてにそれを投影しているのだろう。
だからそれを隠すように、いつもヘラヘラと笑っているのかもしれない。
「俺もふくめて、てめぇの周りは好きでてめぇの心配してんだ。こっちは変な風に遠慮されるほうがよっぽど迷惑だぜ。これがてめぇにとって迷惑だってんならハッキリそう言え」
リリアンは目を見開いて隆弘を凝視している。体はまだ震えていた。隆弘も負けじと彼女の目を見据え、尋ねる。
「俺たちがてめぇの心配するのは、迷惑か?」
低く唸るような声が出た。これでは脅しをかけているようだ。リリアンはポカンと口を開けてマヌケ面を晒している。茫然とした表情のまま彼女はゆっくりと首を振った。
「迷惑、じゃ、ない……」
「だったらいうセリフがちげぇだろ」
リリアンの顔から驚いたような脅えたような表情が抜け落ち、代わりにはにかんだような笑みを浮かべた。
彼女の体の震えが止まったのを確認し、隆弘はそっと服を掴んでいた手を離す。
あらためて隆弘に向き直ったリリアンがニッコリと笑った。
「心配してくれてありがとう、隆弘!」
「おう。気にすんな」
隆弘がタバコの煙と一緒に返事を吐き出すと、リリアンはなにがそんなに嬉しいのか
「へへへー」
と妙な笑い声を出した。
隆弘は口の端を持ち上げ、笑う。
「さっきまでビビってやがったくせに、随分切り替えが早ぇじゃねぇか」
「うん。心配してくれるってわかったから、恐くなくなった」
「じゃあ今まで俺がてめぇの心配してねぇと思ってたんだな?」
隆弘が笑ったまま言うと、リリアンがわざとらしく口を尖らせる。
「そーじゃねぇよぉー言葉のあやだよぉー!」
いつものリリアン・マクニールがそこにいた。これは多分空元気ではないだろう。タバコの煙を吐き出した隆弘は、なにが面白いのか煙の行方を凝視するリリアンに尋ねた。
「……なあ、なにがそんなに恐ぇんだ」
リリアンがチラリと隆弘を見る。それから少し目を伏せて、静かに人差し指を唇へ押し当てた。
「まだ秘密」
今度は隆弘が目を伏せてタバコをくわえなおし、大きく息を吸い込む。それから煙を吐き出した。
「悪い。妙なことを聞いた」
リリアンが静かに首を横に振る。
「心配してくれてるから、嫌じゃねぇよ」
ありがとう。と小さく付け足したリリアンは、またパッと明るい笑顔に戻って隆弘の肩を叩く。思いの外力が強かったので彼の体が少し揺れた。
「今日私食事当番なんだけどさ! サンドイッチ作ったからお前も食べる?」
口をへの字にまげてリリアンを見た隆弘はそのあとすぐに笑って彼女を肘でつつく。
「俺の食う分には胡椒かけんじゃねぇぞ」
リリアンが不満そうに口を尖らせた。
「えー美味いよー」
「そう思ってんのはてめぇだけだぜ」
リリアンが肘でつついてきた。
「あとさ隆弘さ、今日の10時からの講義出んだろ? 一緒にいこーぜー!」
隆弘がリリアンの肘をつかんで逆につつき返す。
「ああ。お前チャリ後ろ乗ってくか?」
脇腹をつつかれたリリアンはひとしきりケタケタと笑ったあと、隆弘の拘束を抜けだしてぴょこぴょこと飛び跳ねた。
「やったー! 帰りにクレープおごってあげるね!」
「っつーか2ケツが目的だったんじゃねぇかてめぇ」
数秒後心配して外の様子を見に来たアリエルに盛大なため息をつかれ、ハリーたちに散々笑われたあと結局7人の大人数で朝食を取ることになったのだった。
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