第9話 じゃあどうすりゃよかったんだ

「タカヒロ・ニシノだ。よろしくな」


 窓から木漏れ日が差し込んでいる。9月1日からウィンチェスター・カレッジに入学した隆弘は寮の同室になった少年に手を差し出した。少年はオロオロと視線をさまよわせたあと隆弘の手をとって握手をする。


「タカヒロ? に、日本人なの?」


「いや。ハーフだ。母親がイギリス人」


「そ、そうなんだ……ぼ、僕、ジャッキー・ボーモント。同じ部屋になったから、これから、よ、よろしくね」


 6年前の話になる。思ったことを率直にいうタイプだった隆弘はこの頃から体格もよくリーダー格と目されることが多々あった。ジャッキーは引っ込み自案な性格で、一週間もすれば隆弘の後ろをジャッキーがついて歩くという図式ができあがっていた。

 小太りで動きの遅いジャッキーがからかわれるのはいつものことで、そのたび彼は隆弘の後ろに隠れていたが、隆弘も苦とは思わなかった。

 周りもからかわれたジャッキーが隆弘の後ろに隠れるまでを一連の流れとして認識していたように思う。

 そういう役回りだった。よくある話だ。名門私立だろうと公立だろうと子供の考えに大した違いはない。一週間もすれば学校内でそれぞれの立場が固まり、脱却は難しくなる。

 事件が起こったのは2年の夏だったと思う。

 ジャッキーが近所の少女に言い寄り、しまいには『気持ち悪い』とこっぴどくフラれてしまった。言い寄り方が粘着質で時間があるときには意中の少女をつけまわしていたのでこれには今まで冗談半分でからかっていた連中も本気で驚いたと言う。

 意中の少女にフラれたあげく周囲からの対応まで変ってしまったジャッキーはやがて授業に出たくないとごねるようになった。

 最初こそ体力も身長もジャッキーより上だった隆弘が無理やり授業へ引きずっていったのだが、半年くらい経ってとうとうジャッキーが体調を崩す。

 ベッドに寝たままのジャッキーに言われた言葉が、隆弘は今でも印象に残っていた。



「君の強さが、なによりも重荷だ」



 無理やり授業に参加させていたことが、ジャッキーにとっては重荷だったらしい。体調を崩したのも心労からだと言われたし、隆弘がよかれとおもってしていたことは結局すべて裏目にでていたというわけだ。


「……悪かった」


 謝罪に言葉は返ってこなかった。

 結局その後もジャッキーの体力は回復せず自宅療養することになる。ジャッキーが居なくなった部屋を見て、隆弘はこれ以上彼を気にかけるのはやめたほうがいいと思った。

 自分の行動が裏目にでるのは初めての経験でショックだったのかもしれない。

 自分の不用意な行動や発言がまた彼を傷つけるのが恐かった。

 正しいと思ってしたことだったのだ。今でもなにが悪かったのかわからない。


 ならば、いっそなにもしないほうが傷つけなくてすむではないか。


 ジャッキーと隆弘が再会したのはオックスフォードに入学したときのことだ。家庭教師の教育で試験に合格したジャッキーのほうから隆弘に話しかけてきた。

 ウィンチェスターでは隆弘の後ろをついて歩いていたジャッキーが恨めしげな目をしていたのを覚えている。


「学校を離れた途端忘れ去られたみたいになにもなくて寂しかったよ。君はそうじゃないかもしれないけど、僕には君以外友だちがいなかったから」


 カレッジが違うのでその後あまり交流はなかったが、まれに敵意のような恨みのようなものを感じるときはあった。

 それが悪意なく傷つけてしまったせいだとしたら隆弘はまだ受け入れられただろう。すまなかったと謝罪し、甘んじて悪意も敵意も受け止めた。

 だがジャッキーの言い分は違う。関わらなかったことが原因なのだ。

 自分なりに精一杯関わった結果、隆弘はジャッキーを追い詰めた。本人にも重荷だと言われた。だから距離を取ったのだ。


――じゃあどうすりゃよかったんだ。


 このことを考えると結局いつも同じ疑問に行きつく。近づくのも重荷で放っておくのも嫌だというのなら、どうするのが最善だったのだろうか。

 隆弘自身、太陽のように優しくなりたいとは思う。少なくとも授業に無理やり引っ張っていったのも彼なりの優しさだった。他の方法を考えたとしても、結局最後の目的は一緒だろう。

 ゆっくり待ってやればよかったのだろうか。いつか踏み出さなければいけない一歩を彼が自分で踏み出せるようになるまで。

 見守ってやればよかったのだろうか。彼が自分の殻からでてくるまで。

 だが思いつく全てのことが裏目にでてしまったら、今度はどうすればいいのだろう。

 ジャッキーに糾弾されて以降、隆弘は他人との距離感がわからなくなった。悩んでいたり苦しんでいる人間になにか言おうとするたび、重荷だと言われた瞬間が脳裏にチラついてうまく言葉を紡げない。

 自分の言葉がすべて他人を傷つける刃に思えて仕方がないときがある。

 自分の行動がすべて他人を傷つける刃に思えて仕方がないときがある。

 それでもリリアンの憔悴した顔やエリンたちの心配する顔を見て放っておけるはずもない。

 結局首を突っ込んで、このザマだ。

 もうグダグダ考えるのも面倒になってきた。ここまで関わったのだから最後までやり通すべきだろう。それで重荷だといわれたら、その時また考えればいい。


――「ぶっきらぼうだなお前」


 そういえばリリアンを無理やり家に引きずっていったとき、そんなことを言われた気がする。とても嬉しそうな、優しい声で。


 それが答えのような気がした。

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