第3話 帰ったら部屋が荒らされてたンゴ

 彼らが買い物から帰る頃には午後4時を過ぎており、10月ともなるとあたりは少し暗くなっていた。

 プリリズムを終えて無事進級した彼らはカレッジから出て町の南側にある借家を借りている。オックスフォードの学生は1年と3年時にはカレッジで暮らし2年になるとカレッジを出て借家を借りるのが普通だ。2年時にカレッジへ留まるのにはよほどの理由がなければ認められない。学生用に良心的な家賃が設定されているしその家賃も大抵が友人と分担して払う。リリアンはアリエルとエリンとルームシェアをしており、隆弘はハリー、エヴァンドロ、ドナと同じ家を借りていた。借家がたまたま隣あっていたため1年時よりも交流が盛んだ。

 家の前についたのでリリアンは隆弘に手を振った。


「じゃあ今日はサンキューな!」


 隆弘も『ベンズ・クッキー』の袋をこれ見よがしに振って挨拶を返す。


「こっちこそ、ありがとよ」


 彼の言葉にリリアンは口を尖らせたがまたすぐ笑って手を振り、玄関へ向う。隆弘は家に入る前に一服するつもりのようだ。木造フェンスにもたれ掛かり、タバコに火を付けている。

 家の鍵を取り出そうとバッグに手を突っ込んだリリアンはいつもの場所に鍵がないことに気がついて眉をひそめた。周囲を探ったり他の場所を見たりしてもあたりが暗いためよく探せない。試しに玄関のドアをあけてみると鍵はかかっていなかったのでエリンかアリエルが帰宅しているのだろう。明るい場所であらためて鍵を探そうと家に入った。


「ただいま~」


 誰かいるならすぐに返事が返ってくるはずなのになにもない。代わりにバタバタと慌ただしい足音が聞こえてきて顔を真っ青にしたアリエルがリリアンの肩をガシッと掴んだ。


「ごっ、ごめんリリー、私、今帰ってきたばっかりでっ! 鍵があいてて……み、見に行ったときには、あ、あなたの部屋が!」


 アリエルの言葉はまったく要領を得ない。リリアンはまず友人を落ち着かせようと友人の肩を軽く叩く。


「うん、まあ、なんだ。落着け。クールにいこうぜ。OK?」


「これで落着けるわけないでしょ!」


「ええー……逆ギレー……」


 リリアンが困ったように眉尻を下げる。アリエルは彼女の言葉を無視して腕を引っ張り、階段へ引きずっていく。


「いいから! ちょっと来て!」


 アリエルが案内したのは二階にあるリリアンの部屋だ。ドアが開いているが別に鍵はかかっていないし不自然ではない。そういえば朝出るとき閉めなかったかもしれない。リリアンは稀にドアを開けっ放しにしてそのたび掃除の邪魔だとエリンに怒られていた。


「え、なに。とうとうアリエルまで私のドアを掃除の邪魔っていうようになったの?」


 アリエルが怒鳴る。


「ばか! あなたの部屋が荒らされてるの!」


「あらいやだ」


 引きずられていった先には私物やゴミの散らばった自室が広がっていた。服や下着も散らばっている。撮影に失敗したのかやたら画面の薄暗いポラノイド写真が十数枚と、なんだかよくわからない黒い糸くずが目に止まった。

 しかしそれよりも本棚にあった本が床に散らばっているほうが問題だ。今年の夏に日本から持ってきた戦利品もいくつか被害にあっている。クローゼットやチェストも乱雑に開け放たれていた。

 部屋の惨状を目の当たりにしたリリアンはぐるりといったん部屋を見回したあと頭を掻く。


「あ……、あー……これは……アカンやつやな……」


 横にいるアリエルが怒鳴る。


「あったりまえでしょっ!」


 リリアンは声を上げて苦笑するに止めた。


「あ、はは……はぁ……」


 が、その笑い声もすぐため息のようなものに変ってしまう。この状況で片付けをするべきか警察に電話するべきか迷っている自分は現状が受け入れられていない。リリアン自身にも理解できた。

 現状が受け入れられていないのはさっきから怒っているアリエルも同じようで、意味もなく床に散らばった写真を手にとっていた。なにが映っているのか気になったらしい。

 リリアンはヘタに弄らないほうがいいんじゃないかなぁと思ったがいう前に携帯が鳴ったのでバッグを漁る。

 やはりお互いにどこか冷静ではないと思う。

 携帯電話は声優の歌う某カードゲームアニメのエンディングを周囲にまき散らす。メールの着信だ。電話の場合は同じ人間が歌う津軽海峡冬景色なので曲を聴けば解る。

 特に何も考えず新着メールを開封したリリアンは内容を見て硬直した。


『今日の買い物は楽しかった? どうせなら僕を誘ってくれればよかったのに。それとも僕を嫉妬させたくてワザとやってるのかな……そんなことしなくても僕は君を充分愛してるから大丈夫だよ』


 メールアドレスには見覚えがない。知人以外に教えた覚えはないのにどこから流出したのだろう。

 彼女がメールを読み終わらないうちに携帯はまた新着メールを知らせる。


『部屋を見て驚いたかもしれないけど、それは罰だよ。浮気はダメなことなんだから、少し反省しなきゃ』


『君のことを一番愛してるのは僕だよ。君はわかってるはずだ』


 メールはまだ続いていたがリリアンは耐えきれず携帯をバッグにつっこんだ。吐き気がする。目眩もだ。気色が悪い。

 眉をひそめて写真を凝視していたアリエルが悲鳴をあげる。


「きゃあっ!」


 虫でもついていたかのように彼女は写真を取り落とした。メールの内容をすぐに忘れたいリリアンがアリエルに尋ねる。


「どうした?」


 アリエルは汚物を見るように写真を見ている。意味もなく手を服にこすりつけながら消え入りそうな声で言った。


「あ、あれ……み、みないほうが、いいわ」


 手を拭き続けるアリエルに尋常でないものを感じ取ったリリアンはがっくりと肩を落して呟く。


「なにが映ってたんだよ……」


 答えたくないのかアリエルが口ごもった。現状でそこまで気味悪がられる写真を見たくなかったリリアンは代わりに散らばった黒い糸くずをまじまじと見つめる。ひとつひとつは短く、裁縫用の糸にしては妙に太い。光沢と縮れがあるのも気になる。しゃがんでよく観察し、手にとって見てみようと思ったところでひとつの可能性に思い至りリリアンはふと手を止めた。同じタイミングでアリエルがリリアンの肩を掴む。


「リ、リリアン、や、やめたほうがいいわ……やめて……」


 この言い分から糸くずはリリアンの察するものであっているようだ。気持ちが悪い。観察していないアリエルが糸くずの正体を察したということは写真の内容も推して知るべしといったところか。気味が悪い。

 立ち上がったリリアンの背後に帰宅したらしいエリンが近寄ってきた。


「ただいまー。一階に誰もいないんだもん……ふたりともなにしてるの?」


 不思議そうに首を傾げるエリンのほうを振り向き、アリエルが弱々しい声で事情を説明する。


「リリーの部屋……荒らされてて……私が帰ってきたときには、もう……玄関の鍵、あいてて……」


 リリアンが帰宅したときよりは少し落ち着いたらしい。いくらか解りやすい説明を聞いてエリンが部屋を覗きこむ。


「……とりあえず気持ち悪いかもしれないけど、部屋はこのままにして、警察に電話しよう」


 今まで半ば自失状態だったアリエルとリリアンは頷くことしかできなかった。

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