第2話 助けた奴がめんどくさいタイプだった件

「チーズとアボカドのサンドイッチちょーだい! あとローストビーフのやつもいっこ!」


 カバードマーケットにあるサンドイッチ・カンパニーで昼食を取ることにしたリリアンは買ったサンドイッチを持って店の横に置かれたテラス席へ腰を下ろした。市場自体に屋根がついているので厳密にいうとテラス席ではないが、店内ではないし人通りがあるのでテラス席と同じ雰囲気がある。

 ハイストリートを小さな路地に入っていくとそこがオックスフォードのカバードマーケットだ。タイルが敷かれ、屋根の取り付けられた屋内市場はハイストリートとマーケットストリートを繋ぐ4つの道とそれを繋ぐ3つの路地で構成されている。落ち着いた色の赤や緑、白亜の外壁は屋内であることもあってどれも綺麗だ。限られた場所に密集しているので店舗は小さい。ここに足を踏み入れるとドールハウスの中へ迷い込んだような気がするのでリリアンはカバードマーケットがお気に入りだった。観光客はだいたいクイーンストリートかコーンマーケットストリートで買い物をするのでカバードマーケットは比較的穏やかに過ごせる。

 リリアンがバッグからいつも持ち歩いている胡椒を取りだしてサンドイッチにかけていると、横の席に腰を下ろした中年の男女が一瞬化け物をみるかのような目つきで彼女を見てきた。一見さんはだいたい同じような反応なので気にしない。サンドイッチの表面にまんべんなく胡椒がかかったところでリリアンはアボカドとチーズのサンドイッチをひとくち食べた。相変わらず美味い。


「リ、リリアン・マクニール、さん?」


 表面が胡椒で黒くなったローストビーフのサンドイッチを半分消費したあたりで声をかけられ、リリアンはゆるりと顔をあげた。横に小太りで気の弱そうな男が立っている。リリアンが男に目線を会わせようとすると男のほうがサッと顔を逸らした。見覚えのある顔だ。

 ローストビーフのサンドイッチをテーブルに置いてリリアンが首を傾げる。


「あー、ジャッキー・ボーモントさん?」


 すると男の顔にパッと笑みが浮かんだ。


「あ、ああ! そうだよ! 覚えててくれたんだね!」


「そりゃまぁ、さっきまで警察で昨日のこと聞かれてたからな」


 リリアンが自分の前にある席を指差して


「座ったら?」


 と言うと、ジャッキーが椅子に腰を下ろした。

 縮こまるように手を膝の上に置いたジャッキーが目線を泳がせながら口を開く。


「き、昨日は、助けてくれてあ、ありがとう。ご、ごめんね。大変だっただろ? 応急処置してくれたのに、じ、事情聴取、まであって」


 リリアンはとりあえず食べかけのサンドイッチを手にとり少し食べた。パンと肉を飲み込んだあとジャッキーを見て笑うとまた目を逸らされる。


「事情聴取は形式的なもんだったし、応急処置はできることやっただけだからな。それよりあんたが無事でよかったよ。入院はしなくていいのか?」


 ジャッキーがMDMAを飲んだのは確実だが、この分だと自主的ではないと判断されたようだ。確かに目線を逸らしたりどもったりするだけでヤク中という雰囲気はない。

 ジャッキーが一瞬だけリリアンを見て勢いよく頷く。


「う、うん! ぼ、僕は、ミックたちに、無理やり、連れられて……ミ、ミックたちも警察でそう言ったから、ぼ、僕は、治療だけ受けて、す、すぐ帰っていいって」


「そっか」


 リリアンがサンドイッチを食べ終えて手を拭くため紙ナプキンに手を伸ばすと、その手をジャッキーに握られた。


「そ、それも君が助けてくれたおかげだよ! ミ、ミックたちが逃げてたら僕が逮捕されてたかもしれない……あ、ありがとう!」


 手が汚いままだなぁ、と思いながらリリアンは無理やり笑顔を浮かべ、身を乗り出すジャッキーから少し距離を取る。


「いや、あいつら捕まえたのは隆弘たちだし」


「き、君のお陰だよ! ありがとう!」


 どうやら彼にリリアンの話を聞く気はあまりないようだ。


「リ、リリアンは優しいし、髪の色も綺麗な金色で、ほ、本当に、太陽みたいな人だ! あ、ありがとう!」


「え、や、礼を言われるようなことじゃねぇよ」


 リリアンはさっきから胡椒がついたままの手を気にしていたがジャッキーが手を離す様子はない。


「それにそんなこと初めて言われたぜ」


 浅く広い友好関係を築いていたリリアンは『根無し草』やら『たんぽぽのわたげ』と言われたことはあったが、『太陽みたい』などと歯の浮くようなセリフを言われたことはついぞない。いうような人間とのつき合いは極力さけてきた。


「ぜ、ぜひお礼がしたいんだ! 君には感謝してるから……あの、こ、こんど、食事でもどうかな!? れ、連絡したいから、メ、メ、メールアドレスを、お、教えてくれる!?」


 夜の町を歩けば商売女だと勘違いされるリリアンはこの手の雰囲気に敏感だ。ある種の目的意識をもってこちらに近づいてくる相手。そういう人間が発する独特のにおいをかぎ分けなければのちのち厄介なことになる。

 早い話がめんどくさそうな相手の誘いは早めに断れということだ。


「いや、礼を言われるほどのことじゃねぇからさ、気にするなよ。本当、あたりまえのことだからさ」


「でっ、でも、それじゃあ、ぼ、僕の気が、すまないんだよ!」


 うわめんどくせぇ。

 気が弱そうなのでちょっと押せば引くかと思っていたのになかなかしぶとい。お礼という大義名分があるからかどうにもリリアンのメールアドレスに御執心のようだった。そして向うに大義名分があるためこちらもすげなく断るのは抵抗がある。

 リリアンはとりあえず今この場を切り抜ける材料がないかと周囲を見回した。うまいこと友人でも歩いていてくれれば話を合わせてこの場から立ち去れる。


「本当に気にしないでくれよ。お礼とかそんなつもりでやったわけじゃねぇんだ。逆に悪いよ、あれだけでそんなかしこまって言われるとさ」


 言葉を選び、ハッキリと拒絶の意志を告げながらリリアンはまばらな人の流れに頭二つ分ほど飛び出た人影を見つけた。タバコを吸っているようで煙を吐き出しながら歩いてくる。我が意を得たりとばかりに顔を輝かせたリリアンは椅子に座ったままその人影を呼び止める。


「おーい隆弘ぉー!」


 西野隆弘。昨晩一緒に飲んでいた仲間の1人だ。おそらく彼も事情聴取かなにかだったのだろう。リリアンよりもミックたちに関わっていたから少し長引いたのかもしれない。

 声をかけられた隆弘が立ち止まり、リリアンを見た。タバコを咥えた彼に片手をあげて挨拶し、リリアンが椅子から立ち上がる。

 ジャッキーの手を振りほどいた彼女は隆弘の目の前に片手を上げて苦笑とウインクを送った。


「悪いな、待ち合わせなんだ。話はまたあとでな」


 ジャッキーの反応は見ずにバッグをつかみ、隆弘の傍へ駆け寄ると彼の右腕に腕をからめる。


「ごめんなぁ隆弘! 早速買い物いこうぜ!」


 無論いつもはこんなことをしないので最初こそ驚かれたようだ。ジャッキーとリリアンを交互に見た隆弘は何か言おうとした口を閉じ、リリアンの腕を振りほどくことはしなかった。

 リリアンの体が少し震えていたことに気づいたのかも知れない。

 タバコの煙を吐き出した隆弘が一緒にため息と言葉も吐き出した。


「手間ぁかけさせやがって」


 リリアンがジャッキーに軽く手を振って歩き始める。隆弘もそれに従ってくれる。

 隆弘の腕につかまるようにして歩くリリアンが彼を見上げた。


「ごめんなぁ、デート中だったぁ?」


 おどけて尋ねてみると、隆弘は呆れたようにリリアンを見る。


「そんなわけねぇだろ」


「でも隆弘モテるからさぁ、ハリーとかと」


「男じゃねぇか」


 リリアンは相変わらずヘラヘラと笑っている。しばらく歩いて路地を曲がると彼女は隆弘の手を離した。解放された腕を使ってタバコを携帯灰皿に入れた隆弘はひとつため息をついてリリアンを見る。


「てめぇ手間かけさせた礼に『ベンズ・クッキー』奢れよ」


「えー! お前甘い物やたら食うってドナが言ってたぞ! どんだけ食うつもりなの!? 貧乏学生なんだから手加減してよ!」


「そのあとペンケース買いに行くから付き合え」


「人の話聞けよー! どこに買いにいくんだよ!」


「向かいの道に雑貨屋あっただろ。ネコのやつがいい」


「うわぁ」


 リリアンがわざとらしく低い声を出すと隆弘が彼女の頭を軽く叩く。


「買い物いくっつったのてめぇだろ。付き合えコラ」


 こうしてリリアンは拒否権もなく195cmの巨漢にズルズルと引きずられていったのだった。

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