五限目
オレ達は一度夕食のために宿舎へ戻っていた。
『推理時間』の最中ではあるが、食事の時間に集まるという決まり事は継続中だ。
草壁に生殺与奪を握られている以上、遅れるわけにはいかなかった。
食堂で軽く食事をとったものの、ユリア以外の全員は見るからに気落ちしていた。
刻一刻とタイムリミットが近づいているのに、そのことに対する焦燥感すら、どこかに抜け落ちてしまっているようだった。
本来なら一番に疑われてしかるべき如月を詰問する者さえいない。
全員、犯人を捜すことに疲れ切っていた。目の前で誤爆した津川を見たこともあり、全員が消極的になっていた。
おそらく、これも犯人役の狙いなのだ。
推理を間違えれば死ぬ。その様子を間近で見せられたオレ達が、推理自体に尻込みするようになると予想するのは容易なことだった。
しかし、このまま流されているわけにもいかない。現実はそんなに甘くないのだ。タイムリミットが過ぎた時点で、犯人役の勝利が確定してしまう。だからオレ達は、否が応でも誰かを糾弾し、推理によって人を殺さなくてはならないのだ。
「耕ちゃん、これからどうするの?」
オレが今後について考えていることを察してか、清羅が聞いてきた。
自然、皆の視線がオレに集まる。
「……無論、犯人を捜す。今オレ達ができることはそれだけだ」
「……でも、あの津川でも無理だったのに、アタシ達にできるの?」
前嶋はいつになく弱気だった。
「そ、それに……。仮に、何かトリックみたいなものを思いついたとしても……それも、犯人のミスリードの可能性があるんだよね。……津川君の時みたいに」
如月の手は震えている。
一度前例ができてしまった以上、そんなことにはならないとは誰も言えなかった。
「わたくしは、このまま引き下がるのも一つの手、という気がしますわ」
全員が驚いてユリアを見た。
それも当然だ。その発言は、ここで全員死のうと言っているようなものなのだから。
「先輩風を吹かすわけではありませんが、あなた方よりも殺人に詳しいわたくしから言わせてもらえれば、今回の犯行はまったく隙がありません。津川さんの件があった後、わたくし達は再び屋上だけでなく、学校区域内全体を隈なく探索しました。しかし、証拠らしい証拠は一切出て来ない。屋上からも、証拠どころか何らかの痕跡すら見つかりませんでした。この徹底した証拠の排除には美しさすら感じます」
「だからあきらめろって?」
前嶋が、どこか投げやりな口調で言った。
「ですが、わたくしたちが死ぬ可能性はゼロではありませんよ? 鳥江結さんが犯人役だった可能性があります」
清羅が眉をひそめた。
「犯人じゃないから、津川君は死んだんだと思うけど……」
「今回の事件の犯人でなくとも、犯人役であった可能性はあるしょう? 犯人役の二人が必ずしも協力関係にあったとは思えません。もしもわたくしが犯人役なら、たとえ同じ犯人役でも顔を晒すような真似はしたくありませんわ。自分が犯人だと他者に知られるのは、それなりにリスクが伴いますからね」
「……つまりこういうことか? 犯人役はお互い顔も名前も知らなくて、今回の探偵役を減らすための罠を、たまたま仲間が踏んでしまったと」
ユリアは頷いた。
「推理するのはあくまでも探偵役ですからね。ないとは言い切れないのでは?」
「確かに言い切れないね。でも、実際に推理した津川君と真犯人を除いても、五人も犯人候補がいるんだよ? 五分の一の確率に賭けるの?」
ユリアはにっこりと笑った。
「この事件で戦うよりは、分の良い賭けだと思いますわ」
そのあまりの潔さに、誰もが呆れて何も言えない様子だった。
しかし、彼女の考えは理に適っている。確かにオレ自身、この事件で犯人を見つけ出すのは、かなり難しいと感じている。
今回の誤爆は犯人が意図的に仕組んだものだ。それだけのことをする余裕があるほど、犯人は今回の事件に自信を持っている。おそらく、証拠の類を見つけるのはほとんど不可能に近いだろう。
勝ち目のない戦いに挑むなら、逃げる方がまだマシ。
そういう考えも、分からなくはない。
「で、結局死んだら?」
「それも天命。そうは思いません?」
全員が、信じられないとでも言うような目で彼女を見ている。
彼女の言っていることを一番理解しているオレでさえ、その達観したものの見方には驚愕せざるを得なかった。
しかし、面と向かってそれに反対する者はいない。全員が、安きに流れようとしている。
その時、突然清羅が立ち上がった。
「……私はいや!」
それは、長年彼女と共に過ごしたオレでさえ見たことがない、彼女の激情だった。
「ここで逃げて、結果犯人役に負けることになるなんて、私は絶対にいや! だって私達、生きられるかもしれないんだよ? ねぇ、みんなだってそうでしょ? 独房に入れられて、ただ死刑を待つだけの数週間が、どれほどの地獄だったか」
全員が目を伏せる。
清羅に言われなくとも、忘れられるわけがない。
大した裁判も行われず、まるで事務処理のように独房に入れられる。唯一の接点である看守は、オレ達をまるでモノでも見ているかのように冷めた目で見下ろしていた。
「あの時感じた絶望は、死という結果が待ってるからというだけじゃなかったはずだよ。確実に待つ最悪の結末を変えるための努力もできない。そんな自分の無力さに、私達は何よりも絶望したはずだよ。ねぇ、そうでしょ!?」
清羅はオレを見て、泣きそうな顔で俯いた。
「私は、みんなに説教する資格なんてないよ。他の人と違って、私は私の都合に、何の関係もない耕ちゃんを巻き込んだ。でもだからこそ、私は誰よりも願ってた。どんなものでもいい。この絶望から耕ちゃんを……、私達を救ってくれる希望が欲しいって。だから私は、この希望を捨てたくない。私は……逃げたくない!!」
一際大きな叫び声に、部屋の中がしんと静まり返る。
誰も何も言わない。動かない。
彼女の叫びは、誰にも届かなかった。……そう思った時だった。
突然、前嶋が立ち上がった。
「アタシも! 正直、この事件がどれだけ難しいのかもよくわかんない馬鹿だけど……それでも、アタシも戦いたい。どうせ死ぬなら、アタシは戦って、やるだけやったんだって、納得して死にたい!」
「ぼ、僕も! まだやりたいことがいっぱいあるし、い、生きたいって思う。だから……だから、僕もがんばるよ!」
三人がお互いを励まし合っている様子は、オレにとってあまりにも眩しい光景だった。
生きたいと願い、本気で何かを実行しようとしている彼らを見ても、しかしオレの心は冷めたままだった。
思わず、オレは自分の手を見た。
やはり、この差なんだろうか。
自分の手を血で染めた人間と、そうでない人間の差。
オレは気になってユリアの方を見た。
彼女はいつもと変わらなかった。気品溢れる姿で、優雅に紅茶を飲んでいる。しかしふと見ると、彼女の頬が、確かに緩んでいるような気がした。
オレの気のせいだろうか。
まるでこいつが、歪曲ながらも、皆に檄を飛ばしたように見えたのは。
連続殺人鬼。人とは違う感性で生きる怪物。
しかしそこに、オレはまるで、自分の希望があるように思えた。
◇◇◇
オレ達は涼音の死体が放置されている屋上に来ていた。
食堂で話し合って、結局犯人は何らかの遠隔操作で涼音を殺害したんだという結論に至ったからだ。
確かに如月のアリバイはない。しかしここまで用意周到な計画をたてる犯人が、そんな間の抜けた隙を作っているとは到底思えなかった。
自身のアリバイを作りながら涼音を殺す。その方法を暴くことができれば、犯人に近づくことができるのは確かだ。
未だ何の手がかりも得ていない状況だが、それでも何もやらないよりはマシだ。
「もしもアリバイトリックが実行されたなら、津川君の推理みたいに、やっぱり何らかの痕跡が残るような気がするよね」
如月の言うことはもっともだ。しかし実際にはそんなものはない。
唯一あったのは、津川が見つけ出した板とダンベルだけだ。
「時計の針に細工ができない以上、何らかの証拠品を回収するとなればそれは十一時半以降のことになります。死体を目撃してからの証拠品の回収が禁止されている以上、今生きている人間の中では、如月さん以外にそれを実行するのは不可能ですわ」
如月が少しだけ縮込まる。
犯行時刻のアリバイがない如月以外は、全員十一時半以降のアリバイが成立している。二人以上の人数でトランプをしていたオレと清羅と前嶋はもちろん、津川が探偵役であることが確定しているため、犯人同士のアリバイ工作も認められないユリアもその時間帯のアリバイは確実だ。
「じゃあ、まったく痕跡を残さない遠隔殺人、とか……? そんなこと可能かな」
自分で言っていて不安なのか、如月は虚空を見つめながら自問している。
「わかんないわよ。でも見つけないと。犯人は、確実にそれを使って涼音を殺してるんだから」
確実に、ではない。如月が犯人なら、そんなトリックは必要ないのだ。
しかしおそらくは敢えて、前嶋はそう言った。
その様子は如月が犯人であるという、思わず飛びつきたくなるような撒き餌に引っ掛かるまいと、歯を食いしばっているようにもみえた。
「ロープマジック……」
ふいに、清羅が漏らした。
「ロープを使ったトリックならどう? 今この場にあるものだけで遠隔殺人を行った」
「それって、涼音を吊らしていたロープのこと?」
「そう。たとえば……涼音ちゃんを睡眠薬で眠らせて、あの庇まで移動させた後、ロープを使って彼女の身体を支えておくの。涼音ちゃんが起きて、ちょっとした動作で解けちゃうようにね。そしたら、涼音ちゃんが目を覚ました時にそのまま時計に落下して、彼女を支えていたロープは彼女を吊るすロープになる」
つまり、ロープを使った時限装置ということか。
「それなら犯行時刻をずらせるし、証拠品がない今の状況と同じになる。……そうだよ、きっとそれだ!」
「いや、おそらく違う」
オレはにべもなく言った。
「どうして? すごくよくできたトリックだと思うけど」
「仮にそういうことができるロープマジックがあったとしても、長さが足りないんだ」
「……長さ?」
「ああ。最初に涼音の死体を発見した時のことを思い出してくれ。吊るしていたロープは雨どいからほとんど伸びてなかっただろ。最終的に死体を吊るす形にしなければならないことを考えれば、あの程度の“あそび”じゃ、たぶんそういう仕掛けは作れない」
「じゃあ手すりにくっつけるように涼音ちゃんを縛っていたらどう? 庇の分だけロープの長さは余るから、マジックを使う余地も残るんじゃ……」
「それだと今度は時計のオブジェとの距離がずれて、涼音に致命傷を与えられない。その手の仕掛けがあるのなら、涼音は雨どいの場所で放置されてなくちゃだめだ」
少し重い空気が流れる。
推理の否定は犯人への手がかりの否定だ。時間も迫っている現状を考えれば、落ち込みたくなる気持ちも分かる。
しかし、オレ達に落ち込んでいる時間などない。こうしている間にも刻一刻と時間は過ぎていっているのだ。
その後、オレ達はあれこれと意見を言い合い、再び学校区内を探索し、捜査に勤しんだ。
しかし結局手がかりは見つからず、残り時間は六時間を切った。
◇◇◇
オレ達は食堂で、無言の朝食を食べていた。
推理時間が終了するのは今日の昼食時間ちょうど。
最悪の事態になれば、これが人生最後の食事になる。それを知ってか、それとも徹夜で疲れ切っているのか、皆一言も喋ることなく食器を動かしている。
『推理時間』は夜に自室へ戻るというルールがなくなることを聞かされた時はただただありがたいと思っていたが、こうして疲労を募らせるだけの結果に終わると、それすらも草壁の嫌がらせだったんじゃないかと思えてくる。
その中で、唯一自分の部屋に戻って睡眠をとったユリアは、非常に健康的だった。
ユリアが寝ると言い出した時は、前嶋辺りと喧嘩になるんじゃないかとやきもきしたが、前嶋も彼女の性格を掴んだのか、もはやそんなことで体力を使いたくないと思ったのか、何も言わなかった。
「ちょっといいか?」
いつも少し離れた場所で食事をとっているユリアの前の席に、オレは陣取った。
もう彼女と話す機会もないかもしれない。そう思っての行動だった。
「なにか? わたくし、できれば食事は静かにとりたいのですが」
「お前は怖くないのか?」
ユリアの目が、じっとオレを覗き込む。
その綺麗なワインレッドの瞳は、しかし底なしの沼のような不気味さがある。
「……以前も少し話しましたが、わたくしは命というものに興味がありません。殺人鬼をやらせていただいておりますが、他者を殺すことで高揚感を覚えたことはありませんし、自分が神になったなどという愚かな妄想を持ったこともありません。要するに、命というものに価値を見出していないのです。それが他者であろうと、自分のものであろうとです」
そう言って、彼女は小さく頬を緩めた。
「わたくしが興味を持つのは輝き。美しいものですわ」
「美しい、もの?」
「そう。言ってしまえば、わたくしが価値があると判断したもの、ですわね。そういった観点で見た場合、わたくしが探偵役だろうと犯人役に手を貸すこともあり得る、ということです」
オレは思わず他の三人に視線を寄越した。
幸いなことに、ちょうど何かを話し合っている最中で、ユリアの言ったことには気づいていないようだった。
「……つまりお前は、計っているのか? 探偵役と犯人役、どちらが生き残るべきか」
「といっても、今回の事件の全容はわたくしも見当がついておりません。殺人についてはプロでも、探偵役は専門外ですからね。どちらに肩入れしようとできることはありません。……ただ、そういうこと抜きに気になっていることはあります」
「それは?」
「それはあなたです。神城耕一さん」
じっと、ユリアはオレを見つめている。
「今、あなたは揺れてらっしゃるのでしょう? だからわたくしの話を聞きに来た。同じ人殺しであり、先輩であるわたくしに」
図星だった。
オレはたぶん、迷っているのだ。
みんなが必死で頭を悩ませている時に。
この事件に、本気で取り組むべきなのかどうかを。
「今回の事件を解決することができる人間がいるのなら、それはおそらくあなたでしょう。しかしそれは、生を諦めたあなたが再び生きようとするということです。そして生きようと思うなら、あなたは再び誰かを殺めなければならない」
オレの脳裏に、再びあの光景がフラッシュバックした。
あの狭い部屋で、清羅の父親をバッドで殴ろうとした、あの光景が。
「このゲームで一番やってはいけないことは、他人のことを考えることです。あなたが生き残るには、まずあなたのことを一番に考える必要がある。生きたいと、本気で願う必要がある。今のあなたでは、おそらくこの犯人を止めることはできないでしょう。何故ならこの犯人は、自分が生きるために必死だからです。頭脳で引けをとらなくとも、その一点において不利であるならば、あなたはおそらく負けることになります」
誰よりも生きたいと願うこと。
それはある意味で、人間の持つ最も醜悪なエゴともいえた。
「犯人役、探偵役。その名前で誤魔化されそうにはなりますが、やっていることはどちらも同じです。どちらも、自分の命欲しさに人を殺す、ただの人殺しに変わりありません。それはあなたが生きるに値しないのではないかと思う存在です。そんな考えを持つあなたがテミスの審判で人を殺す瞬間というのは……その矛盾に、一体どのような回答を得た時なのでしょうね」
矛盾。
そうだ。これは矛盾だ。
清羅を助けたいと願いながらも、オレは再び人を殺すことを怖がっている。
ふいに、彼女が優しく微笑んだ。
「勘違いしないでください。人は矛盾を孕んだ生き物です。そして、だからこそ美しいと、世間一般では評価されています。まぁ、せいぜい頑張って下さいな」
そう言うと、ユリアは一方的に話を打ち切った。
ユリアはあたかも自分勝手なように見えるが、どこかわきまえているような気がする。理不尽に人の命を奪ってきた自分が、自分の命を理不尽に奪われることに抵抗するのは浅ましいことだと思っているからこそ、彼女はこうして不動を貫いているのではないだろうか。
命は尊いもの。
そんなことは小学生だって分かってる。でもその尊さは、本当に絶対的なものなのだろうか。取り返しのつかない罪を犯した人間の命も、尊いものなのだろうか。
オレたちは、取り返しのつかない罪を犯したと判断され、こんな殺し合いの世界に投げ出された。
それに対する不満も、主張も、溢れんばかりに持っている。
だけどもしかしたら、そういう感覚自体が嘘なのかもしれない。
オレが人殺しを忌避するように、世間はオレ達を忌避した。その常識が間違ってるなんて、一体誰に分かるんだ?
少なくとも、オレ達以外の大勢の人間は、オレ達を悪と判断したのだから。
オレには分からない。
何が悪で、何が善なのか。
オレには、まったく分からなかった。
オレには────
「アタシだって分かんないよ!!」
そんな怒声が聞こえたのは、オレが一人悶々と考え事をしている時だった。
見ると、前嶋は明らかに興奮した様子で銃を如月に向けていた。
オレは慌てて駆け寄った。
「前嶋! 落ち着け!! とりあえず銃を──」
カチリと、撃鉄を引く音がした。
ビープ音が聞こえ、如月の首輪にあるランプが緑に光る。
この状況はまずい。現状殺人が行えたのは如月だけで、当の如月はその反証を持っていない。いくら詭弁を並べ立てても、この弾丸を防ぐのは不可能だ。
そしてこの推理が間違っていれば、どうあがいても探偵役の勝利はなくなる。
「……前嶋さん。僕は犯人なんかじゃない。津川君を殺した偽のアリバイトリックを仕掛けるような犯人が、自分だけアリバイのない時間に犯行を起こすなんて考えられないじゃないか」
「そう思わせるのが目的だったかもしれないじゃない! 現に、津川はあのアリバイトリックを見破った! そこまで分かっていたなら、敢えてトリックを使わないで殺すことだって十分ありえる!!」
如月は答えに窮している。
「……前嶋。ひとまず落ち着くんだ。如月が怪しいのは認めるし、お前が言ってることも間違ってない。だが──」
「わかってるよ!!」
前嶋の悲痛な叫び声が、食堂に木霊した。
「アタシだって、……如月が犯人だなんて思いたくない! でもアタシ馬鹿だから、こんな答えしか思いつかないのよ!」
オレは思わず、伸ばしていた手を止めた。
前嶋は、ここにいる誰よりも自分の無力さを痛感している。だからこそ、彼女は今汚れ役を買って出ようとしているのだ。
オレが清羅を庇って、あの男を殺したように。
その時、オレの頭の中で、奇妙な靄が掛かったような気がした。
「……如月。アンタ、友達に万引きを強要されたんでしょ? ……アタシもね。そういう経験あるんだ。こんな恰好してるとさ。むしろ加害者呼ばわり? されることばっかでさ。誰に何言っても信じてもらえなくて、教師とか親からも犯罪者呼ばわりされて。結局その時は、監視カメラに強要の現場が撮られてて助かったけど、下手したら、アタシはアンタと同じ容疑で死刑になってたかもしれない。……だから、アタシは如月の気持ちが誰よりもわかるんだよ。誰にも頼れなくて、孤独で。でもずっと、誰かに助けてって叫び続けてる。……そんなアタシが……、好きで……好きで、如月を……殺そうなんて……」
ぼろぼろと零れる涙に、殺されかけているはずの如月でさえ、心を動かされているようだった。
オレは優しく、彼女の銃を握りしめている手を包み込んだ。
「……大丈夫だ。お前がそんな辛い選択をする必要なんてない」
始めは微塵も動かなかった腕が、やがてゆっくりと降りていく。拳銃の射線上から如月の姿が消えた時、人知れず如月の首輪のランプは赤に点灯した。
その瞬間、まるで堰が切れたように前嶋は泣きじゃくり、その場にへたり込んだ。
「それでいい。誰かを本気で思いやれるお前みたいな奴が、こんな場所で殺し合いなんてする必要はないんだ。オレと違って、優しいお前は……」
はたと、声が止まった。
オレは自然と自分の口から出た言葉を、注意深く反芻した。
オレとは違う……。
オレとは────
その時、まるでフラッシュバックのようにオレの眼前にあの男の顔が現れた。
まるで怪物でも見るかのように怯えた瞳。わななかせた唇。
その時のことを全て思い出し、オレは確信した。
……そうだ。
人は、残酷なんだ。
オレが気付いた時、目の前にいたのはあの男ではなく、清羅だった。
「耕ちゃん! 耕ちゃんだいじょうぶ!?」
未だに回転の鈍い頭を必死に働かせながら、辺りを見回す。
どうやら、オレはその場で尻餅をついていたらしい。
状況を認識し、大きく深呼吸をする。
「……悪い。もう大丈夫だ」
大丈夫? 本当にそうか?
立ちあがりながら、自問する。
いや、大丈夫なわけがない。こんな恐ろしい方法に気付いた時点で、オレは犯人と同じくらい恐ろしく、残酷な人間なんだ。
「みんな、聞いてくれ」
全員の視線がオレへと集まる。
この学園に来てからもずっとオレのことを気に掛けてくれた清羅。
誰よりも優しく、誰よりも純粋な前嶋。
コンプレックスを抱えながらも、強くあろうとする如月。
自分の命にすら執着せず、為されるままに運命を受け入れようとするユリア。
オレは全員を見渡し、その言葉を口にした。
「犯人が分かった」
◇◇◇
オレが屋上に場所を移したいと言った時、誰も反対しなかった。
既にタイムリミットまで一時間を切っている。
もはや代替案に期待するような時間もない。正真正銘最後の推理だ。
屋上に着くと、そこには以前と変わらず涼音の死体があった。
探偵役がスムーズに捜査するためか、周りをドライアイスで囲み防腐処理を行っている。おそらく血液なども抜き取られているのだろう。
その死体は、改めて見ても奇妙な形をしていた。両腕を伸ばした状態です巻きにされ、足はまるでフックのようにくの字に曲がって浮いている。
「なんで犯人は、わざわざ死体を吊るすような真似をしたんだと思う?」
「……わかんないけど、何らかの遠隔操作で殺人を行うためじゃないの?」
「遠隔操作か」
オレはあらかじめ手に入れておいたカッターナイフを、涼音の膝……正確には、彼女の脛の部分を固めているテープに突き刺した。それを引き、何重にもなったテープを切り取っていく。
「最初から、そんな大層なものなんてなかったんだ。答えは単純明快で、あまりに馬鹿げたものだった」
元が薄いテープでも、幾重にも張られたそれは切り取ることさえ困難だった。膝から脛にあたってのテープを切り終えると、今度は裏のふともも部分にもとりかかる。
すると、先程とは打って変わって、驚くほど簡単に切り取ることができた。
「……え?」
彼女の足を固定するテープは全て切断した。しかしそれでも、その足は宙に浮いたままだ。
「死後硬直だ。身体の筋肉が収縮することで、死んだ時の状態で固まってるんだ。だからこそ、オレ達は膝の内側だけが固定されていないことに気付かなかった」
オレは皆の方を向いて笑ってみせた。
「簡単だろ? だが、それ故に恐ろしい殺害方法だ」
「ご、ごめん。それだけじゃよくわかんないよ。ちゃんと説明して」
「だから、説明するまでもないんだよ。犯人は睡眠薬か何かで涼音を眠らせ、彼女を吊るしたロープとはまた別のロープで雨どいの場所に身体を固定し、彼女が起きてからそのロープを解いて立ち去った。“ただそれだけ”だ」
一瞬だけ、沈黙が訪れた。
「……は? 生きた被害者を、そのまま放置したっていうの?」
こくりと頷く。
清羅は蒼白になっている。如月も、思わず手で口を覆った。
「ちょ、ちょっと待ってよ! そんなことしたら、犯人がいなくなったあと脱出──」
「できるか? 両手両足どころか、身体全体が完全に固定された状態だ。どこかへにじり寄ることすらできない。膝はがっちりと固定されていたから、立ち上がるのも不可能だ。唯一できるのは……」
オレは、指で地面を示してみせた。
「下に落下することだけだ」
涼音の身体を立たせると、ちょうど椅子に腰かけたような形になる。その姿勢のまま雨どいに立たせると、重心はちょうど虚空に向かって落ちることになる。それを支えるのはその身一つだ。
「じゃ、じゃあ涼音は……死にたくない一心で、ずっと……」
涼音の死ぬ間際の心境は察するに余りある。
限界に近づく筋肉疲労。打たれる雨に体温を奪われ、震える身体。それでも死にたくないと願い、必死に抗うものの、重力という死神に憑りつかれ、最後には死へと落ちて行く。
想像できる分、なまじ延命できる分、その方法は、あまりに残酷だった。
その時、カチリという撃鉄の音が聞こえた。
ユリアのランプが緑に光る。
じろりと、彼女は自分にクリシスを向ける清羅を睨んだ。
「一体何の真似ですか?」
「このトリックを使えるのはユリアさんしかいない! だからよ!」
ユリアは小さくため息をついた。
「涼音ちゃんの部屋にあったパンの袋は、彼女が十時まで部屋にいたことを物語ってる。十時以降のアリバイがある私と耕ちゃんと前嶋さんは確実に白。このトリックで得をするのはユリアさん、あなただけよ!」
「得をするのはわたくしだけですが、だからといって如月さんが犯人じゃないとは言い切れないのでは? それに神城さんの言うトリックが使われたのなら、犯行時刻は涼音さんの意志によって変えられます。それこそ、犯人が立ち去った直後に死ぬことだってありえる」
「そんなの、普通の人間には選べない! 誰だって少しでも希望のある、生き永らえる道を選ぼうと思うはずよ! あなたには分からないかもしれないけど、人はそういう生き物なの!」
「なるほど。そういう生き物ですか……」
ユリアはしばらく考え、それから口を開いた。
「ならば内海さん。人間が、復讐を重んじる生物だということも、考慮にいれてくださいませんか?」
清羅は眉をひそめた。
「……復讐?」
「ええ。ここは殺人学園で、今日は休日。校舎に人がやって来る可能性は皆無で、口も塞がれていた。ここまで絶望的な条件が揃っているなら、被害者が犯人に復讐心を抱き、道連れにしてやろうと考えるのは至極まともな思考回路ではありませんか? この方法が犯人のアリバイトリックに使われることは少し考えれば分かります。どうせ死ぬのなら、一矢報いて死んでやろうと思うのは、あなたの言う希望に縋る行為と比べても、何ら遜色のない魅力的な選択肢に思えますが」
「……で、でもそれを選んだかどうかは────」
「どちらを選んだかが重要なのではありません。犯人にとってあまりにリスクが高いということが問題なのです。涼音さんがわたくしの言う復讐心に燃えてしまったら、犯人はどうしたのでしょう。そんなことはありえないと踏んでいた? そうなるならそうなるで仕方がないと考えた? 津川さんを殺す偽のトリックを考えるような犯人が、そんな致命的な欠点のあるトリックを使うでしょうか」
清羅は答えに窮している。
「わたくしが犯人でない根拠ならまだありますよ。あのコンビニは人がいると明かりがつく仕様になっており、宿舎からコンビニまではフェンスと木々で作られた曲がり角を一つ曲がるだけ。当然、曲がった先に人がいるかどうかも確認できます。つまり、コンビニにやって来た彼女を眠らせるために犯人が待ち伏せするということが、非常に困難な立地になっているのです。ならば自然、涼音さんは誰かと共にコンビニへ行ったことになりますが……お忘れではありませんよね? わたくしは歩く都市伝説。その本性は、名付け親である涼音さんが一番よくご存じだったはず。そんなわたくしと二人でコンビニに出掛けるなんて、世間一般の考え方からすると、そう……正気の沙汰ではありませんわ」
その優雅な笑みは、思わず見惚れてしまうほどだった。
「それにそもそも、わたくしはその『二人でコンビニへ行った』という考え自体に賛成できません。仮にそれがわたくしでなくともです」
そこでユリアは、オレの方へ向き直った。
「少しお聞きしたいのですが神城さん。あなたが涼音さんと二人きりになったというのは、以前授業をさぼっていた時ではありませんか?」
「ああ、そうだ」
「つまり、他の六人には確実にアリバイがある時間帯、ということですね? そんな状況で殺人を犯す馬鹿はいない。少なくとも神城さんがそんな馬鹿だとは思えない。そういう打算があって、彼女はあなたと二人でいることを選んだのではありませんか?」
あの時の涼音を思い出す。
確かに今にして思えば、彼女はオレに対し、最初はある種の警戒心を持っていたような気がする。
「津川さんの推理の時点では、解はそれしかありえないように思えましたし、鳥江さんと涼音さんは仲もよろしかったようですから、そういうこともあるかと思い反論はいたしませんでした。しかし鳥江さんが犯人ではないのなら、わたくしは『二人でコンビニへ行った』という仮説を否定いたします。わたくし、そこまでクラスメートとの交流を深めていたわけではありませんが、この殺人学園で無防備に自分の急所をさらけだす。鬼瓦涼音という女性を、そこまで愚かな人間だとは考えておりません」
確かにあいつはどこか抜けていて、周りに心配ばかりかけるような奴だったが、それ以上にどこか抜け目ないところもあった。そんな彼女が、自分を殺せる格好の機会を作る。
確かに、それは少し不自然に思えた。
「神城さんの考えたトリックは、確かに現段階では最も解に近いものといえるでしょう。しかしあまりに偶然性が高すぎます。偽の解を用意し、一度の事件で探偵役を皆殺しにしようとする冷酷で頭のキレる犯人が、この場面でそんな運否天賦に出るとはわたくしには思えません」
ユリアは草壁の方を向いて、マジシャンが事前に仕掛けの有無を確認させるように、両手を差し出してみせた。
草壁は小さく息をつき、手をポケットの中に入れる。
すると、ビープ音が鳴り響き、ユリアの首輪は赤に光った。
「ふぅ。あぶないあぶない。このテミスの審判というのは、なかなかスリリングで面白いですわね」
「……そんなこと言ってる場合? アンタのせいで、また振り出しに戻っちゃったじゃない。……いえ、振り出しどころかマイナスだわ」
確かに。ユリアの抗弁のおかげで、オレの指し示した犯行トリックが否定されただけでなく、犯人がどうやって涼音を捕えたのかという新たな問題まで浮上してしまった。
だが、オレは知っている。
その抗弁をさらに覆す答えがあることを、オレは知っている。
なのにここに来て、またオレは迷い始めていた。
「……なぁ、清羅」
オレは馬鹿だ。
こんな状況になっても、まだ彼女に甘えようとしている。
「前に言ってたこと、覚えてるか? オレは、こんな場所にいても自分の価値を見失わない強い人間だって、お前はそう言ってくれたよな。……今でも、そう思うか?」
彼女に後押ししてもらわないと、何もできないただのヘタレだ。
彼女はじっとオレを見つめ、オレの震える手を、そっと握った。
「うん。誰が何と言おうと、あなたが自分をどう思おうと、私はいつだって断言するよ。あなたは強い人だって。どんな状況でもめげずに戦える、強い人なんだって」
……ありがとう。
その言葉は、掠れて声にならなかった。
だけどきっと、清羅には伝わったはずだ。
だからこそ、オレはこれからする行動を、躊躇なく行うことができた。
オレは自分のクリシスを、内海清羅に向けた。
「……え?」
その声が誰から発せられた声なのか、オレには分からなかった。ただ少なくとも、それが清羅の声でないことは、彼女の目を見ればすぐに分かった。
カチリと撃鉄を引く。その瞬間、ビープ音が鳴り響き、清羅の首輪は緑に光った。
「……どういうことかな? 耕ちゃん」
その声は動揺した様子もなく、落ち着いていた。
そこにある種の覚悟を固めた時の清羅がいて、オレの疑惑は確信へと変わった。
「どういうことも何も、この殺人学園で銃口を向けるってことは、理由は一つしかないだろ」
「ふーん。なるほど。耕ちゃんは、私が犯人だって言いたいわけか」
まるで駄々をこねる子供の主張を反復するように、彼女は言った。
「でもさ耕ちゃん。分かってる? 私には鉄壁のアリバイがあるんだよ? まず涼音ちゃんが十時まで部屋にいたことは確定してる。それにさっきユリアさんが言った反証は、まるきり私にも当てはまるよね?」
「だから言わせたんだろ?」
「え?」
「ユリアが自分に犯行は不可能だと立証することで、お前の犯行も不可能だと立証させたんだろ。だがな。オレから言わせれば、それは過剰防衛だ」
清羅の目が細くなる。
その顔からは、いつもの笑顔が消えていた。
「ちょちょ、ちょっと待って! よくわかんないけど、ちょっとタンマ! 清羅が犯人って、アンタ本気で言ってるの!?」
「そ、そうだよ神城君! 内海さんが僕達を叱咤してくれたから、諦めずにがんばろうって思えたんだよ!? そんなことを言う人が犯人なんて……!!」
彼らの反論はよく分かる。
この中で、一番真実を否定したがっているのはこのオレ自身だ。
しかし、ここで逃げるわけにはいかなかった。
「今回の犯行の恐ろしいところは、そんなはずがないという固定観念を悉く壊している点だ。こんな恐ろしいことを、殺人を強要された人間が行うはずがない。殺人学園で、自分の身の安全を考えないわけがない。そうやって無意識に排除する可能性の中に、お前は真実を散りばめた」
そう。
本来なら、清羅は犯人候補として名前が挙がることもないほどに、完璧なアリバイがある。しかしその完璧は、とある固定観念を崩すことで、完璧ではなくなる。
「無意識に排除する可能性というのは、それだけ無茶だということだ。お前はその無茶を通すために、大きなリスクを背負った。だからこそ、今回のありえないを可能にできたんだ」
「ありえないを可能に……? それって、涼音さんをおびき寄せた方法のこと? やっぱり何かトリックがあるの?」
オレは首を振った。
「最初から、トリックも何もない。清羅はただ、涼音にコンビニへ来てほしいとお願いしただけだ」
「は? アンタなに言ってんの? そうお願いしてほいほい来てくれるんなら、今こんな議論なんてしてないでしょ」
「だが、実際に涼音は清羅の指示に従い、コンビニまで来たんだ。涼音は絶対に自分が殺されないと確信していたからな。だからこそ、清羅の呼び出しに応じた。……一人だけいるだろ? この殺人学園で、“絶対に犯人に殺されない奴”ってのが」
如月が、信じられないとでも言うようにオレを見つめた。
「……まさか」
「そのまさかだよ」
オレは一息に言った。
「鬼瓦涼音は、犯人役だったんだ」
全員が息をのむ。
その中で、清羅だけが変わらずオレを見つめていた。
「待って! それはおかしい!! 絶対おかしい!!」
前嶋は即座に反論した。
「だ、だって仲間じゃん! 殺人学園は犯人役が探偵役を殺し尽くすか、犯人役が探偵役を殺し尽くすゲームでしょ!? 犯人役が犯人役を殺したって何の意味も────」
「ない、と言えるか? 津川と鳥江が死んでいるのに?」
如月は自分の前髪を掴み、苦悶の表情に顔を歪ませた。
「じゃあ犯人は……最初から、探偵役に誤爆してもらうために……ただそれだけのためだけに、今回の犯行に及んだってこと?」
オレはゆっくりと頷いた。
二人は絶句している。
「待ってください。確かに今回、六人いる探偵役を誤爆で二人殺せました。ですが清羅さんが勝利するには、その後二回も殺人を成功させる必要があります。犯人役を殺すリスクに比べ、リターンがあまりに少なすぎませんか?」
「津川が誤爆したあと、オレ達はどうした?」
それを聞いて、ユリアは自分の失念に気付いたのか、軽く舌打ちした。
「……そうでした。わたくし達は、“このままでは負けると錯覚した”のですね」
まだ事件の全貌に気付いていなかった当時のオレ達は、あの時点で犯人役が二人とも生きていると考えていた。仮に犯人役が二人いた場合、探偵役を二人失ったオレ達は、この事件で犯人役を処刑しなければ敗北が決定する。
だからこそ、まったく全容の分かっていない事件でありながら、無理やりにでも推理して犯人を突き止めようとしていたのだ。実際は、既に犯人役は一人だけだったというのに。
「つくづく思う。お前はゲームの達人だ。殺人学園に入学して一週間も経たない内に、こんなルールの裏をかいた犯行計画を思いつくなんてな」
清羅は何も言わない。
ただ黙ってオレの話を聞いている。
その様子が、逆に不気味だった。
だが、オレもそんなことで臆するつもりはない。
「事件の全容はこうだ。まず清羅は涼音をある程度コントロールする必要があった。そこでおそらく、涼音に嘘の犯行計画をでっちあげたんだろう。順当なところでいくと、デモンストレーションでも見せた犯人役が二人で犯す殺人、といったところか。それを涼音が快諾したところで、既に一つのマインドコントロールが成功したことになる。あとはその偽の犯行計画に沿った形で、現実の犯行計画を実行に移すだけだ。涼音が十時に部屋にいたという状況証拠だけでも作ろうと清羅は提案し、彼女にパンの袋を部屋に置いて来させる。そのあとコンビニまでやって来た彼女を睡眠薬で眠らせ、屋上で例の装置を作った。あとは言葉巧みに、自分のイカレ具合を見せつけてやればいい。お前は今後自分の手足として動け。それを快諾しなければ殺す。そんなことを揚々と語り、自分が帰ってくるまで死の恐怖を味わってもらうとでも言って、何食わぬ顔で宿舎に戻った。涼音はその時点で、清羅がイカれた女だという認識は持っていただろう。だがそれでも、自分は同じ犯人役だ。まさか殺されるようなことはない。そうタカをくくっていたんだ。だがいつまで経っても清羅は帰ってこない。そしてとうとう限界を迎えた涼音はそのまま……」
それ以上は、言葉に出さずとも分かることだった。
「……確かにそれなら、命に代えても復讐してやろうなんて思わない! だってその時涼音さんは、助かると思ってたんだから!」
「それがこの犯行の最もえげつないところだ。偽りの希望に縋らせ、結局は力尽きて死ぬハメになるんだからな」
その恐ろしい犯行を、目の前にいる彼女が実行した。
オレの幼馴染。いつもオレを助けてくれた、優しい彼女が。
「どうだ、清羅。何か反論はあるか?」
「反論? あるよ、もちろん」
清羅は悪びれた様子もなく、簡単に言ってのけた。
「だって、もう一人犯行可能な人がいるじゃない。そうでしょ? 耕ちゃん」
そう言って、清羅はオレを指差した。
「……オレ?」
「そう、君だよ。だって十時以前にアリバイがないのは耕ちゃんも同じだよね? いかにも自分は犯人じゃないという体で語ってるけど、それを示す証拠は何もないわけだ」
「ま、待ってよ! 神城が犯人なら自分でこんな推理するわけ────」
「そう思ってもらうのが耕ちゃんの思惑かもしれないよねぇ! だって涼音ちゃんが犯人役なら? あと一回探偵役には誤爆してもらわないといけないんだもんね」
なるほど。そうきたか。
硬直状態を解消するために敢えて推理を暴露し、清羅という爆弾を探偵役に投げ込んだ。オレの行動は、確かにそういう風に捉えられなくもない。うまく自分の容疑をすり替えられた。
だが────
「実は、それはありえないのさ」
清羅の顔つきが、初めて変わった。
「お前のことだ。仮に全てがばれても最悪二択にできるように考えていたんだろ? オレが本を持って部屋に籠るのを確認してから犯行に及べば、容疑をオレに擦り付けることも可能だからな」
「そんなことより、そのありえない理由を聞かせて欲しいな」
声に険が出始めている。
やはりこれは、清羅にとっても想定外らしい。
オレは自分の懐から無線機を取り出した。
清羅の目が、大きく見開く。
これは、デモンストレーションの時に使用した無線機だった。
オレはカチリとスイッチをいれ、声を出した。
「こういうことさ」
すると、その声があらぬ方向から聞こえてくる。
全員がそちらへ顔を向ける。
そこには、オレと同じ無線機を持ったユリアの姿があった。
「津川の提案で、オレとユリアの三人は、それぞれ無線機を持ち歩き、定期的に連絡を取るようにしていたんだよ。犯人役が仕掛けてくるであろうアリバイトリックを崩すためにな」
「……もしかして、あの時ユリアさんと津川君が時々トイレに立ってたのって……」
「無論、一人でいる神城さんのアリバイ証明のためですわ」
如月は絶句している。
前島は未だにオレ達の意図が分からないのか、どう反応したものかも分からずに各々の顔を見比べている。
「要するに、津川さんが犯人役を挑発するような言葉を投げかけていたのは、自分を囮にして現行犯で捕らえるためだったということです。リスクを恐れない彼らしい行動だったといえるでしょう」
清羅は表情を変えずにじっとこちらを見つめていた。
「……ちなみに、どうしてこの三人なの?」
「もちろん、一番犯人役から遠い人間だったからだ。今回の殺人学園の大前提として、犯人役の殺人は必ず起こらなければならない。ならこのゲームの根幹を崩しかねない人間が犯人役になることはないだろうという読みだ」
「そっか。ユリアさんは自分の命も顧みない人。政府からすれば、一番行動を読みにくい人だよね」
「殺人を強要しても拒否されれば、草壁だってどうしようもない。そんなことで面倒を増やすくらいなら他の人間を犯人役にした方がマシ。だからユリアは犯人役にはならないだろうと考えた」
「津川は? アイツが犯人役なら、確実に殺してたわよ」
オレは頷いた。
「そうだな。津川はどちらの役だろうとちゃんとこなしていただろう。だが逆にそう考えた時、強要の難しい探偵役に積極的な人間をいれて議論を活性化させたいと考えるのはごく自然な発想だ。津川はその点、探偵役をするには適任だった」
「そして、死にたがりの耕ちゃん、ってわけか」
「ま、そういうことだ。清羅が探偵役だっただけで自殺するかもしれないような奴を、犯人役にするわけがない」
オレは津川のことを思い出していた。
自信家で人を見下す癖はあったが、誰よりも頭が良く、危険も顧みずにオレ達のために戦おうとしてくれた。
今から放つ弾丸は、そんな津川の意思も籠(こも)ったものだ。
「清羅。少し津川を甘くみたな。お前からすれば、津川は誤爆を一つ引いてくれる貴重な爆弾だったんだろうが、あいにくとあいつは、ただの爆弾で終わるようなタマじゃない」
改めて、オレは清羅を睨んだ。
三人もの人間を殺し、オレ達を欺いてきた犯人を。
「十時以前のアリバイがないのはお前だけ。つまり今回のアリバイトリックで得をするのは、お前ただ一人ということだ。これでもまだ反論はあるか?」
清羅は俯き、おどおどと口を開いた。
「た、確かにそれなら、私が犯人だと考えた方が、筋が通ってるかもしれない……」
そして、彼女はオレを正面から見据え、にこりと笑った。
「涼音ちゃんが犯人役なら、ね」
そのあまりに無理のない笑みを見て、オレは自分の額から流れる冷や汗を感じずにはいられなかった。
「耕ちゃん。君の言ってることは全て仮説だよ。状況証拠もないただの仮説。まるで決定事項みたいに話が進んでたけど、涼音ちゃんが犯人役じゃない場合だって今の状況は成り立つよ? 復讐がどうだって言ってたけど、現実に自分の命と天秤にかけたらそれを実行できる人間は少ないだろうし、口八丁でその可能性を軽減することもできる。それに犯人もそんなことまで考えてなかったかもしれない。頭がキレる人間だからこそ、そういう小さなところが疎かになってしまう可能性だってあるわけだし」
ユリアに銃口を向けていた時と違って、清羅はぺらぺらとよく喋った。
「涼音ちゃんが犯人役だったかもしれない。彼女がパンの袋を意図的に置いたかもしれない。でもそれと同じように、耕ちゃんが提示したトリックでユリアちゃんが涼音ちゃんを殺したのかもしれないよね。もしかしたらこんな議論なんて本当はまったく関係なくて、裏の裏をかいて如月君が何の捻りもなく涼音ちゃんを突き落としたのかもしれない。……あなたの“かも”と私の“かも”。どっちに優劣があるのかな?」
長年付き合いのあるオレでも、ここまで饒舌な清羅は初めて見た。
それだけ、彼女が本気だということだ。
「それにね。耕ちゃんは犯人役が犯人役を殺すことをまるでベストな方法だと言わんばかりに語ってるけど、私はそうは思わないな。いくら裏をかけるからって、無条件で自分の殺人を手伝ってくれる仲間を犠牲にしてまで、この事件で勝とうとするかな? もし誰も推理しようとせずこの事件を放置してしまったら? 探偵役は何のリスクを冒すこともなく犯人役を一人殺したことになるんだよ? それって犯人役からすれば最悪の結果だよね」
「津川は退屈を嫌う男だった。頭が良いと自負し、人を殺せるだけのタフさもある。皆だって、何もしなくてもあいつが勝手に犯人を暴いてくれると心の中で思っていなかったか?」
「反論というにはちょっと弱いかな。私はそうは思わなかったよ?」
思わず口籠る。
確かに、そう言われてしまえば通すのは難しい。
「津川君が駄目でも、神城君がいる」
オレはハッとした。
それは如月のアシストだった。
「……如月君。分かって言ってる? これは命を賭けた推理ゲームなの。図書室にあったような、下らないミステリー小説とは違う。君の無責任な発言や推理で、人が死ぬかもしれないんだよ?」
それは、如月を黙らせるには十分な効果があったはずだ。
しかし、如月は黙らなかった。
「……分かってる。それに、怖くてたまらないよ。僕は津川君や神城君とは違う。自分の命が掛かっていても、誰かを殺すために引き金を引くなんてできっこない」
「如月……」
前嶋が、ぎゅっと自分の拳を握った。
「でもだからこそ、僕達のために手を汚そうとする神城君に、ただ一人で引き金を引かせちゃいけないんだ」
如月は、強い眼差しでオレを見つめた。
「僕は神城君を信じる。神城君の放つ弾丸は、僕の意志だ!」
自分を臆病者だと言って憚らない如月が、何よりも重い人殺しという罪を共に背負うと言ってくれた。
それだけで、先程から押し潰さんばかりに迫っていたプレッシャーが、和らいでいくのを感じる。
如月。お前の意志は受け取った。
だからきっと、この弾丸を放ってみせる。
たとえそれが、オレにとって最悪の結末であってもだ。
「……如月が言った通り、仮に津川が推理しなくとも、お前が誘導すればオレは間違いなく推理をしていた。元々オレは、お前のために逮捕されたようなものだからな」
自分で言って、胸が痛んだ。
オレは今、その清羅を殺そうとしているんだ。
「この犯行の最大のメリットは決定的な証拠が残らないことだ。誰かが誤爆することが確定しているのなら、これほど勝ちやすい事件はない」
清羅は、ふぅと小さく息を吐いた。
しかしそれが諦めの吐息でないことは、オレが一番よく分かっていた。これは、オレが迷惑をかけた時に見せる諦観のため息だ。
「じゃあさ。実際に起きたことを一度整理してみようよ。議論の余地なく私達が見て、実際に起きたことを」
オレは思わず眉をひそめた。
今更そんなことをして何の意味があるんだ? ……いや、そこには絶対に何かあるんだ。ここまで周到な犯行を行ってきた清羅が、ここに来て無駄な弁論を捲し立てるわけがない。
「見て、起きたこと? まず、涼音の死体を目撃したよね。んで、みんなで調査して、津川が突然アタシ達を呼び出した。三階の教室が濡れていることに気付いた津川がその推理で鳥江を誤爆して────」
「そこ」
指を差され、前嶋は思わず言葉を止めた。
「つまりさ。仲間の犯人役を犠牲にするなんて身を斬る方法を使わなくても、それとは何の関係もないところで津川君は誤爆してくれたわけじゃない? 仮に今回の犠牲者が犯人役でなかったとしたら、誤爆によって探偵役は三人。つまり、真犯人を当てなければ探偵役は敗北必至という今と同じ状況に持って行くことができ、かつ真犯人を当てられた場合でも第二ゲームへ移行できる。……どう? 犯人役からすれば、わざわざ仲間を殺すなんていう博打を打つ必要はないと思わない?」
確かに、一見すると筋が通っているように見える。
しかしそれは詭弁だ。
「犯人役が勝つことを至上目的にしているならな。だがオレ達にとってあくまでもチームの勝利はチームの敗北を防ぐためのもの。そして敗北を防ごうとする最大の目的は、自分の命を守るためだ。犯人役が最終的に勝ったとしても、自分が死んでいたら意味がない。ならその第二ゲームには何のメリットもない」
「そんなに自己防衛意識が高い犯人なら、危険な殺人を率先してやろうとは思わないんじゃない?」
オレは思わず舌打ちしたくなった。
最初から、清羅はそこに話を持っていきたかったのか。しかし、こうなると彼女の口車に乗るしかない。
「……おそらく清羅は、今回の殺人を強要されたんだ」
「でたね。お得意の“おそらく”」
何とでも言え。
こっちもなりふり構ってなんていられないんだ。
「で、でもさ。同じ犯人役に強要されたって、別に殺さなきゃいい話なんだから……」
「いや、オレが言っている強要した人物は涼音じゃない。清羅は草壁に強要されたんだ」
今まで静観していた草壁が、クフフと笑う。
如月が首を傾げた。
「草壁先生? どうしてここで草壁先生がでてくるの?」
「このゲームは犯人役が殺人を行わなければ始まらない。一番手っ取り早くゲームを進める方法は、期日までに殺さなければ処刑すると脅すこと。くじか何かで一番手を決めて、それがたまたま清羅だったってわけだ」
「まるで見てきたみたいに言うのね」
そう。これに関しては、どれだけ言葉を並べ立てても詭弁にしか聞こえない。
一か八かだ。
オレは叫んだ。
「草壁! お前はワルプルギスの夜で、犯人役の一人に殺人を強要したんじゃないのか!」
草壁はぽりぽりと頬をかいている。
「仮に強要していたとすれば、それは立派なルールだ。特に今回は、犯人の犯行動機に直結している。オレ達探偵役にも知る権利があるんじゃないか?」
草壁は答えない。
「どうなんだ!?」
草壁は、ようやく大きなため息をついた。
「ふー。やれやれ。神城君がずいぶんと必死なので、仕方がないから教えましょう。はいその通りです。確かに私は、犯人役の一人に殺人を強要しました」
清羅は舌打ちした。
「悪いな清羅。……逃がさない。今回だけは、絶対に逃がさない。死んだ津川や鳥江、涼音のためにもだ!」
最低限の筋は通した。
これでまだ議論を続けることができる。
問題は、ここからどうやって清羅の上をいくかだ。
「少し、状況を整理しましょうか」
ふいにユリアが言った。
「神城さんの主張によると、内海さんは草壁さんの指示で殺人を強要されていた。そこで思いついたのが今回の事件だったわけですね。証拠を出さず、アリバイトリックによって誰しもが犯人となる殺人。無論、そこには探偵役の誤爆を引き出させるという目的もあった。しかしそれだけでは自身も絶対的な安全圏に入ることはできない。そこで思いついたのが、同じ犯人役である涼音さんに自身のアリバイを作ってもらい、彼女を殺すことだった」
如月がそれに続いた。
「犯人役がまだ二人とも生きていると思っている探偵役は、仮に犯人役を絞り切れていなくとも誰かを処刑しなければならない。誤爆が二回行われれば、犯人役一人に対し探偵役二人。つまり犯人役の勝利条件が満たされることになる」
犯人役が犯人役を殺すわけがないという先入観を利用した、このゲームならではの心理トリックだ。
「確かに、聞いているだけだとそれらしい仮説だね。でも最初に言った私の言葉を、まだ覆してもらってないよ。耕ちゃんの仮説は、全て涼音ちゃんが犯人役であれば、っていう前提がつくよね? パンの袋が置いてあることが犯人役である涼音ちゃんの偽装なんだとしたら、それ以前にアリバイのない私は犯人といえるかもしれない。でもそれを証明したいのなら、涼音ちゃんが犯人役だった何らかの根拠が必要なんじゃないかな」
そこはオレにとって、一番突かれたくないところだった。
「それに今回は、鳥江さんの時とは明らかに違うよね? あの時は、犯人が実行したと思われるトリックを実現できた人物が鳥江さんただ一人だったから、特定のトリックが使われたという状況証拠で犯人を指摘できた。でも今回は、犯人役ということが確定しているわけでもない涼音ちゃんが、ただパンの袋を部屋に置いていただけだもん。誰が犯人でも、涼音ちゃんが部屋に袋を置いておくという行為に矛盾はないよね? これってつまり、犯人である可能性というのは、全員が等しく同じってことにならないかな。それに探偵役の涼音ちゃんが、何らかの事情で早めにパンを食べた可能性だってあるわけだし。ほら、人間って機械じゃないから、どんな心変わりがあるか分からないでしょ?」
クソ。
次から次へとよく喋る。
オレは思わず歯噛みした。
清羅の言う通りだ。どれだけ仮説を並べ立てても、それはあくまで仮説。推理する上での筋道に過ぎず、それを強固にするためには何らかの証拠が必要不可欠なのだ。
「結局ね、耕ちゃん。君が私を真犯人に仕立て上げたいのなら、私と涼音ちゃんが犯人役だったっていう決定的な証拠を持って来ないとだめなんだよ」
オレの目にタイマーが映る。もう時間は十分もない。
ここを逃せば、次は確実にオレを殺しにくる。そうなれば、探偵役は敗北したも同然だ。
何か……。何かないのか……!
清羅の犯行を裏づけるもの。清羅と涼音が犯人役だったという証拠が!!
「が、がんばってよ神城!! あともうちょっとじゃん!」
「……そのもうちょっとが難しいんだ。というかお前、清羅側だったんじゃないのか?」
「そ、そうだけど……だってよくよく考えたらめちゃくちゃ怪しいじゃん! 急にこんなにぺらぺら喋り出してさ!」
……喋り出す?
そうだ。何故清羅はこれほどまでに反論を捲し立ててくるんだ?
涼音が犯人役である根拠が存在しないなら、それを一つ突き出せば、それでオレの推理を打ち破ることができたはずだ。なのにそれをしなかった。
……あるのか?
この完璧に見える犯行に、清羅も恐れる致命的な穴が。
「しかしあなたも災難ですね」
クスクスと笑いながら、ユリアが言った。
この絶体絶命のピンチに、汗一つ流していないのは彼女だけだ。
清羅は冷たい目でユリアを睨んでいる。
「もしもあなたが探偵役なら、殺人などというリスクを負わず、楽に生き残ることができたでしょうに。確実な証拠を掴んだ時だけ推理すればいいのですからね」
世間話。そう捉えられるような緩い会話だが、その目は違った。
さっきの前嶋の言葉を聞いて、ユリアがオレに目配せしたのを、オレは見逃さなかった。
「そういえば、津川さんが死んだ時、わたくしがこの事件のスルーを提案しましたが、真っ先に反対したのはあなたでしたね。あの時は、犯人役にしてはリスクの高い行為だと考えていましたが、今にして思えばあれは当然の行為だったのですね。この事件をスルーされると、再びあなたはリスクを負うハメになるのですから」
「……何が言いたいの?」
「特に何も。ただ、あの時わたくしが描いた犯人像に差異があまりないようで、ちょっとした自己満足を覚えただけです」
差異がない……?
リスク……?
その時、オレの脳裏に天啓が差し込んだ。
オレは頬が緩むのを止められなかった。
これは、どちらが生き残るべきか計っていた彼女が、オレに対して示してくれた価値だ。
ありがとう。
こんなことを言うのはおかしなことなのかもしれないが、それでもオレは、この食えない殺人鬼に、礼を言いたい気分だった。
「リスクを徹底的に排除する人間なら、率先して顔を割るようなことはしない。……そういうことだな、ユリア?」
ユリアは笑みを浮かべたまま黙っている。
「え? なに? どういうこと?」
「今度は、こっちがルールの裏をかいてやる番だってことさ。テミスの審判は、起きた事件の犯人を論破すれば勝ち。つまり事件そのものに関する証拠がなくても、犯人役を当てれば、必然的にこの事件の犯人になるってことだ」
オレは大きく深呼吸した。
ようやく、清羅に一矢報いることができる。
この大一番に、オレは改めて気を引き締めた。
「今回の犯行は、清羅と涼音が共謀していなければ成立しない。だがこの事件を清羅が思いついたのはいつだ? 自分が犯人役だと知り、『ワルプルギスの夜』に参加した時? いや、ありえない。何故ならその時点では、ここにいる全員が誤爆のルールを聞いていなかったからだ」
ワルプルギスの夜が過ぎた次の日に、草壁はテミスの審判について説明した。
そこで初めて、人殺しには相応のリスクがあることを明かしたのだ。
「だから清羅が今回の殺人……、犯人役が犯人役を利用する事件を思いついたのは、『ワルプルギスの夜』以降ということになる。清羅、ここまでは異論ないな?」
「……まあ、筋は通っているんじゃないかな。私と涼音ちゃんが犯人だという前提があるなら」
よし。
ここで言質をとれたのは大きい。
「じゃあ次だ。協力することが決定したわけじゃない段階で、『ワルプルギスの夜』が開催された。清羅はそこで一体何をする? 自分の正体を、嬉々として涼音に教えるか? いや、そんなことはありえない。学校に来た直後。相手のこともよく分かっていない状況だ。口を滑らせるかもしれない人間に顔を晒せるわけがない。つまり、清羅が『ワルプルギスの夜』で自分の正体を涼音に教えたとはとても思えないんだ」
「思えないからなに? それもまた想像だよね?」
「いや、違う」
これまで涼しい顔をしていた清羅が、今明らかに顔をこわばらせている。
これだ。これしかない。
完璧な殺人計画だというのなら、その殺人計画の外を突いてやればいい。
「清羅はワルプルギスの夜が終わった後、涼音に犯人役が自分であることを教えている。そしてその現場を、オレ達全員が目撃しているんだ」
「……はあ!? 見ている!? ど、どういうことよそれ! 私達の前で、清羅は自分が犯人役だと告白したっていうの!?」
「そうだ」
オレの一言に、全員が絶句している。
「……もちろん、直接言ったわけじゃない。事はそう単純じゃないんだ」
「単純じゃないって……ただ、涼音さんに自分が犯人役だって伝えればいいだけじゃないの?」
「まず大前提として、清羅も涼音も、互いに犯人役が誰かということは知らなかったはずだ。自分だけ顔を晒すような真似を涼音がするとは思えないしな。それに、もし仮に何かのきっかけで涼音が犯人役だと清羅が気付いたとしても、自分も犯人役だと名乗ったところで涼音がそれを信じるはずがない。少なくとも、自分も犯人役だと名乗るようなことは絶対しない。犯人役をあぶり出すための作戦かもしれないからな」
そう。
もしも顔を晒すのなら、『ワルプルギスの夜』をおいて他になかった。その唯一の機会を清羅は逃した。それが唯一にして最大の、清羅のミスだった。
「今回の犯行を思いついた清羅は考えた。一体どうすれば犯人役を見つけられるのか。自分が犯人役だと信じてもらえるのか。……そして、一つ思いついたのさ。犯人役でないと決して持つことのできないもの。それをここにいる全員に見せることで、もう一人の犯人役がコンタクトを図ってくれるんじゃないかとな」
「……そうか!! 凶器だね!?」
オレは頷いた。
「『ワルプルギスの夜』以降、犯人役は自室で凶器の要求をすると、その日のうちにトレイへ届くことになっている。清羅はそこでとある武器を手に入れ、公然とそれをオレ達に見せつけたんだ」
「でも、犯人しか持てないものなんだから、そこらにあるようなものじゃ駄目なんでしょ? ナイフは駄目。ロープも駄目。アイスピックとか、チェーンソーとか? それも探せばありそうだしなぁ。けっこう難しくない?」
「一つだけ、ここ日本には確実にないものがあるだろ。コンビニで、清羅が持ってきた模造クラッカーの一つだよ」
「……もしかして、拳銃!?」
「そう。あの拳銃が、実は本物の銃だったんだ」
あの時、清羅は嬉々としてこちらに銃口を向けていた。……思い出すだけでぞっとする。
「殺人学園について説明していた時、草壁が言っていただろ。凶器を見た犯人役の二人は驚いていたってな。つまり『ワルプルギスの夜』で犯人役の取り決めが行われていた時、草壁はサンプルとして一つの凶器を見せていたんだ。コルト・パイソンという回転式拳銃をな。あの時のオレ達は、まさか犯人役が凶器を堂々と見せびらかしているなんて思わない。だがもう一人の犯人役は違う。『ワルプルギスの夜』で見た銃とまったく同じ型の銃だ。ただの模造クラッカーだとは思えない。勘の良い奴なら、そこで清羅が何らかの協力を要請していることに気付き、接触を図ろうと考えるってわけだ」
「憶測ね」
「いや、憶測じゃない。今度こそな」
オレは息をつき、再び話し始めた。
「清羅の提案で、親睦会をしていた時のことだ。前嶋が隠していたクラッカーを皆に向けて鳴らしたことがあっただろ。あの時、涼音は一人だけ異様な反応をしてみせた」
「あ、そうだった! クラッカー鳴らしたら、びっくりしたのか机の下に隠れちゃってさ。確かになんか涼音っぽくないなーとは思ったけど」
「あれは涼音が、模造クラッカーに見立てた本物の銃が発砲されたんじゃないかと勘違いしたからだ。特に前嶋は、清羅の持っていたあの銃をカッコイイとか言って頻りに騒いでいたからな。涼音からすれば……いや、あそこに本物の銃が紛れ込んでいることを知っている人間なら、どうしたって過剰反応を示す。まったく無反応だった清羅が異常なだけだ」
清羅は黙っている。
「まだ弱いか? なら、決定的な証拠を出してやる。オレ達は草壁から、もう一つ犯人役についてのルールを知らされている。『取り寄せた凶器は部屋から持ち出した時点で再び部屋に戻すことはできず、原則として清掃の対象にならない』。つまり涼音に見せた銃は、未だこの学校区域内に存在するってことだ」
清羅がタイマーに視線を移す。
既に五分を切っている。凶器を探す時間はほとんどない。
「む、無理だ! こんな時間じゃ、満足に探せない!」
「それでもやるしかない! 神城!! 何かアテはないの!?」
「……当ててみてよ、耕ちゃん。それで……終わりにしてあげる」
それは今までの挑発的な態度とは違う。いつもの、あの優しい清羅と同じ顔だった。
オレは急に、胸が痛くなるのを感じた。
「……本来なら、この広い学校区域内を探して一つの銃を見つけるのは至難の技だ。しかしそれでも、見つかる可能性がないわけじゃない。殺人事件が起きて学校内を隈なく探索されるハメになることは、嫌でも想像できるからな。だったら、そこにあるのが自然な場所に置いておくしかない。……模造クラッカーの陳列棚だ」
前嶋が途端に走り出す。
「大丈夫!」
しかしそれは、清羅の言葉で止まった。
彼女は、どこか吹っ切れたような笑顔をオレ達に向けている。
「がんばったね、耕ちゃん。君の言う通り、私が犯人だよ」
ビープ音が鳴り、青のランプが点灯する。
それは、この長い『テミスの審判』で、オレ達が勝った証だった。
前嶋が、その場でへたり込んだ。
「……勝った? 私達、生き残ったの?」
「そうだよ! 生き残ったんだよ、前嶋さん!」
興奮を抑え切れない如月の声でようやく現実を認識できたのか、前嶋は茫然としたまま、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「ア、アタシ……なんにも……なんにも、できなかった……」
「相変わらず馬鹿ですわね」
ユリアがため息交じりに言った。
「あなたの発言がなければ、彼女を追いつめる最後の弾丸には、誰も気づきませんでしたよ」
ユリアはにこりともせず、前嶋へ手を差し出した。
前嶋はしばらく呆気にとられていたが、ぎこちなくその手を掴み、立ち上がった。
その光景は、この絶望的な状況に打ち勝ったオレ達が享受すべき、暖かいものだった。
彼らのように、オレは自分が生き残ったことを喜んでいいはずだ。
なのに何故だ。何故、こんなにも胸が痛いんだ。
「なんでだ……。なんでだよ、清羅!!」
そこにいるのはいつもの清羅だ。優しくて、オレを平気な顔で助けてくれる、あの清羅だった。
「それは何についての“なんで”なのかな。私が犯人役になっちゃったこと? こんな惨たらしい殺人を実行したこと? それとも……耕ちゃんに何も教えなかったこと?」
オレは何も言えなかった。
『ワルプルギスの夜』が過ぎた最初の朝。あの時、もしもあの時、清羅が、自分が犯人役だと教えてくれていれば、きっとオレは……。
「ねぇ耕ちゃん」
ふいに、清羅が言った。
「生きるって、なんなんだろうね。誰かを蹴落として、生き残って。これって正しいことなのかな? ……ううん。違うよね。きっとこれは、正しいとか正しくないとか、そんな次元の話じゃないんだ。人が人として生きることに、善悪なんていう価値感は存在しないんだよ。だからこそ、私は耕ちゃんを人間にしたかった。たとえその結果、耕ちゃんが死んだとしても」
前嶋は思わず首を振った。
「……なに、それ。意味わかんない」
「分からない? ゆかりちゃん、あなたはもう分かっているはずだよ。ゆかりちゃんだけじゃない。ここにいるみんなそう。この一日、あなた達は生きるために必死だった。涼音ちゃんや津川君や結ちゃんの仇を討つという大義名分は、生きたいっていう気持ちに勝るものだった?」
全員が答えに窮する。
そうだ。オレ達は、ただ生きるのに必死だった。
本当に、ただそれだけだったのだ。
「私はこの学園に連れて来られて、すぐに分かったよ。ここで生き残るのに必要なのは、知性でも精神力でも正義感でもない。生きたいっていう強い気持ちなんだって。そしてそれこそが、人間の本来持つ一番優先すべき感情なんだって」
清羅が、オレに向き直った。
「耕ちゃん。君は強い。私なんかより、ずっと強い。でも君はその強さを、ずっと私の影に隠してた。私という模範の人間を用意することでね。だから耕ちゃん。今ここで、その影を壊すの。そしてあなたは、誰よりも強い怪物になるんだよ」
怪物。
その言葉を聞いた時、オレは思い出した。
清羅の家でバッドを振り下ろす瞬間の、あの光景。
この男は罪を認めないと確信し、殺そうとしたあの時。こちらに身をよじったあいつの唇が、確かに動いたことを。
ゆ る し て
一体どこまで本気だったのかは分からない。
しかしそれは、確かに懺悔の言葉だった。今までの行いを悔いて、今後の生き方を改めるための言葉だった。
オレはそれを聞いて尚、バッドを振り下ろした。
そこにあったのは正義感か? 清羅を傷つけられた怒りか?
たぶん、そんなものはなかった。
あの男のすぐそばにあった包丁に目をやる冷静さは、そんなものとは無縁のものだったはずだ。
きっと、あの時そこにあったのは……
「……違う」
自分の全てを知り、だからこそオレは首を振った。
「オレは人間だ! だから……全部背負う。お前の父親も、涼音も、鳥江も、津川も……そしてお前の事も。全部背負ったまま生きて、そして死んでいく」
その時彼女が見せた表情は、今まで見たどんなものよりも澄んだ、美しい笑顔だった。
「……うん。それでこそ耕ちゃんだ」
オレは少しだけ笑い、そのあまりに重い引き金を、ゆっくりと引いた。
五限目 了
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